75話:悪夢を越えて
「ちょっとアンタ、生きてるっ!?」
「おう、何とか」
ブリーデの声はかなり離れたところから聞こえてくる。
視線を一瞬そちらへ向ければ、瓦礫の影に隠れる白い姿が見えた。
距離は大分遠く、アレなら巻き込まれる心配も少ないだろう。
此方は此方で激突した城壁の中から這い出す。
多分、殴られたか何かされたはず。
見えたのは僅か過ぎて断言は出来ないが。
細い指が身体に触れたと思った時には、中庭の外までぶっ飛ばされていた。
庭を囲っている壁の一部にぶつからなかったらどうなっていたか。
邪魔な瓦礫を蹴飛ばし剣を握る。
悪夢はゆっくりと、獲物を嬲るように近付いて来た。
「――――」
アウローラと同じ姿をした、けれど似ても似つかぬ夢の獣。
言葉は無く、ただ無機質な殺意を宿す眼で俺を見る。
さて、どうにか頑張りますか。
「ッ……!!」
地を蹴って、真っ直ぐに距離を詰める。
この悪夢がどれだけ「本物のアウローラ」と同じかは分からない。
そもそも俺は彼女とは戦った事がないしな。
だから正直、何をしているかはイマイチ分からない。
分からないが、凄い魔法使い相手に中・遠距離が拙い事ぐらいは分かる。
ヤバい魔法が飛んでくる前に、剣の間合いに踏み込んで――。
「マジかよ」
振り下ろした剣が、あっさり弾かれてしまった。
悪夢は軽く腕を上げて、それを向かって来た刃の盾にした。
弱っているとはいえ、岩人形ぐらいならまだ斬り裂ける一刀だ。
ブリーデの鍛えた業物で、その鋭さは凄まじい。
けれど悪夢が再現したアウローラの細腕には、僅かな傷すら付かない。
まるで巨大な鋼の塊を叩いたような、そんなあり得ない感触が腕に伝わってくる。
本気で心底驚いたが、それで動きを止めたら死ぬ。
剣が弾かれたのを認識した直後、勘に従って地面に身を投げ出す。
転がる俺の頭上を、何かが大気をブチ抜いていく。
剣を受けたのとは逆の手で、悪夢が俺のいた辺りを横薙ぎに払った。
たったそれだけの動作だったが、爆発音に似た音が辺りに響く。
アレ喰らったら首が捩じ切れてたんじゃなかろうか。
魔法がヤバいと思ってたが、白兵戦も十分以上にヤバかった。
「――――」
地面に転がった俺を悪夢の視線が追ってくる。
ほっそりとした足で軽く蹴って来たので、俺は全力で回避する。
地を這っていた俺は、その蹴りで剥がれた地面ごと軽く宙を舞った。
少女の見た目からは想像も出来ないような怪力。
ボレアスの戦いぶりを思い出したが、本物のアウローラも似た事が出来るのか。
などと考えていたら、小さい手で思い切り殴られた。
空中での不安定な状態から、一気に地面に叩き落とされる。
ギリギリ受け身は取れたが、余りの衝撃に息が詰まりそうだ。
嵐に揉まれる木の葉も同然の俺を、悪夢は一切の容赦なく攻め続ける。
「死ぬ死ぬ死ぬ……!!」
ちょっとでも距離が開くと、今度は魔法らしき攻撃が飛んで来た。
無数の炎の矢が雨のように降り注ぎ、でっかい雷の網が逃げ道を塞ぐ。
死ななかったのは運と、後は剣と鎧が凄かったからだ。
避け切れない炎の矢は鎧が弾き、雷の網は試しに剣を打ち込んだらブチ破れた。
それでも結構な
傷と体力を無理やり回復させて、再度悪夢との距離を潰す。
近くても危険だが、離れた状態で一方的に攻められるよりはまだマシだ。
マシのはずなんだが。
「ヤバいなこれ……!」
攻撃が通らない。
いやホントに、既に何度も剣は当ててはいる。
腕とか足とか、首にも二回か三回は思い切り打ち込んだ。
それでも悪夢は小動もしない。
硬すぎる鱗は引っ掻き傷さえ刻む事を許さない。
逆に相手の攻撃は、どれであっても致命の一撃だ。
人間を殺すには過剰過ぎるパワーを、愛らしい見た目でブンブン振り回す。
幸い殆ど大振りなので何とか回避は間に合ってる。
しかし避けるだけでも体力は削れるし、余波も積み重ねれば死が見える。
避けて、剣で薄い胸辺りを叩いてみるがやはり弾かれる。
ほんの少しだけ怯んだ隙に、新たな賦活剤を空にして捨てた。
こっちの数も結構減って来たな。
そして負傷は癒せても、魂に宿る熱はジリジリと減り続けている。
長引けば不利――どころか、そのまま終了だ。
さて、どうしたもんか。
「ちょっと、しっかりしなさいよ……!」
戦う横でブリーデの声が飛ぶ。
身体の大半は瓦礫の影に隠しながら、僅かに顔だけ出して。
「ソレはあくまで、真竜の魔力が再現しただけよ!
間違っても本物じゃないし、絶対に本物には及ばない!」
「いや、でも結構しんどいぞコレ……!」
「ソレが凄く強いのは、アンタがそういう風に考えてるからよ!
偽物だって頭では分かっていても!
『勝てない』とか『手を出せない』とか、少しでも何処かで思ってるなら!
ソレは『その通り』になる、アンタの中から出て来た悪夢なんだから!」
ブリーデは必死に叫び、その間も悪夢は容赦なく俺を蹂躙しようとする。
圧倒的な暴力は文字通りの悪夢だ。
それも全部、オレが「アウローラに抱いているイメージ」だとブリーデは言う。
成る程、そう考えると納得は行く気はする。
偽物だとは考えてるから、戦う事に躊躇は無い。
逆に「偽物=本物のコピー」とも考えてるから、こんなに強いワケか。
それならば――。
「ふんっ!!」
「――――ッ!?」
気合だ。
さっきも本気で仕掛けてはいたが、それだけじゃない。
相手を「斬る」事を殊更強く意識する。
そうして気合いを乗っけた一刀を、悪夢に対して全力で振り抜いた。
起こった変化は劇的だ。
今までは傷一つ付かなかった肌に赤い線が走る。
滲む赤い血と共に、アウローラを真似た顔が驚愕に歪む。
「よしっ! ありがとうなブリーデ!」
「良いから油断だけはしないでよ……!」
そりゃあ勿論。
刃は通るようになったみたいだが、相手の破壊力に陰りは無い。
振り回す片腕が掠めただけで、身体が千切れ飛びそうな衝撃が襲う。
直撃だけは避け、時には力に逆らわずに転げ回る。
その合間を逃さず剣を振るい、アウローラの形をした悪夢を削っていく。
少しずつだが確実に、細い身体にも傷が増えて赤い血が流れる。
先程までは埃一つなかったドレスが、剣の切っ先で軽く破れたりもしていた。
……こんな時になんだが、ちょっと妙な気分になってくるな。
「ちょっと、気が散ってない!?」
「おっと……!」
非常に的確なブリーデさんのツッコミ。
それと殆ど同時に、悪夢のブン回す爪が俺の鼻先を掠めた。
危ない、もうちょいズレてたら首から上がふっ飛ばされてたな。
邪な思考は一時頭の片隅に追いやり、暴れる悪夢の対処に集中する。
魔法の攻撃は防ぎ難いので、可能な限り距離は詰めたまま。
時折転がされたりで間合いが開くと、即座に炎や雷が降ってくる。
うーむ、やっぱりキツいなコレ。
鎧で受けても完全には防ぎ切れない。
肉を焼かれる痛みを気力で我慢し、悪夢に向けて剣を振るう。
一つ、二つ、三つと。
白い肌に刻んだ傷口からは、やがて鮮血ではなく黒い欠片が零れ落ちた。
ようやく偽物のガワが剥がれて来たか。
「――――ッ!!」
追い詰められてきた事に怒ったのか。
アウローラに似た顔を歪めて、悪夢は名状しがたい声を上げる。
耳障りな音で不快に感じるが気にする程でもない。
が、その声に応えて動くモノがあった。
「ちょ、レックス! アレ見てっ、アレっ!」
「げっ」
ブリーデに促されるまでもなく、俺は「ソレ」が立ち上がるのを見ていた。
中庭に横たわったままだった《北の王》の亡骸。
ただの悪夢からの「出口」かと思ったら、こっちにも仕掛けがあったか。
新たな脅威として動き出した竜の屍、その虚ろな眼に暗い炎が燃え上がった。
此処でその戦力追加は卑怯だろ。
『GYAAAAAA――――ッ!!』
「……っても、殆どケダモノみたいな状態か」
それならば大して怖さは感じない。
アウローラは兎も角、《北の王》なら一度勝っている。
しかもコレは偽物……どころか、出来の悪いゾンビみたいな有様だ。
だったら問題ないな。
俺は直ぐに切り替えて、目の前の偽アウローラとゾンビ竜を見比べた。
判断は一瞬、偽アウローラに正面から突っ込んで――。
「よっと……!」
迎え撃つ爪の一撃を躱し、その脇をすり抜けた。
相手の反応が間に合わない内に、ゾンビ竜の方に向かう。
竜の巨体は近付くだけで結構な威圧感がある。
だが動きは本物と比べて明らかに鈍く、弱ってる俺の方が速いぐらいだ。
昔戦った《北の王》は、それこそ風みたいな動きだったな。
この偽の亡骸が「出口」であるのは間違いない。
だったらさっさと制圧すれば、此処を抜け出す事も出来るはず。
重い身体を無理やり引っ張って、先ずはデカい脚に剣を一閃する。
強靭そうに見える鱗も、本物に比べれば紙ッペラだ。
アウローラの偽物とは違って、こっちは過去に「勝った」認識があるからか。
見た目以上に脆く、俺は勢いづいて更に剣を振るった。
『GYAAAッ!? GAAAAAA――――ッ!!』
「ボレアスの真似するなら、もうちょっと気合い入れろよ」
所詮は急拵えだから脆いのか、その辺はよく分からんが。
足を斬られて体勢を崩したゾンビ竜。
俺はその身体を、出来る限り急いで駆け上がった。
遅れて背後からは幾つかの爆発音が響く。
確認するまでもなく、アウローラの偽物の方だ。
こっちの背中目掛けてぶっ放したんだろうが、完全に味方(?)へ誤射したな。
炎と爆発に屍肉を抉られて、ゾンビ竜は激しく吼える。
まだまだ元気みたいだが。
「悪いが、あんまり余裕も無いんでな!」
上った勢いを乗せて、無防備に晒された首に刃を喰い込ませる。
鱗は大した障害じゃないが、肉は厚いし骨も太い。
普段の調子だったなら、この一撃だけで切り落とせた。
しかし今は半ばまで斬り裂くのが限界だ。
一度で足りないなら、二度三度とぶった斬るのみ。
暴れる身体の上から振り落とされないよう、俺が剣を構えたが。
「ッ……!!」
眼前に、偽アウローラが飛び込んで来た。
ゾンビ竜にトドメを刺させまいと、広げた両腕を叩き付けてくる。
まるで全力で抱き締めようとする動きだが、惑わされんぞ。
下がらず、両腕が閉じ切る前に俺は敢えて前に出た。
それは一か八かの賭けだった。
このゾンビ竜だけならまだ何とかなる。
しかし消耗しつつある今の状態で、この偽アウローラと格闘するのはキツい。
焦って突っ込んで来たこの隙を逃すまいと、俺は全力で刺しに行く。
ほんの僅かにでも遅れたなら、その爪に抱き締められて挽き肉になる。
そんなギリギリのタイミングで――。
「ぁ――っ」
貫いた。
突き出した剣の切っ先は、狙いを間違える事無く。
薄い少女の胸元を、真っ直ぐに貫いていた。
微かに唇から漏れた声は、本物と良く似ていた。
俺は構わず、渾身の力を込めて剣を押し込み続けた。
暴れる竜の上という不安定な足場。
当然の結果として、俺は偽アウローラと縺れるように地面に落ちる。
衝撃。思い切り叩き付けられた事で身体が軋む。
俺の下には、悪夢が形作っただけの少女の偽物がいる。
手放す事無く握り続けた剣は、その身体を地に繋ぎ止めていた。
尋常な生き物であれば、間違いなく致命傷のはずだ。
「レックス、後ろー!!」
背後から届くブリーデの声。
弾かれるように振り向けば、咆哮一つ上げずに迫るゾンビ竜の姿。
俺が首をバッサリやったせいで、そもそも声が出ないのか。
迎え撃とうとして――気付く。
胸を貫かれ、今にも身体自体が崩れそうなアウローラの形をした悪夢。
それが刀身を握り締め、剣を己の身体から離すまいとしていた。
ニヤリと、綺麗な顔で獣のように笑いやがる。
このまま俺を道連れにする気か。
「ちょっとアンタ、ボーっとしてないで逃げなさいよ……!?」
「いや、大丈夫だ」
此処で逃げてもジリ貧だしな。
ヤバいはヤバいが、まぁ何とかなるだろう。
それで駄目なら死ぬだけだと、いつものように覚悟を決める。
首が半分千切れかけた状態だが、それでも動くゾンビ竜。
その眼に暗い怒りを燃やしたまま、俺を叩き潰そうと向かって来る。
俺はそれを迎え撃つ為に――先ずは剣を手放した。
死にかけの相手と引っ張り合っていてもしょうがないからな。
そうしてから、俺は突っ込んで来たゾンビ竜を迎え撃つ。
剣も無く丸腰で、普通は押し潰されて終わりだろう。
だから俺は、気合を入れて手を伸ばす。
「ふんっ……!!」
巨大な竜と掴み合っては流石に死ぬ。
だから狙うのは弱っている部分――俺が半分斬り裂いた首の傷。
先ず掴めるかが賭けだったが、其処は無事にクリアー。
暴れる巨体に振り落とされぬようしがみ付きながら、掴んだ手に全力を込める。
無茶をすれば命を縮める事は分かっているが。
無茶をしなけりゃどうせ死ぬ状況だ。
ならば内に残る熱を最大限に燃やして、俺はこの悪夢を引き裂きに掛かる。
そうだ、いい加減に邪魔なんだよお前ら。
俺は似た顔じゃなく、本人達の顔が見たいんだ。
「だから、いい加減に道開けろよ……!」
ゾンビ竜は声を上げなかった。
音を出す為の喉も纏めて、俺が首を二つに引き裂いたから。
全身の骨が軋んで、自分の肉も弾け飛ぶかと思った。
命を繋ぐ火が一気に目減りした事も自覚した。
それでもまだ、死ぬ何歩か手前ぐらいで踏み止まれた。
「……で、これが『出口』か」
俺に首を限界まで千切られた事で、ゾンビ竜は再び動かぬ死骸に戻った。
剣で貫かれていたアウローラに似た悪夢も塵となって消えている。
後に残ったのは、大きく裂けて広がった竜の傷口。
其処にポッカリと開いた「黒い穴」だけだ。
その先は何があるのか、それは全く不明だが。
「そろそろ目的地が見えると良いんだけどな」
「それは同感だけど……それよりアンタ、身体がヤバいんじゃ……」
危険は排除されたと判断したか、ブリーデも傍までやって来た。
不安げな視線をこっちに向けて来たので、俺は一つ頷き。
「ヤバいな。流石にちょっと無理したしな」
「だったら、早く治療を……」
「それより先に、こっちの方を見ておきたい」
そう言ってから、俺は黒い穴へと一歩踏み出す。
根拠はないが、さっきからどうにも嫌な予感を感じてしまう。
だから先ず、それを確かめないとな。
「ちょっと、幾ら何でも無茶な……!」
「悪いな、ブリーデ。ヤバそうなら、此処で待っててもいいぞ」
「だからこんな場所で放置される方がヤバいでしょ……!?」
ブリーデの悲鳴に近い抗議の声を背に受けつつ。
俺は躊躇う事無く、黒い穴の向こうへと踏み込んだ。
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