第四章:秘密の部屋

164話:命懸けのかくれんぼ

 

 この城の中が広いのは分かっていた。

 魔法が施されている大真竜の空飛ぶ居城。

 余りにも幻想的ファンタジー過ぎてこっちの常識は通用しない。

 それぐらいは分かっていたし、どんな理不尽も覚悟していた。

 いや、したつもりだった。

 

「だからって限度があんだろ……」

「イーリス、静かに」

 

 思わず口から出た本音を、姉さんの指がそっと抑え込む。

 もうどんだけ走ったか分からない通路の一角。

 無数に絡み合った蛇の内臓みたくに曲がりくねったその場所で。

 オレ達はじっと息を潜めていた。

 天井がやたらに高い廊下の脇に開いた小さな隙間。

 小さいと言っても人間ぐらいのサイズなら余裕で入れる。

 その奥の方にオレと姉さんが隠れ、廊下に近い方にウィリアムがいた。

 糞エルフはギリギリの位置で状況を観察している。

 ――重い地響きに似た揺れ。

 それも一つではなく複数。

 何か巨大なモノがオレ達の直ぐ近くを歩き回っている。

 

「見つかったか?」

「気配はこの辺りにあるはずだが」

 

 離れていても隙間から見えるモノ。

 竜だ。今や《竜体》に変貌した真竜。

 話し声とかから推測できる範囲でも、恐らく五匹前後はいる。

 少し前にウィリアムが足止めした奴か、それとも完全に別口なのか。

 其処までは分からなかった。

 相手の姿もチラっとしか見えていない。

 ただ明らかにヤバい形状の怪物がウロウロしている事だけは分かった。

 一匹ぐらいなら、まだ何とかする道もあったろう。

 戦って倒すのはキツくても、逃げるのなら多分何とかなった。

 しかしこれはダメだ。

 五匹、最悪それを上回る数の《竜体》化した真竜。

 そんなもんに捕まった日にはどう考えても死ぬ。

 逃げ切る事さえ多分不可能だ。

 だから今、オレ達は気付かれないよう物陰に隠れてやり過ごしている。

 流れる一分一秒が永遠にも等しく感じられた。

 ズシリ、ズシリと。

 竜の巨体が動く重低音が腹に響く。

 クソッ、早くどっか行きやがれ……!

 

「何処だ? こっちに逃げ込んだと言ったのはお前だろう」

「仕方なかろう! 人間なんて小さ過ぎて見え辛いんだよ!」

「言い争いだけにしておけよ。

 無意味に荒らして大公閣下の怒りは買いたくない」

「チッ、そのぐらいは分かってる……!」

「見つからんのなら同じ場所に留まっても仕方あるまい。

 他の連中に先を越される前に行くぞ」

 

 ズシリ、ズシリと。

 話し声と共に重い足音がゆっくりと遠ざかって行く。

 ゆっくりと、オレの心臓の音より遥かに遅いペースで。

 心の中で百万回は罵りながら兎に角息を殺す。

 そして。

 

「……行ったぞ」

「っ、はあぁ……!」

 

 そのウィリアムの一言で、オレは思いっ切り息を吐き出した。

 息を殺し過ぎて窒息するかと思ったわ。

 そんなオレの背中を姉さんがゆっくりと撫でてくれた。

 

「大丈夫か?」

「あんま大丈夫じゃねェけど大丈夫だ」

「疲れたなら此処で休んでいても構わんぞ」

「そういうワケにはいかねェだろ」

 

 皮肉なのか気遣いなのか。

 どうにもイマイチ判別し辛いウィリアムの言葉。

 まぁどっちでも同じだと軽く応える。

 それから傍らに置いた《金剛鬼》の機能に意識の一部を繋いだ。

 複数の感覚器で周囲を探るが、オレ達以外には反応無し。

 真竜どもは本当に何処かへ移動したようだ。

 

「とりあえずオッケーだ、近くには誰もいない」

「そうか」

 

 オレの言葉に頷くと、先ずウィリアムが隙間から足を踏み出す。

 緩く弓を構えて、辺りに本当に危険がないかどうかを直接確認している。

 ……微妙に癪だが、頼りになるのは間違いない。

 さっきの「かくれんぼ」も、オレ達だけじゃ確実に死んでいたはずだ。

 

「問題ない。出て来て良いぞ」

「ん」

 

 頷き、姉さんが出た後にオレが《金剛鬼》と続く。

 遠近感が狂いそうなぐらいにだだっ広い廊下。

 足下の絨毯とか、無駄に豪華な調度品も縮尺が狂ったサイズだ。

 見ているだけで頭がクラクラしてくる。

 

「……さっきは良く見つからずにやり過ごせましたね。

 正直に言って驚いています」

「ちょっとした手品を使っただけだ」

 

 オレも感じていた疑問を姉さんの方が口に出した。

 対するウィリアムは相変わらずの調子だ。

 

「手品だから、種は明かせませんか」

「その通り。良く分かっているじゃないか」

 

 そう言ってウィリアムは軽く笑った。

 微妙に子供扱いするみたいな響きに、姉さんは少しムッとしたようだ。

 多分馬鹿にしてるとか、そういう意図は糞エルフには無いだろう。

 ただ単純に自分より遥かに年下の娘を、文字通り子供扱いしているだけで。

 まぁ、それが馬鹿にしてると言われると特にフォローせんけど。

 

「それより先に進むぞ。

 同じ場所に留まっていては、また別の真竜と出くわすかもしれん」

「だな。姉さん」

「……そうですね。移動しましょう」

 

 意外と感情的な姉さんの腕を軽く叩いておく。

 一度だけ深呼吸する姉さんに、オレは軽く親指を立てた。

 そんなオレに姉さんは小さく笑った。

 で、再びくっそ広い城内を走り回る時間が始まる。

 オレ達は今どの辺にいて、どこを目指して移動しているのか。

 当然、欠片も分からないまま。

 

「問題ない」

 

 と、こっちの頭を透かしたようにウィリアムが言う。

 

「ようやく『道』が見えて来た。

 随分と手間が掛かったが」

「本当か?」

「この状況でつまらん冗談を言う男に見えるか?」

 

 お前の冗談は本気と区別が付かねーんだよ。

 反射的に口から出そうになったツッコミをギリギリで呑み込む。

 言っても面倒なだけだし、どうでも良いから横に放っておく。

 

「信じて良いんだよな?

 つーか、こんな滅茶苦茶な迷路でどうやって」

「ちょっとした手品だ」

「そればっかりじゃねェか……!」

 

 ンな事しか言わねェから糞エルフなんだよ!

 滅茶苦茶に罵倒してやりたい気分だったがぐっと堪える。

 兎も角、コイツは気休めみたいな嘘は言わない。

 だったら「道」を見つけたってのは間違いなく事実なんだろう。

 今はそれを信じて付いて行くしかない。

 

「……色々言いたい事はありますが。

 今は貴方を信じますよ、ウィリアム」

「賢明な判断だ」

 

 やっぱり絶妙に子供扱いしてんなコイツ。

 姉さんはオレと同じぐらい大人なので、そこは我慢したようだ。

 表情も変えずにウィリアムの後に続く。

 曲がって捻じれて幾つもの分岐がデタラメに伸びる通路。

 ウィリアムは一切の迷い無く進み続ける。

 移動するのは廊下だけでなく部屋の中とかもだ。

 大体はサイズだけ遥かにデカくなったような場所だ。

 客室なのか、それとも城に住んでる誰かの部屋かは分からない。

 気配があったりなかったりするソレらを息を殺して通過する。

 何度か危ない場面があったが、全て気付かれる事なくやり過ごせた。

 これもウィリアムの言った「手品」の力か。

 分からんし胡散臭いが、今のオレには頑丈な命綱だ。

 信じて身を預ける他ない。

 

「糞っ、一体何処に隠れやがった……!?」

 

 口汚く罵りながら、また一匹の真竜がオレ達の直ぐ傍を通り過ぎる。

 その時に感じる恐怖は慣れる事はない気がする。

 

「……大丈夫か、イーリス?」

「そろそろ心臓が破れそうだわ」

 

 もうずっとバクバク言いっぱなしだ。

 心配してくれている姉さんも、オレ程じゃないが神経をすり減らしてる。

 見た目からして平気そうなのはウィリアムだけだった。

 いやホント、コイツの神経どうなってんだ。

 

「どうした」

「イイヤ何でも。

 それよりまだ着かねェのかよ目的地」

「もう少しだとは思うんだがな」

「仕方ないとはいえ、どうにも曖昧ですね」

 

 ホントにこの糞エルフには何が見えてんだ?

 聞いてもはぐらかされて終わりだから聞かんけど。

 そんなこっちの考えを察して意味ありげに笑うのは止めろよマジで。

 レックスは良くコイツと平気な顔で付き合えるよな。

 

「少なくとも嘘は言っていないぞ。そら、もう間もなくだ」

「それは良いから人の顔色読むのは止めろってば」

 

 その抗議は軽く受け流されてしまった。

 走りながら、暫く言葉は途切れる。

 うろつき回る真竜とすれ違う頻度が増えて来たからだ。

 

「真竜だがどいつも比較的に弱い連中だ。

 無駄におびえる事はない」

 

 ――とは、糞エルフの言だけども。

 確かにこれまで遭遇したマジヤバいのよりはマシだろうさ。

 けどこっちには真竜ってだけで致命的なんだよ。

 ……で、それはウィリアム自身も心得てはいるらしい。

 探索はオレが接続してる感覚器センサーを逐一確認し、極めて慎重に進める。

 万が一にでも遭遇戦など起こらぬように。

 敵地のど真ん中なのだから、それは当たり前の行動ではある。

 しかし微妙に気を遣われてるとか、そういうのも理解できるのだ。

 ――そういえば、レックスも少し似たようなトコあるよな。

 コイツらやっぱ魂が双子か何かじゃないだろうか。

 

「どうした」

「なんでもねェよ気にすんな」

「そうか。それより、やっと見えて来たようだぞ」

「んっ?」

 

 感覚器との接続に集中していたが。

 ウィリアムの言葉にオレは肉眼の方へ意識を戻した。

 通路の様子自体はあまり変わり映えしていない。

 しかしその奥の奥。

 分厚い壁に一つだけ張り付いた両開きの扉。

 見た感じ金属っぽいが材質は不明。

 表面には太陽を抱く五本首の竜が彫刻されていた。

 それがどんな意味を持つのかは、それこそオレ達には知りようがない。

 確実に言えるのは、これまでと明らかに空気が違う事だけだ。

 

「此処が?」

「恐らくはな」

 

 そこは断言しないらしい。

 ウィリアムを先頭に、オレ達は少しずつ歩を進める。

 あの扉が目的の場所。

 ゲマトリアにとって特別な区画エリアだとしたら。

 当然、これまでとは異なる備えがあるはずだ。

 えげつない罠の類か、それとも屈強な番人がいるのか。

 どちらにせよ重要な場所をガラ空きにしているはずがない。

 だから《金剛鬼》の感覚器、その精度を上げて最大限の警戒を――。

 

「伏せろっ!」

 

 鋭い矢のような声。

 それを放ったのはウィリアムだった。

 何もない、少なくともオレは何も感じていなかった。

 光に音、微細な熱や空気の動き。

 複数の感覚を同時に解析できる《金剛鬼》にも目立った反応は無し。

 間違いなく、この場にはオレ達しかいない。

 けれど声が耳に入った瞬間、オレは言葉通りに身を伏せた。

 姉さんも同様だが、オレの盾になるような形で動く。

 心臓が一打ちするより早く、「何か」がオレ達の頭上を通り過ぎた。

 

「――ほう、これはこれは」

 

 いつから其処にいたのか。

 現れたのは全身をカラスのように黒く染めた老執事。

 確か、宴の時にオレ達を案内した奴だ。

 そいつが今、その右腕を肘辺りから断頭刃ギロチンめいた形状に変えている。

 《金剛鬼》の胴を半ば切断し、ウィリアムの手元で刃は止まっていた。

 正確には、その手に握られた白刃。

 月の輝きを宿す剣が黒いギロチンの刃を受け止めていた。

 

「よもや今の一刀を防がれるとは。

 どうやら少々見くびり過ぎていたようですな」

「そちらは見た目に似合わず小物のようだな。

 たかだか定命モータル相手に不意打ちとは、真竜の名が泣くぞ」

「どうやら腕だけでなく、口も達者であられるようだ」

 

 老執事――いや、それと似た姿をしているだけの真竜は笑う。

 それは酷く嗜虐的で悍ましい笑みだった。

 

「イーリス、下がれ!」

 

 姉さんは鋭く叫び、その動きを加速させる。

 ウィリアム相手に鍔競り合う老執事の背後を取り、真っ直ぐに拳を打ち込む。

 言われた通りに下がりながら、オレは見た。

 姉さんの拳が老執事の身体を貫く――いや、すり抜けるのを。

 多分手応えが殆ど無かったのか。

 姉さんの表情には戸惑いが浮かんでいた。

 それに対し、老執事は口元を嘲りの形に歪める。

 

「人間にしては少々鍛えているようですが、無駄で御座います。

 貴方がたは此処で――」

 

 相手が言い終えるよりも早く。

 ウィリアムと姉さんは次の行動に移っていた。

 まずはウィリアムが剣で受けているギロチンを下から蹴り上げた。

 そっちはすり抜ける事なく、蹴られた衝撃で少し上にズレる。

 それを確認したと同時にウィリアムは床を蹴った。

 剣での追撃は行わず後方へと下がる。

 老執事は半ば反射的に退いたウィリアムを追おうとする――が。

 

「ッ――――!?」

 

 その身体が青白い光で炸裂した。

 姉さんの《分解》の魔法だ。

 これを狙っていると察して、ウィリアムは強引に間合いを開けたのか。

 オレは即座に《金剛鬼》の機能に意識を繋げる。

 胴体を抉られた程度じゃまだ壊れんぞ。

 感覚器の精度を最大に引き上げて老執事の状態を捕捉する。

 間違いなく《分解》の直撃で砕けたはず。

 しかし。

 

「――身の丈に合わぬ大魔法を使ったところで、全て無意味。

 私は大公閣下に仕える《爪》、真竜ヴァローナ。

 愚かにも盟約の礎を脅かさんとする哀れな定命モータルども。

 あなた方では私に傷一つ付けられませんよ」

 

 ゆらりと、その姿はまるで揺らめく陽炎のよう。

 語る言葉通りに傷一つなく、老執事――真竜ヴァローナは佇んでいた。

 分からない、姉さんの《分解》は直撃したはず。

 防いだワケでもないのに全くの無傷ってのはどういう理屈だ?

 姉さんもオレと似た事を考えているようで、距離を保ちながら警戒を強める。

 一方、ウィリアムの方はというと。

 

「下らんな」

 

 ヴァローナの言葉を一言で切って捨てた。

 此方は躊躇なく前に出ながら、片手に月の白刃を構える。

 

「さも無敵か何かのように装っているようだが、単なるコケ脅しだ」

「ほう、随分と言い切りますな」

「当然だ。仮にお前がそこまで大層な相手なら、あの大公に従う理由が無いからな」

 

 そう言ってウィリアムは笑った。

 つまらないモノを軽く笑い飛ばす、そんな笑みだ。

 これを嘲りと受け取ったか、真竜ヴァローナの気配が変わる。

 怒りと敵意、そして殺意を滲ませて。

 右手のギロチンをやたらと長い舌でベロリと舐めた。

 

「――偉大なる大公閣下よ。

 素晴らしき獲物をお与えくださったその寛大な心に感謝を捧げます」

「余り同じ事を口にしたくは無いんだがな。

 その言葉も仕草も、全て単なるコケ脅しだ。

 下らん真似を繰り返している暇があるなら、さっさと来い」

 

 時間の無駄だ、と。

 ウィリアムはその言葉の矢で、竜の逆鱗を的確に撃ち抜いてみせた。

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