485話:凪の一時にお茶会を


 ふと、視界が暗く陰る。

 足を止めて、空を見上げた。

 丁度、オレの頭上をデカい影が掠めていく。

 ……竜だ。

 翼を大きく広げて、太陽を目指すみたいに高く飛んでいく。

 その姿は勇ましくて、ついつい見入ってしまう。

 竜。この世界では、当たり前に存在している生き物だ。

 強大な力と、人間を超える叡智を持つ。

 それと、不老不死だ。

 ……まぁ、それは別に竜だけに限らないか。

 右手に感じる痛みを、指先で軽くなぞる。


「……しかし、今日は良く飛んでんな」


 一頭、二頭、また飛んできて三頭目。

 竜は別に珍しい生き物じゃない。

 が、それを差し引いても、今日の空は良く竜を見かける。

 その様子を、立ち止まって眺めていると――。


「――だーれだ?」

「…………」


 何故か、視界を綺麗に塞がれてしまった。

 細くしなやかな指が、オレの両目をそっと包み隠しているようだ。

 声は――当然、聞き覚えがある。

 ただ、こんな悪戯を仕掛けてくる奴だとは知らなかった。

 意外といえば意外だった。


「おや、もしかして分からないかな?

 それはちょっと傷付く――」

「背中に胸がまったく当たってねぇし、ヘカーティアか?」

「大正解だよ、お友達。

 ところで、口は災いの元って言葉を知ってるかな?」

「オッケー、今のは全面的にオレが悪かった。

 だから頸動脈辺りを指で抑えるのはやめてくれ」


 まぁ、血管なんか抑えなくても、コイツのパワーなら首ごと捩じ切れるか。

 考えただけで恐ろしい話だ。

 両手を上げて降参すると、「よろしい」と背後で頷く気配がした。

 首から指が離れると、ほっと息を吐き出す。


「……で、今のはどういう悪ふざけだよ」

「単なるスキンシップって奴じゃないか、イーリス。

 たまには悪くないだろう?」

「たまにでも首を締められンのは、できれば御免被りたいね」


 冗談半分に応えると、ヘカーティアはクスクスと笑った。

 改めて、後ろを振り向く。

 立っているのは、見慣れた姿の綺麗な少女だった。

 少年っぽさが目立つ中性的な容姿。

 黒を基調とした露出の少ない服装も、多分男性物だな。

 こういう着こなしは見事なもんで、同性なのについ目を奪われそうになる。

 オレの視線に気づいたか、ヘカーティアはニコリと微笑んで。


「どうかな? 少し気合いを入れてみたのだけど」

「あぁ、似合ってるよ。

 ……でもそういう台詞は、彼氏に向かって言うべきじゃねぇか?」

「勿論、アカツキには既に聞いた後だとも。

 彼は白い服が多いから、敢えて逆の黒で統一してみたんだよ」

「もしかして惚気話を聞かされる流れか、コレ?」

「おイヤだったかな?」

「……別に、イヤではねぇな」


 あぁ、嫌じゃない。

 アカツキ。

 オレも良く知ってる、ヘカーティアの恋人だ。

 どうやら、今この場にはいないっぽいけど。


「アカツキとは、ちょっと別行動だよ。

 たまたま君を見かけたから、挨拶しようと思ってね」

「ん? 良いのかよ、彼氏をほったらかしにして」

「大丈夫だよ、彼は僕のことならいつでも待ってくれてる。

 今は君と話をしたい気分だったんだよ、イーリス」

「そういうもんか」


 それならそれで、オレは別に構わねェけどな。

 頷くと、軽く手を引っ張られた。

 ヘカーティアがこっちの左手を軽く掴んで、ぐいぐいとやってくる。


「何だよ。いや、つーか力強ェんだから加減しろって」

「どうせ急いではいないんだろう?

 だったら少しだけ、僕とお茶をしないかい?」

「彼氏持ちがナンパすんのはどーなんだよ」

「友人をお茶に誘うぐらいで、僕のアカツキは文句を言ったりしないよ」

「仲睦まじいようで何よりだ」


 ホント、アカツキの話をする時は分かりやすく明るくなるな。

 ……うん、良いことだ。

 こういう無邪気な子供みたく振る舞うのが、本来のヘカーティアなんだろう。

 その様子は魅力的だし、思わず笑ってしまうぐらいに微笑ましい。

 なんて考えてる内に、近くのカフェに連れ込まれてしまった。

 オープンテラスの席に、向かい合わせで座る。

 ヘカーティアは終始上機嫌な様子で、手元のメニューを開いた。


「君はどうする?」

「あー……別に何でも良い」

「そんなことを言うと、とても一人じゃ食べきれないようなパフェを注文するぞ。

 勿論、カップルで食べるようなエグいタイプの奴だ」

「コーヒーで」

「じゃあ、僕は紅茶にしようか」


 ……どうにも、調子が狂うな。

 顔の良く見えない店員に注文すると、二つのカップが間を置かずに運ばれてきた。

 熱い湯気を立ち上らせた、黒い液体。

 香りはなかなか悪くない。

 火傷しないよう、慎重に唇を触れさせた。

 当然だが、舌がちょっと焼けそうなぐらいに熱かった。


「おや、砂糖は入れない派かな?」

「気分次第だな。甘いのも、別に嫌いじゃねぇし」

「それならパフェを頼んでも良かったかもしれないね」

「彼氏といる時に注文しろよ、それは」


 別に、それ自体はどうとも思わないけどな。

 誰かに見られて変な突き方をされるのは、できれば避けたいところだ。

 オレの言葉を聞いて、ヘカーティアは楽しそうに笑う。

 紅茶には幾つか砂糖を入れて、それから冷ますために軽く息を吹きかけた。


「……まさか」

「うん?」

「君と、お茶をする機会に恵まれるとはね。

 こんな状況だけど、僕個人としては喜ばしい限りだよ」

「……何の話だ?」

「今の君は分からないだろうね。

 けど、それはそれで別に構わないんだ。

 悪くない気分だからね」


 …………。

 良く、分からない。

 ヘカーティアが何を言いたいのか。

 分からないが、彼女は「それで構わない」と言う。

 なら、多分、良いんだろう。

 右手に触れる回数は、明らかに多くなっていた。


「――ま、面倒な話は置いておこうか。

 貴重な機会なんだから、できればあまり無駄にしたくはない」

「できれば、もうちょい分かる言葉で喋ってくれよ」

「ハハハ、悪かった。謝るよ。

 だったら楽しい話をしようか。

 急ぎでなくとも、君にはこれから大事なことが待ってる。

 その前に、ちょっと息抜きするぐらいは良いはずだ」

「楽しい話ねぇ」


 一体、ヘカーティアはどんな話をするつもりだろう。

 まぁ十中八九、彼氏の惚気だな。

 楽しいかどうかは別にして、それぐらいは聞いてやっても……。


「うん、僕もずっと気になっててね。

 ズバリ聞くけど、君には好きな異性はいないのかな?

 あ、異性に限定するのは前時代的過ぎてよろしくないのかな?」

「オイ、いきなり何を聞きやがる」

「女二人が一番盛り上がる話題を提供しただけだとも」


 女が全員、そんな脳内ピンク色みたいに言うのは止めろよ。

 色恋だのなんだの、考える余裕もねェし。


「いないのかな? いやそんな馬鹿な。

 イーリス、君だって年頃の娘なんだから。

 ちょっとぐらいは『良い』と思った相手はいるだろう?」

「いねェって」

「鎧兜の彼氏とかどう思う?」

「せめてまともな服を着る男が良いな、オレは」


 まして、性欲をあんまり隠す気がない野郎はどうかと思う。

 ……つーか、誰のことを言ってんだ?


「そうかぁ。いや、まぁそうか。

 そもそも、相手が恋人持ちなのは大変宜しくないな」

「浮気だの関わるのも面倒臭ェわな」

「相手が一夫多妻上等で、合意が取れてても?」

「関わるのも面倒臭ェ」


 それは間違いなく本音だった。

 惚れた腫れただの、実際あまり興味がない。

 いや、まったく無いってワケでもないんだけどな。


「しかし……いや、うーん」

「今度はなんだよ」

「……放っておけないような。

 手を引っ張るなり、面倒を見てないと何をするか分からない。

 そういう、手間がかかって危ないタイプはどうかな?」

「ンな面倒臭い奴、それこそ顔面ブン殴るんじゃねェかな。オレ」


 ヘカーティアの言葉に、ちょっと想像を巡らせてみる。

 ……駄目な男だ。

 真面目で、大抵のことは出来るけど、そのせいで一人で抱え込みたがる。

 秘密主義かつ傲慢、なのにメンタルは大して強くない。

 良かれと思ってやった事は、大体裏目に出る。

 何でか、妙に具体的なイメージが頭の中で構築されたが。


「……うん、殴るわ。絶対殴る」

「殴るだけかい?」

「殴って、あと蹴る」

「君の愛情表現はかなりバイオレンスだよね」

「愛情表現とか言うなバカ。

 ……で、そうだな。

 一通りブン殴って大人しくなったら、多少ぐらいは面倒見るかもな」


 けど、それは色恋がどうのって話じゃない気がする。

 やっぱりオレは、こういう話は向いてないわ。


「……ホント、君は優しいな。イーリス」


 そう言って、ヘカーティアは穏やかに微笑む。

 先程までとは、少し趣の違う表情。

 子供っぽさは消えて、その目はとても穏やかにオレを見ていた。


「何だよ、急に」

「いや、さんざん殴る蹴るをされた駄目な奴の意見さ。

 そんな相手を見捨てず、気に入らなければ正面からぶつかっていく。

 強くて優しい君のことが、僕は好きだよ。イーリス」

「…………」


 だから、急にそんなこと言うのは止めろって。

 あまりにストレート過ぎる言葉に、顔が一気に熱くなってしまう。

 ヘカーティアは笑みを深めて、小さく喉を鳴らした。

 くそ、絶対に可愛いとか思ってんな。


「僕はね、幸せだよ。

 この世界にはアカツキがいて、君もいる」

「……そうかい」

「ここに留まり続けるのも、悪くないだろう。

 だけどそれは、あくまで僕の話だ」

「…………」


 自然と、右手に触れる。

 銀色の腕輪は、今も痛みを発していた。


「君は、君の思う通りにすれば良い。

 それを咎める者も、間違いなくいるだろうけど」

「……何の話をしてるんだよ、ヘカーティア」

「僕は君を信じてるよ、イーリス。

 これは愛と、信頼の話だ。

 他のどんなことよりも、君は君が正しいと思うことをして欲しい。

 それだけが僕の願うことだ、友よ」

「…………」


 言葉の一つ一つが、胸に刺さる。

 意味が分からない。いや、分かっている。

 本当は、分かっているはずだ。

 ただそれについて考えようとすると、頭の奥が痛む。

 その痛みを消そうとするみたいに、右手の腕輪もまた痛むんだ。

 二つの痛みを感じながら、またコーヒーを啜る。

 熱くて、苦い。

 決して美味いワケじゃない……けど。


「悪くない味だね」

「……そうだな」


 紅茶を呑むヘカーティアに、オレは少しだけ笑った。

 きっとこれは、本来ならあり得ないはずの機会。

 ただの友人同士として、お茶を楽しむ。

 あぁ、それ自体は悪くない気分だ。


「僕のワガママに付き合ってくれてありがとう、イーリス。

 もう、行ってくれても構わないよ」

「……別に、急ぎじゃあないからな」


 そう、急ぎじゃない。

 この先には、絶対に向かわなければならないが。


「これ一杯呑むぐらいは、良いだろ?」

「……あぁ、勿論。

 そう言って貰えると、僕も嬉しいよ」

「お前はいちいち大げさ過ぎるんだよ、ヘカーティア」


 笑う。

 オレも、ヘカーティアも。

 心から笑い合って、お互いに頼んだモノを口にする。

 熱くて、苦い。

 決して美味いわけじゃない。

 けど友人と呑む初めてのお茶は、悪いものではなかった。

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