372話:彼の者の死


「オラァッ!!」

「……!!」


 渾身の力を込めた一刀。

 それを何度も重ねる。

 そうしなければ《秘神》の纏う黒金の装甲は破れない。

 不完全とはいえ、それは《鬼神》の鎧と性質としては同じものだ。

 竜の鱗よりも尚硬い黒水晶。

 その継ぎ目か、比較的に薄い部分。

 そういった部分を俺が狙って切り裂き、その傷口を《巨人殺し》が更に抉る。

 決して深くはない傷を、《巨人殺し》は凄まじい力で無理やり広げる。

 爆ぜる炎で露出した肉も焼けば、再生速度は大分遅くなった。

 《秘神》の巨体から見たなら、それは大した負傷ではないだろう。

 だから俺たちは、その小さな傷をひたすら積み上げ続ける。


「ねぇ、大丈夫!?」

「あぁ、おかげさまでな!」


 アウローラは俺にくっついたまま、魔法による強化と防御に専念してくれていた。

 その助けがなかったら、力場が吹き荒れる中を戦うのは難しい。

 とりあえず、削る作業は順調に進んでるが。


『……さっきから、足元でチマチマ……!!』


 唸るような声。

 憤怒のあまりアストレアにだけ意識を向けていた《秘神》。

 それがとうとうこっちの動きに気付いたようだ。

 赤くギラつく眼が足元で跳ね回っている俺や《巨人殺し》を見た。


『鬱陶しいぞ、虫ケラが!!』


 咆哮。

 頭上から降ってくる拳は微妙に歪んで見える。

 圧縮した力場を纏っているせいか。


「上」

「分かってる!」


 短い《巨人殺し》の言葉。

 その意図を察して、俺は即座に実行に移した。

 片腕でしっかりとアウローラを抱え、強化された脚力での跳躍。

 《巨人殺し》も負けない力強さで高く跳び、そのまま二人同時に着地した。

 怒り狂う《秘神》の身体の上に。


『貴様ら……!!』

「図体がデカいと、集る虫を追っ払うのも大変そうだな!」


 軽く挑発しつつ、俺も《巨人殺し》もそのまま走り出した。

 足場は死ぬほど不安定だが、まぁとりあえず何とかなるだろう。

 走るついでに、装甲の薄い部分を見つけては剣で引っ掻くのも忘れない。

 深くは抉れないが、一つでも多く削っておかねば。


『この程度の傷では、直ぐに塞がってしまうのではないか?』

「だろうな」


 《秘神》の上を飛び回り、ガリガリと装甲を削る。

 一見すると意味のなさそうな行為に、ボレアスが疑問を口にした。

 さっきまでは《巨人殺し》が傷を広げていた。

 今だと本当に表面を引っ掻いているだけの状態だ。

 声には出さないが、恐らく《秘神》も「無駄だ」とか笑ってる頃だろう。


「これだけなら、あんまり意味はないんだろうけどな」


 だからこっちも笑っていた。

 この場で戦っているのは俺一人じゃないんだ。


『ッ――――!?』


 衝撃と、声にならない絶叫。

 やったのはアストレアだ。

 彼女の操る《神罰の剣》が、《秘神》の身体に幾つも突き刺さっていた。

 これまでは装甲の薄い箇所に先端が刺さる程度だったが。

 今回の攻撃は、多くの「剣」が半ば以上まで黒金の装甲を貫いている。


「今の……!」

「あぁ。流石、一発でやってくれたな!」


 驚くアウローラに、俺は笑って応えた。

 アストレアが狙ったのは、ついさっき俺が引っ掻いた装甲の傷だ。

 既に薄い部分に刻まれていた亀裂。

 その全てを正確に貫いたのは、ホントに流石としか言いようがない。

 面白くなさそうに鼻を鳴らしながらも、アストレアの方も笑っていた。


「どうした、《秘神》。

 虫の始末すら満足にできんのか?」

『黙れと言ったはずだぞ、アストレア!!』

「名前を呼ぶな、虫酸が走る!!」


 《秘神》が振り回す力場と、アストレアの操る《神罰の剣》。

 それらが正面から激突し、その衝撃で大気が大きく揺さぶられる。

 メチャクチャ頑張ってくれてるが、あっちも大分キツそうだ。

 再び意識をアストレアに向けてる間に、俺は装甲を削っていく。

 アストレアの「剣」が貫いた場所。

 その隙間へとこっちの剣を突っ込み、より深く肉を抉り取る。


「《火球ファイアーボール》!」


 こじ開けた傷の内に、ついでに火の球も放り込んだ。

 爆発。

 ひび割れた装甲が内側から剥がれ、肉の一部が黒く焼け落ちる。

 こっちはこっちで、熱と衝撃に甲冑の表面が軽く焦げた。

 今のは流石に痛かったか、《秘神》の眼がギロリとこちらを見た。


『死ねッ!!』

「やってみろよ!」


 四方から押し寄せる不可視の力場。

 相手の身体の上では逃げ場もなかった。

 剣を握り、アウローラを抱えて歯を食い縛る。

 彼女の方も俺の首辺りに腕を回し、その唇から歌うような声をこぼした。


「ッ……!!」


 文字通り、全身を満遍なく叩き潰された。

 意識が飛びかけるのを、どうにか気合いで耐え切る。

 アウローラが魔法で防御してくれなければ、今ので死んでいたかもしれない。


『生きてるか、竜殺し!』

「元気いっぱいだぞ……!」

『ハハハハハハハハ!!

 人間はやはり脆いなァ!!』


 嘲笑う《秘神》。

 今ので殺すぐらいの力加減だったのだろう。

 もう仕留めたとばかりに黒金の巨神は勝ち誇っていた。

 しかしまぁ、怒ったり笑ったりとコイツも大概情緒が不安定だな。


『人間如きが、神たる私と戦うから死ぬ羽目になる!

 さぁ、己の愚かさを悔いながら――』

「ガァ――――!!」


 また戯言をツラツラと垂れ流そうとした《秘神》。

 しかしそれは、アウローラの放つ極光の《吐息》によって中断させられた。

 顔面を叩く熱線は、本来なら鋼を蒸発させる威力だ。

 だが相手は神。

 纏う《光輪》の力で、あっさりと霧散させられてしまった。

 全くダメージはないが、《秘神》は驚いた様子で。


『お前は……』

「ええ、ご機嫌よう。

 ちゃんと挨拶はしてなかったわよね?」


 力場のダメージで膝を付いた俺を抱えるようにしながら。

 アウローラは《秘神》を見上げて笑ってみせた。


「余所見をしてる暇があるのかよ、《秘神》!!」

『……うるさいな、本当に。

 お前とてもう限界だろう、大人しくすると良い。

 今は大事な用が出来てしまったんだ』


 怒りと共に降り注ぐ「剣」の流星群。

 それらを《秘神》は力場の護りで弾き落とした。

 確かに、アストレアの消耗も大分深刻だ。

 むしろ此処まで良く戦った方だろう。

 そっちの脅威が薄れたと認識した途端、《秘神》は余裕の気配を見せ始めた。

 動かない俺に追撃もせず、アウローラの方を見下ろして。


『あぁ、そうか。お前がそうだったな。

 私の「後」に、あの父なる《造物主》に創生された者。

 序列で言えば私の下になるワケだね?』

「ナチュラルに自分が格上だと言い出すの、本当にどうかと思うけど」


 多分、冗談とか皮肉でなく。

 マジでそういう認識だから言ったんだろうな、今の。

 逆にアウローラの言葉を冗談とでも受け取ったか、《秘神》は愉快げに笑う。


『なに、単なる事実だ!

 それはこの状況から見ても明らかだろう?

 お前たちが幾ら足掻こうとも、完全なる神である私は倒れない。

 逆にお前たちはただ消耗し、傷つくばかりだ。

 まさに天と地の差だ!

 見下ろす私と這いずる虫ケラ、どっちが優れているかなど論ずるまでもない!』

「あら、そう。まぁ正直どうでも良いのだけど」


 心底興味なさげに応じながら、アウローラは一瞬だけ視線をこっちに向ける。

 ダメージの方は問題ない。

 《秘神》が喋ってる隙に、懐の賦活剤も呑んでおいた。

 ただ、今は下手には動けない。

 こんな状況で長話を始めるアホでも、流石に視界に入ってる状態で見逃すまい。

 息を潜め、負傷で行動不能を装う。

 我ながらなかなかの猿芝居だが、《秘神》には通じているようだ。


「……それで? 私に何か御用でも?」

『あぁ。そうだ、私の後に造られたお前に聞いておきたい事があってね。

 以前の来訪者からは聞き出す機会がなかったんだ』

「聞いておきたい事?」


 意味が分からないと、アウローラは素で訝しんだ。


『……一体、アレは何の話をしているのだ?』

「いや、俺もちょっと分からん」


 アウローラと似た反応のボレアスに、俺は小声で応える。

 うん、流石にちょっと想像が付かない。

 関係で言うなら、アウローラと《秘神》は兄妹のようなものだろう。

 どっちも《造物主》に創造された存在だ。

 それは俺も理解してるが、だからって聞くような事が何かあるのか?

 分かっていない俺たちを見て、《秘神》は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


『まぁ、別に大した事ではないんだがね。

 お前たちは彼の地から訪れた稀人だ。

 神である私であっても、鎖された海の彼方についてはどうしても疎い。

 《造物主》が遮った境界も、確かに私なら越える事も出来なくはないのだが……』

「前置きは良いから、さっさと本題を言ったらどうなの?」

『……あぁ、そうだな。確かにその通りだ。

 では問おう。私は今、君らの生殺与奪を握る神だと認識した上で。

 嘘偽りなく、正しく答えるんだ』


 何か。

 どこか躊躇するような空気を一瞬だけ漂わせてから。

 《秘神》は改めて、自らの疑問をアウローラに向けて口にした。


?』

「………………は?」


 それは、こちらの誰も予想していない問いかけだった。

 我らの父。

 《秘神》が言っているのは、間違いなく《造物主》のことだ。

 その存在が、俺たちの大陸でどういう末路を辿ったのか。

 認識としては殆どお伽噺だが、それは俺も話として聞いていた。

 問われた本人であるアウローラも、流石に呆気に取られてしまっていた。

 その反応を見ていないのか、《秘神》は更に言葉を続ける。


『この私を、完璧で完全であるはずの私を捨て置いて。

 あの愚かなる父は海の彼方に去った。

 怒れる《焔》が境界を渡った後も、彼の地に大きな変化はなかった。

 ……近頃になって、あの遮断を越えて現れた者もいたがね。

 ソイツは不遜にも私の疑問に答える事はしなかった。

 あぁ、今思い出しても腹立たしいが、それについてはもうどうでも良い。

 お前は私と同じだろう?

 あの愚かな《造物主》が、あの不完全である事を憎んだ悪神が!

 完璧であれ、完全であれと願って創造した生物種なのだろう?

 我らを、私を捨てた後になっても、アレは自らの理想を叶えようとしたワケだ!

 既に私がいるというのに! 己の望みそのものと言うべき私がいたのだ!

 だというのに、未だに同じ事を繰り返しているのだろう!

 あの《造物主》を称する愚かな神は!』

「…………」


 怒っているのか。

 泣いているのか、それとも笑っているのか。

 俺にはもう良く分からないが。

 《秘神》はもう、自分一人で喚いているような状態だった。

 アウローラは黙ってそれを聞いている。

 その眼差しには、微かな憐憫が混ざっているように思えた。

 ……一通り、独り言を騒ぎ立ててから。

 《秘神》は大きく息を吐き、改めてアウローラを見下ろす。

 溜まっていた感情を吐き出しきって、少しは落ち着いたのか。


『……失礼、少しばかり取り乱してしまったな。

 まぁ、そんな事はどうでも良い。

 早く、あの悪神の、我らの父たる《造物主》が何処にいるのか』

『………………なに?』

「だから、死んだわ。

 《造物主》は死んだ、自殺したの。

 自分が求める完全性なんてモノが存在しない事を悟ってね」


 容赦なく突きつけられた真実を前に。

 今度は《秘神》が呆ける番だ。


『……死んだ?

 《造物主》が……あの、完璧で、完全なる存在が――死んだ?』


 本当に心底、アウローラの語る言葉の意味が分からなかったようで。

 ほんの僅かな時間だが、完全に《秘神》の意識は空白に埋め尽くされていた。

 信じがたい、あり得ない。

 言葉にせずとも、そんな単語が頭の中を飛び回っているのが見て取れた。

 その瞬間、俺の方は動き出していた。


「アウローラ!」


 彼女を腕に抱え、その名を呼びながら駆ける。

 応える歌声には強い魔力が込められていた。

 かけ直して貰った強化魔法で、俺は限界以上の力を足に込める。

 引き絞られた矢よりも速く、呆けた《秘神》の顔目掛けて一直線に。


『ッ、貴様ら……!!』


 届く寸前に、《秘神》が再起動した。

 慌てて、突っ込んでくる俺たちを叩き潰そうと腕を動かす。

 タイミングとしてはギリギリ――だが。


「素人め」


 ここまで息を潜めていた、《巨人殺し》も動いていた。

 振り上げようとした腕。

 そこに刻まれた傷に大剣を捩じ込み、腕力でその動作を縫い止めた。

 腕どころか全身の骨が砕け、それを即座に再生させてまた砕く。

 その繰り返しによって発揮される力は、《秘神》のパワーを瞬間的に上回る。

 ダメ押しとばかりに、アストレアの「剣」も黒金の装甲に突き刺さった。


「馬鹿が」


 それ以上は必要ないとばかりに、裁きの神は一言だけ吐き捨てる。

 阻むモノはもう何もなかった。


『ぎッ……!?』


 何かを叫ぼうとした《秘神》。

 それが意味のない戯言なのか、それとも咆哮だったか。

 どちらであったかは分からないが。

 見開かれた《秘神》の眼に突き立った剣。

 刃がもたらす痛みが、その叫びを断ち切っていた。


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