終章:森を旅立つ

59話:三千年の断片

 

 赤い月が上らなくなって数日ほど。

 俺達はまだこの森林都市に滞在していた。

 本当なら用は済んだし、直ぐに旅立っても良かったが。

 アディシアやヴェネフィカから、「真竜を討ってくれた礼」として少々引き留められてしまった。

 この先も真竜を殺す為に旅を続けるなら、と。

 当面の水や食料、後は必要そうな物資を用意してくれるとの事。

 断る理由もないので、それらの準備が終わるまではこの森に留まる事になった。

 そして現在。

 

「ホント、貴方って意外と甘いわよね」

「そうか?」

 

 時間は昼に差し掛かる前ぐらい。

 俺はアウローラと二人、街の大通りをブラブラしていた。

 別に目的があるわけでもない、単なる散歩だ。

 誘って来たのはアウローラの方で、彼女は俺の腕にピッタリくっついている。

 

「そうよ。素直に頼みを聞いてやる義理なんてなかったでしょ?」

「まー目的は果たしたし、別にそれ以上はなぁ」

 

 そういうところが甘いのよ、と軽く脇腹を小突かれた。

 俺は軽く笑いながら、街の様子に目を向ける。

 真竜がド派手に暴れた被害は大きく、あちこち瓦礫の山になっている。

 それでも街の住人達の手で急ピッチで復興は進められていた。

 この時代で、真竜の庇護を失った彼らがどうなるか。

 それは俺にも分からないし、それをどうこうするのは俺の仕事じゃない。

 まぁ、なるようになるだろう。

 そんな事を考えながら、俺はアウローラと二人のんびり散歩を続ける。

 特に何かするわけでもなく、辺りをぐるっと回って。

 

「……む?」

 

 滞在先である、例の「戦士の館」の前まで戻ってくると。

 其処の広場に見知った姿があった。

 

「優雅に散歩とは、良い御身分だな」

「そういうお前はこんなトコでサボってて良いのか?」

 

 糞エルフウィリアムだ。

 広場に置かれた椅子の一つに腰かけたまま声を掛けて来た。

 アウローラは俺の腕をぎゅっと抱き締め、少し不機嫌そうに眉根を寄せる。

 

「一体何の用? 折角命は見逃してやったんだから、少しは謙虚に生きたら?」

「無論、言われるまでもなくそのつもりだ。

 ただ俺としては、別に自分の命は惜しくなかったんだがな」

 

 アウローラがちくりと毒を吐いても、ウィリアムは涼し気に受け流す。

 あの森での決着の後、結局この男を殺す事はしなかった。

 娘のアディシアもいたし、俺の目的はあくまで「竜の魂」を剣に取り込む事。

 なのでウィリアムが呑んだ真竜の魂だけを奪って終わらせた。

 その辺の仕事をしてくれたのは当然アウローラさんだ。

 彼女曰く、「呑んだ魂が完全に定着していたら、殺す以外になかった」らしい。

 ウィリアムの様子を見る限り、特に変調も見られない。

 仮に殺して魂を奪っても、そのまま素直に死ぬ気がしないなコイツ。

 

「で、どうした。世間話でもしに来たのか?」

「そうだな。どちらかと言えば世間話になるな」

 

 ふむ、そういう事なら仕方ない。

 俺は片手にアウローラを抱っこしつつ、ウィリアムから一つ離れた椅子に座った。

 それを見て、糞エルフは何とも言えない顔で笑う。

 

「なんだ、警戒しているのか?」

「うん」

 

 だって何を仕掛けてくるか分からんし。

 そうなったらそうなったで頭カチ割って終わりにするつもりだが。

 その上でお付き合いするなら、最低限の備えはしておきたい。

 俺の素直な言葉にウィリアムはますます笑みを深める。

 

「結構な事だ。お前の中で俺は油断ならん相手であるらしい。

 それも一つの評価と考えれば悪くはあるまい」

「いやーもうちょっと人付き合いの仕方考えた方が良くない??」

「余計なお世話だが、忠告として受け取ってはおこう」

 

 是非そうして欲しい。

 周りにいるアディシアやヴェネフィカ辺りの心労がヤバそうだし。

 で、だ。

 

「マジで世間話?」

「そうだな。とりあえず、改めて礼を言っておこう。

 アディシアを助けてくれた事。

 それと余計なお世話だったが、俺の命を見逃してくれた事にもな」

 

 余計なお世話ってお前。

 兜越しにもこっちの表情を察したか、ウィリアムは軽く肩を竦めて。

 

「予定では俺はあそこで死んでも問題はなかった。

 いや、一応死なない場合のプランも用意はしていたが。

 竜という暴君を討ち取った功績は、全てアディシアに与えるつもりだった。

 まだ若いが、ヴェネフィカの助けがあれば都市の長としてやって行けるだろう」

「いきなりそんなんブン投げるのは駄目じゃないか???」

 

 また恐ろしい事考えてたなコイツ。

 つーか勝手に決めすぎでは??

 

「準備は進めていた。

 それにアイツは俺の娘だ。ならやって出来ん事はないだろう」

「いや出来る出来ないの問題じゃないと思うぞソレ」

 

 マジで言ってるっぽいのが相当である。

 俺のツッコミに対し、ウィリアムはやや難しそうな顔をして。

 

「……その辺りの事をヴェネフィカにも話したが。

 やはり似たような事を言われたな。

 俺としてはまったく根拠のない話ではなかったんだが」

「当たり前だよなぁ」

 

 ヴェネフィカはコイツの頭を棒で叩いても許されると思う。

 もしかしたら既に実行されてるかもしれんけども。

 ともあれ、ウィリアムは小さく息を吐き。

 

「まぁ、こうなっては仕方がない。

 暴れ出した真竜は俺とお前達が協力して討ち取った。

 街の者達にはそう知らせ、俺は都市長として引き続きその役目を果たす。

 いずれアディシアに任せていくつもりだが、段階的にだな」

「おう、是非そうしてやってくれ」

 

 それならば彼女らも文句は言わんだろう。

 其処で一度言葉は途切れて、広場には風の吹く音だけが響く。

 少し前までの戦いが嘘のように平和だった。

 暫しの静寂の後。

 

「……貴方は確か、真竜がこの森を支配した時から生きてるのよね」

「あぁ、そうだが」

 

 最初に口を開いたのはアウローラだった。

 彼女の問いかけに、ウィリアムは小さく頷く。

 

「なら聞かせて欲しいのだけれど。

 ?」

「少々曖昧な質問だな」

「私の知識は三千年前で止まってる。

 過去に何が起きて、真竜なんて連中がのさばるようになったのか。

 知っている事があれば聞かせて貰えないかしら」

 

 そういえば、その辺の事は殆ど知らなかったな俺達。

 随分長く生きてるウィリアムならば、当事者として何か知っているか。

 問われたウィリアムは、ほんの僅かに沈黙を返してから。

 

「……先ず、俺とて当時の状況全てを把握していたわけじゃない」

「ええ」

「その上で一番大きかったのは、やはり大バビロンの死だろうな」

 

 大バビロン。

 それはかつて大陸の半分以上を支配した竜王の名。

 《大いなる都》の上に君臨する大淫婦。

 アウローラはその名前を聞くと、僅かに顔を顰めた。

 色々と思うところはあるのだろう。

 

「あの淫売が死んだ事は想像がつくけど、それで?」

「当時、バビロンの衰退は目に見えていた。

 詳細な原因までは、森で生きていた俺は知らんがな。

 奴の支配する都市は幾つも荒廃し、領域内での竜による破壊も増えていた」

 

 淡々と、目にした事実をウィリアムは語る。

 俺がまだ死んでいた時代。

 その時に何が起こっていたのか。

 

「俺はまだ青二才で、森人エルフの多くもバビロンの庇護下にあった。

 幸か不幸か、森は竜の吐き出す火の粉を余り被らなかった。

 そうなれば静観したくなるのも心理だろう」

「まーわざわざ火の中に手を突っ込みたくはないわな」

「迂闊ではあったがな。

 危険から遠ざかるばかりで、備える事を怠った。

 そうしている間にバビロンは死に、戦争が始まった」

「古竜同士の争いね」

 

 アウローラの言葉にウィリアムは頷いた。

 圧倒的だった支配者を失った後の、古竜達の戦争。

 それがどれほどの規模だったか、俺の想像力では追い付きそうもない。

 

「人間にしろ、森人を含めた亜人達にしろ。

 それは正に地獄に巻き込まれた形だ。

 兎に角身を低くして、嵐が過ぎるのを待つ他ない」

「まぁ、そうなるよな」

「だが、そうした者ばかりでもなかった。

 バビロンが死んだ事で《古き王》同士の力関係も崩れ、激しい争いは続いた。

 その最中に、幾つかの動きがあった事は覚えている」

「動きって言うと?」

「……人の手で、竜を討とうという計画だ。

 つまりは“”だな」

 

 ウィリアムは、慎重にその言葉を口にしたようだった。

 竜の王が争った時代に行われた竜殺し。

 誰も竜には勝てないと諦めていた頃に、その考えは禁忌だったはずだ。

 

「繰り返すが、当時の森人の大半は事態を静観していた。

 若造に過ぎなかった俺も、大人しくしているしか無かった。

 だから俺が知っている多くは伝聞に過ぎない」

「それでも構わないから、教えて貰える?」

「分かった。だが、そう大した話でもない。

 続く争いで竜という種族全体が衰退を余儀なくされた。

 それを好機と狙って、反抗作戦が行われたらしい」

「逞しいなぁ人間」

 

 竜が共倒れに近い状態になっても、それ以外も大概ボロボロだったはずだ。

 それを逆に機が訪れたと見て動いたのは、どんな連中だろうか。

 

「それがどのように行われ、其処で何が起こったのかは分からん。

 事実として古竜の大半は駆逐され、その後に「」が現れた」

「真竜だな」

「そうだ。古き王から冠と力を簒奪した、この時代の覇者共だ。

 古竜がいなくなった大陸全土に、連中は侵攻を開始した」

 

 そしてその過程で、この森は真竜サルガタナスに支配されたわけだ。

 イーリスとテレサのいた都市も、似たような経緯があったのかもしれない。

 何にせよ、ロクな抵抗も出来なかったろうな。

 

「後は恐らく、お前達が見て来たとおりだ。

 真竜どもはそれぞれの「巣」を造り、各々其処で暴君として振る舞っている。

 程度の差はあるだろうが、大陸は何処も似た状況だろうな」

「成る程なぁ」

 

 とりあえずざっくりだが、過去の出来事は分かった気がする。

 アウローラも難しい顔をしながら頷いて。

 

「……とりあえず、話してくれた事には感謝してるわ。

 大体想像していた通りの内容だったけど」

「あまり役には立てなかったか」

「そうね。他に何か有益な事は知らないの?」

「そうだな……真竜共は、全体の総意として一つの巨大な魔術式に参加している」

「まじゅつしき?」

 

 良く分からんと首を傾げる。

 それに対し、ウィリアムは小さくため息を吐いた。

 

「《大竜盟約レヴァイアサンコード》と呼ばれている。

 それは中心となる七柱の大真竜と、その下に傅く全ての真竜共が名を連ねている。

 互いの不可侵などを明記し、連中に不可避の制限を課している代物だ」

「ほほう」

 

 成る程、そういうモノか。

 しかしちょっと気になる単語も出たな。

 

「なぁ、大真竜ってのは?」

「言葉通り、真竜の最上位だ。

 《大竜盟約》を発し、それに他の真竜全てを従わせた原初はじまりの七柱。

 現在の大陸の支配者と言って良いだろう」

「ほー。そいつらも元は人間なのか?」

「そのはずだが、俺も得ているのは断片的な知識だけだ。

 実際に《古き王》を含めた古竜達を打ち倒した、旧時代の英雄達であったらしい」

「つまり、俺の後の竜殺しか」

 

 何となくは理解出来た。

 そうして古竜達を討ち取った後、魂を奪って人間から真竜へと変貌したわけだ。

 このまま旅を続ければ、いずれそいつらとも出くわす事もあるだろうか。

 

「――本当の竜殺しは、貴方だけよ。レックス。

 少なくとも、私にとってはね」

 

 そう言いながら、アウローラは俺の首辺りに抱き着いて来た。

 とりあえず頭を撫でると、機嫌良さげに喉を鳴らす。

 

「……竜殺しの真贋などに興味はないが。

 俺個人としては、お前達の旅の成功を祈っている。

 上手く真竜どもを殺し、盟約の中核まで迫ってくれ。

 そうなれば、連中もこの森に構う余裕もなくなるだろう」

「ぬかしよるわ」

 

 そんな堂々と言う事じゃあるまい。

 ウィリアムは俺の言葉に、皮肉げに笑って見せる。

 

「お前達のおかげで、奪った竜の力で森を護るのは不可能になったからな。

 首尾よく行けば、俺が新たなる真竜として盟約に近付く事も考えていたんだ」

「お前さぁ……」

 

 本当にそうなっていたら、どんな未来になっていたか。

 割と想像するのが恐ろしいので、一先ず考えるのを止めておいた。

 俺の反応が面白かったか、ウィリアムは軽く笑い声を漏らす。

 そうして椅子から立ち上がると、一息。

 

「行くのだろう?」

「あぁ、準備も大体終わったしな。

 今はテレサとイーリスが、荷物を纏めてくれてるはずだ」

「そうか」

 

 頷き、ウィリアムは改めて俺を見た。

 

「サルガタナスは怠惰で、真竜同士の繋がりは極めて希薄だった。

 多少の連絡であっても、都市長の俺か《爪》のウェルキンが代行していた」

「ホントに食っちゃ寝しかしてなかったんかアイツ」

「俺がそう仕向けたからな。

 おかげで当分は、森を閉ざしてしまえば他の真竜からの干渉も避けられるだろう」

「……抜け目がないってレベルじゃないわね。

 出会い頭に殺さなかったのが、あのケダモノの敗因かしら」

 

 いやまったく。

 呆れ混じりのアウローラの言葉に同意するしかない。

 

「やれやれ、言いたい放題だな」

「まぁ負けたんだし、その辺は甘んじて受け入れろよ」

「あれはアディシアに止められたからだ。

 あのまま続けたら、勝敗はどう転ぶか分からなかったはずだ」

「いやそれでも俺が勝ちますし」

「最後の瞬間まで勝負は分からない。ガキでも分かる理屈だな?」

「はははは」

「はははは」

 

 この糞エルフめ。

 まぁ仮にまたやったとしても絶対俺が勝つんで。

 多分向こうも同じ事を考えてるだろうけど。

 

「仲良いわね、貴方達」

 

 やっぱり呆れ気味のアウローラさんである。

 一頻り笑ってから、俺とウィリアムは軽く拳を合わせた。

 

「いつでも戻って来い。歓迎しよう」

「何かあれば頼らせて貰うわ」

 

 それがこの都市での、俺達の別れの言葉だった。

 ふと視線を感じたのでそちらを見れば、見知った顔が二つ。

 アディシアとヴェネフィカだ。

 どうやら抜け出したっぽいウィリアムの回収に来たらしい。

 礼をする彼女らに、俺は軽く手を振っておいた。

 

「良いの? 話はしなくて」

「生きてりゃ機会は幾らでもあるだろ」

 

 問いかけるアウローラを、そのまま片手で抱き上げる。

 館の扉を潜り、次の旅路を思う。

 

「今度はどっちに向かうか」

「そうね……特にまだ、目的地は定まってないけど」

 

 するりと、細い指が俺の兜を外した。

 誰も見ていない玄関の広間で、彼女はそっと口づける。

 

「貴方となら、何処へでも行くわ。私のレックス」

 

 微笑みながらアウローラは囁く。

 俺もそれに応えるように唇を触れさせて。

 

「それなら、森を出てから適当に考えるか」

「ええ、そうしましょうか」

 

 悪戯を考える少女のように、アウローラは笑う。

 森の朝に相応しい、実に穏やかな空気だった。

 

『……やれやれ、長子殿の色ボケ具合にも困ったものだな』

「今は貴方の発言は許可してないんですけど??」

 

 剣から漏れて来た囁き声で一気に台無しになってしまったが。

 次の目的地を定める前に、これから始まる姉妹(?)喧嘩をどう仲裁するか。

 先ずは其処から考える必要がありそうだった。

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