幕間2:密談
――人気のない通路を、二人分の影が足早に進む。
片方は黒い翼を背に負った少女、《黄金夜会》副会長オーガスタ。
もう片方は黒いドレスを纏った蒼白の少女、《黄金夜会》会長イヴリス。
訓練室を後にしてから此処まで、互いに言葉を交わす事も無かったが。
「……申し訳ありません、イヴ会長」
「あら、謝られる事なんてあったかしら?」
絞り出すようなオーガスタの謝罪を、イヴリスは軽く笑った。
先を歩くイヴリスにオーガスタの表情は見えない。
しかし今の彼女が、屈辱と憤激に耐える顔をしている事は容易に想像できる。
きっと思わず抱き締めたいぐらいに可愛らしいはずだ。
けれどイヴリスはその衝動を我慢する。
余り節操なく振る舞うのは、彼女の好むところではなかった。
「《黄金夜会》の副会長でありながら、あんな新参に遅れを取るなど……」
「別にその事は気にしてないわ。
むしろ、彼女――テレサの実力を確認できたんだから問題無いわ」
苦い声のオーガスタとは反対に、イヴリスの声は酷く弾んでいた。
予定通り、期待通り。
自分の望む形の結果が出た事に、満足したように。
此処に至ればオーガスタもようやく頭が追いついて来る。
「……イヴ会長」
「何かしら?」
「最初から、こうするつもりだったのですか?」
「貴女ならきっと喧嘩を売ってくれるとは思ってたわね」
確認の言葉に、イヴリスはあっさりと肯定を返した。
酷い恥辱が沸き上がってくるが、オーガスタの中にイヴリスへの怒りは無い。
何も理解せず、まんまと思惑通りに動いてしまった自分の短慮さを恥じるだけ。
例えそれがイヴリスの筋書きだとしてもだ。
「来訪予定に無かった『不明の真竜』。
そして名簿に登録が無いはずの新入生が複数。
マレウス先生の仕業だろうけど、相変わらず抜けた人ね。
そんな事に『学園長』が気付かないはずがないのに」
「つまりあの新入生を夜会に招いたのは、『学園長』の命令だと言う事ですか?」
「いいえ? それは私の意思で『学園長』は無関係よ」
オーガスタの推測をイヴリスはあっさりと否定した。
やや困惑を見せる彼女に、《黄金夜会》の頂点は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「貴女も知ってる通り、
その程度の事でいちいち命令を出したりしない。
第一、学園長命令なんてもの最後に受けたの何時だったか覚えてる?」
「なら、一体何故……?」
「半分は好奇心。
マレウス先生がわざわざ外から招き入れるなんて。
何かあると思うのが普通でしょう?」
後ろに続くオーガスタに見えるように、イヴリスは指を一本立てる。
そしてもう一本、指を立てながら。
「もう半分は、そうする必要があったから」
「どういう事ですか?」
「《
「ッ……!?」
口調こそ変わらないが、イヴリスの出した言葉には不穏さが満ちていた。
それを聞いたオーガスタも、一瞬声に詰まって戦慄する。
《七不思議》。
その単語の本当の意味を知る者は、《学園》でも極々一部。
イヴリスもオーガスタも、その「一部」の中に含まれた者だった。
「馬鹿な、早すぎる……!
前回の発動からまだ一年も経っていないはず……っ!」
「恐らくそっちは『学園長』の仕業でしょうね。
不明の真竜とか謎の新入生とか、そういう未知数の混入を受けた結果でしょう。
まったく、本当に困った人」
愉快犯的な態度を崩さないイヴリスだが、その時だけは物憂げなため息を漏らす。
元々余り余裕のないオーガスタも、更に余裕の削れた表情で声を上げる。
「どうするのですか、イヴ会長。
貴女の言う通り《七不思議》の発動にあの新入生達が絡んでいるなら……!」
「落ち着いて、オーガスタ。
それを見極める意味でも、貴女をわざとぶつけたのだから」
諫められて、オーガスタは吐き出しかけた言葉をぐっと飲み込む。
そうしてから何度か深呼吸をして、少しでも昂った自身を落ち着けようとする。
歩みは止めないまま、イヴリスはそれを待った。
「……それで、イヴ会長の見立ては?」
「まだテレサの様子を観察しただけだけど、『学園長』とは無関係でしょうね。
《七不思議》の発動自体は、あの人が勝手にやった事と判断してる。
あくまで今のところは、だけど」
「それならば、どうするおつもりですか?」
「決まっているでしょう?
《七不思議》の対処は、《
他の如何なる業務もこれに優先される事は無い」
「…………」
オーガスタは応えない。
《黄金夜会》として果たすべき最優先の使命。
それについては当然理解しているし、覚悟もできている。
だがその上で、彼女は陰鬱な気分を抑えられなかった。
「怖いの? オーガスタ」
「……むしろ、イヴ会長は恐ろしくないのですか」
「当然、恐ろしいわね。
何度も《七不思議》と相対しても、この気持ちに慣れる事は無いでしょう」
むしろ、慣れてしまう事は逆に危険だと。
イヴリスはいっそ穏やかな口調で呟く。
「他の夜会メンバーにも、必要事項は私から伝達しておくわ。
いつもの通り、『七番目』の顕現が確認される前に事を済ませましょう」
「分かりました。新入生達については?」
「時と場合に応じて臨機応変に、かしらね。
テレサの実力は本物だったし、私は彼らにも対処を手伝って欲しいと考えてる」
「それは……宜しいのですか?」
声に困惑の色を強めて、オーガスタはイヴリスに問いかける。
出来れば認めたくはないが、あのテレサの実力はオーガスタも評価している。
他の新入生達については不明だが、少なくとも
戦力になるかと問われれば、それについては肯定するしかない。
だが、《七不思議》はそう容易い代物ではない。
それはオーガスタも良く理解していた。
「――新入生については、私も全て分かったとは言えないけど」
先を進むイヴリスだが、通路の一角で足を止める。
其処は《黄金夜会》の為に用意された執務室。
この《学園》における一定以上の行動許可を持つ者しか入れない場所だ。
扉の脇に設置された端末にイヴリスはさっと手を翳す。
「それでも、マレウス先生については良く知ってるつもりよ。
あの人が自分から招いた客人なら、それは何かしらの必然だと私は考えてる」
それ自体は、何一つ根拠になり得ない話だった。
むしろ殆どイヴリスの勘のようなものであり、本来なら信ずるに値しない。
だがオーガスタは彼女に対して全幅の信頼を置いている。
いっそ心酔してると言い換えても良い。
この世の全てが欺瞞だとしても、イヴリスの言葉になら従えると。
彼女はそう確信しているから、その言葉にも異を唱えなかった。
――例えその中に、酷く耐え難い「痛み」が含まれていたとしても。
「……あら?」
イヴリスの認証を受けて、執務室の扉が開く。
構造としては副学長であるマレウスの部屋と大きくは変わらない。
ただ広さは此方の方が上で、家具や内装は数段豪華だ。
会長肯定が基本のオーガスタですら、ちょっと派手過ぎると感じる室内。
他の夜会メンバーも出払って無人であるはずのその場所に。
「あ、お邪魔してます」
何故か怪しい全身甲冑がいた。
しかも来客用のソファーに腰を下ろし、完全に落ち着いた状態でだ。
「貴様……!」
「落ち着きなさい、オーガスタ」
侵入者に対して、反射的に攻撃態勢を取るオーガスタ。
しかし彼女が翼を拡げるより早く、イヴリスの声がそれを制止した。
ガクンっと、機械が急停止したようにオーガスタの動きが止まる。
「っ、イヴ会長……!?」
「部屋の中が荒れるから、此処で暴れるのは無しよ」
「そんな事を言ってる場合では……!」
「それにね、オーガスタ」
右腕の抗議を流して、イヴリスは室内に踏み込む。
もとよりこの執務室の主は彼女だ。
招かれざる客人の存在があろうと、その立ち振る舞いに陰りは無い。
イヴリスは鎧姿の正面に立ち、そして優雅に一礼した。
「相手の力量は、正確に分析しないと。
――はじめまして、私は《黄金夜会》の会長イヴリスと申します」
「レックスだ。はじめまして。
悪いな、勝手に上がり込んじまって。
何か弄ったら扉が開いたもんだから、ついな」
「マレウス先生から預かっただろう上位権限を持っているからでしょう。
仮にですが、今の貴方は副学長に等しい行動許可を得ているはず。
それならこの執務室の鍵も開くでしょうね」
「なるほどなぁ」
「ただ、この執務室の場所は夜会関係者以外には秘匿されてるはずですけど」
「そこは魔法で探した」
「まぁ、見た目と違って意外と器用なんですね?」
「…………」
向かい合う形でイヴリスも腰を下ろし、そのまま二人は自然と言葉を交わす。
オーガスタは何も言わず、定位置であるイヴリスの斜め後ろに立った。
その上で、彼女は鎧男――レックスの姿を見る。
少なくともその様子から、何か特別なモノを感じたりはしない。
この男は外部から来訪した真竜と、そういう話だったはず。
オーガスタもそれほど多くの真竜と接した経験があるわけではない。
むしろ機会そのものは数える程しかなかった。
故に真竜の何たるかを語れるワケではないが……。
「(……ただの怪しげな風体の男にしか見えない。
コイツは、本当に真竜なのか?)」
心服するイヴリスの言葉を疑うつもりは無い。
無いが、この男がそこまで警戒するに値するのか。
オーガスタにはまだ理解が出来なかった。
彼女が一人懊悩としている間も、レックスとイヴリスは話を続ける。
それは殆ど他愛もない世間話だったが。
「あー、そういや一つ聞きたいんだが」
「ええ、何でしょうか?」
「なんでウチのテレサに喧嘩売ったんだ?」
その一言が出た瞬間。
明らかに部屋の温度が下がったと、オーガスタは認識した。
当たり前だがそれは錯覚に過ぎず、物理的に室温は変化したわけではない。
実際のところは、ただ僅かにレックスが姿勢をずらしただけ。
座った状態でやや重心を前に倒し、いつでも動けるように構えた。
たったそれだけの動作で、雰囲気が完全に変わっていた。
具体的に何が変化したのか、オーガスタは言語化する事が出来ない。
見た目上の異常はなく、やはり怪しい風体の不審人物にしか見えないのだ。
「(――ならば何故、自分はこの男をこんなにも恐れている……!?)」
戦慄に固まるオーガスタとは逆に、イヴリスは表面的には冷静なままだ。
その上で彼女は、レックスの言葉を受けて深く頭を下げた。
「不幸な誤解や行き違い――と、誤魔化すのは容易いでしょうけど。
先ずは貴方のお連れ様にご迷惑をおかけした事、深くお詫び致します」
「謝るんなら、出来れば本人にして欲しいんだけどな。目的は?」
「テレサさんの力量の確認。合わせて、貴方と新入生達を見定めたかったので」
「その結果は?」
「とても素晴らしく、とても脅威です。
特に貴方は、私でも恐ろしいと感じていますよ」
微笑みながら語るイヴリス。
それはお世辞の類に聞こえるが、全て彼女の本音だ。
《学園》の王者たるイヴリスは虚偽は好まない。
故に語る言葉は真実として、レックスの評価を表していた。
「それで、レックス様。
私からも一つお伺いしても?」
「俺に応えられる事なら」
「大した事ではありませんがね。
――『夜に徘徊する騎士像』に、何か覚えはありませんか?」
問われて、「なんだそりゃ?」とレックスは首を傾げる。
オーガスタは黙したままだが、その奇妙な単語に反応していた。
彼女を含め、《黄金夜会》のメンバーなら嫌という程に馴染みのある言葉だ。
外部から来たレックスには当然知識は無い。
知識はないが。
「……なんか、それっぽいのはいた気がする」
「と、言いますと?」
「いや、此処に来たばっかの時。
あんま邪魔にならないよう、夜にあちこち見て回ってたんだけどな」
「ええ、それで?」
「何か迷い込んだ先で、騎士っぽい見た目の石像に襲われたな」
「襲われて、どうなさいましたか?」
「ぶっ壊した」
「なっ……」
余りにも端的な答えに、オーガスタは思わず絶句した。
その石像は何かの勘違いでない限り、間違いなく《七不思議》の一つ。
発動する度に《黄金夜会》が命懸けで制圧を試みる怪異の断片。
それをあっさりと「ぶっ壊した」なんて。
「ふっ……ふふ、アハハ……!」
堪え切れない様子で、イヴリスは思わず声に出して笑った。
人前でなければ腹ぐらい抱えていたかもしれない。
一方のレックスは、意味が分からず首を傾げるばかり。
「なんか壊したら拙い奴だったか?」
「ふふっ……いえいえ、問題なんてありませんよ。ご安心下さい。
でも、そう――だから『校舎を歩き回る鎧男』なんて話になっていたのね」
何やら納得したように頷くイヴリス。
暫し笑いの余韻を楽しんでから、一息。
笑みの形に目を細めて、再びレックスに向けて語り掛ける。
「一つ、提案があります」
「とりあえず聞かせてくれ」
「《七不思議》の対処に協力して頂きたいのです。
テレサさんにちょっかいをかけたのも、その能力があるか見たかった為です」
「《七不思議》?」
聞き慣れない単語に、レックスは訝し気な声を漏らす。
「一体なんだ、それ?」
「残念ながら詳しくお話は出来ません。
私の『権限』では、『部外者』にそこまで教えるのは禁止されています。
ですから、私が口に出来る情報は二つだけ。
一つ、《七不思議》はその名の通り、《学園》内で発生する七つの怪異の総称」
「もう一つは?」
「《七不思議》を起こしているのは『学園長』です。
付け加えると、コレを放っておくと《学園》の生徒に犠牲者が出ます。
故に
「……成る程な」
イヴリスの情報を吟味するように、レックスは低く唸る。
それから考えこむように、少しばかり沈黙して。
「……もう少し確認したい事があるんだが、良いか?」
「ええ、勿論。私に話せる事なら幾らでも」
……オーガスタは、自分の主人と怪しげな鎧男の話を黙って聞いていた。
この男を関わらせるのは危険ではないか?
そんな危惧は、イヴリスも当然分かっているはず。
恐らくは、彼らを《七不思議》に巻き込む事こそが「学園長」の思惑だと。
それを前提として、イヴリスは話を進めているはずだ。
けれど得体も知れず、底も見えない不気味な甲冑姿に不安を掻き立てられる。
本当に、そうする事が正しいのか。
結局、この会談が終わってもオーガスタは確信を持てずにいた。
――もう間もなく、学びの園に七つの不思議が花開く。
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