476話:死


 絶望的な戦いになる事は、最初から分かっていた。

 《黒銀の王》は強い。

 古竜や大真竜、《巨人》に神。

 怪物めいた相手とは、これまで色々と戦ってきた。

 死にかけるぐらいなら、それはいつもの事だ。

 どいつもこいつも、人間なんて目じゃないぐらいに強かったからな。

 それでも、俺はどうにかこうにか勝ってきた。

 俺一人の力じゃ、とっくに死んでもおかしくはない。

 何度も続けた死線の綱渡り。

 それ自体は、別にいつものことだ。

 あぁ、いつものこと――。


「ッ……!?」

「どうしました、竜殺し」


 声。

 凍てついた鉄、焼けた鋼。

 黒く、銀色に輝く意思。

 飛びかけた意識を強引に引き戻す。

 ほぼ同時に、視界の端で真っ黒い剣が閃く。

 《黒銀の王》の剣。

 受ければ死ぬ。


「《盾よシールド》……!!」


 展開した力場の盾は、薄紙も同然。

 だがほんの僅かでも刃を止める事ができれば、それで十分。

 予想通り、黒い剣はあっさりと盾を粉砕する。

 力場が砕ける刹那の時間。

 その一瞬で、俺は剣を握る手に力を練り上げた。


「オラァっ!!」


 叩きつける。

 正面からではなく、横から叩く形で。

 黒い剣の軌道がズレて、こちらの鎧の表面を掠めた。

 掠めただけで、装甲の一部が拉げて潰れる。

 生身の部分に受けなかっただけ、甲冑はその役目を果たしてくれていた。

 剣を空振った隙に、《黒銀の王》へとこっちの刃を打ち込む。

 身に纏った黒い鎧。

 それは竜の鱗よりも、遥かに硬いが……!


「おおおおぉぉぉッ!!」

「…………!」


 斬り裂いた。

 竜を殺す刃は、《黒銀の王》の装甲も貫く。

 切っ先には僅かに血も付いており、肉体にまで届いた事を示している。

 ――行ける、届く。

 絶望的という言葉すら生温い格差。

 もう嫌というほど、言葉通り骨身にしみて理解した。

 理解したが、それがどうだっていうんだ。


『オイ、竜殺しっ!!』

「大丈夫だ……!」


 内から聞こえるボレアスの声。

 その声に、焦りが強まっていくのを感じる。

 まぁ、そうだろうな。

 剣の柄を、強く強く握り締めた。

 身体の内――灰になった魂を、更に灰にする勢いで燃え続ける炎。

 ボレアスを含めて、魔剣に宿る力を限界以上に引き出す。

 ハッキリ言って無茶ってレベルじゃない。

 が、そこまでやってようやくなんだ。


「――そう、それが人の身の限界だ」


 そこまでやって――いや。

 

 《黒銀の王》は、遙か頂きから俺を見ていた。


「竜の魂、その炎を呑み込んだ剣。

 確かにそれならば、人の身でも竜を超えるかもしれない」

「っ……!!」

「だが、私は《黒銀の王》。

 かつて恐るべき悪神を討つために、星の怒りとして立ち上がった大地の化身。

 その力を我が身に下ろした、神罰の代行者だ」


 黒い剣が振り下ろされる。

 それを弾こうとして、逆に身体が吹き飛ばされた。

 転がるのはギリギリ耐えて、懐から賦活剤を取り出す。

 口にして、呑み下す瞬間。

 もう目の前に、黒い刃の切っ先が見えていた。


「その程度の力では、届かない。

 人は竜に――いいえ、神には決して届かない」


 斬り裂かれる。

 回避も、防御も間に合わなかった。

 反射的に振るった剣が、たまたま《黒銀の王》の刃を僅かにずらす。

 本当に、僅かだが。

 おかげで、即死する事だけは避けられた。

 しかし。


「レックス……!?」


 悲痛な声が響いた。

 アウローラの声だが、ちょっと気にする余裕はない。

 傷の痛みで、頭の中が沸騰しそうだ。

 つま先に何かがぶつかる。

 あぁ――それは、俺の――。


「諦めますか、竜殺し」


 戦いは、まだ終わっていない。

 だから当然、《黒銀の王》は容赦なく剣を振るう。

 左腕は無くなった。

 だから、右手だけで魔剣の柄を握り締めた。

 衝撃。苦痛。

 さっきまでは、どうにか弾けていた。

 が、流石に片腕じゃあパワーが足りないらしい。

 受け流し損ねた《黒銀の王》の剣が、容赦なく俺の身体を斬り裂く。

 さっきよりは上手く行ったので、真っ二つになる事だけは避けられた。

 それでも、胴体を思いっきり袈裟懸けに斬られたが。

 吹き出す血は熱く、その分だけ身体の芯が冷えていくのが分かる。

 さて、コイツはキツいな。


『ハハハハハハハ、王の邪魔はさせませんよ……!!』

「ッ、どきなさい、このクソガキ……!!」

「我が主の邪魔をするな、ゲマトリア!」


 俺が戦ってるように、アウローラたちも戦ってる。

 ゲマトリアの奴も強いよな、やっぱり。

 こっちの《黒銀の王》も、大分ヤバいけどな。


『気をしっかり持てよ、竜殺し……!!』

「だいじょうぶ、まだな」


 だいじょうぶ。

 その意味が曖昧になりかけながらも、繰り返す。

 まだだ、まだ。

 俺は、まだ戦える。

 だから、まだだいじょうぶだ。


「……動きが随分と鈍っていますよ、竜殺し」


 そんな儚い抵抗を、《黒銀の王》は容赦なく叩き潰す。

 圧倒的だ。

 ひたすら圧倒的な暴力が、俺の命を削る。

 ――強い。

 最初から分かっていた。

 勝ち目のない勝負だって事ぐらいは、最初から。

 僅かに見えた勝機さえ、手を伸ばして届く代物じゃない。

 人は、竜には勝てない。

 それが神に等しい存在ならば、尚更に。


「この程度で力尽きるのであれば、希望には程遠い」

「っ……好き勝手、言ってくれるよなぁ……!」


 希望がどうとか、そんなのは知らない。

 知らないが、勝手に失望されるのは腹立たしい。

 絶望的? 勝ち目がない?

 何だ、それこそいつもの事だろう。

 歯を食いしばる――奥歯が砕けた気がするが、問題ない。

 自分の力で自分の骨を折るつもりで、魔剣を強く握り締めた。

 左腕はないが、血はあまり流れていない。

 どうやら、ボレアスかアウローラ辺りが止血してくれたらしい。

 助かる。血を流しすぎると流石に死ぬからな。


「おおおおぉぉぉぉぉッ!!」

「…………」


 叫び、駆ける。

 死神がもう全身に抱き着いてる。

 その状態でも構わずに、俺は《黒銀の王》に挑んだ。

 身体が冷たい。身体が熱い。

 間もなく死ぬ――遠からずに、死ぬ。

 綱渡りはもう終わっていた。

 死線の上から、俺の命はこぼれ落ちている。

 落下する勢いで、今この刹那を戦う。


「……その精神力には、敬意を表そう。

 竜殺し、貴方は偉大な戦士だ」


 それでも。

 それでもまだ、《黒銀の王》には届かない。

 振るう刃や、鎧の隙間から。

 黒い炎がこぼれる。

 魂を燃やす炎。

 魔剣の力を限界以上に行使した事で、それが噴き出しているようだ。

 ボレアスが、少し苦しそうに身を捩った気がする。

 ホント、無茶に突き合わせて悪いな。


『我のことは構うな!

 それより、お前の方こそ……!』

「――だがやはり、これが限界のようだ」


 声は、あくまで冷たいまま。

 剣の力は、これまでで最強なぐらいに引き出してる。

 俺自身、死ぬのを覚悟で全力を尽くしている。

 けど、足りない。

 《黒銀の王》に届かせるには、足りない。

 その差を埋めるには、まだ。


「もう諦めなさい」


 諦める? 何を?

 俺はまだ戦える――戦えている。

 剣と剣が重なり合う。

 一方的に力負けをして、吹き飛ばされた。

 まだ戦える。


「貴方では無理だ」


 何が無理なんだ。

 俺は、まだ戦えてる。

 まだ、まだ。

 黒い刃が、身体の中を通り抜けた。

 血が流れた気がするが、もう流れすぎて良く分からない。


「これ以上続ける事に、意味はない」


 どうしてそんな事が言える?

 意味があるのか、ないのか。

 そんな事はきっと、誰にも分からない。

 だって俺は、まだ戦える。

 両足に力を入れて、片手だけでも剣を握り締める。

 ――ほら、まだだ。

 俺は、戦えてる。


「――――」

『――――』


 声。よく、聞こえない。

 血を流しすぎたせいだろうか。

 多分、アウローラやボレアスたちの声だとは思う。

 けど、何を言ってるか分からない。

 俺を心配してくれてるんだろう。

 応えてやる余裕がないのが、少し申し訳ない。

 だけど――俺は、まだ戦えるから。


「いいえ、


 アウローラたちの声は、よく聞こえないのに。

 その声だけは、ハッキリと耳に届く。

 《黒銀の王》。

 視界も大分霞んでるのに、その姿だけはちゃんと目に映っていた。

 ……何だ、ぶっちゃけ無敵かと思ってたけど。

 こうして見ると、意外と傷は受けてるな。

 無敵じゃない、不死身でもない。

 ちゃんと勝てる相手だ。

 剣が届くのなら、絶対に勝てるはずだ。

 俺は、まだ。


「真に不死不滅な者はいない――無敵な者も、またいない。

 同じく勝ち続けられる者も、また」


 だから、お前の負けだと。

 遙か高みから見下ろして、《黒銀の王》はそう告げた。

 異を唱えようとしたが、声が出ない。

 ついでに何故か、身体も動かない気がする。

 無理やりに動こうとしたが――ダメだ。

 何故か、動かせない。

 そこでようやく気が付く。

 俺の身体を、何かが貫いていることに。

 これ、は……。


「終わりだ、始まりの竜殺しよ」

「レックス……!?」


 死。

 戦いの終わりを、《黒銀の王》は無慈悲に口にする。

 その言葉に、アウローラの叫びが重なった。

 今度は、ハッキリと耳に届いた。


「ッ……」


 声を出そうとして、失敗する。

 代わりに、喉の奥から血が溢れ出した。

 ……まだ流れる血が残ってたか。

 胸を刺し貫いている、黒い剣。

 位置的にも、多分、心臓がぶち抜かれてるな、コレ。

 真っ向から刺されたら、装甲は殆ど役に立たなかったか。

 まぁ――それは、仕方がないな。


「レックス、レックス……!

 ダメ、しっかりして!!」

『ハ、ハハハハハハハ!! 死んだ、死にました!!

 あの竜殺しの男が! 流石は《黒銀の王》だ!!

 やっぱり誰も、《盟約》の頂点には敵わないんですよ……!!』


 泣く声も、笑う声も。

 どれも酷く遠い。

 ……あぁ、この感覚には、覚えがある。

 今までにも何度か、その寸前ぐらいまでは行った事がある。

 けど、こうなるのは本当に久方ぶりだ。

 死。

 生きてるなら、誰もが最後は辿り着くもの。

 三千年ほど前に、既に一度味わったことのある感覚。

 意識が端から闇に齧られていく。

 急速に熱が失われていくが、苦痛は少ない。

 むしろ心地良ささえ感じられる、死神の抱擁。

 今までどうにか逃れ続けてきた手に、とうとう捕まってしまったか。


『おい、竜殺し!! まだだろう、お前は、まだ……!!』

「主よ、ゲマトリアは私が食い止めます! だから、どうか……!!」

「クソッタレ、ここに来て今更死ぬんじゃねぇよ馬鹿野郎!!」


 声。まだ、届く。

 けど――あぁ、これは本格的にヤバいな。

 身体を縫い止めていた剣が、ゆっくりと引き抜かれる。

 踏ん張ろうとしたが……流石に無理だった。

 膝を着く俺を、《黒銀の王》が見ている。

 間もなく死体に変わる相手に、もう振るう刃はないのか。

 剣は片手に下げたまま、静かに俺を見下ろしている。


「……これで、貴方は本当に終わりですか?

 最初の竜殺し。……私は、貴方の――――」


 《黒銀の王》が、何かを言っている。

 ただ、その言葉は最後まで聞き取れなかった。

 ――死ぬ、どうしようもなく死ぬ。

 あと一歩……いや、もうほんの僅かに踏み越えれば、戻れない死の境界。

 その上に、俺は立っている。

 現実から切り離され、死そのものである暗い帳が全てを閉ざす。

 決断が、必要だった。

 どう考えても絶望しかないこの状況。

 勝ち目はまるで見えない。

 ……それでも打てる手が、まだ一つだけ残されていた。


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