幕間1:裁きの神


 荒野は果てしなく広がっている。

 それはこの《巨人の大盤》においては珍しくもない光景だ。

 生命の気配は限りなく希薄で、死んだ大地がどこまでも横たわる。

 あまりにも過酷な環境。

 弱い人間は神に縋らねば生きられず。

 どれほど強大な鬼でも、死は決して他人事ではない。

 真っ当な生き物では、この無人の荒野での生存は不可能だった。


『GAAAAAAA――――ッ!!』


 そして、「彼ら」は真っ当な意味での生命ではなかった。

 果てなき荒れ野を我が物顔で闊歩するもの。

 《巨人タイタン》と称される巨大な怪物ども。

 彼らは群れる性質ではなく、大体が目的もなく大地を彷徨い歩いている。

 けれど、時に徘徊しているルートが重なる場合があった。

 仲間意識など、《巨人》同士にありはしない。

 魂が揮発し、生物としての本能すら存在しない哀れな肉塊。

 その血肉に残っているのは、ある原始的な「衝動」のみだった。



 それこそは原初の呪い。

 かつてこの地に現れた邪悪なる偽神。

 《造物主》を名乗る超越者が発した怨念。

 彼の者はあらゆる不完全性を否定し、完全なる世界を創造しようとした。

 そのために旧世界を駆逐し、大地は《巨人》によって踏み荒らされた。

 既に《造物主》は亡く、《巨人》の魂は残らず消え失せた。

 けれど、その血肉に染みついた呪いだけは消えていない。

 故に《巨人》は目に付く全てを破壊する。

 例えそれが同じ《巨人》であろうと例外ではない。


『GAAAAAA!!』

『GA!! GAAAAA!!』


 《巨人》は不死。

 たまたま出くわしてしまった三匹は、実に不毛な喰い合いをしていた。

 両腕だけが異様に発達した、山より大きい人型の《巨人》。

 全身が鋼のようなモノで覆われた、二足歩行のトカゲに似た《巨人》。

 手足はなく、水晶に近い青色の鉱物の塊にしか見えない《巨人》。

 目の前にいる同類を打ち砕くために、彼らは衝動のままに暴れ狂う。

 巨大な腕が大地を砕き。

 鋼の爪が《巨人》の肉を引き裂く。

 水晶の表面が変化し、無数の棘となって周りの全てを貫いた。

 人智を越えた怪物同士の殺し合い。

 それは人の手には負えない災害そのものだった。


『GAAAAAAA――――ッ!!』


 《巨人》は吼える。

 身体の一部が砕けようとも、時間が経てば塞がっていく。

 戦いに終わりは見えない。

 不死である彼らの戦いは常に不毛だ。

 或いは、そのまま何も無ければ永遠に戦い続けたかもしれない。

 しかし物事には常に終わりが存在する。


「…………醜悪な光景だ」


 彼らにとって、その終わりは唐突に現れた。

 カシャリと、微かに金属がこすれ合う音が響く。

 荒れた地に降り立ったのは、一人の女だ。

 長く伸ばした黄金の髪。

 強い意思を宿した真紅の瞳。

 白く輝く肌には傷一つなく、その身は髪と同じ黄金色の鎧を纏う。

 かんばせもまた美しく、さながら金剛石のよう。

 女性としては背も高く、佇む姿には弱さは欠片も存在しない。

 もし仮に、この場に無力な人間がいたとしたら。

 彼女が放つ神々しさに、思わず平伏したに違いない。


『GAAAAAAA!!』


 けれど、この場にいるのは愚かな《巨人》のみ。

 黄金の女を知覚した瞬間に、彼らは一斉にそちらを見た。

 この世界の全てが不完全。

 不完全なものは駆逐し、完全なるものへ。

 《造物主》が刻みつけた呪い。

 その衝動のままに、三匹の《巨人》は動き出す。

 女は動かない。

 嫌悪を宿す眼差しで、向かって来る《巨人》どもを見ていた。


『GAAAAッ!!』


 先ずは《巨人》の肥大化した腕が振り下ろされた。

 乾いた土塊のように大地は砕ける。

 女は避ける素振りすら見せなかった。


『GAAA!! GAAAAAA!!』


 続いて、鋼のトカゲが咆哮を上げた。

 顎を大きく開くと、そこから真っ黒いガスが勢い良く噴き出す。

 超高温のガスは触れただけで生き物の血肉を沸騰させる。

 浴びた《巨人》の腕も例外ではなく、真っ赤な煙が噴き上がった。


『――――――!!』


 青い水晶型の《巨人》も容赦しない。

 硬質な身体を水の如く変化させ、無数の棘を辺りにばら撒く。

 棘と言っても、一本一本が人間と変わらない大きさだ。

 その先端は例え鋼でも易々と貫くだろう。

 破壊は速やかに、嵐もさながらに死んだ大地に吹き荒れる。

 人間ならば一瞬でも耐えられない。

 鬼であっても死は免れない。

 《巨人》たちに理性はなく、本能さえも存在しない。

 故に彼らは気付かなかった。

 そこにいる女が、自分たちを遥かに凌ぐ「脅威」であると。


「――それで終わりか」


 響く声。

 巻き上げられた土煙が風にさらわれる。

 三匹の《巨人》、その攻撃を受けたはずの黄金の女。

 彼女はまったくの無傷だった。

 髪の毛に埃さえも付いていない。

 先ほどと異な点は、女の周囲に「光」が帯びている事か。

 穢れを拒絶するような白い輝き。

 振り下ろされた《巨人》の腕は、女に触れてさえいなかった。

 女が纏う光の帯、それに阻まれる形で止まっている。

 吐き出された超高温のガスも。

 鉄を貫く水晶の棘も。

 全て、例外なく。


 

 無感情に告げられた言葉は、処刑の合図だった。

 それで先ず、異様な大きさを持つ《巨人》の腕が砕けた。

 粉みじんになった、と言う他ない。

 強い光が上から降り注いだように見えた瞬間。

 その時にはもう、《巨人》の腕は根元から細かい断片となっていた。


『GAAッ――――!?』

 

 理性も本能もない《巨人》だが、まるで驚いたように吼える。

 しかし、それで何かをするよりも早く。

 横殴りの雨の如くに飛んできた無数の「輝き」。

 それをモロに浴びた事で、腰から上が粉々に砕け散った。

 大陸における古竜、或いは真竜。

 その鱗に匹敵するか、時には上回る《巨人》の外殻。

 それをまるで紙切れか何かのように、女の「攻撃」は容易く打ち破る。


『GAAAAAA――――ッ!!』

「やかましい」


 同類の一匹が、成す術もなく粉砕された。

 その事実を前に、鋼の《巨人》が咆哮する。

 威嚇のために吼えたのか、それとも別の意図があったか。

 黄金の女にはどうでも良かった。

 どうでも良かったので、そちらにも光の雨を浴びせる。

 その見た目通りに、トカゲの外殻は《巨人》としても更に硬かった。

 けれど、女の力の前では誤差でしかない。

 耐えることが出来たのは、本当に一瞬だけ。

 降り注ぐ光に全身を打たれたトカゲは、真っ赤に潰れた肉塊へと変わる。

 これで二匹。

 細胞までバラバラにしても《巨人》は死なない。

 死なないが、これほど砕かれては復活まで相当な時間がかかるだろう。

 最早無力な血肉には目もくれず、女は残る一匹を見た。


『――――――!!』

「……力の差も理解できぬか」


 全身を棘の塊に変えて、残る水晶の《巨人》は声なき声で吼える。

 対する女の言葉には、僅かな憐憫が混ざっていた。

 《巨人》では絶対に女には勝てない。

 それが覆しようのない事実だが、《巨人》はそれを認識できない。

 魂はなく、本能もなく、ただ原初の呪いにだけ突き動かされる哀れな怪物。

 その有様を目にして、黄金の女はほんの少しだけ憐れみを向けた。

 けれど。


「――お前たちは、存在するだけで許しがたい罪を犯している」


 憐憫はあれども、慈悲はない。

 かけたところで意味などないからだ。

 故に女は躊躇いなく、その力を振りかざす。


「裁きを受けろ」

『――――――!!』


 当然、《巨人》は女の言葉など理解していなかった。

 巨大な棘の塊と化した《巨人》。

 声を伴わない咆哮で大気を震わせながら、その全質量を女に叩きつける。

 そしてそれは、当たり前のように届かない。

 女の身体に届く遥か手前。

 まるで見えない手に掴まれたかの如く《巨人》は停止する。

 後の結末は、先の二匹と変わらない。

 容赦なく降り注ぐ光の雨。

 それを受けた水晶の《巨人》は、細かな破片を辺り一面にばら撒いた。

 キラキラと光る断片。

 その一部すら、女の身体には届かない。

 一つの例外なく、彼女が纏う光の帯によって弾かれた。


「…………」


 戦いとすら呼べない、あまりにも一方的な蹂躙。

 全てが終わると、女は視線を周囲に向ける。

 まだ《巨人》が動く気配はないか。

 他に潜んでいるモノはいないか。

 微かに見せた憐憫も今はなく、ただ無感情に状況を確認する。

 偶々見かけた《巨人》三匹。

 この大地を蝕む災厄の一部を粉砕した行為も、女にとっては「ついで」だった。

 感覚としては、道端に落ちていたゴミを拾ったに近い。

 故に片付いたならどうでも良く、黄金の女は意識を別に向ける。

 ここではない、遥か遠く。

 女の赤い眼は千里の先を見通すことが出来た。


「……鎖された地からの来訪者か」


 呟く。

 《星神》よりもたらされた情報。

 それを思い浮かべながら、女は忌々しげに舌打ちした。

 ――

 穢れだ、それはどうしようもない穢れだった。

 《人界》の外は何もかもが穢れている。


 「奴も――あの骨の男もそうだった」


 ほんの少し前までこの地にいた、白骨の老賢人の事も女は思い出していた。

 悪神の「境」に触れる事なく、「秩序」と「理」の外から現れたる者。

 毛色は違えども、やはり度し難い穢れである事に違いはない。

 許可なく《人界》に侵入した罪も許容し難い。

 けれど、その無法な振る舞いを陛下は寛容にも許してしまった。

 黄金の女はそれが不服で堪らなかった。


「あぁ、此度は私に任せておけばいい」


 古き神たる《星神》より託された使命。

 女は少しだけ微笑んだ。

 自らの、神としての使命と義務。

 それを果たすべき機会に、女は戦意を滾らせる。


「罪人ども。その罪の重さ、私が詳らかにしてやろう。

 そして、その穢れたる魂に相応しき裁きを」


 女は人間ではなかった。

 この《巨人の大盤ギガンテッサ》を真の意味で支配する者たち。

 遥かなる《人界ミッドガル》に君臨する十柱の神々。

 その一柱――《裁神》たる女は足を踏み出す。

 最早この場に用はないと。

 ただ「歩く」だけの動作で、《裁神》は虚空を渡る。

 魔法による空間転移とは異なる。

 神が有する「権利」として、女は物理的な距離を超越する。

 ……とはいえ、この《巨人の大盤》は広い。

 如何に《人界》の神といえど、決して全能の存在ではない。

 未だに彼女の眼は罪人たちを捉えてはいなかった。


「――だが、すぐに見つけ出してやる」


 《星神》からの神託で、大まかな位置は既に把握している。

 ならば何も問題はない。

 神たる彼女にとって、時間は必ずしも有限ではなかった。

 遅かれ早かれ、裁きの光は罪人たちの元へと必ず届く。

 偶に出くわす《巨人》をすり潰しながら、《裁神》は死せる大地を渡って行く。


 ――審判の剣が落ちるその時まで、あと少し。


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