291話:愛という名の断絶


 雲の内側は想像以上の地獄だった。

 膨大な魔力が、風と稲妻となって荒れ狂う。

 それらは突入を果たした瞬間、一斉に俺たちへと襲い掛かって来た。

 他者の生存を一切許さない恐るべき大嵐。

 その中を、ボレアスは力強く真っ直ぐに飛んでいく。

 

『ハハハハ、なかなかに悪くない光景よな!』

「アンタ、こっちがガードしてなかったらとっくに撃墜されてるの分かってる……!?」

 

 テンション高めにはしゃぐボレアス。

 逆にアウローラは叫ぶように言いながら、展開した防御魔法の出力を上げる。

 彼女以外にも、猫が広げる力場とブリーデが呼び出した騎士たちの守り。

 それらの三重の防御によって、俺たちは辛うじて嵐の中を飛んでいた。

 

『今さらだけど“嵐の王”の領域に飛び込むとか正気じゃねぇ……!!』

「文句言ってないで働きなさい! 寝たら生皮引っぺがすわよ!」

『もーちょっとやる気の出ること言って欲しいなぁ!』

「アンタら、騒いでないで集中しなさいよ……!?」

 

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ古竜の姉妹と猫。

 現状こっちに出来る事はないので、とりあえずアウローラの頭を撫でておいた。

 さて、突入したまでは良いが。

 

「これ、何処にヘカーティアいるんだ?」

「あの《竜体》も相当に巨大だったが、それ以上に嵐の規模がデカ過ぎるな」

 

 状況は地獄だが、ウィリアムはいつもと変わらない。

 落ち着いた様子で周囲に視線を向けている。

 ぶっちゃけ視界は最悪もいいところだ。

 荒れる風と光を通さない暗黒の雲、バチバチと跳ね回る稲妻の群れ。

 魔力は満遍なく濃いせいで、そっちで探すのも難しそうだ。

 

「ボレアス殿、何か見えますか……!?」

『期待に添えず悪いが、目も鼻もロクに利かんからな!

 中心にいるのは間違いないと思うが……!』

「その中心が何処だよって話だよな」

 

 いや、ホントに分からん。

 テレサも必死に五感を駆使しているようだが、こっちとそう変わらないはずだ。

 アウローラたちは防御の維持に手一杯だし、なかなかに厳しい……。

 

「――すまない、索敵に手間取った。

 方向は私が指示する。どうか従って欲しい」

 

 と、アカツキが不意に口を開いた。

 機械の男は迷いない様子で、暗雲の一点に視線を向けている。

 

「確かなのか?」

「ヘカーティアの内には、私のオリジナルの魂が存在する事は話したと思う。

 その繋がりを利用する事で、私は彼女と同調と言うか、感覚の共有が行える。

 それを辿って、ヘカーティアの現在位置を特定した」

「成る程なぁ」

 

 便利、と言って良いかは分からんけど。

 兎も角、位置が分かったのなら話は早い。

 ボレアスは翼を広げ、アカツキが視線を向ける方へと進路を変える。

 

『此方で良いのだな!』

「あぁ、そのまま真っ直ぐに飛んでくれ。

 その先が嵐の中心――ヘカーティアのいる空だ!」

 

 アカツキの声に応じて、ボレアスは嵐の中を飛翔する。

 手探りだったこれまでとは違い、どんどんと加速していく。

 雲を、風を、雷を。

 それらを身に纏う鱗と、同じ古竜たちの護りによって弾きながら。

 やがて――。

 

「……ようやく見えたな」

 

 呟くウィリアムの言う通り、嵐の彼方にその姿が見えてきた。

 鋼色の鱗を持ち、空を覆い尽くすような大きな翼を広げた巨竜。

 “嵐の王”と称された、大真竜ヘカーティアの《竜体》。

 その周囲の空間には、これまでと比較しても倍以上の魔力が渦巻いていた。

 

「っ……!」

 

 それは防御を支えているアウローラが、思わず呻き声を漏らすほど。

 近付くという、ただそれだけの事でさえ困難を伴う。

 嵐を支配する大真竜の存在は、それほどまでに強大なものだった。

 

『――追って来たのか。

 参ったね、邪魔をしないなら見逃しても良かったのに』

 

 音ではなく、思念として響く声。

 ヘカーティアは俺たちに対して、どこか呆れたように語り掛けて来た。

 

「っ……イーリスを、私の妹を解放しろ! ヘカーティア!!」

『僕のことはコッペリアと呼んで欲しいな。

 あぁ、残念だけど君のお願いは聞けないんだ。

 あの子の魂は、今はもう僕の腹の中。

 大事な役目があるからこそ、わざわざこの手で殺して奪い取ったんだ』

「貴様……!」

 

 怒りのあまり、そのまま飛び出してしまいそうなテレサ。

 一先ず、そんな彼女の腕を掴んで留めておく。

 相手がデカ過ぎて遠近感が狂ってるが、距離はまだ遠い。

 加えて間で荒れる嵐の空間は、その距離以上に俺たちと大真竜とを隔てていた。

 

「……何を考えているんだ、ヘカーティア」

 

 テレサとは逆に、アカツキは穏やかな言葉を竜へと投げかけた。

 愛する者が、一体何をしようとしているのか。

 それを純粋に問いただそうと、機械の男は語り掛ける。

 ヘカーティアは、それに対して沈黙を返した。

 嵐の音だけが、轟々と耳に響く。

 

『……僕が考えているのは、いつだって君のことだよ。アカツキ』

 

 その声には、強い熱が込められていた。

 熱。感情の熱。

 怒りや悲しみといった激情とは違う。

 それは恋する者を思う、少女の愛と呼ぶべき熱だった。

 こんな状況じゃなかったら、聞いた相手は微笑ましさすら感じただろう。

 けど、今の俺にはとてつもなく危険なモノに思えた。

 

『僕は君を愛してる――愛してるんだ。

 君が失われてしまったという現実に、僕は耐えられない。

 そんな事は認められない。

 だから、どんな手を使ってでも僕は君を取り戻す。

 失ってしまった愛を、もう一度この手で』

「何をするつもりだと、そう聞いているんだ……!!」

。僕が行う事は、全部君への愛だ。アカツキ。

 だから――どうか、邪魔をしないで欲しい。

 君も、僕を愛してくれているのなら』

 

 ……そこにあるのは、どうしようもない断絶だった。

 愛を語り、行いを改める気のないヘカーティア。

 彼女にアカツキの言葉は届かない。

 それでも機械の男は、諦める事なく己の意思を示し続ける。

 

「私は『アカツキ』という男の模造品に過ぎないだろう!

 この愛もまた、かつてあったはずの魂の残響でしかないかもしれない!

 だが、それでも――!!」

『君の愛は分かってる。僕だけは分かってるんだ。

 けど、もう一人の「君」は認めてくれた。

 だから僕は、僕の行動を躊躇うつもりはないんだ』

 

 嵐が渦巻く。

 これまでも十分激しかった。

 だがそれすら凪でしかなかったと、そう示すように。

 より強大な風と雷が、“嵐の王”の周囲で吹き荒れ始めた。

 

『愛してる――君を愛してるんだ、アカツキ。

 だから、これは最後のお願いだ。

 どうか僕に、君のことを壊させないで欲しい』

「ッ……ヘカーティア……!!」

 

 言葉は届かない。

 互いの愛を知りながら、どうしようもなく断絶してしまっている。

 理解を不理解で応える女に、アカツキは強く拳を握り締めた。

 横で聞いていたアウローラが、呆れたようにため息を漏らした。

 

「――ホント、どうしようもない奴ね。

 頭の中がすっかり茹で上がっちゃって、馬鹿なんじゃないかしら」

『長子殿が言うことか、それは?』

「ホントにね……」

『オレも流石にコメントに困るわ』

「アンタらどっちの味方なの……!?」

 

 総ツッコミを喰らったようなので、俺からは何も言わないでおこう。

 ともあれ、アカツキによる説得の芽は消えてしまった。

 こうなる事は予想はしていたが。

 

「さて、先ずは辿り着くだけでも難事だな」

「笑いながら言うこっちゃないだろ糞エルフ」

 

 しかしまぁ、笑うしかないって気分も分からんではない。

 それほどまでに、越えるべき嵐は絶望的だった。

 その先に妹がいると、テレサは険しい顔で睨んではいる。

 だが強大過ぎる嵐の壁は、そんな視線さえも遮ってしまう。

 

『邪魔をしてくれるなよ。

 この場から去るなら、僕は君たちに何もする気はない。

 ねぇ、今はアウローラを名乗る可愛らしい長子殿。

 君だったら僕の気持ちを理解してくれるだろう?』

「下らない戯言をほざかないで貰えるかしら……!!」

 

 割と本気でキレながら、アウローラは叫び返した。

 嵐の壁を押し退けるために、防御魔法により強い魔力を注ぎ込む。

 焼石に水ではあるが、確かに効果はあった。

 ボレアスは少しずつだが、確実に前へと進んで行く。

 鋼の翼を広げる“嵐の王”まで、あと少し。

 

「私はお前とは違う……!」

『何が違うって言うんだい?

 愛する者を取り戻すために、君は色んなものを犠牲にしたんだろう?

 かつて《最強最古》と恐れられた頃の君なら。

 そんなに弱った姿を他人に晒すなんて、考えられなかったはずだ。

 三千年を費やす為に、どれだけの陰謀を放り投げたんだい?』

 

 アウローラに応えながら、ヘカーティアは笑う。

 それはどちらかと言うなら、自分を嘲る声だった。

 愚かなのは百も承知だと。

 どれほど愚かで無様でも構わないから、自分の望みを叶える。

 強烈な意思と、恋慕の熱で燃え滾るような声だった。

 

『ホントにもう止めようぜ、ヘカーティア!

 お前さんが無茶苦茶するおかげで、オレ寝る暇ないんですけど!』

『いいじゃないか、放っておいて寝てれば』

『そうしたいのは山々だけど、長兄殿とかが許してくれねぇんだってば!』

 

 残念ながら、猫の切実な訴えも届かない。

 いや、切実なのは猫だけなんだが。

 距離は――もう少しではあるのに、遥か彼方だ。

 嵐の勢いはまるで衰えない。

 

『……やっぱり、退いてはくれないか。

 そうであれば仕方がないね』

 

 心底残念だと、そう呟きながら。

 今まで不動だったヘカーティアの《竜体》が、僅かに動いた。

 翼をより大きく広げて、首を此方に向ける。

 赤く燃える眼差し。

 その瞳が初めて、俺たちの姿を捉えた。

 途端に、全身に感じる重圧が何倍にも増加する。

 敵意を向けられた。

 ただそれだけの事が、圧倒的な「死」の実感として圧し掛かってくる。

 うーん、分かっちゃいたがホントにヤバいな。

 

「ヘカーティア!!」

『残念だよ、アカツキ。本当に残念だ。

 ……これまでも、何度も「君」を壊して来たけど。

 何度繰り返しても、この瞬間には慣れないよ。

 嗚呼――本当に、残念だ』

 

 愛する者を、これから破壊する事。

 その事実に本気で嘆きながらも、ヘカーティアは躊躇しない。

 身に纏う嵐よりも、更に馬鹿デカい魔力が《竜体》を中心に膨れ上がる。

 うん、これはアカンわ。

 

「避けられそうか!?」

『さて、流石の我も全能とは言えんからな……!』

 

 一応期待を込めてボレアスに呼びかけるが、ちょっとダメっぽいな。

 アウローラたちが全力で防御を固めちゃいるが、通じるかどうか。

 ウィリアム辺り、まったく動じた様子もなく前を見てるが。

 アレは単に、足掻いても無駄だと判断しただけだな。

 

「おい糞エルフ」

「どうした、竜殺し」

「そっちは任せて良いか?」

「これでも忠実な従者のつもりだ。俺に出来る範囲で何とかしよう」

 

 それだけ聞ければ十分だった。

 俺は片手にテレサを抱き寄せて、もう片方の手で剣を抜く。

 その上で、防御を維持するアウローラの前に移動した。

 

「っ、レックス殿……!?」

「正直耐えられるか分からんが、まぁ出来る限りがんばるわ」

「出来れば、あんまり無茶して欲しくないけどね……!」

 

 まぁ、無茶せざるを得ない状況だからそこは我慢して欲しい。

 ヘカーティアの《竜体》が、その顎を開く。

 雷を凝縮した光が、並ぶ牙の奥で眩く輝いている。

 

『来るぞ!! 歯を食いしばっておけよ!!』

『そんなので耐えられない事ぐらい、君なら分かるだろう? 《北の王》』

 

 笑う声には、憐憫さえ含まれていた。

 そして。

 

『折角来て貰って悪いけど、サヨウナラだ。

 僕は僕の愛を取り戻す。

 例え、この大陸の何もかもを犠牲にしたとしてもね――!!』

 

 狂った結論を高らかに歌いながら。

 ヘカーティアの放つ雷の嵐が、俺たちの頭上に叩き落された。

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