484話:森の娘との再会


 遠い空。

 白い軌跡を描いて、飛んでいくモノがある。

 多分、宇宙船か何かだ。

 またどっかの天体に築いた居住地に、新たな移民を乗せて向かったんだ。

 死のない世界。

 誰も死なないけど、新たな生命だけは増え続ける。

 当たり前だが、人口は常に右肩上がりだ。

 今、オレたちという種族は全体でどれだけの数がいるんだろう。


「……百億、二百億?」


 正確な数字は曖昧だ。

 でも、テレビのニュースだかでは良く流れてる気がする。

 ……本当にそうか?

 ニュースなんて、オレは見ていたかな。

 分からないが、知識としては頭の中にあるんだ。

 だったらやっぱり、そういうので情報を得たはずだ。


「……そのはず、だよな」


 抱いた疑念に、自分で答えを出して納得する。

 歩みは緩やかで、視線は遠い空から近くの街並みへと移した。

 急ぐ必要はない。

 時間は無限にあるのだから。

 広がる街は、空の果てに届く文明と同じだけの発展を見せていた。

 道は綺麗に隙間なく舗装され、見上げるほど背の高い建物が無数にそびえ立つ。

 車等の乗り物は全て自動制御されていて、事故が起こった話は聞いた覚えがない。

 まぁ、仮に事故が起こったとしても、誰も死ぬ事はないんだが。

 大人の男、女性、老人、子供。

 街中を歩く人々は、その人種も様々だった。

 割合的には普通の人間が多いだろうが、亜人も良く目につく。

 誰もが幸せそうだった。

 幸福に満たされていると、一目で分かる。

 ……良い事のはずだよな。

 そんなこと、疑う余地もないはずだ。

 だというのに、銀色の腕輪を嵌めた右手が痛むのだ。

 「」と、誰かが訴えかけるみたいに。


「……イーリス?」

「ん?」


 聞き覚えのある声。

 それが耳に届いたので、足を止めた。

 見回す――と、お目当ての相手はすぐ近くにいた。

 多分、歳の頃は同じぐらい。

 赤い髪に、少し先端が短い森人エルフの長耳。

 若草色のスカートがよく似合う、その少女は――。


「……アディシア、か?」

「あぁ。随分と久しぶりな気がするな!」


 半森人ハーフエルフの娘、アディシア。

 彼女はオレの顔を見て、嬉しそうに笑ってみせた。

 本当に、こうして会うの久々のことだ。

 前に会ったのは……あー、いつだったかな?

 まぁ、それは良いか。


「今日はどうしたんだよ」

「そっちこそ。あぁ、あたしは買い物の付き添いだよ。

 今はちょっと一人でぷらぷらしてるだけだが」

「ふーん?」


 キョロっと、辺りを軽く見渡す。

 近くに連れらしい相手の姿はなかった。

 アイツ……ヴェネフィカは、傍にいるもんかと思ったが。


なら、今日はいないよ。

 家の方で留守番をしてくれてるんだ。

 買い物――というのも、実際は口実だな。

 あの朴念仁の父は、そうでもしないととデートの一つも誘わないからな」

「ハハハハ、まぁあの糞エルフじゃあしょうがな――い?」


 母。

 彼女は本当に嬉しそうに、自分の母のことを口にした。

 ……アレ、いや、でも。

 アディシアの、母親は、確か……?

 腕輪を嵌めた右手に、また小さな痛みが走った。

 ――コレじゃない、コレは違う。

 コレはきっと正しくない。

 均衡が乱れている。


「……イーリス?」

「ッ――ぁー、いや、悪い。ちょっと立ちくらみがして」

「大丈夫か? ほら、あそこにベンチがある。少し座った方が良い」

「…………そう、だな」


 気遣う言葉に嘘はない。

 アディシアは真剣に、オレの身を案じていた。

 だから手を引かれたら、素直に従う。

 気分が悪いのは間違いないしな。

 ……ホント、何を考えてるんだろう。

 彼女の、アディシアの母親は、死んだはずじゃないかって。

 だから、ヴェネフィカの奴がその代わりを務めていた……なんて。

 あり得ない、そんなこと。

 だってこの世界に、死は存在しないんだから。

 繰り返す言葉を、オレは何故か酷く白々しく感じていた。


「落ち着いたか?」

「ん。おかげさまでな」

「良かった。貴女は無茶しがちだから、見ていて心配になるよ」

「……そっちだって人のこと言えねェだろ?」

「そうか?」

「そうだよ」


 笑う。

 オレも、アディシアも。

 笑い合って、そのまま他愛もない会話を続ける。


「で、アレか。

 あの親父、奥さんと今デート中ってワケか?」

「うん。とはいえ、デートって意識があるかは怪しいけど」

「別に鈍いってワケじゃねぇんだろ、アイツ」

「むしろ敏いぐらいだよ、特に他人の考えてる事については。

 心が読めるんじゃないかってぐらい。

 ……なのに、自分に対してはからっきしだからなぁ」

「なんだそりゃ」

「傍から見ても母のことは大好きなのに、全然自覚が無いんだよ。

 母さんは母さんで、そういうところが良いって惚気けるばかりだし」

「あー、そりゃ、娘的には色々キツいよなぁ」

「だろう? ホントに、おかげでこっちは変に苦労するばっかりだよ」

「良いじゃねぇか、それはそれで楽しんでるだろ?」

「それは否定できないなぁ」


 本当に、他愛もない話だった。

 家族のことを話すアディシアは、心底幸せそうで。

 何でもないことのはずなのに、思わず涙がこぼれそうになった。

 ……オレは、こんなに泣く奴だったか?

 分からない。

 この涙が、何の感情から流れているものなのか。

 嬉しいのかも、悲しいのかも。

 今のオレには曖昧で、良く分からないんだ。

 意識せず、腕輪の嵌った右手を撫でる。


「……そういうイーリスは、どうなんだ?」

「あん?」

「お姉さんとは仲が良いみたいだが、ご両親には会っているのか?

 喧嘩別れしてしまったと、そう聞いてるが」

「あー……話したっけ、そんなこと?」

「聞いた覚えがあるような……アレ、どうだったかな?」


 言った本人が首を傾げてどうするよ。

 話した覚えがあるような、ないような。

 まぁ、別に隠すことでもないし、どうでも良いっちゃ良いが。


「姉さんにも言われてな。

 今から会いに行くところだよ」

「なんだ、そうだったのか?

 ……あ、だったらあまり引き止めてはいけないか」

「気にすんなよ。別に急いでるワケでもねェし」


 そうだ、急ぐ必要はない。

 なんだったら、このままずっと一人でぶらぶらしていても良い。

 そうすることを、きっとこの世界は許してくれる。

 気持ちが、ふと楽な方へと傾きそうになる。


「……ダメだぞ。会うと決めたのなら、ちゃんと会いに行かないと」


 そんなオレを、アディシアは穏やかに戒めてくれた。

 右手の上に、彼女の細い指が重なる。

 優しいけれど、力強く。

 半森人特有の赤い髪は、黄昏を告げる夕焼けのように綺麗だった。


「時間は永遠でも、機会は一瞬かもしれない。

 それが過ぎた後に、同じモノが来るなんて保証は何処にもないんだ。

 逃してしまってから、それを悔いたりしたくはないだろう?

 そんなのは、貴女らしくないよ」

「……オレらしくない、か」


 果たして、オレはどういう人間だと思われてるんだろう。

 今までは特に気にした事もなかったが。


「……すまない、差し出口が過ぎたか?」

「いいや、ありがとうな。

 どうにもこう、調子が悪くてさ。

 言ってくれたおかげで、またちょっと目が覚めたわ」


 笑う。

 笑って、アディシアの指を握ってみる。

 同じぐらいの大きさの手だ。

 彼女は少しくすぐったそうにしながら、オレの手を握り返してくれた。


「それなら良かったよ。

 ……イーリス、あたしは貴女のことを、友達だと思ってる。

 困ったことがあるなら、迷わず頼って欲しい。

 それはこれ以上ない喜びだ」

「あぁ。ありがとうな。

 そういうお前こそ、何かあったら絶対に頼れよ。

 特にあの糞エルフな親父とか、必要ならブン殴ってやるから」

「それは最高に頼もしい言葉だな」


 クスクスと、子供のように笑うアディシア。

 つられて、オレも声を出して笑ってしまった。

 ま、こっちが引き受けなくとも、彼女なら幾らでもあの糞エルフを殴り倒せるか。

 それについては、何も心配していなかった。


「行くのか?」

「あぁ。あんまりのんびりしてると、またやる気が萎えちまいそうだしな」

「確かに、それはあるかもしれないな」


 ベンチから立ち上がって、軽く尻の辺りを払う。

 両足を手のひらで叩いたら、ちょっとだけ気合いが入り直した。


「……なぁ、ちょっと変なこと聞いても良いか?」

「? どうした、改まって」

「いや――アディシアから見て、オレってどんな奴に見える?」


 我ながら、唐突に何を聞いてるんだって話だよな。コレ。

 案の定、言われたアディシアはちょっと目を丸くしてしまった。

 ……聞かなきゃ良かったかな。


「……アディシア?」

「あー……いや、その、すまない。

 少々驚いたというか、意外だったものだから」

「悪かったよ、妙なこと聞いちまって」

「いやいや、今のはあたしが悪かったよ。

 貴女も、そういう風に人からどう思われているのか、気にするんだな」

「逆にまったく気にしない奴なんているか?」


 まぁ、オレもそんな気にする方じゃねぇけど。

 で、アディシアはちょっと首を捻る。

 半分以上は、ちょっとした好奇心から出た言葉だった。

 しかし向こうは、思った以上に真剣に受け止めてくれたらしい。


「なぁ、そんな真面目に考えなくても良いぞ?」

「本人からの要請とはいえ、他人に対する印象や評価を言葉にするんだ。

 真剣に答えなければ、それこそ失礼だろう」

「糞真面目かよ」


 そういうとこは、割と父親に似てるよな。

 アディシアは暫し考え込んでから。


「……もしかしたら、気を悪くしてしまうかもしれないが」

「おう、覚悟はしてる」

「貴女は凄い人だよ。

 そんな言葉を、他人の評価で軽々しく口にしてはいけない。

 それを承知の上で――やっぱり、イーリスは凄い人だ。

 あたしにとっては憧れに近いよ。

 もっと頑張ろうと、そう励みになるような」


 ……正直、こう。

 割とストレートに、ダメ出し食らうもんだと思ってたんだが。

 アディシアの顔は大真面目だ。

 大真面目で、これ以上ないぐらい真剣に。

 丁寧に言葉を選んでるのがバリバリ伝わってきて、かつ全力で褒めちぎってくる。

 流石に、このパターンは覚悟してなかった。


「貴女の良くない点を上げるなら、意外と自己評価が低いところだな。

 他に凄い人がいたとして、それは貴女の価値を下げるものじゃないはずだ。

 自分は大したことが出来るワケじゃないと、簡単に蓋をしがちだ。

 そこはもう少し考えた方が……」

「分かった、もう腹いっぱいだわ。

 迂闊にこんな話を振ったオレが悪かったよ。

 だからそろそろ勘弁してくれ」


 両手を高く上げて、完全に降参の構えだ。

 「まだまだ言い足りないぐらいだぞ」なんて、マジで止めてくれよ。

 そんなオレを見て、アディシアは楽しそうに笑う。


「なら、今日はこのぐらいで許しましょうか」

「寛大なアディシア様に感謝するよ」

「けど、今言ったことは本音だからな?」

「それも勿論、分かってるよ」


 冗談だって、流してくれた方がありがたいけどな。

 無茶苦茶に持ち上げられたせいか、顔が火照って仕方がない。

 ……あークソ、マジで気恥ずかしいな。

 そろそろ退散するかと、足を動かそうとした――直後。

 ぽつりと、アディシアが呟く。


「……あと。貴女は、『あの人』に良く似てるな」

「……『あの人』?」


 あの人って、誰のことだ?

 そう口にすると、微かに痛みが走った。

 同時に、頭の中に不明瞭なイメージが一瞬だけ過ぎる。

 ……戦っている。

 いつもボロボロで、死ぬ寸前ぐらいの無茶をして。

 それなのに、決まってなんでもない事みたいに笑いやがる。

 本当にどうしようもない、甲冑姿の誰か。

 ……誰。

 誰だ、コイツ。

 オレは――この誰かを、知ってる?

 イメージはもう消えてしまって、掴むことさえできない。

 アディシアの方に視線を向けるが。


「……いや、すまない。

 あたしは今、何を言ったんだ?」


 やはり、彼女も分からないらしい。

 何故、そんな言葉を口にしてしまったのか。

 何故、オレは知らないはずのことを思い出しそうになったのか。

 分からない。

 分かっているのは、右手が痛むことぐらいだ。


「あー……まぁ、いいや。

 オレ、そろそろ行くから」

「あぁ、引き留めてしまって悪かった」

「良いさ、久々に話ができて楽しかったからな」

「あたしもだよ」


 笑う。

 オレたちは、笑って別れを口にする。

 多分、ここではもう会う事はない。

 だから、最後に。


「またな、アディシア。

 糞エルフには、宜しく伝えておいてくれよ」

「心得た――が、あんな父だからな。

 案外、もうどこかで聞き耳を立ててるかもしれないな」

「ホントにありそうだから、止めてくれよ」


 糞エルフだからな、マジであり得ないとは限らない。

 冗談の割合が不明なその言葉に笑って、オレは改めて前へと進む。

 気持ち、進む足は軽くなった気がする。

 ただの気のせいかもしれないが。


「……また、どっかの誰かと出くわしそうだな」


 根拠はないが、そんな予感はする。

 それが誰なのかも、オレには分からないが。

 今はただ、目的地の場所を目指して歩き続けた。

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