第三章:夜を駆ける

40話:秘密の味


 訪れた朝は、思いの外穏やかなものだった。

 雑魚寝をしていた広間から抜け出し、外に続く扉をそっと押し開く。

 身を寄せ合っている姉妹はまだ寝息を立てているので、起こすのは忍びない。

 ゆっくり開いた扉から、冷たい森の空気を感じる。

 その隙間に滑り込むようにして外へ出る。

 そうしてから一息。

 目の前に広がっているのは、最近は見慣れて来た深い森だ。

 後ろを見れば、半ば木々に埋まった状態の小さな館を眺める事が出来る。

 ヴェネフィカから聞いた説明が正しければ、此処もまた森林都市の一角ではあるらしい。

 ただ都市内部ではなく、その外れに位置するのだとか。

 頭上を塞ぐ枝葉の間から、僅かにだが陽の光が差し込んでいる。

 

「ふー……」

 

 少し朝の空気を吸い込んでから、身体を動かす。

 鎧を着たまま休んだので、あちこち凝っている感覚がある。

 それをバキボキと鳴らしながら解すと、ちょっとした解放感が味わえる。

 たまたま早めに眼が覚めただけなので、別段目的があって外に出て来たわけではない。

 ちょっと散歩でもするか……と、考えていたが。

 

「ん……?」

 

 ふと、風を切る音が耳に届いた。

 矢を放った音である事は直ぐに分かった。

 軽く周囲を見回すが、それらしい姿は見当たらない。

 だがそう遠い場所でもないようだ。

 他にやる事もないし、未だ続く風切り音に誘われてみる。

 木々の隙間を慎重に歩けば、程なく目当ての姿を見つける事が出来た。

 アディシアだ。

 森の中に出来た少しだけ開けた空間。

 其処で彼女は無心に弓を引き続けていた。

 視線の先にあるのは、森に紛れるように立てられた幾つもの木製の的。

 既に何本もの矢が突き刺さっているソレに、アディシアは新たな矢を撃ち込む。

 タンッ、と。小気味の良い音が響く。

 改めて見ると、実際アディシアはかなりの腕前だった。

 集中力も凄まじく、今彼女の目には自分と狙った先の的しか見えていないだろう。

 そう感心しながら眺めていると。

 

「――女の子を覗き見とか、良い御身分ね?」

 

 耳元で囁く声。同時に、首元に絡む細い腕。

 抜け出す時はまだ眠っていたが、どうやら目が覚めたらしい。

 

「おはよう、アウローラ」

「おはよう、レックス。それで、こういうのが趣味だった?」

「いや、たまたま見かけただけだぞ」

 

 別に他意はないのだ。

 汗になる為か、薄着なアディシアにやっぱスタイル良いなとはちょっと思ったが。

 ギュゥギュゥと身体を押し付ける形で。

 アウローラは俺の背中へと強めに抱き着いて来た。

 

「貴方、何でもないような顔して意外と女の子好きよね?」

「美人や美少女を思わず見るのは生き物の本能だから……」

 

 なので其処は仕方がない。

 頬を寄せてくるアウローラの髪を軽く撫でて。

 

「この体勢だと、可愛い顔があんまり見えないな」

「……そういう言い方はズルいと思うの、私」

 

 わざとらしく拗ねた口調でアウローラは応える。

 それから一度離れると、今度は身体の正面から身を寄せる。

 俺は細い身体に腕を回して、それを軽く抱き上げた。

 そうするとアウローラは機嫌良さげに微笑んで、猫のように密着して来た。

 アディシアの方は、変わらず弓の訓練に没頭しているようだ。

 

「それで、彼女はどう?」

「良い腕だな、お世辞抜きに。

 あの《牙》相手に生贄救出とかやってただけの事はある」

 

 それも仲間の助けなしに、たった一人で。

 幾ら魔法使いの後方支援(バックアップ)があるとはいえ、並大抵の事ではない。

 俺の言葉に、アウローラは軽く首を傾げて。

 

「何ていうか……裏表がない印象よね、彼女。

 純粋というか、馬鹿正直というか」

「親の教育が良かったんだろうな」

「その親の方は、どうにも見せてない裏がありそうだけどね?」

 

 周りに聞こえぬよう抑えた声で、アウローラは笑う。

 アディシアの育ての母であるヴェネフィカ。

 彼女はアディシアと違い純粋な森人であるようだが。

 一体どんな経緯でこんな場所にいるのか。

 先日聞いた話では、生贄の半森人達をアディシアと共に助けているらしい。

 ストレートに悪人という事もないだろうが、現状では何とも言えん。

 

「まぁ騙してこっちに不利益になるなら、その時はその時だな」

「貴方ならそう言うと思ったわ」

 

 笑いながら、アウローラは俺の頬に唇を寄せる。

 いつの間にやら兜はズラされていて、少しばかりくすぐったい。

 何度か触れ合ったら、キチンと兜は元の位置に戻された。

 

「……そういえば」

「ん?」

「身体、何かおかしいところはない?」

 

 先ほどまでの様子とは大きく変わって、アウローラは気遣わしげに言った。

 マーレボルジェを斬ってからは、突然力尽きるような兆候もない。

 その事実を踏まえた上で、俺は一つ頷いて。

 

「あぁ、大丈夫。随分調子はいいな」

「何か異常な事があったら、直ぐに教えて頂戴ね」

「分かってる。ありがとな」

 

 応えながら、アウローラの頭をゆっくり撫でる。

 異常がないのは間違いない。

 むしろ調子は良いぐらいなのも本当だが、少しだけ気になる事もあった。

 剣の中に潜んでいるはずの、《北の王》だ。

 前の都市でマーレボルジェを斬り殺してから此処まで、随分大人しい気がする。

 胸の内に感じる火は今も激しく燃えたまま。

 その力強さは以前感じた時と何ら変わる事はない。

 《北の王》は間違いなく、その火の内にいるはずだ。

 そのはずなのだが、今日まで何のアクションもないのは少しだけ気になった。

 

「……レックス?」

「ん?」

「やっぱり、何かあるんじゃないの?」

「いや、何でもないぞ。大丈夫」

「本当に? 何か隠してない?」

 

 思考を偶に読み取ってくるだけあって、アウローラさんは大変鋭い。

 しかし《北の王》についての考えは、何故か都合よく読まれてない気がする。

 ……まさかとは思うが。

 剣の中にいる《北の王》自身が、それを防いでいるのでは。

 向こうもまたアウローラと同じ古の竜王の一柱だ、その可能性は大いにあり得る。

 此処まで黙ったままだったが、やはり素直に伝えた方がいい気も……。

 

「調子が悪い事もないし、本当に大丈夫だ」

「……まぁ、貴方がそう言うなら信じますけど」

 

 疑り深い彼女を宥める為、なるだけ優しく頭を撫でる。

 騙しているようで、少しばかり心苦しい。

 心苦しいのだが、俺の直感がある事実を告げている。

 《北の王》について話した瞬間、絶対にとんでもない事になる。

 幸いと言うべきか、テレサも以前見たモノはアウローラには伝えていない。

 ……そう、とりあえず今は何事も無いのだ。

 肝心の《北の王》も大人しくしている。

 もし前の時みたいに勝手に出てくるようなら、また俺が殺り直せば済む話だ。

 つまり何も問題はない。ないのだ。ヨシ!

 

「……やっぱり何か隠してる顔よ、それは。

 素直に言わないと酷いからね?」

「兜越しに人の顔色を見るのは如何なものかと思うんですよ。

 あとアウローラさん、手を齧られると物凄い痛いっす」

 

 器用に籠手の隙間に牙を立てて、ガリガリと指を削られる。

 血が出ない程度だが痛いモノは痛い。

 とりあえず頭を撫でて、どう許しを請うべきかを考えていると。

 

「……その、大丈夫か?」

 

 いつの間にやら、鍛錬を終えたらしきアディシアが傍に来ていた。

 美少女に手を齧られる鎧男という絵面に、非常に困惑している様子だった。

 無理もないが、こっちも別に恥ずかしい事をしているわけではない。

 なので堂々と胸を張って。

 

「いや、何でもないから大丈ぐあぁぁっ」

 

 応えようとしたら、更にガリっとやられて思わず悲鳴を上げてしまった。

 話を逸らそうとした事が、アウローラの逆鱗に触れてしまったようだ。

 情け容赦ないお仕置きにアディシアさんもドン引きだ。

 

「ほ、本当に大丈夫か?

 というか、これは一体どういう状況なんだ?」

 

 そりゃ聞きたくもなりますよね。

 手をガリガリ噛まれて悶絶する俺に、彼女はオロオロするばかり。

 いや大丈夫、本当に大丈夫なんで。

 暫く噛んでいれば多分許してくれるはずなんで。

 

「……まったくもう」

 

 そんな俺の予想通り、アウローラは噛みついていた手を解放してくれた。

 一頻り俺を鳴かせた事で、とりあえず満足はしたのだろう。

 まぁアディシアの方は、相変わらずどう声を掛けるか困った様子だが。

 

「いや、お騒がせして申し訳ない。本当に大丈夫なんで……」

「そ、そうか? それならいいんだが……」

 

 納得したかは不明だが、アディシアはとりあえず頷いてくれた。

 それから改めて、彼女は俺達二人を見比べるように視線を向ける。

 

「ええと、確かレックスさんと……」

「アウローラよ。そういえばちゃんと名乗ってなかったかしら」

「俺しかまだ名乗ってなかったな、そういえば。

 それと「さん」はいらんから、呼び捨てでいいからな」

 

 少し悩んだ様子で口を開いたアディシアに、此方はそれぞれ応える。

 彼女はその言葉に小さく頷く。

 

「ありがとう、レックスにアウローラ。

 それと――これは非常に不躾な質問かもしれないんだが……」

「うん? なにかしら?

 答えられる事なら答えてあげるから、さっさと言って頂戴」

 

 促すアウローラに、アディシアはほんの少しだけ間を置いて。

 

「二人は、その……恋人同士、なのか?」

「…………」

 

 はて。

 改めて問われると、どうなんだろうか。

 確かに一緒に寝るし、何なら風呂にも入る時はある。

 スキンシップ的な事も割と頻繁にしているが。

 さて恋人かと聞かれると、何と答えるのが正しいのだろう。

 そういえば告白とかそんな感じなのは、お互いにしていなかった気もする。

 これは実際どうなんだろう。

 とりあえず、アウローラ本人に聞いてみようと思ったが……。

 

「……恋、人??」

 

 何かこう、駄目そうな顔をしていた。

 兎に角耳まで真っ赤にして、表情はコロコロ変わって安定しない。

 そして俺の手を掴んで、それこそ握り潰す勢いでギュッと力を入れてくる。

 というかヤバい、籠手がメキメキ言い出したぞ。

 

「恋人……恋人っ!? 恋人って、いきなり何を……!」

「あ、いやすまない。仲睦まじい様子だったので、つい」

「な、なかむつまじいって……!」

 

 怒らせたと勘違いしたアディシアは、慌てて頭を下げる。

 一方、アウローラさんの方は頭に血が上りっぱなしの御様子で。

 結論としては、俺の手がもげそうだ。

 

「アウローラさん、とりあえず落ち着いてくれないと俺の手が千切れる」

「ッ……! べ、別に、気にしていないから。

 貴女が謝る必要ないわ。ええ、大丈夫。私は冷静よ。

 もう本当に冷静だから、レックスの手首をもぎ取ったりはしないわ」

 

 そうして貰えると大変助かります。

 自己暗示の如く、更に「冷静……! 私は冷静……!」と繰り返すアウローラさん。

 一先ず手首が着脱式になる危険は過ぎ去ったようだ。

 

「本当にすまない……!

 からかおうとか、そんなつもりは全くなかったんだが……」

 

 完全に混乱しているアウローラを見て、責任を感じたのだろう。

 アディシアはまた申し訳なさそうな顔をして、此方に頭を下げて来た。

 

「や、本当に気にしてないからな。大丈夫だ」

「……そうか?」

「うん、大丈夫大丈夫」

 

 アウローラさんはちょっと壊れちゃったが、まぁ仕方ない。

 腕に抱え込んでおけば、暫くすれば落ち着くだろう。

 まだ呪文めいた呟きが聞こえてくるが、それは置いておく。

 何にせよ、アディシアも俺の言葉にホッと胸を撫で下ろしたようだ。

 安心した様子で柔らかい微笑みを浮かべる。

 

「いや、本当に申し訳なかった。

 二人の様子が、その……何と言うか、新鮮で」

「新鮮?」

 

 その表現は良く分からなかったので、少し首を傾げる。

 アディシアの方も、何だか照れた様子で笑い。

 

「あたしは、ほら。昨日言った通り孤児で、生んでくれた両親も知らない身だ。

 此処にいるのは、あたし以外も似た境遇の年若い子ばかりで」

「うんうん」

「だから君達みたいに仲の良い男女の組み合わせが、凄く新鮮だったんだ。

 恋とか、愛とか。これまで肌で感じた事はなかったから」

「ふーむ、成る程なぁ」

 

 生まれとか境遇が複雑というのも難儀な話だ。

 そもそも記憶があんまりない俺には良く分からない事だが。

 しかし。

 

「実の両親の事とか、アディシアは何も知らないのか?」

「……あぁ。母さんに聞いて、実の母はもう亡くなっている事ぐらいしか」

「そうか。いや、嫌なこと聞いて悪かったな」

「いいさ。先に不躾な質問をしたのはこっちなんだ」

 

 頭を下げる俺に、アディシアは小さく首を横に振る。

 丁度その時、木の枝がカサリと鳴った。

 そちらを見れば、其処にはヴェネフィカの姿があった。

 相変わらずフードを被っている為、表情は見えない。

 

「……アディシア、何時までそうしているの。

 今日の《狩猟祭》についても話しておく事があるのだから。

 早く館に戻りなさい」

「あ、ごめんなさい母さん……!」

「いいから。朝食の用意も済んでるわ。

 余裕があったら、子供達にも食べさせてあげて」

「分かったよ、ありがとう。

 それじゃあ、先に戻っているから」

 

 後半の言葉は俺達に向けて、アディシアは風のように館の方へと駆けていく。

 少しの沈黙を、木々の隙間を抜ける風の音が埋める。

 ヴェネフィカは此方を見ない。

 いつの間にか落ち着いたアウローラは、彼女を見ていた。

 

「……アディシアに、何か妙な事は言いませんでしたか?」

「それが何を指してるのか分からんから、何とも答えようがないな」

「……それもそうですね」

 

 アウローラの頭を撫でながら応えた俺に、ヴェネフィカは短く返した。

 それから何も言わず、現れた時のように木の葉の音色だけを残して消える。

 その姿を見送ってから、一息。

 

「何か楽しそうだな」

「そう見える?」

「凄く見える」

 

 可愛らしく微笑みながら、アウローラは首を傾げる。

 その眼は、もうこの場にはいないフードの女に向けられている気がした。

 

「他人の秘密って、とても甘い味がすると思わない?

 それがどういう内容であれ、ひた隠しにする程に匂い立つもの」

「うーんすっごい悪そうな台詞」

「大丈夫よ。とりあえずは様子見するつもりだし。

 いきなり頭の中に指突っ込むような真似はしないわ」

 

 やろうと思えば出来るんだから、大変に恐ろしい話だ。

 それは兎も角、朝食の用意が出来ているらしい。

 今後の話をする必要もあるだろう。

 俺はアウローラを抱えると、少し遅れて館へ戻る事にした。

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