140話:闘神死す

 

 徐々にだが、戦いの天秤は一方に傾きつつあった。

 優勢なのは当然こっちの方だ。

 《闘神》の吐き出す炎は熱く、抵抗は粘り強い。

 しかし重ねた負傷ダメージも決して軽くはない。

 装甲の大部分は剥げ落ち、暴発によって顎や首にも大きな傷がある。

 圧倒的な火力を誇っていた《吐息》も明らかに弱まっている。

 対して此方は熱に焼かれてはいるがそれだけだ。

 徹底的に直撃は避け、少しずつ《闘神》の炎を削って行く。

 いつも通りの地道で気の遠くなる作業。

 テレサは良く付き合ってくれてる。

 

「まだだ、まだ終わらぬ……!!」

 

 そして足掻き続ける《闘神》の呻き声。

 敗色濃厚なのは向こうも分かっているだろう。

 分かっているからこそ、戦意は燃える炎のように衰える事は無い。

 勝負はまだこれからだと、そう言わんばかりに炎を吐く。

 最大威力を出せなくなった事で、殆ど溜めのない《吐息》だ。

 当然、火力は比べ物にならないぐらい低い。

 だが溜めが短く、収束せずに撒き散らす形で放つ為に回避はし辛い。

 《吐息》の一部が身体に引っ掛かり、鎧と耐火の術式がそれを防いでくれる。

 それでも熱に焼かれる痛みが神経を蝕む。

 俺はその苦痛を気合いで我慢して、炎の中を突っ切って行く。

 自分の吐いた《吐息》で《闘神》の視界は狭まっている。

 其処を狙い、俺は手にした剣を閃かせた。

 

「ガアアアァアッ!?」

 

 絶叫。狙ったのは装甲に守られていない首周り。

 硬い鱗と分厚い筋肉に覆われてはいるが、竜殺しの刃なら断ち斬れる。

 血の代わりに炎が溢れ出す傷へと、更に刃を重ねる。

 二度三度と刻んでから、噴き出す炎に巻き込まれない内に距離を取る。

 咆哮を響かせながら《闘神》は俺に向けて爪を伸ばす。

 しかしそれが届くより先に、横からテレサが《闘神》の顔面を蹴り飛ばした。

 その衝撃で《闘神》が怯んだと同時に、テレサは再び《転移》で離脱。

 気がそれた瞬間を狙って、俺は再度《闘神》の懐に飛び込む。

 炎を頭から被るのは覚悟で深く抉り込む。

 胴体を大きく裂かれた《闘神》の口から、炎混じりの叫びが溢れる。

 

「大丈夫か?」

「私よりも自分の心配をして欲しいわね」

 

 炎を浴びるのは気にせずガンガン攻めてたが。

 こっちが食らえば当然アウローラも炎を受ける事になる。

 彼女は古竜だし、俺よりも平気とは考えていた。

 それを認めるようにアウローラは笑う。

 

「ちょっとぐらい火の粉を引っ掛けたぐらい平気よ。

 そんな事より、目の前の敵に集中しましょう」

「だな」

 

 短い応答の間も、休まず刃は閃く。

 少しずつ、だが確実に《闘神》の炎を削り取る。

 負けじと炎は勢い良く燃え盛るが、それも永遠じゃない。

 燃える炎はいずれ消える。

 《闘神》は間違いなく弱りつつあった。

 

「認めぬ……!!

 この程度、まだ敗北には至らぬ……っ!!」

 

 物理的限界とは別に、《闘神》自身は折れていない。

 自分が不利だと、戦いの天秤がどちらに傾いてるのは理解しながら。

 それでも断じて認めないと炎を放つ。

 不屈と言っても良いその有様は、敵ながら見事なもんだ。

 けどがんばってるのはこっちも同じだ。

 どれだけ弱っていても竜の炎は熱く、爪と牙は鋭い。

 死線の上を際どく飛び回りながら、俺は剣を振るい続ける。

 肌は今も焼け続けているが賦活剤を呑む余裕は無い。

 アウローラも、飛行に防御、俺の身体強化と複数の魔法を同時に操っている。

 その上で、テレサが的確に援護を入れてくれるからこそ保てる優勢だ。

 今はどれだけ大きく傾いても、天秤は簡単に揺れる。

 それを許さない為にも、俺は攻め手を緩めない。

 一つずつ、少しずつ、竜殺しの刃で《闘神》の炎と鱗を削ぎ続ける。

 

「こ、の……っ!」

「……そっちも大概頑張るな」

 

 意識せず、俺は呆れ混じりに呟いていた。

 後一歩という感触はあるが、その一歩が地味に遠い。

 

「まだだっ!! 我は《闘神》!!

 敗北など決して認めぬ、例え天地がひっくり返ろうとも……!!」

 

 折れない戦意。

 装甲は剥がれ鱗と肉は削がれ、炎も既に勢いを失いつつある。

 だが魂が折れていないから、限界近い状態でもまだ戦い続けている。

 厄介だ、本当に厄介な相手だ。

 鎧の上から軽く火に炙られつつ、手にした剣は《闘神》の肉を抉った。

 切っ先は硬い骨も刻み、巨体がガクリと揺れる。

 どれだけ気力で保とうが、必ず訪れる物理的な限界。

 後は其処まで追い詰めてトドメの一撃をぶち込むだけだ。

 《闘神》も理解しているだろう。

 理解しているから、向こうも必死だ。

 

「オオオォオオォオオオ――――ッ!!」

 

 大気を揺さぶる咆哮。

 一体何処にそんな力が残っているのか。

 そう思わせる程の声量。

 当たり前だが、それは威嚇を目的とした雄叫びではない。

 《闘神》が吼えると、その巨体が一気に燃え上がった。

 何度も刻んだ傷から噴き上がる炎、炎、炎。

 闇雲に振り回しても直撃は狙えないと、《闘神》も理解したんだろう。

 ならばどうするかと考えて、出した結論がコレなわけか。

 

「燃え上がれ、我が全霊よ……!!

 近付く者も触れる者も、等しく焼き滅ぼさん……!!」

 

 自滅覚悟の全火力解放セルフバーニング

 でっかい松明になった《闘神》は笑うように吼えた。

 

「……馬鹿にも程があるわね。

 あんなの、全身から《吐息》を絶えず吐いてるようなものよ」

「つまり?」

「ほっといても魔力切れを起こすわ。下策どころじゃないわね」

「だろうなぁ」

 

 確かに全身を余すところなく炎で纏えば仕掛けた時点で焼かれる事になる。

 だがそもそも近付かなければ良い話だ。

 あの状態じゃまともな《吐息》を放つ事は難しいだろう。

 炎を被らない程度の距離を取り、後は燃え尽きるのを待つだけでも勝ちは拾える。

 燃え上がっている《闘神》は多分気付いてないだろうが。

 まぁ、しかしだ。

 

「……レックス」

「あぁ」

「行くの?」

「はい」

 

 素直に応えたらちょっと呻く声が聞こえた。

 いや、単純に意地とかそういう話だけではなくな。

 ほっとけば燃え尽きると言っても、それがどれぐらいかは分からない。

 燃え上がる松明状態で暴れられても、それはそれで面倒だ。

 だったら今この時点でキッチリトドメを刺した方が良いはずだ。

 そんな俺の思考を読んだか、アウローラは一つため息を吐く。

 一度ではなく二度ほど嘆息してから、彼女は何事かを短く唱えた。

 幾重もの魔力が俺の身体を包み込む。

 それから改めて、アウローラは俺の首に腕を回して抱き締めた。

 

「持続時間は短いけど、さっきより強い耐火術式を施したから」

「悪いなぁ」

「いつもの事だから気にしないわ」

 

 喉を鳴らして、アウローラは俺の兜に唇を触れさせる。

 テレサにはほんの一瞬だけ視線を向けた。

 万一の場合はフォローを頼む、と。

 言葉にせずとも伝わったようで、テレサは小さく頷いた。

 さて、これでとりあえずは万全だ。

 自らを燃え上がる薪に変えて、《闘神》は狂ったように吼え猛る。

 

「さぁ!! どうした宿敵よ!!

 我が炎に臆したワケではあるまいなぁ!!」

 

 無視すれば勝手に燃え尽きるだろう松明。

 しかし頭まで燃え上がってるせいかテンションだけは無駄に高い。

 高らかに笑いながら好き勝手に暴れ回る《闘神》。

 戯言には応えず、俺はそのデカい火達磨へと真っ直ぐ突っ込んだ。

 

「どうした!! 来ないのなら我の方から行くぞ!!」

 

 竜は必ずしも眼だけでモノを見てるワケじゃない。

 肉体が器に過ぎない以上、超常的な知覚能力を備えてる場合がある。

 当然個体差はあるし、知覚を肉体に依存してる奴もいる。

 《闘神》がそのどちらかは分からない。

 分からないが、どっちにしろ全身を覆う炎が目隠しになっていた。

 盲目の《闘神》は闇雲に爪と尾を振り回す。

 近付けば炎の熱が吹きつけるがアウローラの術式で耐える。

 爪と尾を掻い潜り、炎熱は兎に角我慢して。

 燃え盛る胴体の中心。

 其処に速度と体重を乗せた剣を全力でぶち込んだ。

 深く、深く。纏う炎すら切り裂いて。

 焼ける肉を抉り、その奥の骨や臓器までも切り刻む。

 

「がッ……何……!?」

 

 はらわたを抉り裂かれる苦痛に、《闘神》は燃える血を吐き出した。

 剣で貫く俺の存在に今さら気付いたようだ。

 慌ててまだ無事な爪を伸ばして俺を捕まえようとする。

 が、足掻くにしても遅すぎる。

 

「《魔法の矢マジックボルト》」

 

 複数の力場の矢を放つ攻撃魔法。

 俺はそれを《闘神》に突き刺さっている剣を基点に発動した。

 体内で炸裂する破壊的な力場に、《闘神》の巨体がビクリと震える。

 内臓を火薬でふっ飛ばされたに等しいが、まだ《闘神》は死んでいない。

 こちらを焼き続ける炎が示している。

 耐火術式の上からじわじわと焼かれている。

 酸欠にはならないが、いつまでも耐えられるワケじゃない。

 

「《魔法の矢》」

 

 だから同じように繰り返す。

 血肉が内側から弾け、《闘神》は焼けた血の塊を吐き出した。

 まだ死んでいない。

 俺も《闘神》も。

 

「ま、だだ……!! 我は、《闘神》……!!」

「《魔法の矢》」

 

 三度目の魔法が《闘神》の体内で爆ぜる。

 より深く刃を突き刺し、未だ無事な肉を抉って行く。

 もう爪を俺に突き立てる余裕もないようだ。

 苦痛に藻掻きながら《闘神》の炎だけは燃え上がる。

 まぁそれで十分死にそうだけどな、こっちは。

 だから俺が死ぬ前にコイツを殺す。

 

「《魔法の矢》」

 

 四度目。馬鹿の一つ覚えだが仕方ない。

 こういう場合は《火球》が一番だが、竜である《闘神》は炎に耐性がある。

 だから一番通りやすい《魔法の矢》を只管発動させ続ける。

 

「《魔法の矢》」

 

 多分五度目。炎はまだ衰えない。

 アウローラの維持する魔法がなければ大分ヤバかったな。

 そんな事を考えながら術式を編み続ける。

 《闘神》はもう声を上げていない。

 ただ炎だけは俺を焼こうと燃え続けている。

 ほっとけば自滅するって見立ては甘かったかもしれない。

 

「《魔法の矢》」

 

 だから繰り返す。繰り返す。

 感情を交えず淡々と繰り返す。

 回数はもう分からないが、死ぬまで撃つなら関係ない。

 何度も、何度も。

 同じ言葉を何度も口にして、何度も相手の肉を吹き飛ばす。

 声は聞こえない。炎は燃えている。

 しんどいが、我慢できない程じゃない。

 だから何度も何度も繰り返して――。

 

「レックス!」

 

 俺の名前を呼ぶ声がした。

 ほんの一瞬だが、意識が飛んでいたようだ。

 気付けば炎は消えていて、俺は黒く焼けた残骸の上に立っていた。

 剣が突き刺さったままの焼け焦げた《闘神》の亡骸だ。

 炎は消え失せて、其処には僅かな熱もない。

 微妙に仕留めた実感が薄いな。

 

「……いつも言ってる気がするけど。

 ホント、無茶も大概にして欲しいわ」

 

 死体よりはマシ程度の焦げ具合。

 そんな俺をアウローラは強く抱き締めた。

 確かにこっちも相応に酷いが、アウローラも結構焦げてるぞ。

 

「私は竜なんだから、このぐらいで焼けたりしないわ。

 多少表皮は焦げたかもしれないけど、それだけよ」

「それでも、ちょっとは焦げてるだろ?

 ありがとうな。無茶に付き合ってくれて」

「……その言葉だけで十分過ぎるぐらい」

 

 笑う俺の声に、アウローラも微笑む。

 細い指が俺の懐を漁って、それから兜を剥ぎ取った。

 アウローラが手にしたのは見慣れた賦活剤の瓶。

 それを彼女は口に含むと、躊躇う事無く俺の唇に噛み付いた。

 呑みなれた薬剤の味に別のモノを感じる。

 血だ。考えるまでもなくアウローラの。

 混じるのは僅かだが酷く熱い。

 傷の治りもいつもより早く感じた。

 唇の端からほんの少し雫がこぼれ落ちた。

 離れると、互いの吐息が熱く絡み合う。

 

「気分はどう?」

「ちょっと酔っ払ってる感じがするな」

「あら、お代わりが欲しい?」

「後でな」

 

 アウローラは楽し気に笑い、俺に再び兜を被せた。

 それから程なく、上空からテレサが降りてくる。

 俺達の姿を見つけると心底ほっとした表情を見せた。

 まぁウン、我ながらかなり無茶したしな。

 

「ご無事ですか!」

「あぁ、何とかな。心配かけて悪かった」

「いえ、信じていましたから」

 

 安堵した様子のテレサに軽く手を振る。

 さて、《闘神》は討ったがこれで武祭の方はどうなるか。

 改めて周囲を見ると炎で焼き払われて酷い有様だ。

 とりあえず刺さったままの剣を引き抜き、アウローラを腕に抱える。

 そうしてから――。

 

「……ッ!!」

 

 俺は全速力でその場を離れた。

 嫌な予感とかそんな次元じゃなかった。

 もっと原始的な生存の為の本能が衝動的に身体を動かしていた。

 

「っ、レックス?」

 

 こっちがいきなり走り出したせいで戸惑うアウローラ。

 しかし俺に一瞬遅れる形だが、彼女も何かに気付いたようだ。

 テレサは此方のただならぬ様子を察し、既に空へと退避している。

 俺の腕をぎゅっと掴みながら、アウローラは小さく呟く。

 

「何、この魔力……!?」

 

 同時に、炎が弾けた。

 先程までは黒い残骸に過ぎなかった《闘神》の屍。

 それのあったはずの場所から、巨大な火柱が生えている。

 莫大過ぎる熱量は都市を上下に貫きそうな勢いだ。

 ほんの少し前までは何の気配も無かった。

 それが突然コレとは。

 

「……流石に、しぶといっても限度があるだろ」

 

 噴き上がるのは全てを焼き滅ぼす炎熱。

 その地獄の中から立ち上がる巨影。

 さっきまでとは随分様変わりした《闘神》と思しき怪物。

 それを見ながら、俺は呆れ混じりに呟いた。

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