幕間1:森の王を騙る獣


「ウィリアム、一体どういうつもりだ?」

 

 呼びかけて来た声には、隠しようもない苛立ちが混じっていた

 無視をしても良かったが、互いの立場を考えると余り宜しくはない。

 なので足は止めないまま応じる事にした。

 

「どういうつもり、とは?」

「とぼけるなよ。何故、に余計な事まで話そうとした?」

 

 言葉に刃が付いていたら、そのまま此方を刺し殺して来そうだな。

 予想通りと言えば予想通りの詰問に、思わず笑ってしまいそうになる。

 ただそうすると、ますます相手を苛立たせる事になるだろう。

 避けられる面倒は避けるべきだ。

 可能な限り面の皮を鉄にして、何でもない事のように言葉を返す。

 

「別に問題はあるまい、ウェルキン。

 この都市に足を踏み入れた以上、自力での脱出は不可能に近い。

 多少の情報は与えた方が、相手の動きを制限できる」

「……私はそんな話をしているわけじゃないぞ」

 

 無難な回答は余りお気に召さなかったようだ。

 振り向かずとも、神経質な顔を分かりやすく歪めているのが容易に想像出来る。

 感情を隠し切れない悪癖は、千年前から何も変わらない。

 

、ウィリアム」

「言われるまでもなく弁えているとも、ウェルキン」

「私は《爪》で、お前は《牙》だ。

 それを正しく理解しているのかと私は言っているんだよ」

「…………」

 

 その言葉に対して、俺は沈黙で応えた。

 此処で何を言ったところで、ウェルキンの癇に障るだけだろう。

 必要なのは従順であるように思わせる事。

 反発するような態度を見せる俺が、その一線においては逆らう事は出来ぬのだと。

 そう感じさせてやれば、この男の自尊心は満たされる。

 案の定、ウェルキンは余裕が戻った様子で笑い声を漏らした。

 

「かつてはお前が大族長で、今も都市長という役目を与えているがな。

 お前自身が言った通り、そんなものはお飾りだ」

「あぁ、承知しているさ」

 

 都市長などと言っても、要するに面倒を押し付ける為の中間管理職だ。

 その仕事に関しては、俺自身は別に嫌いではない。

 が、この男にしてみれば無様な雑用係に過ぎんのだろう。

 ウェルキンは愉快そうに笑いながら、馴れ馴れしくに俺の肩を叩く。

 

「お前の代わりなんて幾らでもいるんだ、《爪》である私とは違ってね。

 其処のところは弁えて貰わないと困るんだよ、ウィリアム」

 

 さてこのやり取りも、これで何回目だったか。

 そう言いながらも、ウェルキンが俺を積極的に排除しようとした事は一度もない。

 理由は明白だが、仲間意識がどうのというセンチな事でもないのは知っている。

 単に便利で、必要な時に自分の矜持プライドを満足させられる都合の良い踏み台。

 それを安易に手放す事を惜しんでいるだけだ。

 貧乏性だと笑ってやったら、果たしてこの男はどんな顔をするだろうか。

 

「言われずとも、ちゃんと理解しているさ。

 ウェルキン――いや、偉大な“森の王”に仕える忠勇なる《爪》よ」

「そうだ。それでいい」

 

 俺の言葉に、ウェルキンは実に満足そうだった。

 そうして黒衣から腕を出すと、勿体ぶった動作で指を鳴らした。

 軽薄な音が響くと、周囲の景色は一変する。

 先ほどまで俺達は街の通りを歩いていた。

 しかしウェルキンが指を鳴らすと、其処は深い森の真っ只中に変わっていた。

 真竜自身以外では《爪》だけが行う事を許された、都市内部での空間構造の操作。

 これがなければ、この森林都市を支配する真竜の元へは辿り着けない。

 《狩猟祭》の時を除いては。

 

「……そういえば、王の御様子はどうなっている」

「いつもの通り。次の「祭り」を心待ちにしておられるよ」

 

 そう言って、ウェルキンは肩を竦めたようだった。

 飢えた獣は相変わらず、堪え性というものを知らぬらしい。

 複雑に絡み合った木の根を跨ぎ、足を止める事無く森の深部へ向かう。

 ……かつては「森の深淵」とも呼ばれた、其処は森人達の聖地だった場所。

 全ての森の始まりであり、全ての森人達の魂が還る終わりの地。

 その聖地が今や、醜い獣の寝床と成り果てている。

 

「おぉ――お目覚めでしたか、“森の王”よ。

 偉大なる我らが支配者、真竜サルガタナス様」

 

 闇の帳に覆われた森の中心。

 其処に辿り着くと、ウェルキンは恭しく跪いた。

 俺もそれに倣い、闇の向こうへと頭を垂れる。

 聞こえてくるのは獣の唸り声。

 それから無遠慮に木々を圧し折る音。

 纏う闇は深く、普段はその姿を容易に伺う事は出来ない。

 

『……ウェルキン、我が《爪》。それに《牙》のウィリアムか』

 

 無数の獣の遠吠えが折り重なったかのような声。

 それが俺とウェルキンの名を口にした。

 たったそれだけの事で、魂を締め付けられる重圧を感じる。

 ウェルキンの方も同じものを感じているはずだ。

 闇に潜む獣こそが、今この森を支配している王である。

 その事実を文字通り刻みつけてくる。

 

『次の「狩猟」はどうなっている?』

 

 ズルリ、ズルリと。

 何かが這いずり、此方に近付いて来る。

 閉ざされた闇の向こう側から、真竜がその姿を現す。

 

「予定通りに執り行う予定です、大いなる“森の王”よ。

 それに加えて、此度は朗報が御座います」

 

 ウェルキンは跪いたまま、顔を上げる事はない。

 その姿を見る事が何よりも恐ろしいのだろう。

 俺も頭は垂れたままの状態で、視線だけをそちらに向けた。

 其処に立っているのは、“獣”だった。

 それもただの獣ではなく、とびっきり醜く恐ろしい獣だ。

 見た目は二足歩行の狼に近い。

 人狼ワーウルフを代表とする獣人ライカンスロープに似てはいる。

 しかし人の何倍もの巨躯を持つこの獣は、それらとはまったく異質な存在だ。

 胴体は大岩の如く、手足は数百年を生きる大木よりも尚太い。

 裂けた口に並ぶ牙は常に血に濡れていた。

 左右それぞれに六つ存在する眼は忙しなく動き、飢えた視線を周囲にばら撒く。

 この森で生きる誰も彼もが、その眼に止まる事を恐れている。

 そうなったが最後、気紛れに供物として食い殺される他ないからだ。

 《爪》となったはずのウェルキンすら、決してその恐怖の例外ではない。

 この《暴食》の獣にとって、眼に見える全ての生命が「獲物」に過ぎない。

 だからこそ、ウェルキンは顔を伏せたまま。

 俺は興味を引き過ぎないよう慎重に、眼前の獣の様子を観察する。

 

「此度の祭りには、外部からの「客」を迎えております」

『珍しい。外から生贄が入ってくるとは、一体何時ぶりだったか』

「少なくとも百年はなかった事かと。

 ――しかも今回は、単にそれだけではないのです」

『ほう。何だ、言ってみろ』

 

 ウェルキンはなるべく、主人を喜ばせる言い回しを心掛ける。

 傍から聞いているとまどろっこしい事この上ないが。

 が、獣――真竜サルガタナスは、ウェルキンの言葉に興味深そうな反応を示した。

 竜を愉しませる道化役という意味では、本当に期待以上の働きぶりだ。

 

「生贄どもの言葉が真実であれば、ですが。

 奴らはマーレボルジェからやってきた可能性があります」

『……マーレボルジェから、だと?』

「はい。つい先日、崩壊が確認されたあの都市です。

 もしかしたら、真竜の消息が不明な事とも何か関係があるやも……」

『――――』

 

 ウェルキンの言葉に、サルガタナスは一瞬沈黙した。

 だが直ぐに、森を揺さぶる哄笑が響き渡る。

 笑い声を上げる口は一つではない。

 サルガタナスの身体のあちことに、牙を備えた獣の顎が生えていた。

 大小無数の口全てが、耳障りな声で笑い続ける。

 

『ハ、ハハハハハハッ! ハハハハハハハハッ!!

 まさか、まさかまさか、あり得ぬはずだ。そんな事は!

 いやしかし、あの宝石狂いめ。よもやたかが人間に遅れを取ったとっ?

 だとしたら――ハハハハッ!! 何たる無様か!』

 

 笑う。真竜は愚かな同胞の末路を夢想し、それを嘲る。

 この時代の覇者たる真竜を、人間が討ち取った。

 それは俄かに信じ難い話ではある。

 だがウェルキンが今言った通り、北にある階層都市の一つが崩壊したのは事実。

 まだ観測してから日も浅く、正確な情報を掴んだとは言い難い。

 確実に言える事は、都市の崩壊は支配者である真竜の死を意味している事だけ。

 千年近くも起こり得なかった事が起こった可能性。

 俺の頭の中には、あの甲冑姿の男が口にした言葉が蘇っていた。

 ――真竜を殺しに来た、か。

 面白くも無い冗句と、本来なら一笑に付すところだ。

 身も心も飼い犬になったウェルキンは、不敬だと内心怒り狂っていただろうか。

 都市崩壊に関与している可能性を此処で示唆した辺り、そう外れた予想でもあるまい。

 そう口にすれば、真竜であれば決して無視は出来ないからだ。

 なんにせよ、サルガタナスの反応は予想通りだ。

 間抜けな同胞を嘲笑い、極上の獲物が飛び込んで来た事実に歓喜していた。

 

『ハハハハッ!! さぁ、《狩猟祭》だ!

 月を血に染めて、夜を狩り場とせよ! 今宵は鏖殺の宴なれば!』

 

 飢えた獣は、裂けた口を三日月の形に歪める。

 暴食の性が抑えきれんのだろう。

 牙の隙間からは唾液が――いや、濁った流血がボタボタと零れ落ちる。

 これは早急に供物を捧げねば、街の者を無差別に喰い始める恐れもあるな。

 

「――仰せの侭に、偉大なる“森の王”。

 この森林都市の支配者、大いなる真竜サルガタナスよ。

 貴方が望むままに、血染めの月が夜を染めましょう」

 

 深々と頭を垂れながら、俺は祭りの開始を宣言する。

 それに対して、真竜サルガタナスは満足そうに喉を鳴らした。

 

『急げよ、ウィリアム。我が《牙》よ。

 。それがワシを愉しませる限り、森人どもの生存を許そう。

 その為の《狩猟祭》だ』

「はっ。これまでも、これからも、貴方様を失望させぬ事を約束致しましょう」

『ハハハハハッ。その言葉、真実である事を己の力で証明すると良い――』

 

 嘲笑混じりのその言葉を最後に、獣の巨体が跡形もなく消失する。。

 沼の底へと沈むように、森の深淵へと姿を消したようだ。

 周囲を威圧していた真竜の気配も薄まっている。

 恐らくは眠りに入ったのだろう。

 獲物を喰う時と弄ぶ時以外は、サルガタナスは大半の時間を惰眠に費やしていた。

 

「……おい、ウィリアム」

「なんだ?」

 

 顔を上げて一息吐いたところで、ウェルキンは恨みがましい声を上げる。

 さて、何か癪に障るような事はしただろうか。

 この場での会話に関して言えば、正直心当たりがない。

 そんな俺に対して、ウェルキンは親切にも模範解答を示してくれた。

 

「立場を弁えろと、そう言ったはずだぞ。ウィリアム。

 幾ら貴様が《牙》の筆頭だろうが、《爪》である私よりも格は下なんだ。

 許可なく王の前で発言するなど不敬が過ぎるぞ」

「……あぁ、すまなかった。それは気が回らなかったな」

 

 失笑は、何とか喉の奥で呑み込んだ。

 気付かれるとまた面倒だが、幸いウェルキンの神経は少々鈍い。

 まだブツブツと小声で呟いているが、それ以上の文句を此方に飛ばしてくる事はなかった。

 サルガタナスが口にした通り、《狩猟祭》を始めたのは俺だ。

 故に祭りの開始を告げるのもまた俺の役目。

 それらもまたウェルキンにとっては面白い話ではないだろう。

 尤も、真竜の決定に異を唱える気概もない男に出来る事などたかが知れている。

 それこそ、精々嫌味を口にする程度だ。

 

「……やはり、問題はあちらか」

 

 レックスと名乗った、あの甲冑姿の男。

 真竜を殺す、という言葉は恐らく真実だろう。

 直接聞いたウェルキンは勿論、サルガタナスも「客人」を重要視はしていない。

 都市が崩壊し、支配者である真竜が消えたにも関わらずだ。

 無論、両者を結びつける確たる証拠があるわけでもない。

 それでも、この千年になかった異常事態が起こっているのは紛れもない事実だ。

 数百年以上、脅威に晒された経験のない連中に危機意識を持たせる程ではなかったようだが。

 それ自体は好都合であるし、予定した通りだ。

 ならば重要なのは、あの男が真正の竜殺しか否かの一点のみ。

 空の攻防で見せた動きは見事だったが……。

 

「……おい、ウィリアム。何をボーっとしているんだ? お前は」

「ん、あぁ。すまんな、少し考え事をしていた」

 

 怪訝そうに此方を見るウェルキンに、片手を上げて応じる。

 真竜の軍門に下る事を決めてから、千年。

 これは文字通り千載一遇の好機だ。

 考える事もやるべ事も山のようにある。

 どれだけ万全に万全を重ねても、勝機は針の穴を通すより更に狭いだろう。

 だが、それがどうした?

 

「あぁ――何も問題はない」

 

 そう、問題はない。

 どれほどの死線を超える事になっても、最後の勝ちは逃さない。

 根拠のない確信だが、俺にはそれで十分だった。

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