第三章:人界の神との接触

323話:降臨


 夜が昼に塗り替わる。

 よく見えていたはずの星々の光は、今はもうどこにもない。

 目を焼くほどの、太陽にも似た強烈な輝き。

 空の上、全てを焼き尽くす灼熱の光輝が支配者の如く君臨していた。

 ……古い詩人は、月は無慈悲な夜の女王だとか口にしたが。

 圧倒的な光で夜を征服する、太陽じみた女は何と表現するべきか。

 長く伸ばした黄金の髪。

 露出の多い装束ドレスの上に、同じく黄金の鎧を身に付けて。

 その女はこちらを見ていた。

 真紅に煌めく眼に宿るのは、完全に断絶した敵意のみだ。

 

「アウローラ!」

「分かってる……!」

 

 即動かなければ拙い。

 夜を引き裂いた強大な光輝。

 それを背負って浮かぶ女が何をする気なのか。

 まったく分からなかったが、このままだとヤバいのだけは明白だ。

 最悪死ぬという直感に突き動かされ、俺は先ず毛布に包まった姉妹を抱えた。

 彼女らも突然の光に目を覚ましてはいるようだったが。


「っ、何だぁ……!?」

「レックス殿っ?」


 流石に状況を把握できていない。

 ボレアスの方はハッキリと覚醒しており、背の翼を広げている。

 唸り声を上げ、黄金に輝く太陽の女を睨む。


「何者だ!」

「分からんが、多分攻撃が来る!!」

「全員、なるべく集まって!」


 両腕にテレサとイーリスの姉妹、それとアウローラ。

 三人を抱きかかえ、身を起こしたボレアスの傍に転がった。


「《盾よ》!!」


 気休めだろうが、俺も力場の盾を展開する。

 そこに重ねる形で、アウローラは何重もの半透明な壁を生み出した。

 ボレアスもボレアスで、翼を広げたまま前に出る。

 こっちが固められる限界近い防御。

 その状態になるまで数秒。

 本当にギリギリのところで、「ソレ」は起こった。


「ッ……!!?」


 爆発した。

 そうとしか認識できない。

 最初の衝撃で、アウローラの魔法防御の何枚かがアッサリと砕け散った。

 俺の展開した力場の盾と、それを補強する形で分厚く作られた障壁。

 更にはそのすぐ前で翼を広げるボレアスの鱗。

 それらがどうにか、雪崩れ落ちてくる不明の攻撃を受け止めていた。


「ちょ、マジで何が起こってんだよ……!?」

「俺も良く分からん……!!」


 イーリスが混乱するのも無理はない。

 何が起こってるのかとか、俺の方が聞きたいぐらいだ。

 まるで激しく降り続ける豪雨のように。

 大真竜ヘカーティアの嵐を彷彿とさせる攻撃は暫く続く。


「長子殿、もう少し防御を厚くしてくれ!!」

「なに、泣き言!? 《北の王》の名が泣くわよ!!」


 かつてほどの力がないとはいえ、強大な《古き王》が二柱。

 彼女らでさえ思わず音を上げそうな力。

 このままではマジで押し潰されるかとも危惧したが――。


「っ……止んだ……?」


 腕の中でテレサが呟いた。

 彼女の言う通り、防御が破壊される寸前辺りで攻撃が止まった。

 展開している力場の壁、その向こう側。

 一時強く吹いた夜風が土煙をさらい、俺たちはその光景を目にする。


「……マジかよ」


 何もかもが破壊された後の、地獄に似た光景を。

 俺たちがいたのは鬼たちの居住地。

 山肌の一部を削り、そこに穴を開けただけの原始的な住居。

 ほんの少し前までは、共に宴を楽しんでいたはずの場所。

 それが今は見る影もない。

 大地は無惨にも切り刻まれ、生者の営みの痕跡さえ見当たらない。

 ……これは、他にいた連中はどうなったのか。

 残念だが、俺たちもそれを気にしている余裕はなかった。


「……今のを耐えたのか。

 随分としぶとい罪人のようだな」


 美しい女の声だった。

 綺麗な鳥の歌声にも似ているが、響きは酷く冷たい。

 加えて、傲慢を煮詰めて固めたような強烈な意思。

 俺たちに聞かせるというより、半ば独り言として口にしながら。

 太陽の黄金を背負う女は、自らが砕いた地の上に降り立った。

 ……間近で見ると、ホントにヤバいな。

 ただ其処にいるだけなのに、感じる圧力が半端じゃない。

 傍に立つアウローラの表情にも緊張が走っている。

 それは大真竜と相対した時と殆ど変わらないものだった。


「いきなり現れて、随分とまぁ丁寧なご挨拶ね?

 せめて名乗りを上げるぐらいの礼儀は見せたらどうかしら」

 

 強烈に感じ取れた傲慢さが、一瞬だけ引っ込んだ。

 代わりに、その声は凄まじいまでの「拒絶」が芯となっていた。

 声に物理的な力があったなら、馬上槍の突撃チャージにも等しいかもしれない。

 言われたアウローラ自身も思わず面食らう程だ。


「……近くで眼にして良かったと、そう言うべきか。

 あぁ、気分が悪くなる。

 そこらの《巨人》では及びもつくまい」

「……一体、何の話をしているのだ?」


 独り言みたいに黄金の女はブツブツと呟く。

 理解が及ばず、流石のボレアスも訝しげに眉を顰めた。

 ホント、何を言ってるのか分からない。

 分からないが、下手に動くこともできなかった。

 女の注意は一瞬たりとて俺たちから外れていない。

 向こうの動き出しを見逃さぬよう、こちらも集中するしかなかった。


「何の話? 何の話だと?

 どうやら罪の自覚もないらしいな。

 私はお前たちが何者かは知らないし、興味もない。

 だが、神たる私の眼は誤魔化せない」

「神……?」

 

 《人界》の神々。

 ここに来るまでの道中、《巨人殺し》の少女とした話を思い出す。

 つまり、この女は。

 

「……《巨人の大盤ギガンテッサ》を支配する、《人界ミッドガル》の神。

 ホント、そんな大物がわざわざ来るなんてね」

 あの老骨、何が『古き悪の全ては盟約が征服した』だ。

 こんな取りこぼしを見逃して、あのような大言を吐いていたのか」

 

 心底忌々しげに、神たる女は吐き捨てた。

 邪悪なる神の眷属。

 それはほぼ間違いなく、アウローラとボレアスの事だろう。

 どうやら相手は《造物主》に創られた古竜が相当お気に召さないらしい。

 

「……だが、それ以上に……」

「んっ?」


 黄金の女は、古竜の姉妹を主な標的として見ていると。

 そう思った矢先に。

 物理的に貫通しそうな眼光が、俺の方に突き刺さって来た。

 寒気がするぐらいの敵意と憤怒。

 アウローラやボレアスに向けた以上の断絶。

 何故か黄金の女は、俺に対してブチギレているようだった。


「俺、何かした??」

「……貴様、一体なんだ。

 その剣も酷い穢れだが、問題はお前自身だ」

 

 正直、まったく心当たりはない。

 首を傾げる俺に、女は怒りで凍てついた声で言い放つ。


?」

「…………」

 

 成る程、そっちか。

 確かに神様から見たら、俺の状態は滅茶苦茶不自然だろうな。

 実際に言葉にした事でますます怒りの度合いが増したのか。

 俺に向けられた女の眼は更に険しくなっていく。

 

「それほどまでに傷付いた魂なら、正しき《摂理》に還らぬはずがない。

 一体どのような外法、邪法を用いた?

 《摂理》とは、この星を正しく運行するための絶対の法理。

 それを犯す事がどれほどの大罪なのか、その貧弱な頭では想像もつかないか」

「いや、そんなこと言われてもな」

 

 ただ、アウローラが長い時間をかけて必死こいた結果だし。

 それを外野からどうこう言われても困る。

 

「……神様だか何だか知らないけど。

 別にそちらに迷惑をかけるつもりはないし、構わないでしょう?」

「本気で言っているのなら救いがたい」

 

 睨むアウローラには一瞥もくれずに。

 おもむろに、女は右手を空に高く掲げた。

 眩い光で塗り潰された、夜だったはずの空へと。


「せめてもの慈悲と、懺悔ぐらいは聞いてやるつもりだったが。

 どうやら不要な気遣いだったらしい」

「来るぞ、竜殺し!」

「分かってる!」


 アウローラは既に俺から離れていた。

 イーリスとテレサを背に隠し、腰に下げた剣を抜き放つ。

 それを構えたところで、光が押し寄せた。

 この辺りを地形ごと粉砕した、黄金の女の攻撃。

 自身が晒された事で、ようやくその正体が分かった。

 それは「剣」だった。

 光がそのまま形になった、種類もサイズも様々な「剣」の群れ。

 黄金の女が背負う光輝とは、その光の剣の集合体だ。

 それを自在に操り、矢のように浴びせるのが女の攻撃手段だった。


「我が《神罰の剣ダモクレス》の光輝にて、魂ごと砕け散れ」

「ッ……!?」

 

 飛んできた「剣」の規模は、初撃ほどじゃなかった。

 十数本ほどが塊となって高速で押し寄せる。

 後ろにはまだ万全じゃないイーリスがいるから、その全てを受けるしかない。

 先ずこっちの剣を叩きつけ、光の塊を砕く。

 バラバラに散った「剣」だが、それぞれ独立した軌道で飛んでくる。

 鼻先を掠める刃、手足を狙って来る剣、四方から胴体へと突進してくる切っ先。

 剣で叩き落し、身を捻って避けて、鎧の表面を削りながら受け流す。

 幸い、女の「剣」よりもこっちの剣の方が強いようで。

 思い切りぶっ叩けば、「剣」は砕けて光の粒子となって散っていく。


「よし、がんばれば防げるな……!」

「神の裁きを拒絶するとは、不遜だぞ人間」

「ほざきなさいよ、この神様気取りめ――!!」

 

 今や黄金の女は俺しか視界に入れていない。

 その外側から、アウローラが叫びと共に《吐息》を放った。

 熱量を収束させた極光の《吐息》。

 大気を貫く熱線レーザーは、文字通り光の速さで黄金を貫く。

 見えた時点で当たっている。

 当然、女は回避も防御も間に合わず。

 

「――

 

 無傷だった。

 身体どころか、身に付けた鎧にさえ焦げ目一つない。

 アウローラの放った極光は、女の纏う光帯に触れた事で霧散していた。

 ……これまで、攻撃が防がれたり弾かれたりは珍しくない。

 が、アウローラの攻撃がここまで完璧に無効化されたのはあまり記憶になかった。

 弾かれた彼女自身も、驚きと困惑を隠せない様子だ。


「悪神の眷属如きでは、神たる我が身には傷一つ付けられない。

 理解したのなら、そこで大人しく見ているがいい」

「ボレアス!!」

 

 その名を叫びながら、俺は地を蹴った。

 通じなかったが、今の攻撃で女の意識が少しだけアウローラに向いた。

 俺はその一瞬で駆け出し、今の位置から離れる。

 黄金の女が狙っているのは、あくまで俺自身。

 古竜の二人とは異なり、イーリスとテレサには少しも敵意を向けていなかった。

 予想通り、黄金の女は残された姉妹は完全に無視していた。

 憤怒に燃える紅い眼は俺だけを捉えている。


「勝算はあるのか!?」

「がんばるわ……!!」


 目の前でアウローラが完封された事で、ボレアスも僅かながら動揺していた。

 炎に変わりながらの声に、俺はいつもの一言で返す。

 剣に戻ったボレアスの炎を全身に巡らせる。

 灰となった魂を燃やしながら、俺は正面から突っ込んだ。


「速い……!」


 いきなり速度が増した事で、女の反応を少しだけ上回る。

 女の手が動き、それに合わせて無数の光の「剣」が宙を舞う。

 が、この一瞬だけは俺の剣が先に届く。

 ガラ空きの胴へと、渾身の力で刃を叩きつけ。


「嘘だろ……!?」


 弾かれた。

 ただし、鎧で弾かれたワケじゃない。

 その手前、黄金の女が纏っている光帯のところで弾かれてしまった。

 力場の防御、という感じではまったくない。

 俺自身もその光帯に触れてはいるが、物理的な力は感じられない。

 にも拘らず、剣だけは恐ろしく硬いモノにぶち当たったみたいな感触がした。

 ホントに何だコレ!


「神たる私に、穢れは触れる事さえできない」


 凍てついた女の声。

 剣は俺の方が先に届いた。

 だから少し遅れて、女の「剣」が俺に届こうとしている。


「レックス!!」

「さらばだ、神に抗った不遜な男よ。

 人の身でありながら、恐れず挑んだ蛮勇だけは賞賛しよう」


 こりゃ防げるかギリギリだな……!

 アウローラの悲痛な叫びと、黄金の女の冷たい処刑宣告。

 それらを聞きながら、「剣」の塊が俺の頭上へと落下してきた。


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