幕間1:眠れる竜は永久の夢を見るか


 ――「ソレ」は微睡みの中にいた。

 今も昔も……人が想像も出来ない程の遥か「昔」から、それだけは変わらない。

 目覚める事はあっても、「ソレ」は常に眠りの淵にあった。

 人が休息の為に取る「眠り」とは質は異なる。

 永遠である「古竜」の階梯に至る前の竜。

 その段階でならば「休眠期」と呼ばれる長期の眠りを過ごす場合がある。

 しかし「ソレ」は既に古竜だ。

 もっと言えばこの大陸で二十しかいない《古き王》の一柱。

 飲食による栄養補給も、休息の為の睡眠も不要。

 それでも「ソレ」は眠り続けていた。

 まるでそうする事が「正しい」というように。

 目覚めようと思えば直ぐに浮かび上がるが、同時に誰にも触れられない程に深く。

 その意識と魂を眠りの底に沈めながら。

 「ソレ」は夢を見ていた。

 千年や三千年どころではない――途方もない過去の夢。

 

『――何故だ』

 

 何もない、それ故に何もかもがあった頃。

 「ソレ」にとっては、もう何度目になるか分からない始まりの記憶。

 一番最初に「自分」を認識したのは、その声がきっかけだった。

 何故と、重く問いかける声。

 それがその場にいる「誰か」なのか。

 それとも問いを発した者が己に問うたものなのか。

 分からない。少なくともその時は、理解する必要性を感じなかった。

 微睡みに沈んだまま、「ソレ」は過去の記憶を見る。

 原初に創生された竜王は、生まれ落ちた時点から永遠不滅。

 故に外部からの干渉か、何かしらの異常が起きない限りは記憶も劣化しない。

 多くの時を眠りに費やした「ソレ」は、今も鮮明に覚えている。

 まだ「創られた」ばかりで何もない荒野。

 其処に並び立つ完全なる生命。

 今は《古き王オールドキング》と呼ばれる最古の竜。

 そして、その全てを創造した偉大なるモノ。

 全能に限りなく近く、全知には届かなかった偽りの神。

 己を《造物主》と称した絶対者。

 星の怒りである黒銀の焔ですら滅びず、自らの理想の為に大陸一つ生み出した。

 そして今、理想の具現たる「我が子」らを前にして――。

 

 

 全知全能に僅かに及ばない神は、空虚な疑問を繰り返していた。

 ――実際に、竜は「完成された生命」だった。

 永遠不滅の魂を持ち、肉体が滅んでもそれは仮初の死に過ぎない。

 強大な魔力に隔絶した生物としての性能。

 ただ一個だけでどれほど長い年月も生きる事が出来る。

 完成されていた、正に「完全な生命」と呼ぶに相応しい。

 故に古き竜達は

 何故なら父たる《造物主》が望む通り、最初から全て満たされていたから。

 自身だけで永遠に生きられるのならば一体他に何が必要なのか?

 最初に理想を、大望を抱いて神となった《造物主》には理解できなかった。

 生まれた時から「完成」していた者が、何を思うのかを。

 全能に限りなく近く、一個人で天体に等しい力を有していても。

 全知ではなかったが故に、《造物主》は最後まで理解する事ができなかった。

 

『何故、何故、お前達は――』

 

 「ソレ」は全てが見えていたし、全てが聞こえていた。

 けれど「父」の望む通りのモノとして生まれ、望む通りに完璧だった。

 故に応える意味を感じなかったし、必要性も分からなかった。

 何故、何故と疑問を繰り返す「父」こそ奇妙な存在に思えたぐらいだ。

 その思考すらも完全に満たされた生命にとっては無意味に過ぎず。

 自分達を、完成された生命である古き竜を創造した《造物主》。

 言葉通りの「全能の神」だと認識していた存在。

 その「父」が、自らの存在を停止した瞬間。

 「完璧に満たされていた」はずの古き竜達が認識する世界が「欠けて」しまった。

 それを切欠に、「足りなくなった」全ての竜はゆっくりと活動を開始したのだ。

 酷い皮肉だと「ソレ」は思った。

 完全に満たされた生命であるが故に、生命としての営みを必要としなかった。

 完全性が失われた事で、全ての竜はようやく生命として動き出した。

 しかし完全である事が損なわれた時点で、「父」が求めた理想の生命ではない。

 理想の生命が繁栄を謳歌する、永遠不滅の理想郷。

 そんなものは荒唐無稽な夢想に過ぎなかった。

 本当に酷い皮肉だと、「ソレ」は思った。

 ――もし、あの時。

 ――あの疑問に、誰に向けたかも不明な呼びかけに。

 ――誰かが、応えていたのなら。

 恐らく、その場にいた誰もがその声は認識していたはずだ。

 認識して、けれど応える意義を感じなかった。

 故に《造物主》は己の所業の無意味さを悟り、その存在を停止してしまった。

 ……「父の死」を認識した事で、全ての竜は動き始めた。

 けれどそれは一斉にではなく、動き出したタイミングそのものはバラバラだった。

 「ソレ」は自分が何時から動き始めたのかは曖昧だった。

 覚えていないワケではないが、他の兄弟姉妹をちゃんと見ていなかったのだ。

 だから「自分以外の竜が動き出したのと、大体同じぐらい」という認識しかない。

 恐らく、大体の竜は同じようなモノだろう。

 ただ一柱、死した《造物主》の亡骸の傍らに立っていた。

 あの黄金色の鱗を持つ、恐るべき長子以外は。

 

『――――』

 

 振動。

 良く眠っている処を、誰かに揺り動かされた感覚。

 どれほど深い眠りでも浮かび上がる時は一瞬。

 「ソレ」は過去の情景から意識を現在に呼び戻した。

 呼び戻して――このまま直ぐに寝直すべきかを考えた。

 誰かが自分の「身体」の上で戦っている。

 その戦闘で起きた余波で、眠りから目覚めた。

 其処までは「ソレ」も把握していた。

 同時に、その程度は大した脅威でもないという事も。

 昔はもっと酷い目に何度も遭ったと、「ソレ」はぼんやりと思い返す。

 ――昔、そう、昔だ。

 はて、自分は果たしてどのぐらい眠っていたのか?

 目覚めはしても寝惚けた状態で、遅れて「ソレ」は思考を巡らせた。

 最後に眠りに落ちたのは何時だったろう。

 確か……あの長子が、完全に行方を眩ませてからだ。

 ――《最強最古》。

 ――《原初の大悪》。

 ――《全ての竜属の頂点にして上王》。

 ――《邪悪なる災いの蛇》。

 様々な異名で呼ばれる《古き王》の長子。

 間違っても死んだ、などと「ソレ」は思っていなかった。

 思っていなかったが、その痕跡を含めて存在が消失したのは事実。

 ――疑いようもなく、これから大きな面倒が起こる。

 そう考えた瞬間、「ソレ」は常よりも高い空へと自分を押し上げていた。

 それからは直ぐに自身を深い眠りへと落とし込んだ。

 「ソレ」はただ眠る事さえ出来れば良かった。

 欲望も野心も、理想も大望も「ソレ」は持ってはいなかった。

 ただ、平穏に眠りの中で過ごす事。

 他に何も望んでいなかった。

 だから「ソレ」はとてつもなく長い時間を眠り続けた。

 途中で何度か目が覚めた気もするが、直ぐに新しい眠りで打ち消した。

 眠って、眠って、眠って――眠り続けて。

 目覚めた事を認識した事すら、「ソレ」にとって久しくない事だった。

 

『――――』

 

 其処まで思考したところで。

 「ソレ」は眠る事以外に、ほんの少しだけ現状が気になった。

 只管眠っていたせいで、今が何時なのかも分からない。

 感覚的に寝ていた時間は千年程度では済まないはず。

 そうしている間も、大小の振動が「ソレ」の身体を揺らし続ける。

 何故、誰かが自分の上で戦っているのか。

 先ずは其処から確認するべきかと、半分眠った頭で「ソレ」は考えた。

 その為にも「ソレ」はとりあえず動こうとして――。

 

『――――?』

 

 気が付いた。

 身体……というより、魂自体の身動きがまったく取れない事に。

 今さらながら五感も大半が制限されている。

 だから間近で行われている戦闘も、遠くから伝わる振動としか感じなかった。

 何かしらの術式により拘束・封印されている。

 此処に至ってやっと、「ソレ」は自分が虜囚となっている事を知った。

 

『――――』

 

 一先ず、どの程度動けるのかを試してみた。

 いつからこんな状態になっていたか。

 千年以上を眠っていた「ソレ」にはまったく分からなかった。

 分からないからこそ確認する。

 仮にも《古き王》の一柱。

 寝ている間に封印を施されたとしても、生半可な術式なら内側から破れる。

 寝返りを打つように「ソレ」は試して――そして直ぐに諦めた。

 呆けた頭でも直ぐに分かった。

 術式から微かに漂う気配。

 それは間違いなく竜王の長子、《最強最古》のモノだ。

 細部に異なる気配もあるが、そちらは大して重要な事ではない。

 少なくとも「ソレ」にとっては。

 自分に施されている封印に、あの恐ろしい長子が関わっている。

 それだけ分かれば十分過ぎた。

 下手に術式を壊そうとして、長子の逆鱗に触れる事だけは避けたい。

 そもそも術式の強度自体も極めて高い。

 自力で抜け出すつもりなら、恐らくは数十年は掛かるはずだ。

 古竜の身なら大した時間ではないが、支払う労力はそれなり以上。

 ならば其処までする必要はないと「ソレ」は判断した。

 実際、目覚めたのは偶々だ。

 眠っているだけなら封印術式は何の悪影響も無い。

 むしろ静かに眠れるのだから助かるぐらいだ。

 変わらず身動きは取れないが、感覚の上では寝直す為に横になる。

 五感を制限された暗闇が逆に心地良い。

 このまま数百年は眠ろうか――と、「ソレ」は考えた。

 考えて、沸き上がる眠気に身を任せた処で再び身体を揺らす振動。

 一度や二度ではなく、それは断続的に続く。

 寝台ベッドをゆさゆさと左右に振られているに近い状態だ。

 おかげで眠ろうとしてもなかなか寝付けない。

 「ソレ」は若干うんざりしたが、別に腹を立ててはいなかった。

 寝ている時に起こされるのは、ずっと昔も度々あった事だ。

 暴れ回る兄弟姉妹の喧嘩に巻き込まれたり。

 或いは恐ろしい長子に面倒事を押し付けられたり。

 それ以外の理由でも何度か起こされた。

 だから「ソレ」は怒らない。

 怒る事よりも最優先は眠る事だ。

 意識を眠気に委ねて、寝にくい状況でも眠ろうと努める。

 微睡みに半ば沈みながら、遠くに感じる戦いの気配を少しだけ思う。

 ――本当に、何処の誰が自分の上なんて場所で戦っているのか。

 十中八九、それは竜だろう。

 勘違いがなければ此処は空の上だ。

 もしかしたら長子が――と、その辺りで思考を中断する。

 意味がないからだ。

 そんな事は眠るだけの自分には関係がない。

 自棄ではなく、ただ当然の事として「ソレ」は判断する。

 途切れない振動も、慣れてくれば子守唄と変わらない。

 眠る。古き竜王はまた微睡みに魂を横たえた。

 次に目覚めるのは何時になるか……なんて事は欠片も考えない。

 仮にいつか目覚めても、また眠るだけだ。

 ただ眠るだけの「ソレ」は、忘我の狭間でもう一つだけ考える。

 ――あの恐ろしい竜の長子は、何故あの時に姿を消したのだろう。

 その事だけがほんの少しばかり気になって。

 それも直ぐ、微睡みの底へと埋没してしまった。

 

 ……古き竜は未だ眠り続けている。

 今はもう、遠く過ぎ去ってしまった何かを夢見ながら。


 

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