162話:変わる事、変わらない事
どうやら事前に聞いた通りの人物(?)であるらしい。
この状況で「寝ても良い?」とはなかなか言える事じゃない。
ボレアスは予想通りだと笑い、アウローラは眉間を抑えて嘆息した。
「ダメに決まってるでしょう。
もしまた眠るつもりなら手段を選ばず叩き起こすわよ」
『ダメかー、まぁ分かってたけど言うだけはな。
分かってるからそう怖い顔しないでくれよ』
低く唸るアウローラに対し、ヴリトラはあくまで軽い調子で応える。
一応封印されてる状態のはずだが、悲壮感や不快感はまるで感じて無いようだ。
眠るだけなら丁度良いと本気で思っているかもしれない。
と、傍に来たボレアスが俺の肩を軽く叩いた。
「まぁ、こういう奴だ」
「ホントに個性的な兄弟だよな」
「誉め言葉と思っておこうか」
そう言ってボレアスは喉を鳴らす。
寝てはダメと釘を刺されたヴリトラだが、とりあえずは従う気のようだ。
ただ少しばかり眠たそうに欠伸を漏らした。
『で、寝るなってのは良いけど。
今一体どういう状況? オレ全然把握してないんだけど』
「……一応聞くけど、何時頃から眠ってたの?」
『大体長兄殿が姿を消したぐらいからだなぁ』
「……成る程。それならさぞや現状が分からず混乱したでしょうね」
『まぁそれは別に、最悪寝直せば良いかなと……』
「いい加減にしておきなさいよこの寝坊助め」
ガンガンと適当な壁にアウローラは蹴りを入れる。
眉間に皺を寄せる彼女を、とりあえず後ろから抱き上げた。
「まぁ落ち着いて。どうどう」
「ちょ、レックスっ。急には止めてったら……!」
『……おぉ、すげェなぁ』
とりあえず宥めようと思っただけで、他意はなかったんだが。
俺がアウローラを抱っこすると、ヴリトラは戸惑うような声を漏らした。
ボレアスはまた楽しげに笑っている。
『長兄殿とそんな距離で付き合える人間がいるとか。
いや、マジでオレが寝てる間に何があったの?』
「語るには少々長い話になるぞ?」
『…………そういうアンタは《北の王》か、もしかして。
こっちも随分と可愛らしくなっちゃってるなぁ』
「人の姿になる気は余り無かったのだがな」
ヴリトラの言葉に応えつつ、ボレアスは指先で自分の髪を弄る。
何だかんだ言ってこっちも人の姿に馴染んで来た気はするな。
服を着るのはなかなか慣れてくれないが。
で、何処から説明するか。
「全部細かく説明したら、それだけで時間を食いすぎるし。
とりあえず必要最低限な事だけ話しましょうか」
『悪いなぁ長兄殿』
「……別に、それぐらいは良いわ」
『まさか長兄殿からそんな言葉が聞けるとはなぁ……』
しみじみとヴリトラは呟く。
アウローラは「五月蠅い」と短く咎めた。
そっからは可能な限りコンパクトにした説明のお時間だ。
三千年前にアウローラが姿を消した理由。
今の大陸は千年ぐらい前に古竜達を一掃した真竜が支配している事。
ヴリトラ自身もその真竜によって捕らえられている事。
そしてそれを行ったのは、ゲマトリアという古竜であろうという事。
そこまでざっと語ってからアウローラは一度言葉を切った。
「さて、一通り話したけど理解はできた?」
『あー……』
「? 何か分かりにくい事があった?」
『いや、大体は分かった。
長兄殿がいなくなった理由も、大陸がどういう状態なのかも』
「そう、それなら……」
『で、そっちのレックスは長兄殿の彼氏って認識で良いの?』
「ぶっ」
うん、そういう感じになるよな。
ちなみに説明している間も抱っこしっぱなしだった。
特に文句も無かったし、まぁ良いかと頭も撫でていたわけだ。
ヴリトラの何気ない質問にアウローラは思わず吹き出す。
変わらず楽しそうなボレアスは横でうんうんと頷いている。
「概ねその認識で間違っていないぞ?
まぁ長子殿は未だにまごついているようだがなぁ」
『マジかー。まー長兄殿は慎重過ぎるところは確かにあったけどよ。
つーかそっちも……えー、ボレアスで良いんだっけ? 今は』
「あぁ、それで構わんぞ」
『わざわざ名前まで付けて貰ったらしいけど、そっちはどうなん?』
「不本意ながら我はこの男と一蓮托生というだけの話よ」
あんまり不本意そうではない様子でボレアスは笑った。
アウローラは俺の腕に抱かれながら、赤くなって小さく唸り声を上げた。
「とりあえず、レックスは私のものですから!
それは良いのよ別に今は! ヴリトラも余計な事は言わない!」
『長兄殿マジで変わったなぁ。いやぁビックリビックリ』
「――ヴリトラ」
『ハイ』
からかうような口調だったが、アウローラの一言で直ぐに切り替わった。
この辺も慣れた雰囲気があるな。
アウローラはこめかみを指で押さえて大きく息を吐く。
「繰り返すけど、状況は分かったわね?」
『おぉ、大体は』
「それなら私が言いたい事も分かるわよね?」
『寝ても良い?』
「温厚な私もそろそろ怒るわよ」
非常に低くドスの利いた声だった。
アウローラが温厚かどうかはこの場でも意見が分かれそうだ。
俺はノーコメントで一つ。
『冗談だってば、そんなに怒るなよ。
……で、アレか。要するに協力しろって事だろ?』
「分かってるなら余計な事は言わないで欲しいわね」
『惰眠を貪ってたいってのは間違いなくオレの唯一つの望みだからなぁ。
…………んで協力、協力か。
長兄殿の頼みなら聞かないワケには行かないけどな、普段なら』
「何やら問題がありそうな口ぶりだな?」
『一応今のオレは封印されてるんだ、分かってるだろ?』
ボレアスの言葉に対し、ヴリトラはため息を吐いたようだ。
無気力さを漂わせる声は更に続ける。
『術式の気配からして、オレはてっきり長兄殿にやられたかと思ってたよ』
「……その封印術式は古くに私が関わっていたモノだから。
多分、そのせいでしょうね」
『成る程、だからまったく身動きが取れないワケか。
流石に長兄殿の術式は完璧だな』
「必要なら、私が拘束を解いてあげるから」
そうアウローラは言うが、何故か答えは直ぐには帰ってこなかった。
ほんの少しの沈黙が暗い洞窟の中を流れる。
少しして、言葉を選ぶようにヴリトラはゆっくりと口を開いた。
『……なぁ、本当にそうする意味はあるのか? 長兄殿』
「言っている意味が分からないわね」
『分からないって事はないだろ、この世の誰よりも聡明なる《最強最古》。
オレは今の状況にそこまで不満は無いんだ』
「……本気で言ってるの?」
『こっちとしちゃあ長兄殿が本気かよって思ってるよ』
空気が変わった。
さっきまでは緩さすらあったが、今は張り詰めた糸のようだ。
とりあえず、俺は黙って様子を見守る。
ボレアスも今はまだ口を挟む気はないらしい。
アウローラだけが虚空を睨み、怠惰な竜王と相対する。
『長兄殿が消えたのが三千年前で、古竜が負けたのが千年前。
もう何もかも済んで終わった話だろう?
少なくともオレにとっては寝ている間に過ぎた出来事だ』
「だから目覚めても抵抗はせず、大人しく虜囚の身に甘んじようって?」
『別に囚われてるって感覚も無いしな。
何もせずに眠りながら空を漂う、昔と大して変わらないだろ?』
変わらないと、ヴリトラは語る。
三千年の時が経とうが、自分にとって世界は変わらないと。
『オレにとって、封印を解いて自由になるとかそれほど重要じゃないんだ。
これまでに似たような経験が無かったワケでも無いし』
「知らぬ間に封じられて利用もされて、竜王としての誇りはどうしたの?」
『オレはただ静かに眠る事が出来ればそれで満足だよ。
それこそ長兄殿は良く知ってるはずだ』
「……まったく、筋金入りよな。三千年前と何も変わらんわ」
『長兄殿たちが変わり過ぎなんだよ』
ため息の混じったその言葉。
しかしそこには怒りや不快感といった感情はなかった。
強いて感じ取れるのは、寂しさだろうか。
この竜が何を「寂しい」と感じているのかまでは俺には分からない。
『支配するのが古竜から真竜に変わったとして、だ。
大多数にとっちゃ大して差はないはずだ。
何かが変わっても、他の多くは何も変わらずに流れていくだけ』
「ヴリトラ、私はそんな話をしてるワケじゃ……」
『同じだよ、長兄殿。オレにとっちゃそういう話なんだ。
三千年前に長兄殿が消えて、他の兄弟達も千年ぐらい前に共倒れ。
……けどさっきの話からして、オレみたいに残ってる奴はいるみたいだな』
「……そうね。少なくともマレウスは元気にしてるわ」
『そうか。そりゃ良かった。皮肉でなく心からそう思うよ』
そう言ってから、ヴリトラは少し口を閉ざす。
アウローラも何も言わなかった。
弟(?)が次に語る言葉を、ただじっと待っているようだった。
沈黙はどれだけ続いたか。
『……長兄殿は変わったし、そっちの北の王様も変わった。
他の連中も変わったり変わらなかったりだろうさ。
古竜の時代から真竜とやらの時代になって、大陸は何が変わった?
オレは大して変わってないと思うね』
「……一体、お前は何が言いたいの?」
『なんだろうな。案外オレにも分かってないかもしれない。
ただ一つだけ、確かなのはな』
言葉を切り、そして息を吐く気配。
寂寥感を吐き出しながら、ヴリトラは乾いた笑い声をこぼした。
『オレは何も変わってないって事さ、長兄殿。
今も昔も、風に流されながら眠っていたい。
竜の誇りだの真竜の支配だの、オレは心底どうでもいいんだ』
「……もう一度だけ聞くわ、ヴリトラ。
お前は本気でそれを言っているの?」
『オレがこういう奴だって事、長兄殿は誰より理解してるはずだ。
知った上で必要な時だけオレを上手く利用する。
オレも逆らっても面倒だから素直に従ってた。
何せ長兄殿は《最強最古》だからな』
ヴリトラは笑っていた。
楽しいのではなく、笑うしかないから笑っているだけ。
そんな空虚さが頭の中に響く。
アウローラは語るべき言葉に迷っているようだった。
そんな長子の様子を見てか、ヴリトラはまたそっと吐息を漏らす。
『ホントに長兄殿は変わったなぁ。
昔はこんな口答えしたら即ブチギレてたろ』
「……かも、しれないわね」
『かもしれないじゃなくて実際にそうだったろ。
寝てるところを何度も派手に叩き起こされたなぁ、懐かしいや』
「それについては、別に謝らないわよ」
『あぁ、もう済んだ話だしな』
全て、もう過ぎ去ってしまった過去に過ぎないと。
そう割り切っているから、ヴリトラは平然としているのか。
部外者の俺が何を言ったところで、この古い竜には恐らく響かない。
怠惰と諦観を良しとした心に、まだ届く言葉があるとすれば……。
『ま、ぐだぐだとお喋りしちまったけど。
オレがどうしようもない奴だってのは、長兄殿も思い出してくれたろ?
だったらこんなところで時間を無駄にしても……』
「……お願いよ、ヴリトラ。協力して頂戴」
ヴリトラの言葉を遮ったのは、囁くようなアウローラの声だった。
ただ切実で、必死さだけが滲み出る懇願。
それを聞いたヴリトラは、どうやら絶句してしまったようだ。
構わずアウローラは言葉を重ねる。
「私だけで何とか出来るなら良かった。
けれど、ゲマトリアは今の私じゃ届かないぐらいの難敵だわ。
その上でアイツは私とレックスの事を狙ってる。
今の状態じゃ次の襲撃は恐らく対処できないでしょうね」
『…………それで?』
「協力して。
私達だけじゃ勝てなくても、貴方が手助けしてくれるなら状況は変わる。
……だから、お願いよ。ヴリトラ』
『…………ちょっと待ってくれ』
戸惑いを隠し切れていないヴリトラの声。
アウローラの「お願い」発言がよっぽど衝撃だったんだろうな。
俺は様子を見ながら、アウローラの髪を軽く撫でた。
くすぐったそうにしながら、彼女の視線はヴリトラ自身に向けられたままだ。
やがて。
『……マジで変わったな、長兄殿。命令じゃなくてお願いなのか』
「今の私は、お前に無理やり命令できるほど強くないもの。
だったら協力して貰うにはお願いするしかないでしょう?」
『うーん微妙に打算的と言うか。そこは流石って賞賛すべきか?」
「助けが欲しいのは本当だもの。
だから、お前にお願いをしたのも本心からよ、ヴリトラ」
『…………そうか。まぁ、そうだよな。そりゃそうだ』
繰り返し、繰り返し。
ヴリトラは同じ言葉を何度も呟く。
『……なぁ、長兄殿。白子の姉貴は元気か?』
「…………元気かは分からないけど。最近一度顔を合わせたわね」
『そうか。その様子だと横っ面引っ叩かれたか?』
「喧嘩売ってるのなら、これまでの話を全部投げてでも買うわよ」
『冗談だって。長兄殿は姉貴の話になると直ぐにムキになるよなぁ』
白子の姉貴。
多分、それはブリーデの事だろう。
古い迷宮で出会った白い鍛冶師の娘、その姿を思い返す。
虚弱な上にかなり迂闊な性格だったが、悪い相手じゃなかった。
さて、今は何処で何をしているやら。
『……オレはあの可哀想な姉貴のことは嫌いじゃなかった。
他の兄弟達も、苦手な奴はいても嫌ってた奴は、まぁいなかった。
いないと思う、多分。まぁ相性ってあると思うんだ』
「言いたい事はハッキリ言ったらどう?」
『だから――まぁ、長兄殿も怖いとは思ってたが、別に嫌ってたワケじゃない』
また一つ、吐息がこぼれる。
ただ、其処にあるのは寂しさや諦めではないようだった。
『命令だったら、今さら聞く義理もないって思ってたんだけどな。
……お願い、お願いか。まさか長兄殿がオレなんかを相手にお願いとは。
それなら、協力するぐらいは仕方がないか』
竜王ヴリトラは、どこか観念したようにそう呟いた。
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