322話:夜を塗り潰す


 夜。

 宴は終わり、煌々と燃える火も消えて。

 底無しの体力で騒いでいた鬼たちも、今は寝静まっていた。

 そこらで酔い潰れるように眠っている者。

 山に掘られた横穴に戻って、そこにある寝床で横になる者。

 トウテツは前者で、折れた大刀に寄りかかるように眠っていた。

 俺たちは穴の一つを寝床として提供して貰っていた。

 「隠れ家」もあるが、こういうとこで寝るのも偶には良いだろう。

 ちなみに毛布も何もなかったので、それはアウローラが出してくれた。


「……凄いな」


 そして現在。

 穴の中は広く、良く均されているので休む場所としては問題なかった。

 余程疲れていたか、テレサとイーリスはぐっすり眠っている。

 姉妹で身を寄せながら毛布に包まり、静かに寝息を立てていた。

 ボレアスの方は特に何も被らずに丸くなっている。

 何となく、その寝姿は猫を思い出させる。

 本来なら古竜に睡眠は不要なはずだが、気持ち良さそうに寝てるな。

 ただ眠りは決して深くないので、音は立てないように注意する。

 《巨人殺し》はこの穴の中にはいなかった。

 彼女も同じ寝床を勧められていたが、その場で断っていた。

 どこかで眠っているのか、それともまだ起きているのか。

 その辺は分からないが、まぁこっちが心配する事もないだろう。

 ――で、俺の方はというと。


「綺麗な夜空ね」

「あぁ」


 鎧姿のまま毛布に包まって、夜の空を眺めていた。

 膝の辺りにはアウローラがいる。

 彼女も肩から毛布を羽織り、ぴったりと身を寄せてくる。

 本当に綺麗な夜空だった。

 闇夜の天蓋に散りばめられた無数の星々。

 大陸でも星空を見上げるなんてのは、別に珍しくはなかったはずだが。

 ここは不思議と空を近くに感じられる。

 そのせいだろうか、星の光も大陸よりも輝いて見えるのは。


「私たちのいた大陸は、《造物主》による影響が未だに強く残ってる。

 《断絶流域》を遮ってる空間遮断とかね。

 そのせいで、此処とは星の見え方が違うのかもしれないわね」

「成る程なぁ」


 遠い昔に死んだ偽物の神様。

 その影響が今も残ってるっていうのも、なかなか凄い話だ。

 

「……ふふっ」

「? どうした?」

「いえ、思えば随分遠くに来たなと思って」

「だなぁ」


 小さく笑うアウローラの言葉に、俺は深く頷いた。

 ずっと昔に《北の王》――ボレアスとの戦いで相討ちになって。

 目覚めたらさんぜんねんが経過していて。

 その時点では記憶も大分曖昧なまま、彼女と一緒に今の大陸を旅して。

 まぁ、思い返すと本当に色々あったな。

 そんで今は大陸の外だ。

 アウローラの言う通り、随分遠くへ来たもんだ。


「貴方と外界の星空を眺めるなんて。

 昔の私なら想像もしてなかったでしょうね」

「昔っていうと、具体的にどのぐらい昔だ?」

「昔は昔よ、さんぜんねんよりもずーっと昔よ」

「それこそ俺じゃあ想像もつかんなぁ」


 寝ている面子を起こさないように。

 互いに小声で囁き合うように言葉を交わす。

 冗談めかした言葉に笑い、指先はアウローラの頬に触れる。

 彼女はくすぐったそうに身動ぎながら、こっちの兜に指を掛けた。

 晒された顔に冷えた夜の空気が触れる。

 その冷たさは、すぐに重なる身体の熱によって温められた。

 人肌でしかない唇の温度。

 今は不思議と燃える火のように熱く感じた。


「んっ……」


 漏れる声。

 腕の中に閉じ込めるみたいに抱き締めて、声も塞ぐ。

 細い手は俺の背中を、纏ったままの甲冑の表面を軽く引っ掻いた。

 暫しの間、仲間の寝息と夜風が通り過ぎる音だけが耳に響く。

 自分たちの音は、毛布も包んで外に漏らさないように。


 「……は」


 重ねた部分を解くと、重い吐息がこぼれた。

 濡れた口元を指で拭うと、アウローラは恥じらいの表情で微笑む。


「……こんな風に、落ち着いた時間も久しぶりね」

「言われてみるとそうだなぁ……」


 いやホントに。

 特に最近は大真竜との戦いでずーっとわやくちゃだった気がする。

 そう考えると、大陸の外に弾き出されたのもそう悪い話でもないな。

 抱き締めたアウローラの背をゆっくりと撫でて。

 俺はまた星を見上げる。

 大陸よりも近い夜空。

 見え方が違うだけで、見ている星は変わらない。


「……このまま」

「うん?」

「このまま、大陸に戻らないっていう選択肢もあると思う」

「…………」


 ぽつりと。

 つい言ってしまったと、そんな感じの言葉だった。

 空に浮かぶ星から、抱き合うアウローラの方へと視線を落とした。

 彼女の方は未だに星を見ていた。

 ……かつてあった、遠い遠い夜の一幕。

 あの星々の彼方を目指すのだと、そう彼女が語っていた事を思い出す。


「大真竜の内、三柱と戦って勝利してきた。

 また大陸に戻れば、盟約は必ず私たちを排除しようとするでしょう」

「まぁ、それはそうだろうな」

「……未だに、貴方の蘇生術式は完璧じゃない。

 剣にはもっと、多くの火をくべないといけないわ」

 

 半ば独り言のように。

 呟いて、アウローラの指先が俺の胸の辺りをなぞる。

 燃え尽きてしまった魂。

 灰となったそれを現世に繋いでいるのは、アウローラの術式によるもの。

 俺はまだ半分ぐらいは死人のままだと。

 こうして普通に触れ合って喋ってると、偶に忘れそうになる。


「けど、盟約は私が思っている以上に強かった。

 それに……」

「それに?」

「……まだ確証があるワケじゃないけど。

 イーリスが言っていた、ヘカーティアを狂わせた相手。

 それはもしかしたら、知ってる相手かもしれない」

「ふむ」

 

 知っている相手。

 それが誰であるのかはアウローラは断言しなかった。

 断言はしなかったが、何となく想像はつく。

 コッペリア、いやヘカーティアからも聞いた話だ。


「《黒》、だったか?」

「……ええ、その通り。

 かつて私が切り捨てた、魔剣鍛造の共犯者。

 千年前の戦いでアイツがどうなったかまで、ヘカーティアは語らなかった。

 ……まさかとは思ったけど、未だに暗躍を続けてるみたいね」

 

 苦い声で呟く彼女の髪を、俺はゆっくりと撫でる。

 あの時のヘカーティアはアウローラの事を随分と責めていたが。


「古い話を、あんまり気にするなよ?」

「……ありがとう、レックス。

 けど、こっちが気にしなくても向こうは違うでしょう。

 私たちが大陸の外へ弾き出された――いえ、追い出されたのも。

 やったのは《黒》の可能性が高いと思っている」

「成る程なぁ」

 

 邪魔だから排除したのか。

 それとも恨んでいるアウローラに対する嫌がらせなのか。

 理由は分からんが、とりあえず納得はできる。

 アウローラが協力者に選ぶほどの力を持った魔法使い。

 そんな奴なら、俺たちを大陸から追い出すぐらいは出来るだろうと。

 

「《黒》が何を考えて、何をするつもりなのか。

 今の私ではサッパリ読めないわ。

 昔のアイツの目的は、狂っていく同胞たちを救う事だった。

 けど、もう大陸に《始祖》なんて痕跡すら残ってない」

「そうなると、復讐とか仕返し辺りか?」

「……もしかしたら、そもそも目的なんて無いのかも。

 悲願を目の前で奪われて、全部見失ったまま止まれなくなっただけで」

 

 それはそれでありそうな話だった。

 何百年、いや何千年。

 そんだけ生きた奴の視点とか、俺には想像もつかない。

 だけど諦めを拒絶して足掻き続けた結果。

 そのまま行為が目的化して止まれなくなった、ってのは十分考えられる。

 なんというか、哀れな話ではあるが。


「迷惑な話だな、マジで」

「……それを私が言う資格はないけどね」


 困った様子で笑うアウローラ。

 まぁ、そういう風に追い詰めた本人ではあるしな。


「大陸には盟約の大真竜たちが、私たちを全力で排除しようとしてくる。

 頂点に立っているのは、恐らくあの《黒銀の王》。

 一体どういう経緯で人間の器なんかに納まったのか。

 これに関してもホントに想像つかないけど……」

「向こうに戻ったら、アレともいずれ戦う必要は出てくるかもな」

「その上で、目的不明のまま死に損ないの《黒》も蠢いてる。

 ……真竜どもを狩り殺して、その魂を使って貴方を完全に蘇生させるとか。

 流石の私も、そう気軽には口にできない状況ね」

「珍しく弱気だな」

 

 本当に珍しい。

 撫でる俺の手に、アウローラは甘えるように頬を寄せる。

 喉の辺りに触れると、くすぐったそうに笑った。

 

「……あんまり静かで良い夜だから。

 つい、弱くなりたくなったのかも」

「俺の前だったら、別に遠慮しなくて良いからな」

「ありがとう。優しいのね」

 

 微笑む彼女に対し、俺も軽く笑い返す。

 風は少しばかり冷たいが、本当に静かで良い夜だ。

 

「俺は、アウローラの好きにすれば良いと思ってる」

「……レックス?」

「大陸に戻るのが怖いんだったら、このままどっかへ行っても良い。

 この場所も大概広いっぽいからな。

 ぐるっと回るだけでも結構な長旅になるだろうな」

 

 問題は荒野まみれで、見る物が少ないかもしれないぐらいか。

 逆に、俺たちが知らないだけで他にも色んな場所があるかもしれない。

 その辺りは実際に見てみない事には分からない事だ。

 不思議そうな、やや戸惑ったような顔でアウローラは見上げてくる。

 

「俺自身は、特にやりたい事も目的もなかったからな。

 ただ、お前やイーリスたちとあちこち行ったりするのは結構楽しい。

 戦ったり何だりと、大変なことも当然多いけどな。

 ……それでも、ウン。

 目が覚めてからここまで、結構楽しいよな」

 

 それはきっと、今までもこれからも。

 俺の中では変わる事のない事実だ。

 目が覚めてから、見るモノの殆どが知らないものだった。

 知らないままに旅を始めて、色々あってここまで来た。

 大変だったし、死ぬような目にも山ほどあった。

 それも全部、アウローラのやりたい事に付き合ったおかげだ。

 だから。

 

「お前の好きにしてくれれば良い。

 大陸に戻るでも、このまま遠くへ行くでも。

 俺は最後まで付き合うぞ。

 イーリスたちは確認してみないと分からんが」

「…………」

 

 アウローラは黙ったまま、俺の顔を見上げていた。

 驚きと戸惑い、その後に滲む喜び。

 どこか泣きそうな顔で、彼女は笑っていた。

 

「……ズルい人ね、貴方」

「そうか?」

「そうよ。悩んでる私が馬鹿みたいじゃないの」

「多分、馬鹿なのは間違いなく俺の方だと思うぞ」

「自覚してるんだったら改めて欲しいわ」

 

 いや、悪いな。

 その辺りは性分だから、きっと死んでも治らないわ。

 

「……ちょっと、弱気になり過ぎたわね」

「偶には良いだろ」

「私と貴方が良くても、イーリスやテレサが困るかもしれないし。

 大陸に戻る方法は見つけておかないとダメね。

 今の時点で選択肢を狭くしても仕方がないでしょうし」

「だな」

 

 どうやら調子も戻って来たらしい。

 微笑みながら、アウローラは俺をぎゅっと抱き締めた。

 それからじゃれるみたいに唇を重ねる。

 戯れをまた暫く続けてから、満足した様子で離れる。

 熱っぽい吐息の余韻が夜風に混じった。

 

「そろそろ休みましょうか」

「あぁ。明日からもまた大変だろうしな」

 

 《巨人》が闊歩する土地。

 それを歩いて旅するのだから、まぁ間違いなくヤバいだろう。

 鬼に関しても、トウテツは比較的に話の分かる奴だったが。

 他に出くわすのが必ずしもそうとは限らない。

 目的地である鬼の《国》。

 そこの支配者である《鬼王》カドゥルは果たしてどんな奴か。

 

「……ん?」

 

 横になろうと思った矢先。

 見上げた視界に何か、煌めくモノが見えた。

 星かと思ったが――違う。

 「ソレ」は星ほどに遠くに浮かんではいなかった。

 眩い光を帯びたソレは、人間の形をしていて。

 

「――――

 

 距離はまだ遥か遠く。

 届くはずのない女の声が聞こえた気がした。

 その直後、夜の闇を真昼に変える程の光が辺りを覆い尽くした。

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