165話:真竜vs糞エルフ


 果たして、ウィリアムの罵倒に真竜は何を思ったろう。

 その表情は笑みの形を崩さず、まるで仮面のようにも見えた。

 と、再び真竜の姿が陽炎のように揺らめき消える。

 最初の奇襲も、コイツは唐突に現れて攻撃を仕掛けて来た。

 姉さんが使うような《転移》の魔法かと思ったが、何か違う気がする。

 コイツの場合は、まるで空気に溶けて消えているようにも……。

 

「ふん」

 

 ウィリアムは小さく鼻を鳴らすと、その場で腰を低く落とす。

 そうしてから何もない虚空に向けて剣を振り抜いた。

 横薙ぎに払われた刃の切っ先。

 その鋭い先端は空を裂き、あり得ないはずの「飛ぶ斬撃」を生じさせる。

 放たれた刃が狙うのは――こっち?

 

「うわっ!?」

 

 文字通り飛んで来た斬撃にオレは慌てて身を竦めた。

 いきなり味方に攻撃飛ばしてくるとか……!

 一瞬文句を言いそうになったが、当然ウィリアムには狙いがあった。

 斬撃はオレの直ぐ近くを掠め、そのまま硬い金属音を響かせた。

 空気から滲むように、オレの背後から現れようとしていた真竜ヴァローナ。

 次の瞬間には振り下ろされるはずのギロチン。

 しかしそれはウィリアムの斬撃によって阻まれる。

 笑みの形を歪め、真竜ヴァローナを小さく舌打ちをする。

 

「良くお気付きになられましたね」

「先ずは弱いところを狙う。

 自分を賢いと思っている阿呆の考えそうな事だ」

 

 あくまで逆鱗を擦る事を止めないウィリアム。

 こっちは《金剛鬼》を操作し、兎に角真竜の近くから離れる為に動く。

 獲物を狙う竜の眼はあくまでオレを捉えている。

 クソッタレ、このままこっちを狙い続ける気かよ。

 逃げるオレに向けて、真竜ヴァローナはその左腕を向けて。

 

「――妹に近寄るな、下衆が」

 

 その背後に姉さんが「出現」した。

 此方は《転移》による瞬間的な移動。

 それと同時に、ヴァローナの脇腹辺りが「破裂」した。

 姉さんが何をしたのかは直ぐに分かった。

 お得意の《転移》を利用した打撃技。

 転移拳テレポートパンチだのクソダサい名前付けてた気がするが、それは良い。

 大抵、コレを喰らった奴は思いっ切り吹っ飛ばされていた。

 けれど何故か、コイツは喰らった腹の部分だけ綺麗に吹き飛んでいた。

 姉さんにとってもそれは意外な結果だったらしい。

 一瞬驚きの表情を見せる姉さんに、真竜は不快そうに顔を歪める。

 

「妙な真似を……!」

「――成る程な、それが仕掛けの種か」

 

 振り下ろされようとしていたギロチンの刃。

 それは姉さんに届くより早く、間合いを詰めたウィリアムの剣が弾く。

 月光を帯びた刃の軌跡はこんな状況でも綺麗に映る。

 

「何の事はない。

 コイツは恐らく自分の身体を空気のような細かい粒子に変えられるんだろう」

「……成る程、そういう事でしたか」

 

 今のウィリアムの言葉で姉さんは理解したようだ。

 オレの方も仕掛けが読めて来た。

 

「分かってしまえばつまらん手品だな。

 《転移》無しに消えていたのは目視できない程に細かく散っていただけ。

 部分的に変化させれば物理攻撃もすり抜けるワケだ」

 

 けれど姉さんの《転移》攻撃は、座標が重なった相手に衝撃を叩き付ける。

 例え空気に近い状態に変化しようが、拳が重なった部分は弾き飛ばされたと。

 感覚器センサーで捉えられなかったのも、大気と混ざって区別が付かなかったせいか。

 確かに、分かってしまえば面白くも無い手品だ。

 

「減らず口ばかり叩く連中だ!」

 

 よっぽど頭に来たのか、口調に残っていた最低限の丁寧さもかなぐり捨てる。

 真竜の身体がざわりと蠢くと、そのまま真っ黒い霧へと変わる。

 そして羽虫の大群めいた不規則な動きで、姉さんとウィリアムの間をすり抜けた。

 

「ぐっ……!?」

 

 そう、傍から見るとすり抜けただけのように見えた。

 しかし実際は今のも真竜による「攻撃」だ。

 霧に似た状態になりながら、その一部を刃のようにも変化させていたか。

 姉さんの腕や脚に刃物で付けたような傷が幾つも刻まれる。

 ウィリアムの方も同じような状態だ。

 此方は通り抜けた瞬間、手にした白刃で反撃を試みたが。

 

「無駄だ、定命モータル

 そんなものが私に通じるものかよ!」

 

 嘲る声は無数に重なって扉の前に響き渡る。

 黒い霧が寄り集まり、再び老執事っぽい形に真竜は纏まった。

 ただ一部はまだ霧状にしたまま。

 そうする事でいつでも仕掛けられると主張アピールしているようだ。

 姉さんもウィリアムも、受けた傷はまだ軽傷の部類だ。

 けれど出血はしているし、何より今の攻撃は防ぐのが難しい。

 それ自体が刃に変化できる霧とか、物理的にどうすりゃ良いのか。

 真竜がその気だったら、さっきの攻撃でもっと深手を負わせられたはず。

 敢えてそうしなかったのは、今の事実をこっちに悟らせる為か。

 ――お前達はロクに抵抗もできずに、ただ無力に切り刻まれて死ぬ、

 言いたい事は多分そんなところだろう。

 つくづく真竜ってのは趣味が悪い。

 

「下らんな」

 

 それを糞エルフウィリアムは、やはり一言で切って捨てた。

 此方が絶望するのを楽しむつもりだった真竜。

 一瞬前までは笑みに歪んでいた表情が、また直ぐに真顔に戻された。

 いちいちウィリアムの言う事に引っ掛かる辺り、ホントに煽り耐性低いなコイツ。

 

「……私の能力を看破したぐらいで随分と調子に乗っているようだが。

 お前は状況が分かっているのか? そんなモノに意味は」

「状況が分かっていないのはお前だ、馬鹿め」

 

 一言一言が、まるで振り下ろされる刃だ。

 ヴァローナが戯言をぐっと呑み込む様はなかなかに痛快ではある。

 あるが、言動の安さと違ってコイツが難敵なのは事実だ。

 あの防ぎようのない攻撃に晒されれば、オレは間違いなく足手纏いになる。

 真竜の方も、弱い奴を狙う事には躊躇いもない。

 さぁて、どうするべきか……。

 

「――

 

 その一言はオレの思考を中断させるに十分過ぎた。

 ……最初の取り決め通りって、オイまさか。

 

「ウィリアム?」

「なんだ、内容を確認している暇はないぞ」

「お前それマジで言ってんのか?」

「この状況で冗談を言うと思うか」

 

 冗談と本気の区別がつけ辛い男が言いやがる。

 ヴァローナは意味が分からんせいか怪訝な表情を浮かべている。

 隙と見て仕掛けて来ないのはウィリアムが睨みを利かせているからか。

 白刃を構えたまま、更に言葉を続ける。

 

「此処で足踏みしては、いつ他の真竜が来るかも分からん。

 だがあの扉を超えれば、少なくとも木っ端は追っては来れまい。

 大事な領域を踏み荒らす許可を、主人が易々と出しはしないだろうからな」

「……まさか、お前一人で私の相手をすると言っているのか?」

「それ以外に聞こえるのか、真竜」

 

 淡々とした、一切の感情を挟まない声。

 ただ事実を述べているだけだと言わんばかりのウィリアムの態度。

 真竜ヴァローナは今にも叫び出しそうなぐらいキレていた。

 見た目で分かる程の怒りを、竜は喉元で呑み込んだ。

 代わりに憤怒と敵意に満ちた声で笑う。

 

「侮りも此処まで来れば冗句に聞こえるな。

 大公閣下の《爪》である私に、たかが森人エルフが一人で?

 あぁ、笑えぬ冗句であるし、何よりこの扉を潜らせるつもりはないぞ。

 何人たりともな!」

「好きに吠えていろ。こちらは勝手にやらせて貰うだけだ」

 

 言いながら、ウィリアムは一歩踏み出す。

 いや一歩に留まらず、二歩三歩と何の躊躇いもなく間合いを詰める。

 携えるのは月光を纏う白刃一振り。

 敵は大真竜の懐刀、《爪》を名乗るだけの格を持つ真竜。

 それはあまりに無謀な行いに見えた。

 ……けれど、不思議とオレは不安を感じてはいなかった。

 レックスの奴なら実績がある。

 アイツは何度も真竜を討ち取って来た。

 ウィリアムに関しては、実力は知っていてもそこまでの確信はない。

 だというのに、オレはコイツの大言壮語を「当たり前の事」として聞いてる。

 ――それはこの男が、「英雄」と呼ぶべき者だからか。

 微妙に癪ではあるが、自然とそんな事を考えてしまった。

 

「この、痴れ者がッ!!」

 

 真竜ヴァローナは最早激情を隠そうともしない。

 左腕を黒い霧の形に広げ、逆に右腕を複数の刃の形に変えた。

 そしてその両方でオレ達を押し包もうとする。

 霧は目に見えない程の細かな刃の群れ。

 右は右でゴツいギロチンが束になって降ってくる。

 どう見ても逃げ場はない。

 

「痴れ者はどちらかな」

 

 ウィリアムの行動に迷いはない。

 右でも左でもなく、間合いを詰める動きから真っ直ぐ正面を走った。

 それはさながら一条の矢の如く。

 恐れを知らぬ森人の刃が竜の喉元へと迫る。

 しかし。

 

「愚かな!」

 

 真竜は堪え切れない嘲りを口にした。

 起こった変化は極めて迅速だった。

 オレ達を押し包もうとしていた霧と刃。

 それらが突出したウィリアム一人に向けて収束したのだ。

 同時に真竜自身の身体も大きく歪む。

 首から上が霧となり、其処から嘴に牙を持つ鴉に似た竜の頭が現れた。

 コイツ、まさか最初から《竜体》だったのか!

 

「砕けろ、身の程知らずの森人め!」

 

 竜は吼え、霧と刃、それに嘴の牙を纏めてウィリアムに叩き付ける。

 硬い金属同士がぶつかるような強烈な激突音。

 黒い霧が分厚く渦巻いているせいで、ウィリアムの姿は確認できない。

 いやそもそも、今のを喰らって原形残ってるのか?

 

「おい、ウィリアム!?」

「イーリス」

 

 オレが声を上げると同時に、姉さんがオレの名前を呼んだ。

 その手がオレの腕と、ついでに《金剛鬼》に触れる。

 瞬間、視界がほんの一瞬だけ暗くなった。

 視覚はすぐ正常に戻り、目の前には両開きの扉が見える。

 姉さんの《転移》で扉の前に飛んだようだ。

 当然、番人である真竜ヴァローナは直ぐ近くにいる状態で。

 身体を半ば赤黒い霧に変えた状態で真竜は笑う。

 

「愚か者しかいないようだな、それで私の不意を打ったつもりか!」

「まさか」

 

 死神の息遣いを感じそうな距離。

 けれど姉さんは、動揺一つ見せずに笑った。

 

「それは私の仕事ではないので」

「何を言って――ッ……!?」

 

 姉さんの言葉が何を意味するのか。

 それは真竜自身が文字通り身を以て知る事になった。

 黒い霧を裂くのは白い刃。

 薄衣でも斬るみたいな気軽さで剣が閃く。

 物理攻撃は通じないはずの霧を内側から斬り裂き、ウィリアムが姿を見せる。

 負傷はしているようだが、鉄面皮には傷一つない。

 

「早く行け。此方は気にしなくて良い」

「ならばせめて武運を祈ります」

 

 ウィリアムの方を見る事無く、姉さんは短くそう応えた。

 そして《分解》の魔法を目前の扉に叩き込む。

 相当に防御されていたようだが、高火力の大魔法をぶつければひとたまりもない。

 派手に吹き飛んだ扉の向こう側。

 そこにもこれまでと似た雰囲気の通路が伸びていた。

 

「行くぞ、イーリス」

「分かった! 死ぬなよ糞エルフ!」

 

 姉さんに促され、オレは迷わず砕けた扉を飛び越える。

 一応殿なウィリアムにも一言添えて。

 背後から殺意が突き刺さるがそれは無視だ。

 そっちの担当はオレ達じゃないからな。

 

「待て、貴様ら……!」

「お前の相手は此方だぞ、真竜」

 

 派手に響く戦闘音を背中で聞きながら。

 オレは姉さんと共に、大真竜ゲマトリアの領域へと侵入を果たした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る