404話:強欲な選択


「神の力を授かりたい、か。

 確かにそう言ったな、異邦の娘よ」


 向けられた願いを、王様は確かめるように繰り返す。

 傍らのシャレムは無言。

 ただ王様の方は、明らかに楽しそうに笑っていた。

 面白い玩具を見つけた子供の視線。

 しかしその目は、《人界》の頂点である大英雄のものだ。

 まともに見られただけでも、常人ならば魂を砕かれかねない。

 そんな重圧を、テレサは真っ向から受け止める。

 拳を握り、歯を食いしばって。

 決して怯まず、王様の視線を正面から見返していた。

 その堂々とした様に、王様の方はますます笑みを深めたようだ。


「良いぞ、か弱い人の子でありながら実に見事な気概だ。

 どうであれ、お前たちには褒美を賜わすつもりではあったからな。

 お前が神の一柱になりたいのであるなら、我はその願い通りにしよう」

「寛大な心に感謝します、陛下」

「いやいや、礼を言うのはまだ随分と早いぞ」


 深く頭を垂れるテレサ。

 語りかける王様の声は、いっそ優しげですらある。

 が、その芯には酷く嫌な響きがあった。


「神になる。

 言うは易いが、実際には容易い選択ではない。

 そちらの妹が《星神》の後継を断ったのは、ある意味では賢明よ。

 神となり、人の枠を外れる。

 星と繋がり、永遠不滅の魂となりてその役目を果たし続ける。

 あぁ、定められた生命しか持たぬ身では、まったく容易い話ではない」

「…………」


 テレサは何も言わない。

 今にも飛び出しそうなイーリスは、一旦こっちで抑えておいた。

 なかなか凄い目で睨まれたが、ちょっと落ち着いて欲しい。


「おい、レックス……!」

「大丈夫だ」

「何が大丈夫ってんだよっ」

「分からんけど、大丈夫だ」


 実際、テレサが何を考えてるかまでは分からない。

 分からないが、彼女なら大丈夫だ。

 そこそこ長い付き合いだ。

 テレサはテレサなりの正しさを選べると、そう信じている。

 王様の視線だって、今はちゃんと受け止めてるんだ。


「さて、少し長々と脅し過ぎたか?

 では、お前の願いを示せ。

 神となる者は、王たる我から一つの権利を許される。

 叶えられる願いの権利は一つのみ。

 それとも、先ほど口にした力を得ることがそのまま願いとなるか?」

「いいえ、王よ。

 私が願う事は、それではありません」 


 小さく首を横に振る。

 緊張がこっちにまで伝わってくるようだ。

 ぎゅっと拳を握り、テレサは敢えて一歩前に出た。

 何かしらの意味のある行為ではない。

 多分、自分を鼓舞するためにそうしたのだろう。

 神々の王へと挑むように、テレサは続ける。


「その願う権利とは、何でも構わないのですか?」

「《人界》に害を及ぼさぬ限りはな。

 それ以外の制限は特にない。

 繰り返しになるが、願える権利は一人一つという事ぐらいだ」

「であれば、私が神として願う権利は一つのみです」

「ならば、それを歌い上げてみせよ。

 ――過去に我との拝謁に辿り着き、幾人かが願いにより神となった。

 《人界》以外でも人間が暮らせる地を。

 そう願った者には、《庭》を創造する権利を与えた。

 荒野に彷徨うものに正しき死を。

 そう願った者には、荒野に生きるすべてを殺す権利を与えた。

 ある者は先代の神の役目を引き継ぐ事を願った。

 ある者は完全な存在を夢見る事を願った。

 王として、それらの願いと祈りを見定めるのもまた貴重な娯楽だ。

 異邦の娘よ、お前はどんな権利を神として求める?」


 沈黙は、ほんの数秒ほど。

 俺たちはただ、何も言わずにテレサを見ていた。

 彼女が王様にどんな祈りを口にするのか。

 イーリスは少しだけ震えていた。

 姉がまた、自分の手が届かないところへ行ってしまうのでは。

 かつて味わった恐怖が、胸の内から蘇っているのだろう。

 だから俺は、イーリスの肩を軽く叩いた。


「大丈夫だ」


 また、同じ言葉を繰り返す。

 大丈夫だ、何も心配することはない。

 声には出さず、イーリスはただ小さく頷いた。

 視線は姉の方へと向けたまま。

 そして。


「……私が、神として願う権利。

 それは

「…………なに?」

「私の願いと祈りを、どうか正しく聞き届けて欲しい。

 私はあくまでテレサという一人の人間として、最後まで生きて死にたい。

 神としての永遠ではなく、人としての短い生を。

 その権利と共に、私にどうか神の力を」

「…………」


 珍しく。

 本当に珍しく、王様の方が口を閉ざした。

 明らかに驚いてる様子だった。

 いや、俺も正直に言って驚いている。

 イーリスも同様だ。

 ボレアスだけは、必死で爆笑したいのを堪えているようだった。


「……陛下」

「ふっ。いやすまんな。

 まさか、まさかそんな事を。

 神の力が欲しいと願いながら、神として生きる事は御免だと?

 ハハハハハハハハハハハハハハッ!!

 まさか、そんな馬鹿げた願いを口にする者がいようとは……!!」


 王様は笑う。

 文字通り、腹を抱えての大爆笑だ。

 傍らのシャレムは呆れ顔だが、それは多分王様に対してだろう。

 一頻り笑い転げてから、王様は息を吐く。


「力は欲しいが、永遠は望まぬか。

 神になることを望む者は、不老不死は当然として受け入れるのだがな」

「はい、私は永遠を望みません。

 人間としての一生だけで十二分。

 故に私は、その神の永遠を拒否する権利を願いましょう」

「ハハハハハ、なんという強欲な祈りか!

 だが良し、気に入ったぞ。

 その願いを、祈りを。

 《人界》の王が聞き届け、汝の権利として認めよう!!」


 王様がそう高らかに宣言した直後。

 眩い光がテレサを丸ごと包み込んでいた。

 強烈な光だった。

 不思議と目を焼かれる感覚はないが、視界は完全にゼロだ。


「姉さんっ!?」

「……大丈夫だ、イーリス。

 心配しなくていい」


 思わず呼びかけたイーリスに、テレサは穏やかに応えた。

 光が消えるのは一瞬。

 僅かな残滓もなく、空白の世界にテレサは変わらず立っていた。

 ……変わらず?

 いや、変化は間違いなくあった。

 テレサから感じる、力の圧のようなもの。

 それがさっきまでより、間違いなく強まっている。

 纏う空気もうっすらと輝いて見えた。


「願いは正しく叶えられた。

 神ならざる神、人としての生のみを求めた欲深き娘よ。

 後はお前の好きにせよ。

 人が短き生涯を、どのように全うするか。

 その意思を持つ自由は、王が認める必要もない権利だ」

「……偉大なる王よ、感謝します」


 王様に、もう一度深く頭を下げて。

 それから改めて、テレサは俺たちの方に戻ってきた。

 いや、なかなかひやひやしたな。


「姉さん!!

 この……っ、心配したんだぞチクショウ!」

「悪かった、これぐらいしなければと思ってな」

「いや、今のはなかなか見ていて愉快だったぞ」


 半泣きのイーリスと、逆にめっちゃ楽しそうなボレアス。

 それに応えてから、テレサは俺を見た。


「申し訳ありません、レックス殿」

「うん?」

「貴方はきっと、こういう形では力を求めないでしょうから。

 主を救いに行くには、これまでの私では足手まといになってしまう。

 ですから、このような真似をしてしまいました。

 恥を知らぬ行為であると、自覚はしています」

「んー、別に気にするような事じゃないだろ」


 やや気落ちしているテレサの頭を、ぽんと軽く撫でて。


「俺だって、借り物貰い物は多いしな。

 どんな力や武器も、使うのは自分なんだ。

 だったら別に気にする事はないと思うぞ?」

「……はい、ありがとうございます」

「恥だろうが何だろうが、これから挑むのは《最強最古》だ。

 手段の選り好みなぞしてる余裕はあるまいよ」


 まさしく、ボレアスさんの言う通りだ。

 これまで戦った大真竜を含めても、一番の難敵かもしれない。

 手段がどうあれ、テレサが強くなってくれたのは大変助かる話だ。


「願いは叶えた。

 後は好きにするがいい。

 《人界》はお前たちの戦いには干渉せぬ。

 この地が脅かされる事がない限りはな」

「あ、お世話になりました。

 ちなみに元の場所に戻る方法については?」

「そこの娘に力を授けたであろう?

 神の権能であれば、その程度の人数を抱えて飛ぶぐらいは容易い」


 うーん、凄いな神の力。

 俺は改めて王様に一礼をした。

 テレサが強くなって、戻る方法も確保できた。

 後は眠ってるルミエルが目覚め次第、出発って形になるな。

 と、《巨人殺し》がこちらに近付いて来る。

 表情はいつもの如く鉄面皮だが。


「お別れね。私は《巨人》を殺さなくちゃならない」

「あぁ、短い間だったけど助かった」


 礼を口にすると、少女はうっすらと微笑む。

 それから片手を差し出して。


「武運を祈ってるわ、竜を殺す人。

 貴方ならきっと大丈夫だと、そう信じてる」

「ありがとうな、《巨人殺し》。

 相棒とは仲良くな」

「言われてるわよ、クロ」

『ご忠告感謝するよ』


 唸る黒蛇に、ついつい笑ってしまった。

 後はできれば、アストレアには一声かけておきたいな。


「……ま、とりあえず一休みだな」


 呟く。

 多分、海を渡って大陸に戻ったなら。

 これまでで一番過酷な戦いになるだろう。

 遠い昔に死んで、アウローラの手で今の時代に目覚めてから。

 なんだかんだと続いたこの旅。

 或いは、その終わりが近いのかもしれない。

 そんな予感がしてならなかった。


「……おい、レックス。大丈夫か?」

「ん? あぁ、問題ないぞ」

「アウローラの奴を助けに行くんだろ、しっかりしろよ。

 アイツはお前がいないと根本的にダメなんだから」

「イーリス、あまりそういう事を口に出すのはな……」


 相変わらず遠慮容赦のないイーリスさんを、テレサは苦笑いで窘める。

 ボレアスも、軽く俺の脇腹を肘で突いてきた。


「イーリスの言う通り、強く気を持てよ?

 我としては、過去の振る舞いを掘り起こされた長子殿を笑いたいのだ。

 そのためにはお前にしっかり働いて貰わねばな」

「もしかして、アウローラの事が心配か?」

「殴るぞ貴様」


 素直じゃない奴め。

 あまりにいつも通りのやりとりで、思わず笑ってしまった。

 同時に、一人欠けている事が無性に寂しくなる。

 アウローラ。

 俺がそう名を呼ぶことにした彼女。

 今の旅は、アウローラと共に始めたものだ。

 だったらちゃんと、迎えに行ってやらないとな。

 例えそれが、旅そのものの終着点だとしても。


「……よし、がんばるか」


 上手く行く保証はない。

 しくじったなら、死ぬより悲惨な結末になる可能性もある。

 それでも、俺はまだ生きている。

 手には剣があり、意思がある。

 だったら、やるべき事は変わらない。

 必ず行くから、もう少しだけ待っていてくれよ。

 なぁ、アウローラ。


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