第六章:いま一度、竜を屠る

25話:星を想い、手を伸ばす


 最初に見たものは、何もない世界だった。

 いいえ、正確に言えば其処には「何もかも」があった。

 「私」と、私以外の兄弟姉妹達。

 それから私達を創造した、大いなる《造物主》。

 あとは、永遠に等しい時間。

 それが全てで、それだけで過不足ない完全な世界だった。

 古竜は神であった父同様、永遠にして不滅。

 最初から完成されていたからこそ、足す必要もなければ引く必然もない。

 私達には、「生きる」という行為すら不要で。

 だから、ただ其処に在り続けた。

 ……父が自ら死したのは、どれほど過去の事か。

 私はそれを見て、兄弟達の中でも初めて「自らの意思」で動き出した。

 父が、大いなる《造物主》が何を思って死んだのか。

 私はそれを理解したかった。

 だから――私は、死んだ父の血肉を喰らった。

 得られたのは、私がこれまで知らなかった無数の知識。

 別世界の全能者だった父が、新たな「神」としてこの世界を侵略した事実。

 そして、「死のない完全な生命による理想郷」を夢見ていた事。

 ……嗚呼、なんという事はない。

 私達は、愚かな父のの為に創られたのだ。

 しかしただ「在る」だけで満足してしまった私達に、父は絶望して死を選んだ。

 所詮、自分は真の意味での「全能の神」ではなかった――と。

 悟りにも似た理解を得て、父は自分で自分を破壊した。

 余りにも愚かすぎて笑ってしまったけれど、そんな事はもうどうでも良かった。

 父の屍を喰らった事で得た知識。

 こんな完璧で矮小な世界の外に、広大な未知の世界が広がっている。

 その事実が、私の魂を震わせていた。

 見上げれば、夜空に浮かぶのは遥か彼方の星々。

 その一つ一つが、私の知らない場所なのだ。

 ――見たい。

 この目で、未知なる世界を確かめたい。

 その先に手を伸ばし、この指で触れてみたい。

 初めて芽生えたその野望ユメの為に、私は行動を開始した。

 私が動き出した事に連鎖し、活動を始めた他の竜王達の優位に立つ為に力の研鑽を怠らず。

 父より得た「魔導」の知識を活用する為、他の世界から漂着した魔法使いたちを利用し。

 海の果てからこの大陸に入植して来た、か弱い人間どもを飼い慣らした。

 全て、全て、あの未知なる虚空ソラへと旅立つ為に。

 ……だから私がその剣を鍛えたのは、あくまでその計画の為。

 とある魔法使いを甘言で操って、創り出したのは竜殺しの一振り。

 殺した者の魂を呑み、それを力に変える魂喰いの魔剣ソウルイーター

 これで私以外の古竜と、その他の雑多な無数の生命。

 その全てを殺戮し、魔剣の糧とする。

 最後は私がその剣を呑めば、私の野望は完成する――その予定だった。

 剣の形にしたのは、これをか弱い人間の使わせる為。

 私は《最強最古》、全竜の長子にして頂点。

 誰であれ負ける気はなかったけど、他の竜王が結託する可能性は十分にあり得た。

 だから人間に――弱く短命な人の手に剣を与えることにした。

 彼らは竜に挑み、その過程で多くを殺すだろう。

 直ぐに死ぬだろうけど、「魔法の剣」はまた新たな所有者の手に渡る。

 繰り返し、繰り返し、剣は魂を喰ってだんだん強くなる。

 いつかは人間の手で、竜を殺せるぐらいに。

 その当時、都合よく《北の王》を名乗る兄弟バカが人間に対して強く干渉していた。

 あぁまったく丁度いい。

 私は関わっている事を悟られぬよう、先ずそれらしい人間の姿に化ける事にした。

 そうしてから、特に深くは考えずに。

 たまたま北に向かっていた人間を一人、剣の最初の担い手に選んだ。

 この男は、直ぐに死ぬだろう。

 そう考えながらも、私は傍で観察する事にした。

 魔剣は魂喰らいとして、正しく機能するのか。

 人間程度が、どのぐらい死なずに剣を扱う事が出来るか。

 目的はそれだけだった。

 ――それだけの、はずだった。

 

「貴方は死ぬ。多分、もう間もなく」

 

 予定通り――そして予想外に、剣によって討たれた《北の王》。

 その屍の傍らで、「彼」もまた死にかけていた。

 いえ、魂が燃え尽きて灰になりつつあるのだから、実際もう死んだようなもの。

 今はたまたま、灰の中にほんの少しだけ残った火が揺れているだけ。

 直ぐに消える。消えてしまえば、後には死体だけが残る。

 

「そうだな」

 

 けれど彼は、焦る事も嘆く事もしなかった。

 いっそ穏やかとも言えるその姿は、確かに燃え尽きる前の灰に似ていて。

 

「死ぬのは、恐ろしくないの?」

「恐いさ。当たり前だろ」

 

 それは、何時だったかと同じ問答。

 人間は簡単に死ぬ。簡単に消える。だから死を恐れる。

 なのに彼は、確実に死ぬと分かっていながら、竜との戦いに挑んだ。

 長い年月で多くの人間を見て来たけど、偶にこういう人種はいる。

 本当に、私には不思議で堪らなかった。

 

「恐いが、だからビビって逃げても仕方ないだろ?

 元々拾った命だしな。せめて、その義理ぐらいは果たさないと」

「……そんなもの?」

「命を懸ける理由なんて、そんなもんでいいんだよ。

 ……それに」

「それに?」

 

 此処で少しだけ、彼は口籠った。

 いつも遠慮なく物を言うのに、珍しい。

 死んだかと思ったけれど、まだ少しだけ息は残っている。

 

「……いや、何でもない」

「そう? そんな事より、貴方もうすぐ死ぬけど。

 最後に何かないの? 今なら多少の願いは聞いてあげるけど」

「あー……そうだな」

 

 その言葉は、ほんの気紛れから出たもので。

 竜殺しの剣の実戦テストが、予定外に上手く行った事に私は気を良くしていた。

 言われた彼は、ほんの少しだけ考えて。

 

「……顔、良く見せてくれるか?」

「……そんなこと?」

 

 彼の目が、もう殆ど見えていない事は分かっていた。

 だから望みを叶える為に、直ぐ目の前にしゃがみこんで。

 それから万一でも私の正体がバレないよう、付けていた魔法の仮面も外した。

 

「はい、これで見える?」

「あぁ、悪いな」

 

 すると、何かが私の頭に触れていた。

 彼の手だった。

 無遠慮に、けれど殆ど力の入っていない手で私の頭を撫でる。

 

「……ちょっと、何をしてるのかしら?」

「スキンシップだよ。最後ぐらいは良いだろ?」

「……仕方ないわね」

 

 人間如きが、一体誰に触れているのか。

 思い知らせてやっても良いが、どうせこの男はもう死ぬのだ。

 それに願いを聞いてやると言ったのは、私の方だ。

 他人を騙す事に躊躇はないが、前言を翻すのは沽券に関わる。

 だから。

 

「……前に聞いた、お前の望み。叶うといいな。

 心から、そう願ってる」

「――ありがとう。貴方のおかげで、上手く行きそうよ」

 

 最初の竜殺しは果たされ、剣の性能は完全に証明された。

 私はとても気分が良かった。

 

「あぁ、そうだわ。最後に、貴方の名前も教えてくれない?

 折角だから――」

 

 未だ銘を持たないこの剣に、貴方の名前を付けて上げる、と。

 言い終える前に、彼がもう事切れている事に気付いた。

 魂は完全に燃え尽きて、其処に在るのは真っ白い灰だけだった。

 

「……死んだのね」

 

 我知らず、そう呟く。

 彼は死んだ。竜と戦い、魂が燃え尽きて。

 思い返せば変な男だった。

 彼と行動を共にしたのは、精々が一年足らず。

 私がこれまで生きて来た年月を考えれば、本当に一瞬の時間。

 最初は剣を振るのも下手で、弱い“獣”相手にも何度も死にかけていた。

 少し上手くなったと思ったら、もっと強い“獣”に吹き飛ばされて。

 私も人間のフリをしていたから、何度か巻き込まれて酷い目に遭った。

 夜は狩った獣の肉を彼が適当に焼いて、火を囲んで一緒に食べて。

 いつも一人で見上げていた星を、その時だけは彼と二人で見ていた。

 それからまた、朝日と共に北を目指して。

 それから。

 それから。

 

「…………あ」

 

 気付いたように、彼の手に触れた。

 熱の失せたその身体は、もう冷たくなりつつある。

 数千年を超える時を生き、多くの知識と魔導の秘密を蓄えた私は。

 この時初めて、死が「喪失」である事を知った。

 永遠不滅の古竜とは違い、人間は簡単に死んで、失われる。

 

「……ねぇ、ちょっと」

 

 未知なる景色を見たい。

 こんな狭く完璧な世界ではなく、まだ知らない世界に触れたい。

 私はそう願い、此処まで全てを利用してきた。

 

「まだ、まだ聞いてないじゃない。貴方の名前」

 

 あの遠く輝く、手の届かぬ星をこの手に掴みたいと。

 そう思って、それだけを望んで此処まで来た。けれど。

 

「ねぇ、起きて。私、まだ、貴方の名前も」

 

 彼と此処まで過ごした時間は、私の知ってる狭い世界の外側で。

 経験した事の全てが、これまで私が知らなかった事で。

 竜にも挑み打ち勝ったその魂の光は、私の手にあった星の輝きだと気付いて。

 失われた事で、何もかもが手遅れになった。

 この手に届かぬモノになった事でようやく、私は気付いたんだ。

 

「――――」

 

 慟哭は、声にならなかった。

 頬を伝って流れるモノが何なのかも、私は知らなかった。

 手にしたはずの星を、永遠に失ってしまった。

 私はそれを、どうしても受け入れる事は出来なかった。

 この瞬間から、私は数千年で積み重ねたこれまでの計画を捨て去った。

 僅か一年にも満たない、あの時間を取り戻す為に。

 燃え尽きた魂から死者を蘇生させる事など、私でさえ不可能に近いと知りながら。

 ――そうして、三千年の時を費やした。

 

「…………ん」

 

 意識がゆっくりと浮かび上がる感覚。

 最初は慣れなかったけど、最近はそうでもない。

 私がこんな頻繁に眠るなんて、以前では考えられない事だ。

 懐かしい夢を見たせいか、まだ少し意識がふわふわとしている。

 其処に、耳障りな音が割り込んで来た。

 

『ハハハハハ、お目覚めかな最も古き御方よ』

「……ええ。お前がいなければ、そう悪い気分ではなかったんだけど」

 

 見る。其処は兎に角悪趣味な部屋だった。

 気持ちの悪い部屋の主人を描いた無数の彫刻と絵画。

 その真ん中に、モデルになった当人がニヤニヤと笑っている。

 ソイツ――マーレボルジェとかいう小僧だったか。

 そんな愚かな無礼者は、だらしなく地べたに座って私の方を見下ろしていた。

 試しに立ち上がろうとしてみたが、ダメだった。

 両手と両足に、術式が刻まれた黒い鎖で繋がれている。

 見れば私の傍らには、似たように魔法で拘束されたイーリスの姿もあった。

 

「とりあえず、そっちも無事みたいね」

「あんま無事とは言えねぇだろ、この状態」

 

 確かに人間ではそうかもしれない。

 一先ず直ぐに危険はないだろう――そう判断して、私は視線を戻す。

 マーレボルジェはやはり余裕の構えだ。

 自分の優位性を微塵も疑っていないのだろう。

 

「丁重に招いた割りに、客への扱いがぞんざいね。

 今時の若いのは礼儀作法も教わっていないのかしら?」

『ハハハハ、いやお恥ずかしい限り。

 何せ千年はなかった極上の獲物ゆえ、此方も準備に忙しいのですよ』

 

 そう言いながら、マーレボルジェは何かを手に取る。

 見れば、傍らにうず高く積み上がった山のようなものがある。

 光を受けてキラキラと輝くそれは、色とりどりの宝石だ。

 マーレボルジェは、その山から適当な量を一掴みすると――。

 

『ンン、美味なり!!』

 

 バリバリと、口に放り込んで食べ始めた。

 意味が分からないと、イーリスは困惑した表情で見ているけど。

 私には宝石ソレが何か理解出来た。

 

「幾ら人間の魂でも、そんな大量に食べたら腹を壊さない?」

「え……魂……?」

 

 傍らから驚きの声が上がるが、今は流しておく。

 マーレボルジェは宝石――人間の魂を加工した石を喰いながら、下品な声で笑う。

 

『彼の《最強最古》を喰らおうと言うのですから。

 先ずはたらふく食べて、力をより増大させねばなりますまい?』

「……その為に魂喰いを?」

『ええ、ええ! そうですとも!

 貴方の魂さえ喰ってしまえば、この天下に私の敵となる者はいない!

 ですので――ええ、今までは大事に取っておきましたが』

 

 ニタリ、ニタリと。

 マーレボルジェの笑い方は、本当に怖気が走る。

 

 いや、これまでも我慢していたのですが、流石に上物ばかりで大変美味なり!!』

「……イーリス、大丈夫?」

 

 私にしてみれば何の事もない話だけど。

 傍にいるイーリスからすれば、胸糞悪い事この上ないでしょう。

 案の定、目の前の怪物が何をしているかを知って、瞳には怒りの炎が燃えている。

 

『あぁ、イーリス。安心するといい。君は前菜――いや、デザートかな?

 最古の姫君を美味しく頂いた後に、ゆっくりと味わうつもりだ』

「くたばれ糞野郎……!」

 

 激しい怒りと敵意。

 それすら心地良いと、マーレボルジェは愉悦に浸る。

 ……イーリスが私の後なら、このまま放っておいてもいいのだけど。

 一つ、疑問を解消しておきましょうか。

 

「ねぇ。聞いておきたい事があるのだけれど」

『? さて、何かな? 私に答えられる事なら良いが』

「お前は、自分達のことを真竜とか名乗っているそうだけど――」

 

 私の問いに、マーレボルジェは笑みを深めた気がする。

 宝石を喰う手を止めて、無駄に堂々と胸を張って声高らかに歌い始める。

 

『そう、その通り! 私は真竜!

 かつて起こった大いなる争いにて、古き王どもを廃し時代の玉座を奪いし者達!

 古竜は消え去り、我らこそが覇者! 我らこそが真の』

 

 ピタリと。

 面白いぐらいに、マーレボルジェの喚き声が止まった。

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