93話:幸せの青い小鳥

 

「……で、衆目の中お姫様抱っこで医務室まで運ばれて。

 そのまま甲斐甲斐しく看病されてたと」

「改めて言葉で説明するのは止めて欲しい……」

「別にそんな恥ずかしがる事じゃねーだろ」

 

 医務室に置かれた白いベッドの一つ。

 其処に寝かされてマレウスに治療を施して貰っていると。

 最初にイーリスが慌てた様子で駆け込んで来た。

 私が戦闘で負傷した、という情報だけ伝えられたんだろう。

 意外と無事な私の様子を見て、妹は明らかに安堵したようだった。

 それからベッドの傍に椅子を引き、治療の邪魔にならない程度に言葉を交わす。

 何があったのか、その経緯を簡単に説明すると。

 

「ふざけやがって」

 

 イーリスは明らかに憤慨した様子で、小さく舌打ちをした。

 この手の権力者による専横的な振る舞いは、確かに彼女が一番嫌うところだ。

 

「このままで済ますのかよ、姉さん」

「怒る気持ちは分かるが、少し落ち着いてくれ。

 確かにメンバーの一人と交戦はしたが、《黄金夜会》の目的はまだ不明だ。

 単純に敵対すべきなのか、何とも言い切れない」

 

 もし仮に、彼らの目的が私達の排除ならば。

 あんな稚拙なやり方ではなく、もっと別の手段があるはずだ。

 そもそもこの都市における権力は《黄金夜会》の手にある。

 副学長であるマレウスの協力も、その力の前には蟷螂の斧に等しいだろう。

 私を夜会に招きたい、という要請もある程度は本気のようにも思えた。

 

「テレサの言う通り。

 多分、会長のイヴリスには何かの思惑があると思うわ」

 

 幾つかの薬品と、回復の為の魔法。

 それらを駆使して私の腕に付いた傷を治療しながらマレウスも頷く。

 痛みが和らぐ感触はとても心地良い。

 

「戦う事になったのは、オーガスタが先走ったからだろうけど……」

「イヴリスがそれを予測していなかった、とも考え辛い」

 

 恐らくは、そうなる事も予測していたはずだ。

 私の実力を見る為だとか、その辺りが目的だろう。

 そして必要なモノは見られたから、直接介入して戦闘を中断させた。

 

「全部向こうの予定通りってか?

 こっちとしちゃ、姉さん傷物にされて引き下がるとか。

 そう簡単には納得できねーんだけど」

「――じゃあ俺が文句言いに行ってやろうか?」

 

 ぬっと、仕切りのカーテンから無骨な兜が顔を出した。

 いきなりだったせいで、イーリスは椅子から軽く飛び上がってしまう。

 

「レックス殿」

「あぁ、連絡入って急いで来たんだが。

 思ったよりはずっと元気そうだな」

 

 相変わらずの鎧姿で、彼はベッドの傍まで来る。

 それから私の状態を見て一つ頷いた。

 ……ただ、そう。

 そのまま手を伸ばして、私の頭を撫でられるのは、流石に少し。

 

「入ってくるなら一声かけろよコラ」

「こういう場所では静かにしないとダメなんだぞ??」

 

 ビックリし過ぎて抗議するイーリスに、抑えた声でレックス殿は応じる。

 そんな様子をマレウスは楽しそうに眺めていた。

 

「さ、彼氏さん。治療はもう少しだけ残ってるから」

「あぁ、悪い」

 

 マレウスに促されて、レックス殿はベッドから少し距離を開ける。

 ……彼氏、という単語が「誰の」かは理解はしていても。

 思わす心臓が軽く跳ねてしまったのは、仕方のない事だと信じる。

 そして自然と離れた手の感触を、少し名残惜しく感じた。

 多分少し前のネガティブ思考や負傷のせいで、弱気になってるからだろう。

 それは表に出さぬよう、胸の奥に詰め込んでおく。

 今それは重要な事じゃない。

 

「それで、レックス殿は何処まで聞いていましたか?」

「イーリスが納得できないってところぐらいだな。

 良く分からんが喧嘩売られたって事なんだろ?」

「あぁ、《黄金夜会》とかいう此処のエラい集まりだそうだ。

 そいつらの一人が姉さんとマレウスに殴り掛かったんだよ」

「んー、やっぱ俺が文句言いに行くか?」

「待って、待って下さいレックス殿。イーリスも煽らないで」

 

 このままだと本当に突撃しそうな空気を感じた。

 ので、慌てて引き留める。

 今、《学園》におけるレックス殿の立場は「客分の真竜」だ。

 それがこの場でどれだけの権威を発揮するかは分からない。

  だが、決して軽くはないはずだ。

 《学園》上位組織である《黄金夜会》とぶつかれば、どれだけの騒ぎになるか。

 気持ちとしては嬉しいが、今その判断をするのは流石に軽率過ぎる。

 

「ところで、主やボレアスは?」

「あぁ、アウローラからは《念話》で『状態が悪ければ改めて連絡して』だと。

 ボレアスの方は分からんが、多分あっちと行動してると思う」

「そうですか」

 

 ある程度は気に掛けて貰っている、と判断して良いのか。

 主人にとって本当に重要なのはレックス殿だけだ。

 一度身内と認めた相手に対して、主人は確かに対応が甘い傾向はある。

 ただ本質的には酷く利己的な方だ。

 レックス殿の為ならどんな無茶もするだろうが、それ以外は違う。

 必要ならば、私やイーリスを切り捨てるのに一瞬の躊躇もしないだろう。

 少なくとも、その点はきちんと理解して付き合わねば。

 

「まぁ、ホントにヤバそうなら直ぐ飛んできて貰おうと思ってたけどな。

 とりあえず大丈夫そうで良かったわ」

 

 そう言って、レックス殿は兜の奥で少し笑った。

 ……主人が昔、どれほどの存在で一体何を為したのか。

 私は断片的にしかそれを知らない。

 今、レックス殿が主人の傍らにある事は途方もない奇跡ではないかと。

 そんな風に思う事はある。

 

「……よし、そろそろ行くな。

 こんなナリで長居しても迷惑だろ」

 

 私の様子を確認して満足したようだ。

 レックス殿はまた一つ頷いてからゆっくりと離れる。

 

「マレウス、悪いがこの場は宜しく」

「ええ、それは勿論よ」

「イーリスも、テレサの事は頼むな」

「そんなん言われるまでもねーけど、レックスはどうすんだ?」

「ちょっと野暮用」

 

 軽く手を振り、それだけ答えるとレックス殿は医務室を出て行った。

 ほんの少しだけだが、寂しさを感じてしまう。

 その背を見送ってから、イーリスは小さくため息を吐いた。

 

「なんか、此処に来てから良くフラフラしてるよな。アイツ」

「まぁ、レックス殿は生徒の立場ではないからな。

 私達より自由に動けるのを利用しているのだろう」

「偶に何を考えてるか分からん時はあるし、そういう意味じゃ心配だよ」

 

 言いながら、イーリスは微妙に不機嫌そうに唸る。

 要するに、自分達の知らない処で一人だけ無茶しているのでは無いかと。

 イーリスはその点を心配しているようだ。

 我が妹ながら優しい子だと、つい口元が綻んでしまう。

 声に出すと怒られそうなので、褒めてやりたい気持ちはぐっと我慢する。

 

「……良い人よね、彼」

 

 私の治療もひと段落し、マレウスはそんな事を呟いた。

 それを聞いたイーリスは小さく肩を竦める。

 

「まぁ悪い奴では無いよな。スケベだけど」

「イーリス、余りそういう事は……」

 

 否定し難い事実ではあるが、正しい事ばかり言っては角が立つ。

 正直過ぎるイーリスの評価に、思わずと言った様子でマレウスは笑った。

 本当に楽しそうに肩を揺らして。

 

「其処はほら、男の子だから。

 可愛い女の子には目が無いんだって、許して上げましょう?」

「いや、ウン、別にそんな気にしちゃいないけどさ」

「レックス殿は色を好む質だが、同じぐらいには紳士的だと私は思ってるよ」

 

 フォローはフォローだが、形だけでなく本心から来るものだ。

 主人の想いには応えながらも、あくまで彼女の主体性に任せている。

 いい加減、強引にでも一線を越えてやった方が良いのではないかと思わないでも無いが。

 其処は当人同士のペースというモノがあるだろう。

 外野が何を言っても野暮でしかない。

 ……私は、その次かその次でも構わないつもりだ。

 これもまた、あの悪徳の塔から定まった偽らざる本音だ。

 

「……ホントに、あの人――アウローラが“幸せ”そうで、良かった」

 

 穏やかで満ち足りた表情。

 何処か遠くを見るような目で、マレウスは言った。

 昔からの夢が今ようやく叶った――そんな夢追い人の顔だった。

 そのまま満たされて眠ってしまいそうな危うさを、何故か感じてしまった。

 泣いているのか、笑っているのか。

 その瞬間のマレウスの横顔は、私の言葉では表現できない。

 

「……そういうアンタはどうなんだよ、マレウス」

「? 私?」

 

 不意なイーリスの問いかけに対し、マレウスは不思議そうに首を傾げる。

 その表情からは、先程までの儚い空気は消え去っていた。

 

「古竜なわけだし、当たり前だけど相当長生きなんだろ?

 だったら浮いた話の一つや二つ、あったんじゃねーかなって」

「あら、恋バナに興味がある感じ? まー若いものねぇ」

「いや別にそーいうワケじゃねーって。

 単純な好奇心っつーか、姉さんも何笑ってんだよ」

「いやいや、別に馬鹿にして笑ってるわけじゃないぞ?」

 

 イーリスの態度が面白くて、つい笑ってしまったのは間違いないが。

 マレウスもクスリと笑ってから、少し大きく息を吐いて。

 

「んー、残念だけど貴女が期待してるような話は無いわね。

 私ほら、おばあちゃんだし」

「それこそ何千年とか生きてるのを『おばあちゃん』って表現で済ませて良いんか」

「まぁ、ニュアンスとしては間違っていないだろう」

 

 言っている本人からは、そんな「老い」などの衰えは微塵も感じられない。

 あくまでも美しい少女の姿で、マレウスは艶やかに微笑む。

 彼女は古竜の中でも特に人類に友好的だったと聞く、

 その様に魅せられた者は、決して少なくなかったに違いない。

 けれど――人と竜では、生きる時間が違い過ぎるのだろう。

 マレウスの眼差しには、どうしようもなく寂しさが混じっていた。

 

「……私はずっと、“幸せ”の意味を知りたかったの」

 

 その言葉は独白に近かった。

 やはり遠くを見るようにしながらマレウスは続ける。

 

「昔の私は水場を寝床に眠ってばかりでね。

 《水底の貴婦人オンディーヌ》なんて気取った異名もそれが由来なの。

 寝坊助の私を、昔のアウローラがからかって付けたんだけど」

「イジメっ子かよ」

「センスが良いから、私は気に入ってるんだけどね」

 

 イーリスのツッコミに、マレウスは小さく喉を鳴らした。

 

「そうしてずーっと眠っては起きてを繰り返してた私だけど。

 ある日、一人の人間に出会ったの。

 竜に襲われて、もう死にそうな人間に」

 

 言いながら、マレウスは自分の顔に指で触れた。

 指先で輪郭をなぞり、細く吐息を漏らす。

 

「この姿とか服装も、実はその時の子がモデルなの。

 多分、何処か小さな国の魔導師辺りだったんでしょうね。

 竜と戦ったせいで、間もなく死ぬ彼女。

 死に落ちる寸前では助ける術もなく、私はせめて遺言が無いかを尋ねたわ」

「……それで、その人物は何と?」

「“幸せになりたかった”」

 

 余りにも。

 それは、末期の言葉としては余りに重いモノだった。

 返す言葉を失った私とイーリスに、マレウスはまた微笑む。

 

「その時の私は、“幸せ”の言葉の意味が分からなかった。

 定義としては理解できるけど、実感として“幸せ”が何なのか分からない。

 彼女が死の間際に求めた“幸せ”――それに興味を持ったのが、最初のきっかけ」

 

 ――それから。

 マレウスが私達に語ってくれた多くは、彼女の「思い出」だった。

 死んだ女性の遺言から、人の言う“幸せ”が何なのかを知りたくなった事。

 彼女の姿に似せた人間体となって、程なく小さな集落を見つけた事。

 最初は人と竜の感性の違いから、コミュニケーション一つにも苦労した事。

 野良の竜や獣を追い払い、時に知識や力を貸す内に人間との関係が深まった事。

 そうして人としては随分と長く、竜としては短い時間。

 小さな町にまで発展したその場所で、人々と共に生きた事。

 マレウスは懐かしそうに、寂しそうに。

 それと同じぐらい楽しそうに、私達に語った。

 

「苦しそうな人間を助ければ、その人は私に感謝してくれた。

 私が助ける事で彼らが“幸せ”になるのなら、いつかそれを理解できるかもしれない。

 ……最初は本当に、そんな事ばかり考えてたわ」

「……それで、分かったのか?

 アンタにとって、“幸せ”が何なのか」

「分かったような、分からないような。

 結局、最後はその町からも離れる事になったけどね。

  ……やっぱり、分からなかったかも」

「なんか曖昧だな」

「ごめんなさい。私も自分で言ってて混乱しそう」

 

 呆れたように言うイーリスに、マレウスは小さく苦笑いをこぼす。

 幸せというものをどう定義するかは、結局のところ個人の主観に依るところが大きい。

 他者に“幸せ”を与えたとしても、それが自分の“幸せ”と同一とは限らない。

 ただ、気になるのは。

 

「……マレウス。

 最後は離れた、と言っていたが――その後、その町は?」

「……残念だけど、覚えてないの。

 それ以前と、あの町であった事の多くは記憶に残ってるんだけど。

 離れた後の事は、何故かサッパリ」

「そう、か」

 

 少なくとも、千年以上も昔の話だ。

 何をどう考えても、その町はもう残っていないだろう。

 マレウス自身、記憶に無くともそれは分かっているはずだ。

 余計な事を聞いてしまったかと、少し後悔した。

 

「良いのよ、そんな顔しなくて。

 今は今で、《学園》の子達とそれなりに上手く付き合えてるし。

 立場や現状を考えなければ、これはこれで悪くないと思ってるから」

 

 それはそれで、彼女の本心である事は間違いない。

 ただ、微笑みに混ざる一抹の寂しさだけは隠し切れていなかった。

 

「……“貴女は今、幸せですか”。

 最後に、誰かに言われたその言葉だけは、ハッキリ覚えてる」

 

 かつて、誰かが彼女に手向けた別れの言葉。

 それを大事そうに繰り返し、マレウスは眼を細める。

 

「それに私は、何て答えたのか……それが思い出せない事だけは。

 少し――ほんの少し、寂しいかな」

 

 まるで、青い小鳥を見失ってしまった少女のように。

 マレウスはただ、哀しげに笑った。

 

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