92話:学園の女帝


 オーガスタとの戦闘に集中していた為、新たな人物の登場に気付かなかった。

 いつの間にか訓練室の片隅に佇んでいる少女。

 歳はやはり、オーガスタとそう大きく変わらないように見える。

 肩まで伸ばした髪も、その肌も、色が抜け落ちたかのような蒼白。

 瞳の色は深い水底を連想させる青で、その眼は笑みの形に歪んでいた。

 黒いドレスに似た装束を身に纏い、まるで喪に服した貴婦人のような雰囲気を漂わせる。

 実際のところは、悪戯を面白がる悪童めいた表情で。

 

「そこまでよ、オーガスタ。同じ事は二度言わない主義でしょう?」

 

 もう一度、先と同じ制止の言葉を口にした。

 既に臨戦態勢に入っていたオーガスタだが、それに従い翼をゆっくり閉じる。

 その顔には明らかに戸惑いの色が浮かんでいた。

 しかし逆らうという選択肢は無いようで、彼女はもう一人の少女に頭を垂れる。

 

「……仰せの侭に、イヴ会長」

「ありがとう。貴女は本当に素直な良い子ね」

 

 イヴ会長と、オーガスタはそう言った。

 確かオーガスタは《黄金夜会》の副会長のはず。

 つまり、この少女は。

 

「ごめんなさいね、テレサ。

 オーガスタは真面目だけど、その分あまり融通が利かないの」

「……別に、戦闘訓練の一環だと思えば問題はない」

「あら、そう? 気を使って貰って申し訳ないわ」

 

 クスリ、クスリと。

 イヴと呼ばれた少女は涼やかに笑う。

 その雰囲気は何処となく、今の主人のアウローラに似ていた。

 極々自然の理として自分以外の人間を下に置く、支配者の気質と言うべきか。

 囁く声も、何気ない仕草の一つ一つにも。

 相手に「否」と言わせない、そんな強制力が伴っている。

 

「自己紹介が遅れたわね。私の名はイヴリス。

 不肖の身なれど、《黄金夜会》の会長を務めさせて貰っているわ」

 

 予想通りの名乗りを口にしながら、イヴリスは優雅に一礼する。

 ……直接手合わせしたからこそ、私はオーガスタの実力について理解していた。

 先の攻防は此方が上回ったが、彼女は《爪》に匹敵する強さを有している。

 ならば、今目の前に立つイヴリスはどうだろう。

 少なくともその佇まいから戦闘者特有の「圧」は感じない。

 但し、底の知れない不気味さは嫌でも伝わってくる。

 次の瞬間には何をしてくるか分からない。

 この手の「未知」は敵にする場合は厄介に過ぎる要素だ。

 

「――そんな恐い顔をなさらないで。

 取って食おうというつもりはありませんから」

 

 此方の感情を読み取ったか、イヴリスは愉快そうに笑みをこぼす。

 そうして笑う様は、獣が獲物を前に舌なめずりをしている姿に良く似ていた。

 

「余り説得力がない台詞だな。

 そもそも、部下を私にけしかけたのは其方じゃないのか?」

「多少の誤解はあるけれど、概ね間違ってないわね。

 貴女を夜会に招待するようオーガスタに命じたのは私ですから」

「私は単なる新入生だ」

「久しく外部から来訪した真竜、その麾下として特待生待遇で入って来たのに?

 謙遜も過ぎると嫌味に感じる人もいるわ」

 

 本当に、楽しそうに笑う女だ。

 やはり印象としては主人に近い部分が多い。

 ……《黄金夜会》、この《学園》における生徒達の自治組織。

 「学園長」直属である彼らの権威は、どうやら副学長のマレウスより上らしい。

 その頂点であるイヴリスは、「学園長」に次ぐ《学園》の最高位だろう。

 恐らく彼女は、私達の知らない多くの事を知っているはず。

 ならば――。

 

「……確かに、私達はまだ出会って間もない。

 お互いに誤解や行き違いも多くあると思う」

「ええ、そうね。オーガスタの無礼については、上位者の私から謝罪するわ」

「構わない。いや、素直に受け取ろう。

 先程も言った通り、戦闘訓練の一環と思えば有意義な時間だった」

 

 イヴリスの傍らでオーガスタが明らかに悔しそうな表情をしているが。

 とりあえず、今それは気にしないでおく。

 私としても半分本音だし、別に彼女を侮辱する意図は無いんだ。

 彼女の上位者であるイヴリスは、その辺りの事は理解してるように見える。

 理解した上で、特にフォローしたりもしないようだが。

 

「夜会への招待は、受けても良いと考えている」

「あら、それは嬉しいけど――」

「あぁ、すまないが私にも目的がある。

  そちらの都合を聞くのなら、見返りを求めたい」

 

 言ってから、私は近くで様子を見守るマレウスに視線を送った。

 彼女は何も言わず、ただ小さく頷き返す。

 とりあえずこの場は私に任せてくれるようだ。

 

「私にそんな風に交渉を持ち掛ける子は久々ね。

 良いわ、とりあえず聞かせて貰える?」

「……貴女と違って、私は腹芸が得意な方ではない。

 だから単刀直入に聞かせて貰う。

 私が知りたいのは、『学園長』についてだ」

 

 誤魔化しや、迂遠な物言いに意味はあるまい。

 そちらで挑んでも、間違いなくイヴリスの方が上手のはず。

 故に正面から切り込み、相手の反応を伺う。

 私の問いかけに対し、《黄金夜会》の会長は僅かに迷う素振りも見せずに。

 

 

 ただ一言、それだけを返して来た。

 

「答えられない、というのは?」

「言葉通りの意味よ。それ以上でも以下でもないわね」

「それは答える気がない、という事か」

「いいえ。『答えられない』。

 ごめんなさいね、そういう取り決めなの」

 

 答えられない。

 イブリスはその単語を繰り返す。

 そして「取り決め」か。

 推測としては「学園長」から受けた制約だろう。

 「自身に関わる情報を他者に漏らしてはならない」とか、そういう類の。

 全て私の予想に過ぎず、イヴリスの微笑みから内心を読み取る事は出来ない。

 ただ、彼女が酷く上機嫌である事だけは分かった。

 

「……これはどうやら、日を改めた方が良さそうね。

 ドタバタと騒がせるだけ騒がして、本当に申し訳ないけど」

 

 そう一方的に告げると、イヴリスは踵を返す。

 オーガスタは何も言われずとも、そんな彼女の背に続いた。

 向こうはもうこの場で話す事は無いといった態度だが。

 

「待て、まだ聞きたい事がある」

「あら、何かしら?

 私もこれで忙しい身だから、手短にお願い出来る?」

 

 ちょっかいを掛けた側が言う台詞でも無いが、それは流しておく。

 「学園長」の事以外でも、聞いておくべき事はある。

 

「私を夜会に招く――と言っていたが、一体何が目的だ?」

「貴女とお友達になりたいだけ、って私が言ったら。

 それを素直に信じて貰えるかしら?」

「戯言か、或いは煙に巻きたいだけと判断するな」

「そうでしょう? 私、嘘はあんまり言わないのだけど」

 

 クスリ、クスリとイヴリスは笑う。

 何故かオーガスタが凄い目で私を睨んでいるが、理由は不明だ。

 そんな部下の様子すら楽しむように、イヴリスは楽し気に微笑み続ける。

 

「貴女が夜会に参加してくれるのなら、幾らでもお話出来るけど。

 今はその気は無いのよね? 残念だわ」

「……そちらも、それを分かってやっているんじゃないか?」

「そういう事もあるし、そうでない事もある。

 儘ならないのは世の常でしょう?」

 

 やはりイヴリスの言動は、その本質を掴ませようとしない。

 言うだけ言って満足したか、彼女は今度こそ此方を振り向く事はしなかった。

 《黄金夜会》の会長であるイヴリスが、何かを知っているのは間違いない。

 この場で強硬策に出る事も考えたが――止めておこう。

 オーガスタとの戦いで受けた負傷も決して浅くはない。

 何より、あのイヴリスという女を侮るべきではないと判断した。

 挑むのであれば、少なくとも万全の状態で臨まねば。

 

「――テレサ、大丈夫っ?」

 

 イヴリスとオーガスタ、《黄金夜会》の二人が訓練室を出ると。

 今まで黙っていたマレウスが、直ぐに私の傍に駆け寄る。

 気配が遠ざかった事で、少し緊張感が抜けたか。

 一瞬ふらつきかけた私の身体を、マレウスは即座に支えてくれた。

 

「すまない、マレウス」

「謝るのは私の方よ。……あの子達は『学園長』直属。

 副学長とはいえ、《黄金夜会》のメンバーに私は逆らえない。

 本当にごめんなさい……」

「貴女こそ謝る必要はない。

 あの二人にも言ったが、良い戦闘訓練になったよ」

 

 冗談めかすつもりで言ったが、余り効果は無かったようだ。

 小柄な見た目とは裏腹の力強さで、マレウスは私の身体を抱き上げようとする。

 流石に驚いたが、ダメージの残る状態では抵抗の余地もない。

 

「とりあえず軽い怪我じゃないんだから、医務室へ急ぎましょう!」

「ま、マレウス? 別にこれぐらいの負傷なら、魔法で治療すれば……」

「魔法による治療は便利だけど、万能じゃないのよ。

 自然治癒とは違うから、癒した後の身体に齟齬や歪みが蓄積する事もある。

 特に貴女みたいに身体を技術的に強化してる子の場合はね」

 

 そう話している間も、マレウスは一瞬たりとも止まらない。

 私を器用かつ丁寧に抱えた上で訓練室を出て、そのまま通路を素早く進む。

 当然人目もあるわけで、私は大層困ってしまった。

 とはいえ、これも完全に彼女の善意から来る行動だ。

 流石に文句も言えず、出来るだけ身体を丸めて大人しくしているしかない。

 

「その、マレウス? ほどほどのところで下ろして貰えると……」

「……オーガスタは、優しい子なの」

 

 それでも一応声は上げておこうと。

 そう思った時、マレウスは小さく呟いた。

 間近で見る顔は幼い少女の物だが、浮かんだ表情は苦悩に満ちた大人のモノだ。

 普段は穏やかさと優しさで隠された傷痕を、私は垣間見てしまった。

 

「昔はもっと気弱で、いつも人の影に隠れてしまうような子だったんだけどね。

 ……《黄金夜会》に入ってからは、あんな感じ」

「人が変わってしまった、と?」

「分からない。私も前はあの子の訓練や勉強を見て上げてた事もある。

 それであの子の事をきちんと理解できたかと言うと、自信はまったく無いわ」

 

 笑うマレウスは、これまでとは違って酷く寂し気だ。

 変わってしまったかつての教え子の様子を、彼女は嘆いているのか。

 

「あのイヴリスの方は?」

「あの子は、多分昔っからあんな感じよ。

 悪い子では無い……と、思うんだけど……」

 

 オーガスタの時と違い、こっちの評価は微妙だった。

 昔からあんな感じとは、さぞや友人も少ない事だろうな。

 ……「友達になりたいだけ」という発言も、本気で言っていた可能性もあるな。

 いや、其処はまだ分からないが。

 少なくとも私は、イヴリスが本音で話していたとは微塵も思っていない。

 

「……それで、マレウス。

 別に歩けないわけではないから、そろそろ……」

「ダメよ、偶には無茶しない事も覚えないと。

 それに医務室はもう直ぐそこだから」

 

 どうやら本格的に諦める他無いようだ。

 大人しく身を任せる事を選んだ私に、マレウスは小さく微笑む。

 

「今の私は、大した事も出来ないから。

 せめてこのぐらいはさせて頂戴」

「マレウス……」

 

 そんな事はないと、言葉で伝えるのは簡単だ。

 しかしかつての教え子に敵意を向けられ、その胸に哀しみを沈めた彼女に。

 ありきたりな慰めを正しく届ける自信は、私には無かった。

 だからせめて、羞恥を抑えて彼女の望む通りにして貰う。

 それでこの優しい竜の心が、少しでも救われる事があるならと。

 

「――あ、妹さんや仲間の皆にも、貴女が医務室にいる事は伝えておくわね。

 安心して治療に専念してね。私もお世話してあげるから」

「いや、流石に其処までして貰うわけには……!」

「遠慮しないの」

 

 年長者特有の強引さとか、そう表現するべきか。

 兎も角、マレウスはそのまま私を医務室へと運び込んだ。


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