74話:聖女と戦王

 

 白い、ただ真っ白いだけの空間。

 区切られた部屋であるようにも、無限に広がっているようにも見える。

 其処には染みの一つさえ存在しない。

 オレという異物以外は何も無い、何も。

 ただそれだけの事なのに、気が狂いそうになる。

 此処は何だ、オレは一体どうなった、姉さんやルミエルは?

 グルグルと思考だけが空回りし、前に進もうとしない。

 ヤバい、マズい。そんな頭の悪い単語だけが泡みたいに浮かんでは消える。

 《金剛鬼》に命令を飛ばしても何も応答は無い。

 本当に、オレ一人だけがこの白い場所に取り残されていた。

 

「ッ――――!」

 

 声にならない。

 不安と恐怖が心臓を握り潰そうとする。

 下手に動く事さえ未知の危険を感じ、足は震えて踏み出せない。

 後ろに下がったところで、元来た道もない。

 なら、オレはこのまま……?

 理解不能な状況に、具体的な結末を否応にも想像してしまう。

 何か、何か無いのか。

 訳も分からないまま、オレは白い空間に視線を巡らせて――。

 

「――『彼ら』と『我ら』の間には、不可侵の約定がある。

 無論、お前も十分理解しているだろうが」

 

 聞こえたのは、老いた男の声。

 突然過ぎて悲鳴が爆発しかけたが、口を押えてギリギリ呑み込んだ。

 間違いなく、さっきまでは誰もいなかったはず。

 驚きに胸がバクバク言ってるが、とりあえず声の主の姿を探す。

 ――果たして、白い空間にその二人の姿はあった。

 

「ええ、承知しております。

 彼の恐るべき『竜の長子』と、貴方が結んだ約定。

 忘れる事などありませんし、それを破った覚えもありませんよ」

「……確かに、お前自身が竜と事を構えたわけではない、というのは理解している」

 

 一人は、金色の髪をした美しい女。

 見た感じ、年齢は二十代半ばとかそのぐらいな気がする。

 古ぼけた軍服っぽい衣装で全身をきっちり固めていて、如何にもお堅い印象だ。

 ……何か、顔立ちに見覚えがある気がするのは、オレの思い違いだろうか。

 もう一人は、黒いローブ姿の男。

 男、と言っても声でそう判断しただけで、顔はフードが影になって良く見えない。

 不思議なデザインの装飾を幾つも身に着け、手には杖を握っている。

 それは御伽噺に出てくる「魔法使い」そのものな姿だった。

 二人は白い空間の真ん中で向かい合い、言葉を交わす。

 距離感からして親しい間柄のようだが、その声には強い緊張感が含まれていた。

 一体、何の話をしているのか。

 

「しかしあの者達に武器を与え、戦う術を教えたのはお前だ。

 それは間違いあるまい?」

「竜の横暴に耐えかねた者達を私の領域に招き、そして必要な物を与えました。

 そこに何か誤りが御座いますか?」

「……それがお前の『正しさ』から来る行動である事は、私も分かっている。

 だが『約定に触れていない』と言い切るには微妙なところだ」

「…………」

 

 竜とか、約定とか。

 細かいところはオレには良く分からない。

 良く分からないが、一つだけハッキリした事がある。

 これは過去だ。

 さっきの戦場みたいに、互いに干渉出来るモノじゃない。

 もう過ぎ去ってしまった、古い記憶。

 

「あの悪辣な竜の長子が、これをどう考えるか。

 約定破りの罰則ペナルティを求められれば、私も庇い切れん」

「……王よ、我ら十二人を導きし偉大なる王よ。

 貴方が私の為に心を配って下さっている事、重々承知しております。

 ですがこればかりは、私も退く事は出来ぬのです」

 

 女の声には、強い決意が満ちていた。

 ローブの男を見つめる眼にも堅い意思が宿っている。

 己の正しさを、彼女は何処までも信じている。

 部外者のオレから見ても、それは手に取るように感じられた。

 相対している男もまた、当然の如く理解しているはずだ。

 僅かに漏れたため息には、諦めと呆れの色が混ざっていた。

 

「私とて、海の彼方より流れて来た『入植者達』の現状には憂いている。

 何も持たずに漂着した彼らは、この地で生きるには余りに無力だ」

「……貴方を含めた我ら十三人には、少なくとも力と知恵がありました。

 恐るべき竜と相対し、取引を行う事も出来た。

 しかし、彼らは違います。

 この大陸の外、鎖された海の向こうから流れ着いた人々。

 何も持たず、この地に逃げ延びた彼らに竜の横暴に抗う力は無い」

「故にお前が、その力を彼らに与えると?」

「私に与えられるモノなど、僅かなモノでありましょうが。

 それでも勇気を持つ人達は、諦めに屈する事無く戦う術を学んでいます。

 今や飛竜ぐらいの脅威ならば、自力で退けられる程に」

「……確かに、それは善き事だろうが」

 

 応える男の声は、苦悩と苦渋に満ちていた。

 ……十三人という言葉が出た事で、この二人の正体も何と無く分かった。

 恐らくは《十三始祖》、御伽噺に語られる伝説の魔法使い達。

 伝承が古すぎて、彼らの細かい情報についてはオレも知らない。

 ただ今の会話を聞く限り、どうやらあのローブ姿がリーダー格であるらしい。

 そして問題行動を起こした女を諫めているのが現状か。

 女の方が全く折れる気がないせいで、相当困ってるっぽいが。

 

「人々に教え施す、それは間違いなく善き事だ。

 しかし度が過ぎれば軋轢が生じる。

 今やお前の下には多くの人間達が集まっている。

 街と呼ぶには大きく、国と呼ぶには小さい程には」

「彼らを見捨てる事は出来ません」

「当然だろう。私もそうせよとお前に命じるつもりもない。

 だが現実として、約定破りを危ぶむ状況が来ている。

 お前が施した人々は、亜竜の脅威を退けて今や竜の領域に踏み入りつつある。

 それを止める事はしていないだろう」

「……住まう人の数が多くなれば、それだけ土地も必要になります。

 彼らが生きる上で必要な事を、私は止められません」

「であればどうするかだ。

 お前の『正しさ』故に、竜との間で戦争を起こすのは本意ではあるまい」

「…………」

 

 女は直ぐには答えを返せず、口を閉ざして沈黙する。

 どうも彼女が人間に武器や戦う術を与えて、竜の脅威に対抗出来るようにしたと。

 けど規模が大きくなるにつれて、竜の縄張りを侵す事になってしまったらしい。

 不可侵の約定とやらの内容は不明だが、まぁ問題になるわな。

 

「……分かりました、王よ」

「何とする」

「全ては私が始めた事。故に、私が全ての責任を取ります」

「……具体的に、何とするつもりだ?」

「私を頼った人々が踏み込んでしまった、《古き王》の領域。

 彼の竜のところへ、私が直接出向きます」

「待て、何を言い出すのだ」

 

 ローブの男はかなり焦った様子だ。

 これは、迷惑かけた先に詫びへ行く……って話でいいのか……?

 

「相手は二十柱ある竜の王。

 その中でも《戦王》の名で知られる獰猛な古竜だぞ」

「存じています。

 その気性が為に、領域から溢れた飛竜が人々を襲う事も多いのですから」

「お前が直接出向いて、それでどうするのだ?」

「先ずは話し合いを。

 そもそも不可侵を理由に、我らは互いに距離を置き過ぎました。

 竜と人。無理解のまま争うのではなく、互いに歩み寄る事が必要なはずです」

「無謀が過ぎるとは思わんか。

 相手が話しを聞く保証はないのだぞ?」

「それならば、此方も

 

 横で聞いてて絶句しちまうわ。

 正面から聞かされてるローブ姿も同じ感じだろう。

 詫びというか話はしに行くけど、相手に聞く気が無いならブン殴るって。

 いやまぁ間違っちゃいないと思うがなかなかとんでもねェなオイ。

 約定云々抜きにしても戦争にならないか?

 

「御心配なく、王よ。

 最悪の場合は、約定破りの咎で私の首を差し出すつもりです。

 例え『不死』の身であれ、王ならばそれを殺す事も容易いでしょう?」

「容易くはないが不可能ではない。

 が、それを『容易く行える』などとは言って欲しくないな」

「……これは、失礼しました。

 申し訳ありません。そのようなつもりで言ったのでは……」

「良い、分かっている。お前は優しく、そして正しい娘だ」

 

 言っても聞かぬだろうという諦めと呆れ。

 それ以上に深い親愛の情が男の声には込められていた。

 女もそれは分かっているのか、男に向けて深々と頭を下げる。

 

「私は立場ゆえ、大っぴらには動けん。

 お前の無事と幸運を祈る他ない、無力な私を許せ」

「その御言葉だけで十分です。

 己の信ずる『正しさ』に殉ずるしかない、愚かな私をお許し下さい」

 

 お互いがお互いの無力を嘆き、そして相手の為に祈った。

 その言葉を最後に、遠い過去の二人は離れて――。

 

「ッ……!?」

 

 瞬間、白い空間が消し飛んだ。

 これは過去の記憶だ、それは間違いない。

 戦場で襲って来た飛竜みたいに現実的な脅威はないはずだと。

 そう考えていたオレの目の前で、世界が塗り替わる。

 ――此処は、何処だ?

 分からない。さっきまでとは明らかに違う、荒れた山肌。

 その場所に、恐ろしい化け物が「二匹」いた。

 一人は見覚えがある……というか、さっきまで見ていたのと同じ相手。

 推定《始祖》である金髪の女。

 先程と変わらない古ぼけた軍服姿で、手には身の丈ほどの大剣を握っている。

 彼女が相対しているのは、一匹の竜だった。

 そう、竜だ。背に大きな羽根を持つ、人の形に近い竜。

 ボレアスみたいな半人半竜ではなく、あくまで「人型の竜」といった姿だ。

 身体のサイズは竜と呼ぶには小柄だが、その気配は強大極まりない。

 真竜のような歪んだモノではなく、美しさすら感じる完成された生命の在り様。

 ……アウローラやボレアスも、オレからすれば途方もない化け物だが。

 あの二人が「弱っている」事を、この時初めて理解した。

 それほどまでに、その竜は圧倒的な存在だった。

 

「《戦王》!!」

 

 女は竜の名を叫び、怯む事無く真っ直ぐに挑む。

 手にした大剣には青白い光が宿り、その一振りは輝く軌跡を描く。

 その刃の輝きに触れただけで、地面の一部や転がっていた武具が抉れるように消し飛ぶ。

 《戦王》と呼ばれた竜は、その必滅の剣を正面から受け止めた。

 

『オオオォォォオオオ―――ッ!!』

 

 大気を震わす咆哮と共に、《戦王》も女に向けて反撃の拳を叩き込む。

 女は手にした剣と、即座に唱えた魔法の護りによってその一撃を逸らした。

 僅かに外れた拳だが、その圧力だけで大地の一部が砕ける。

 攻撃が放たれる度に周囲に破壊の痕跡が積み重なる。

 その天変地異とも呼ぶべき衝撃が、オレを絶え間なく揺さぶり続ける。

 これは、単なる過去の記憶だ。

 自分に何度も言い聞かせているが、その認識も崩れそうになる。

 それほどまでに、古き竜の王と最初の魔法使いの戦いは凄まじいモノだった。

 言葉では言い表す事が難しい。

 《始祖》の女は確かに強かったが、相手の竜が桁外れだ。

 天変地異が脅威も危険もそのままに、人に似た竜の形に凝縮されたかのような。

 ――こんな怪物に、勝てる訳がない。

 直接戦っているわけでもないのに、ごく自然とオレは「諦めて」いた。

 けれど女は諦めず、折れず、屈する事無く。

 ただ愚直に、恐るべき竜に向かって剣を振るい続けた。

 その姿はほんの少しだけ、アイツ――レックスと重なって見えた気がした。

 

『勝ち目が無いと知りながら、それでも尚挑むか。《始祖》の女よ。

 不可侵の約定も忘れる程の愚か者であるなら、それも仕方なき事か』

「――勝ち目など知らぬし、約定は忘れた訳ではない。

 私はただ、独りで荒ぶり続ける竜を諫めに来た。それだけの事」

『そのような戯言が通じるとでも……』

「戯言と思われようと結構!

 私は殺す為に戦うのではなく、理解する為に矛を交えている!

 戦の王とまで呼ばれた、恐ろしき竜である貴方を!」

 

 叫ぶ彼女は、己の「正しさ」に一片の疑いも持っていなかった。

 それが必ず通じると信じ、災害そのものである竜に挑む。

 最初こそ煩わし気に相手をし続けていた《戦王》だったが。

 語る言葉に少しずつ、困惑の色が混ざり出した。

 

『……この私を、理解するだと? お前が?』

「理解“したい”のだ、孤独な竜の王よ!

 貴方がただ、その凶暴性で死と破壊を撒き散らすだけの獣なのか!

 それとも、その恐るべき力の奥底に違う心を秘めているのか!

 私はそれを理解し、叶うならばその手を取りたい!」

 

 真っ直ぐにぶつけられる思いと言葉。

 《戦王》の困惑は更に深まる。

 

『それで、一体何になる? お前にどんな得がある?』

「少なくとも、お前という竜の影響で傷付く人々はいなくなる!

 そして長らく、不可侵の約定を理由に距離を置いて来た私達だが……!」

『だが?』

「――理解し合えば、歩み寄る事も出来る。

 私達は最初からもっと、互いの事を知るべきだったかもしれない」

 

 《始祖》の女はそう言いながら、美しい笑顔と共に剣を打ち込んだ。

 当然のように、《戦王》はその刃を弾き落とす。

 弾いて――しかし、反撃はしなかった。

 

『……何と、愚かな娘だ』

「何とでも言うがいい」

『このような形で対話など、矛盾があるとは考えんのか?』

「そちらの流儀に合わせたまでだ。

 最初の私は平和的に話し合う気しかなかったぞ」

『先に斬りかかったのは其方では無かったか?』

「貴方の住処に向かう途中、飛竜の群れに襲われた。

 アレは貴方の使い魔なら、貴方が先に仕掛けたも同然では?」

『支配する領域の境に、見張り番を置いてるのはそんなにおかしい事か?』

 

 其処まで言い合った時点で、互いに沈黙する。

 沈黙して、それから――どちらからともなく、軽く笑い声を溢した。

 

『……良いだろう、愚かな女よ。次の一撃だ。

 《戦王》が放つ全霊の一撃、無事に耐えたならば話ぐらいは聞いてやろう』

「……成る程。つまりは決闘か。ならば私は受けて立とう」

 

 ちょっと決闘は違う気もするが、過去の記録に突っ込んでも仕方ない。

 重要なのは、《戦王》の気配が更にヤバい状態になった事と。

 それを臆さずに、《始祖》の女は本当に正面から受けて立つ気である事。

 ……やっぱりどうしても、レックスの事が頭にちらつく。

 アイツもボレアスと、《北の王》と戦った時はこんな絶望的だったんだろうか。

 

「――――ッ!!」

『――――ッ!!』

 

 両者の叫びを、オレの耳は音として認識出来なかった。

 全身全霊でぶつかり合った、二人の最後の激突。

 記録であるにも関わらず、その衝撃は凄まじいなんて表現じゃ生温く。

 それを間近で見ていたオレの意識は、綺麗にすっ飛ばされていた。

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