57話:最後の一矢
誰なのかは考えるまでもない。
眼前の男から注意を外すのは危険だと、確認はしなかったが。
ほんの僅かに。
そう、ほんの僅かにだが、ウィリアムの意識が此方から逸れていた。
仕掛けられる程の隙ではない。
ただこの男も、響く声を無視出来なかったようだ。
だから俺の方も、チラリとだけ其方に視線を向ける事にした。
薄暗い木々の向こう側から踏み出す彼女。
予想通り、それはアディシアだった。
遅れてイーリスとテレサ……と、アレ、何かオマケが付いてる?
「コレは戦利品だから、気にしなくて良いぞ」
甲冑お化けを傍らに従えたイーリスが、そんな感じで軽く手を振って来た。
成る程、経緯は分からんがそういう事なら気にせんどこう。
あっちの無事を確認出来たのは良かった。
「何をしに来た?」
ウィリアムの言葉は、触れれば切れる刃のように鋭い。
今、男の眼は俺ではなく自らの娘を捉えていた。
その圧力を受けて、アディシアは一瞬怯んだように見えた。
真竜すら殺して喰らった男の「敵意」。
だが、それを受けながらも彼女は退かない。
むしろ自分を鼓舞するように、一歩前へと踏み出して。
「何をしに来た? こっちこそ、お前に聞きたい。
此処で何をしている? 真竜は、もう殺したんじゃないのか」
「そうだ、俺が殺した。
サルガタナスは今は亡く、俺が力として喰い殺した」
その言葉が事実である事を示す為か、浮かぶ怪腕を大きくうねらせる。
だけでなく、毛を刃のように逆立たせて、纏う毛皮全体をより肥大化させていく。
アレが出て来てまだ短時間だが、身体の一部みたいに動かすな。
「……それなら、もう良いはずだ」
「何がだ?」
「サルガタナスを殺したのなら、《狩猟祭》はもう終わりのはず。
戦う理由なんてない。なのに何故……!」
「あるとも。戦う理由ならある」
迷いも躊躇いも、男の言葉には欠片も混じっていない。
ただ強烈な確信だけを込めて、娘の疑問にウィリアムは断言する。
「森を、森人という種を護る為には力が必要だ。
確かにサルガタナスを殺し、今や俺は新たな「真竜」となったと言っていい。
だが「たったそれだけの力」で、本当に未来を保証出来るのか?」
「っ……何を、言ってる……?」
「俺はサルガタナスの力を喰らい、新たな“森の王”となった。
だがこの森を守る為には、まだまだ力が必要だ。
そして俺の前には、「必要なモノ」を備えた男がいる」
再び。
冬空の月光にも似た殺意が、俺を焦点に結ぶ。
「故に、俺はこの男を狩る。
赤い月が沈まぬ限り、《狩猟祭》は終わらない」
「ウィリアム……!!」
「ヴェネフィカめ、余計な事をしてくれたものだ。
此処にお前が来たところで、何も変わる事はないぞアディシア」
その言葉を最後に、ウィリアムは娘を完全に視界から外した。
同時に、アディシアは素早く弓を構える。
一秒の迷いもなく、番えた矢が放たれるが――。
「無駄だ」
ウィリアムはそれを一顧だにしない。
自動で動いた毛皮の刃によって、矢の悉くが砕かれて散る。
「迷いなく撃った事に関しては褒めてやろう。狙いも正確だ。
だが、その程度では竜は殺せない」
「ッ……こっちを見ろ、ウィリアム……!!」
「必要がない」
これ以上語る事はないと。
そう示すように、ウィリアムは俺に剣の切っ先を向ける。
「すまんな、待たせてしまった」
「いや、別にそれは良いけどな」
俺もまぁ、親子の間に割って入るほど野暮なつもりもない。
それはあくまでウィリアムとアディシアの問題だから、好きにすれば良い。
ただ敢えて言う事があるとしたら。
「もうちょっと本音で話してやったらどうだ?」
「何の事だか分からんが、俺は偽りを口にする事は余り無いぞ」
「訂正。もうちょい分かりやすく喋れ」
コレに仕えてたらしいヴェネフィカの苦労が偲ばれるな、マジで。
地を蹴ったのは、また互いに同じタイミング。
振り下ろされた二つの剣が正面からぶつかり、削り合う。
俺の気のせいじゃなければ、押し込んでくる力はさっきより強まっている。
取り込んだ真竜の力による強化か。
ウィリアム自身が口にした通り、今や男は「竜」となりつつあった。
「お前は強い。認めよう、レックス。
おかげでサルガタナスを狩る計画を百年は前倒しに出来た」
「なんだ、何かお礼をくれる流れか?」
「此処で俺に勝ったら考えてもいい。が、それは無理だろう」
「そりゃ何でだ?」
「決まっている」
刃を間近で合わせながら、ウィリアムは笑う。
「最後に勝つのは、俺だからだ」
自信と確信に満ちた、それ以外は全て切り落とした言葉。
だから俺も兜の中で軽く笑って。
「いや、勝つのは俺の方だ」
同じ言葉をそっくり返しておいた。
俺もウィリアムも笑みを深めて、思わず声にも漏れてしまう。
この男は面倒な相手だし、クソみたいに厄介な敵だが。
どうも根っこの部分では気が合うらしい。
恐らくウィリアムも、似たような事を考えているだろう。
俺は、俺がそうしたいから竜を殺す。
ウィリアムは、自分の同胞達の為に敵を殺す。
だから、互いに相手を殺す。
その完全な同意の上で、俺達は刃を交え続ける。
「む……!?」
そうしてウィリアムの剣を弾いていると、再び大きな変化が起こる。
黒い爪を振るう怪腕のサイズが増して来た気がする。
いや、それだけではない。
腕が巨大化するのに合わせて、それと繋がる黒い毛皮全体も膨らんでいく。
変化は濁流のように急速に進む。
やがて。
「マジかよ」
ウィリアムの背後には、巨大な黒狼がいた。
サルガタナスの姿が脳裏を過ったが、アレとはまた違う。
何処か歪だった真竜とは異なり、其処にいるのは美しい獣だ。
その毛並みは夜を切り取ったかのように黒く、瞳には月の光を宿していた。
「まさか、《竜体》……!?」
アウローラが思わず驚愕の声を上げる。
現れた黒狼は、そのまま俺目掛けて鋭い爪を振り下ろす。
それはまるで雷のようだった。
咄嗟に転がって回避したが、背後で大地が斬り裂かれたのを感じた。
直撃してたら真っ二つだったか、これは。
大きく避けた隙を、ウィリアムは当然ながら見逃さない。
此方を串刺しにしようと追ってくる刃を、更に転がって何とか回避する。
「なりふり構わん男だな!」
「お前に言われたくねぇ……!」
ウィリアムの攻撃に合わせて、黒狼も巧みに爪を繰り出してくる。
黒狼の動きはやはり獣のモノだが、ウィリアムの剣がそれを連携に作り替える。
流石に完全には捌き切れず、鎧の表面をガリガリ削られ出す。
「キツイな……!」
そんな風に文句を口にしたくなる程度には厳しい。
直撃すれば粉々にされそうな黒狼の爪を、一度後ろに跳んで躱す。
俺とウィリアムの間に距離が出来る。
腕の一振りが邪魔で、その瞬間はウィリアムも間を詰める事は出来ない。
ここらで少し体勢を立て直すかと、そう考えた矢先。
「……ッ!!」
何度目かになるかも分からない悪寒。
ウィリアムは動いていない。
いや正確には、その場で剣を上段に構えていた。
後方に跳んだ事で、僅かにバランスを崩している俺に対し。
間合いを詰める事無く、ただその場で剣を振り下ろして――。
「っとぉ……!!?」
弾いた。ギリギリのギリギリだったが。
殆ど勘で構えた剣が、硬い音と共に火花を散らした。
それは魔法ではない。
特に根拠はなかったが、俺はそう確信した。
更に二度、三度と振るった剣が虚空で何かを弾き落とす。
相変わらずウィリアムはその場から動いてない。
ただ手にした月の剣を振るっただけ。
これが意味するところは。
「斬撃を飛ばすとか、マジかよお前」
「……初見で防がれるとは思わなかった」
先ほどまでの攻防の流れは、糞エルフの予定通りだったのだろう。
俺が「距離を取りたくなる」よう攻め手を調整し。
まんまとこっちが離れた瞬間に、今まで見せなかった「飛ぶ斬撃」を打ち込む。
原理は分からんが無茶苦茶しやがる。
ウィリアムは呼吸を整え、剣の切っ先を俺へと向ける。
「だが、最早そう余力もあるまい」
「そっちも息が上がって来てるだろ」
どちらも、相手の攻撃をまともに受ける事だけは避けて来た。
だがこんだけ激しく殺り合えば、どうしたって消耗は隠し切れない。
ウィリアムも表面上は涼しい顔をしている。
しかし取り込んだ真竜の力の制御とかで、大分無理はしているのだろう。
僅かに滲む疲労の色までは誤魔化せない。
「……確かに、想定以上に梃子摺っている事は認めよう」
俺の指摘に、ウィリアムは軽く笑う。
そうして。
「だが、先に宣言した通り。
最後に勝つのは俺だ――例え、どれだけの敵を相手にしようがな」
ウィリアムが告げると同時に、黒狼が動いた。
標的は俺ではない。
《転移》で飛んできたテレサと、今はイーリスが操ってるらしき《金剛鬼》。
その姉妹の奇襲に対し、爪と刃に変化した毛皮で迎撃する。
完全にタイミングを読まれていた事に、テレサは表情を驚きに染める。
ウィリアムは其方を一瞥すらせずに。
「お前達程度に割く時間はない」
それだけを言い放つと、黒狼の身体から大量の「狼の群れ」が吐き出された。
見た目の印象は、サルガタナスの使っていた《鱗》の黒獣に近い。
黒い波濤に呑まれる形で、テレサもイーリスも間合いから押し流される。
勿論、俺も見ていただけではない。
糞エルフは戦いの邪魔を排除しただけだ。
故に姉妹の助けには向かわず、真っ直ぐにウィリアムの方へと走る。
ウィリアムもまた、火の粉を払う為に一瞬だけ外した注意を再び俺に集中させる。
月の刃が踊れば、「飛ぶ斬撃」が俺を切り刻もうと襲う。
それを全て弾き散らしながら、足を止めずに間合いの内へと斬り込む。
黒狼が姿勢を低くして、天地を呑もうとするようにその大きな顎を開いた。
咆哮――じゃないな。
恐らくは
全力で真っ直ぐ走っている現状、避ける機会はもう逸していた。
ならば頑張って耐えるまでと、俺は歯を食いしばる。
黒狼の顎、その奥底に渦巻く「力」の存在を感じ取って――。
「――――ッ!!」
爆ぜた。
が、それは俺を巻き込まず。
黒狼が放った強烈な衝撃波らしきモノは、此方に当たる前に砕け散ったのだ。
それを成し遂げたのは、虚空に浮かぶ《最強最古》と呼ばれた少女。
「《砕けろ》」
アウローラが短く囁く《力ある言葉》。
更にその魔法攻撃を連打する事で、黒狼の動きを抑え込む。
この礼は、勝って終わった後にちゃんと伝えよう。
だから今は何も言わず、ウィリアムへと剣を振り下ろす。
ウィリアムから焦りは感じられない。
真竜の力で作った《竜体》を抑えられ、奥の手だろう「飛ぶ斬撃」も対処された。
それすらも「想定していた」と言わんばかりにウィリアムは崩れない。
俺の剣を弾き落とし、流れるような反撃の一刀を今度は俺が弾き落とす。
この糞エルフの動きにも大分慣れて来た気はする。
相手も恐らく、俺の動きには慣れたはずだ。
最後の勝利を掴む為に、俺達は剣を振るい続けた。
「レックス!!」
俺を呼ぶアウローラの声にも応じる余裕はない。
剣を振り、剣を弾き、剣を叩き付け、また剣を弾いて弾く。
どちらも決して止まらない。
止まった方が負けると分かっているからだ。
いつの間にやら、ウィリアムの身体には幾つもの傷が刻まれていた。
同じように、俺も鎧を削られる以上の負傷を受けつつある。
決着は近いと、根拠の無い予感が浮かんで消えた。
姉妹は足止めの獣に絡まれて、アウローラは魔法で黒狼を抑えつけようとしている。
この戦いを阻む者は最早いない。
少なくとも、ウィリアムはそう判断したはずだ。
「
囁くような勝利の宣告。
同時に、俺の足下で鋭い痛みが走った。
足の裏だかを何かに刺された。
視界の端に捉えたのは、地面に落ちた黒い毛のようなもの。
多分だが、あの黒狼の毛だ。
これまで殺り合う中で、意図的にばら撒いておいたか。
その一部が小さな刃状に変化し、俺はまんまとそれを踏んづけたと。
意識外からの嫌がらせじみた奇襲。
本当に、本当に一瞬だけだが、痛みと驚きに身体が強張った。
ウィリアムはそれを見逃さない。
俺の首を刎ねるべく、鋭く剣を打ち込もうと。
「ウィリアム!!」
――したところで、奴の動きもほんの一瞬だけ鈍った。
聞く必要のないはずの声を、男は聞いてしまった。
その隙を、俺も見逃しはしない。
遠くで響く風切り音。
機を図ったような形で、放たれる矢と共に剣は振り下ろされる。
アディシアの矢を、ウィリアムは見ていなかった。
しかしこれを叩き落とす為に、《竜体》である黒狼を無理やり動かす。
アウローラの魔法は、硬化した刃の毛皮で耐えている。
撃ち込まれた一本だけの矢に、黒狼はその分厚い爪を触れさせて。
「――――っ!?」
吹き飛んだ。そうとしか言いようがない。
明らかに想定外の威力を宿していた矢が、黒狼の爪を砕いていた。
既にウィリアム自身の一部にも等しい《竜体》の損傷。
それは当然のように、本体にも影響を与える。
痛みと驚きは、肉体をどうしようもなく麻痺させた。
「――あぁ。これで、決着だな」
それでも阻もうとした月の刃を無理やり押し退けて。
俺の振り下ろした剣は、ウィリアムの身体を袈裟懸けに斬り裂いた。
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