443話:一つの戦いの決着
「……《主星》、我らが《主星》よ!」
「ウラノス! しっかりしなさい、ウラノス……!」
「…………ッ……」
全てが終わった。
自らもまた、不帰の闇へと沈むのだと。
そう考えたウラノスの意識に、微かに光が差し込む。
声が聞こえる。
耳慣れた声であり、彼に力を与えた声だった。
支配の鎖に囚われて、身動き一つ取れず。
それでも足掻き続けたウラノスに、最後のひと押しを与えた力。
彼らの奮戦なくば、鋼は支配に屈したままだったろう。
ゆっくりと、目を開く。
「ウラノス……!!」
最初に飛び込んできたのは、金髪の少女の姿だった。
幼い見た目は、随分と久しいものだ。
「イシュタル……か……?」
「ええ、そうよ! あぁ、もう喋らなくて良いから……!」
抱き締める細い腕は、酷く震えていた。
反射的に抱き返そうと、ウラノスも腕を上げようとした。
が、動かない。
そこでようやく気が付く。
意識こそ戻ったが、五体は鉛に置き換わったように動かない事に。
「……貴方は限界よ、ウラノス。
正直に言って、目覚めただけでも奇跡だわ」
「ブリーデ……」
古い同胞。
白き蛇たる鍛冶師は、痛ましそうな眼でウラノスを見ていた。
確かに、彼女の言う通りだった。
辛うじて動かすことのできる眼で、改めて自らの状態を確認する。
既に、《竜体》である装甲は欠片も残っていない。
《支配の宝冠》――メトシェラの気配は、魂の奥底に消えていた。
古き竜は不死不滅。
だが、敗北を受け入れた彼女が目覚める事はないだろう。
再び施された封印の奥底で、死という眠りに微睡み続けるはずだ。
そして、ウラノス自身は。
「……まったく、酷い無様を晒してしまった。
すまなかった、お前たち。
私が不甲斐ないばかりに、いらぬ苦労を背負わせた……」
「《主星》……!」
激戦の代償。
ウラノスの肉体はボロボロで、人間であればとっくに死んでいる。
彼がまだ生きているのは、その身が大真竜であるからだ。
ただ肉体的に死んでいないだけで、状態としてはそう大差ないが。
動くことも出来ない主の傍らに、《魔星》たちの姿もあった。
こちらも、半分は主人同様に辛うじて生きている状態だ。
「ホント、良い迷惑だったよ。
とはいえ、《竜体》の貴方と戦えたのは貴重な経験だった。
だから僕は別に気にしてないよ、《主星》様」
「ドロシア、お前……!」
「良い。むしろ、良く戦ってくれた。
ゴーヴァンに、ネメシス。クロトー。
本当に、すまなかった」
「……いいえ、そのような言葉。
貴方をお救いできたのなら、それで十分です」
比較的に軽傷なドロシアは、戯けた様子で笑った。
咎めるゴーヴァンを諌めながら、ウラノスはそれぞれに視線を向ける。
本当に、彼らは良くやってくれた。
誰か一人でも諦めたのなら、支配の災厄は未だ健在だったはずだ。
「……それと、君は……」
「ええ、お初にお目にかかります。
大真竜ウラノス」
「操られている状態でも、一定の知覚は残っていた。
君のことも、ずっと見ていた。テレサ……だったかな?」
確認の言葉に、男装の少女――テレサは一礼で応じた。
《魔星》たちは良く戦った。
ブリーデやイシュタルたちも、諦めずに奮闘してくれた。
彼らの働きが、ウラノスの目覚めに繋がったのは間違いない。
そして、その中でも。
テレサの戦いぶりがなければ、《支配の宝冠》は砕けなかった。
ウラノスも、動かぬ身体でもどうにか頭を下げようとする。
「ウラノス殿、ご無理はなさらずに」
「すまない、本当に。
テレサ、君にも無上の感謝を。
君がいなければ、私は友や仲間たちに取り返しのつかない事をしていた。
どれほど感謝を重ねても、君の成した事には届かぬぐらいだ」
「……私と貴方は敵同士。
私は、必要と思ったから戦っただけの事。
どうか、お気になさらずに」
深い敬意を込めて、テレサは応える。
尋常な勝負であったなら、敗北していたのは自分だ。
操られた状態でも、大陸最強の戦士はあまりに凄まじかった。
その力と研鑽に、テレサは頭を垂れる他ない。
「叶うなら、私の力のみで貴方を打倒したかった。
ですがそれは届かず、彼らの戦いに便乗する以外になかった。
とても名誉を誇れる話ではない。
だから、どうかウラノス殿も気になさらず」
「……そうか。
それでも君は、私と戦い、勝利した戦士だ。
誇ってくれ、それこそ戦士の名誉なのだから」
「お心遣いに感謝します、大陸最強の戦士よ」
本心からの賞賛だった。
未だ未熟で、頂点には届かずとも。
それでも戦い勝利したのは、テレサの力に他ならない。
地に倒れたウラノスに、戦士たる少女はもう一度深く礼をする。
「……っ」
「ウラノス!?」
「ちょっと、しっかりしてくださいよ!」
言葉が途切れると、苦痛の声がこぼれた。
素早く反応したのは、イシュタルともう一人。
イシュタルと同じく、幼い少女の姿をしたゲマトリア。
頭の上に猫を載せた状態で、彼女もまたウラノスの傍に駆け寄る。
「やっと正気に戻ったんですから!
貴方ならこんな傷、すぐに回復するでしょうっ!」
「……すまない、ゲマトリア」
呻くような言葉。
今にも泣きそうな同胞に、ウラノスは謝罪を口にする。
「どうにも、酷く疲れてしまったようだ。
本当にすまないが、少しだけ眠らせて欲しい」
「……ウラノス?」
「ゲマトリア、少し下がって。
ええ、こんなにボロボロなんだから。
幾ら貴方でも休むべきだと思うわ、ウラノス」
不穏な気配を感じたのか。
少し声を震わせるゲマトリアの手を、ブリーデがそっと引いた。
それから、穏やかにウラノスへと語りかける。
「後のことは、私たちに任せて大丈夫よ」
「そうか……いや、本当にすまない、ブリーデ」
「良いわ、長い付き合いでしょう?
むしろ貴方は、色々一人で背負い込みすぎなのよ」
確かに、そうかもしれない。
ブリーデの指摘に、ウラノスは苦笑いをこぼした。
疲労が、浮かび上がった意識をゆっくりと包み込んでいく。
肉体の損傷と、魂の消耗。
そのどちらも重く、《鋼の男》であっても抗いがたい。
「《主星》……!」
「大丈夫だ……ただ、少しばかり、眠るだけだ」
死を予感した《魔星》たちが叫ぶ。
だが、それはウラノス自身が否定した。
古き支配の女を封じるこの魂は、やはり不滅のまま。
大真竜が死ぬことはない。
ただ、今は深く眠るだけだ。
その目覚めがいつになるかは、ウラノス自身にも分からなかった。
「……良き眠りを、ウラノス殿。
貴方と戦い、勝利した事。
仰る通り、私は誇りに致します」
「あぁ――ありがとう」
テレサの言葉に、ウラノスは笑った。
笑って、その声は途切れた。
糸が切れたように、身体からは力が抜け落ちる。
「ウラノス……!」
「……おやすみなさい。本当に、良く頑張ったわ」
久遠の眠りに沈んだウラノスを、イシュタルは強く抱き締めた。
ブリーデは祈るように目を閉じる。
ドロシア以外の《魔星》たちは、悔いるように俯くしかなかった。
――こうして、戦いは終わった。
少なくとも、この場においての戦いは。
「それで、どうするんだ?」
ここまで、沈黙して様子を眺めていた男。
ウィリアムは、空気など読まぬとばかりに口を開いた。
ギロリとゲマトリアに睨まれても、完全にどこ吹く風だ。
「ちょっと糞エルフ!!
こんな場面でぐらい自重したらどうですか!?」
『いや糞エルフだぞ? そんなん言って聞くなら糞エルフなんてやってないって』
「負けた男のことに、これ以上構ってる暇があるのか?」
「……貴様」
ざわりと、不穏な気配が漂う。
侮辱とも取れる一言に、《魔星》のネメシスが睨みつけた。
彼女も戦える状態ではないが、そんな事は関係がない。
他の《魔星》――ドロシア以外の二人も同じだった。
一瞬後には、また戦いが始まりそうな空気。
それを遮る位置に移動し、テレサもまたウィリアムの方を見た。
「ウィリアム殿、言い方を考えたらどうか」
「そうだな、言い方を変えよう。
確かにウラノスを止める事には成功したが、状況はまだ終わってない。
空を見てみろ」
見上げる空。
そこには変わらず、偽りの夜が広がっている。
煌めく星々は、《最強最古》の力そのもの。
ウィリアムが言った通り、状況はまだ終わっていないのだ。
「……テレサ、姉さんにはやっぱり彼が?」
「ええ、マレウス。
主の方は、レックス殿が対処しているはずです」
マレウスの確認に、テレサは小さく頷く。
それを聞いて、ウィリアムはふんっと鼻を鳴らした。
「まぁ、当然の話ではあるな。
自分の女一人ぐらい、責任を持って対応して貰わねば困る」
「ホントに言い方考えなさいよ、アンタ。
……まぁ、アイツ以外にはどうにかできるとも思えないし」
ため息一つ。
ブリーデは遠い夜空を見た。
そちらの方に、彼らがいるという確証はない。
ただ、何となく。
白蛇の鍛冶師は、北の方角に目を向けていた。
その彼方で、今も戦いが続いているような気がしたのだ。
「……不甲斐ない話だが、こちらもこれ以上戦う力は残っていない」
「まーやるなら付き合うけど、良いとこ玉砕がオチだろうね」
悔恨を込めて、《魔星》の筆頭たるゴーヴァンが呟く。
特に負傷が酷いのはネメシスとクロトー。
笑うドロシアは、受けた傷こそさほど重くはない。
しかし、その消耗を抱えたまま《最強最古》に挑めるかどうか。
一矢報いれるなら躊躇いはしないが、それこそ自惚れが過ぎる話だ。
「それに関しては、私たちの方も同じね。
ヴリトラはどう?」
『冗談も誇張も抜きで空っけつなんで、ホントいい加減寝て良いっすか??』
「本気で寝るなら頭から下りて欲しいんですけど!!」
マレウスと猫、それにゲマトリア。
後はイシュタルも、状態としては誰も大差ない。
支配されたウラノスとの戦いは、それほど壮絶なものだった。
ウィリアムの方はまだ余力がありそうだが……。
「俺は動かんぞ?」
「おいコラ糞エルフ」
「馬に蹴られたくはないし、犬が食わんようなモノにも興味がなくてな」
「いきなり何を言い出すのよ、コイツ」
意味が分からないと、ゲマトリアとイシュタルが睨みつける。
しかし、ウィリアムは平然と笑っていた。
「だが、お前は行くのだろう?」
「ええ、勿論」
僅かな躊躇いもなかった。
《盟約》最強の男と戦い、既に限界は近いだろうに。
それでも、テレサの声は力強かった。
ここで膝を折っても、きっと誰も咎めはしない。
「彼」も笑って許してくれるだろう。
自分にできる事は少なく、行っても間に合わない可能性もある。
けれど、だとしても。
「私は行きます。後の事は――」
「任せろ、とは言わんがな。
少なくとも、敵であるお前が気にする必要はない」
敵とは口にしながらも、戦う気などまるでない様子で。
ウィリアムはすぐにでも旅立つテレサに、穏やかな笑みを送った。
「あの馬鹿男がしくじりそうなら、上手くフォローしてやれ」
「貴方に言われずとも」
「……こっちも、馬鹿な妹を宜しく頼むわ」
「微力を尽くします、ブリーデ」
白い鍛冶師とも短く言葉を交わし、テレサは一歩踏み出す。
ドロシアを含めた《魔星》は何も言わず、ゲマトリアも黙ってそれを見送る。
そして、もう一人。
「――――」
少女の姿をしたイシュタルもまた、去ろうとするテレサを見ていた。
言葉など必要ない、本来の立場は敵同士だ。
それでも。
「……貴女や、イーリスには。
私はまだ、借りがあるから」
「……ええ、分かってる。ありがとう、ルミエル」
大真竜としての名ではなく。
たった一人の少女としての名を口にして。
テレサは《転移》の力で空間を渡る。
微かに残る後ろ姿に、イシュタルは祈るように両手を握っていた。
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