44話:古き王の御力


 血染めの森に嵐が吹き荒れていた。

 それを引き起こしているのは、一見すれば小柄な少女。

 だがその正体は、だ。

 

「ハハハハハハハハハハッ――!!!」

 

 笑いながら少女、いや少女の形をした《北の王》が腕を振るう。

 たったそれだけで森の一部が

 こっちの目からは爪か指が地面や木に引っ掛かった程度にしか見えない。

 “古き王オールドキング”が秘める暴力は、その程度でも深刻な破壊を引き起こす。

 木々は複数纏めて裂け、大地はめくれ上がる。

 それが一度ではなく、何度も立て続けに起こるのだ。

 此処まで来ると「嵐」という形容すら生温い気がしてくる。

 俺はアディシアを背に庇いながら、一先ず距離を置いた。

 前言の通り、アイツは巻き添えなど気にするつもりは毛頭ないようだ。

 

「むっ――!?」

 

 と、《北の王》の動きが僅かに止まる。

 ウィリアムの放つ音越えの矢が、何発かその身体を直撃したのだ。

 俺の鎧でもまともに受ければ貫く威力のはずだ。

 大暴れしていた分、狙う隙は幾らでもあっただろう。

 顔や胸など、急所に対して複数同時に命中したようだが――。

 

「……良い腕前だが、足りんな。弓手」

 

 まったくの無傷。

 鱗に覆われていない箇所にも矢は当たっていた。

 当たっていたが、鱗だろうが皮膚だろうが強度は変わらないらしい。

 その身に痣の一筋も刻む事なく、森人の矢は力なく地に落ちる。

 同時に、巨影が再び頭上を塞いだ。

 

『ならばこれはどうだ、怪物め――!!』

 

 風を震わせ叫ぶウェルキン。

 先ほど投げ飛ばされた古木の巨人――《橋の大男》が《北の王》を襲う。

 良く見れば、巨人の形が違う……というか、サイズアップしていた。

 《北の王》が適当に暴れている間に強化したのか。

 元々不細工な外見だったが、今は「かろうじて人型」ぐらいの有様だ。

 それでも、デカいというのはそれだけ力になる。

 俺だったら、その手の相手は動いて引っ掻き回すのが常だ。

 だが《北の王》は、自分の何倍も巨大な相手にも退く事はない。

 ただ冷たく、そして炎の如き燃える双眸で見上げて。

 

「くだらん人形遊びだな、森人風情が」

 

 嘲る。絶対的な王者の目線で。

 ウェルキンはそれに言葉は返さなかった。

 恐らく、一切のお遊びなく強化を施しただろう《橋の大男》。

 その渾身の一撃を叩き付ける事で、《北の王》の侮辱に応じた。

 大気が爆ぜて、森が震える。

 余波で受ける圧力すら木々を薙ぎ倒しそうだった。

 《北の王》は、、それを真っ向から受け止める。

 但し先の一撃を受けた時のように、片腕というわけにはいかなかった。

 両の手で巨人の拳をしっかり掴んでいた。

 拮抗状態……いや、少しだが《北の王》が圧されている。

 細い足が地面にめり込み、徐々にだが後方へと下がっていた。

 正直、潰れてないだけでも十分化け物なんだが。

 己が操る木偶の方が力で勝っていると察し、ウェルキンは笑った。

 

『ハハハハ……! 何が《北の王》だ、何が古き竜の王だ!

 そんな間の抜けた格好で、《爪》たる私に戯言を吐くなよ小娘!』

「恰好に関しては、まぁ我も言い訳出来ぬな。

 竜体すら取れぬ無様を晒すなど、我の長き生でも初めての事。

 人の姿など、こんな不便な形を取りたがる同胞どもの気が知れぬわ」

 

 地味に追い詰められている状況でも、《北の王》は余裕を以て言葉を返す。

 追い詰められている。本当にそうか?

 もしそうだったら、相手が《北の王》でも助けに動くぐらいはする。

 一応形だけかもしれないが、向こうはこっちの助力の為に出て来たんだ。

 しかし、俺はまるで手を出そうという気にならなかった。

 いやむしろ、今下手に近付くのは「危険だ」と勘が告げている。

 

「嗚呼、うむ。そうさな、『くだらん人形遊び』と言ったのは訂正しよう。

 不完全な人の形であるとはいえ、力で我を抑え込むとは。

 思ったよりは「やる」ようではないか」

『なんだ、今さら命乞いでもするつもりか?』

「いやいや、素直に褒めているのだ。

 青臭い森の畜生如きが、竜の力に多少迫ったのだからな」

 

 ……多分、アレで本心から「褒めている」つもりなのが恐ろしい。

 まぁ竜だし、しかもその王様だし。

 最早生き物としての生態レベルで上から目線が基本なのか。

 顔を見ずとも、ウェルキンの顔面青筋まみれなのが容易に想像出来るな。

 

『これ以上の戯言を聞くつもりは……!』

「青二才の努力を認めて、我も王として褒美をくれてやろう」

 

 ウェルキンの言葉を聞き流し、《北の王》は笑っていた。

 それは寒気がするような笑い方だった。

 相手を認め、讃えるような事を口にしながらも、その本質は別だ。

 《北の王》は怒っていた。

 不遜にも、竜の王たる自分に「力」で張り合おうとする身の程知らずに。

 旧き竜は怒り、それを「災い」として具現化する。

 あ、これ絶対にヤバい奴だ。

 

「アディシア、ちょっと我慢してくれ……!」

「っ!? な、レックス……!?」

 

 一応距離はあるが、万一はあり得る。

 後ろにいたアディシアを背に負った子供ごと抱えて、俺はその場から更に下がる。

 視界の内では、《北の王》は変わらず巨人とがっぷり四つ。

 その口元が笑みから、大きく開かれて。

 

「恐れよ。そして伏して拝め。

 真なる竜王の吐息ドラゴンブレスを見せてやろう」

 

 そう《北の王》が語った瞬間。

 炎と光が、森の全てを染め上げるように弾けた。

 血染めの月光などまるで問題にならない。

 《北の王》が吐き出すのは、紅蓮に輝く炎の吐息。

 それは一瞬で、目の前にいた《橋の大男》の八割をさせた。

 消し飛んだ、という言葉が比喩でも何でもない。

 威力の範囲から外れていた手足だけを、僅かに残して。

 古木の巨人は竜の一息で消し炭と化した。

 当然、破壊はそれだけに留まらない。

 吐かれ続ける炎は、そのまま森自体を貫く。

 木々は瞬く間に灰と化し、大地は派手に抉られ融解する。

 思い出したのは、真竜マーレボルジェが放った熱線の吐息だ。

 アレも相当な威力だったが、《北の王》の吐息はそれを上回るだろう。

 

「……さっきまでの大暴れが、子供の癇癪程度に思えてくるな」

 

 これが竜王か。

 アウローラでその凄まじさは分かっていたつもりだったが。

 竜体――本来の力を発揮してない状態ですらコレだ。

 改めて、《北の王》と呼ばれる竜がどれほどの力を持つか実感した。

 まぁ仮にこのまま戦り合う事になっても、負けるつもりはまったくないが。

 

「――何やら不敬な事を考えているな、竜殺し」

「おう、人の頭の中覗くのはやめろよ」

 

 そういうのはアウローラ一人で間に合ってるんで。

 森の一角を炎熱地獄に変えた《北の王》は、実にスッキリした顔だ。

 

「まったく不本意な話だが、お前と我は運命共同体。

 魔剣の炉に灯った火によって繋がる間柄だ。

 望む望まぬに関わらず、思考が流れ込む事もある」

「ほほう」

「まぁ我は、お前如きに頭の中を読まれるようなヘマはせんがな」

「一方的にこっちの不利益じゃねーか」

 

 むしろそっちが俺の剣に間借りしてるんだ。

 不当な扱いには断固抗議したい。

 まぁそんな馬鹿話よりも、腕に抱えたアディシアの方が心配だ。

 森を吹き飛ばした正体不明の全裸竜娘だ、ビビらないはずがない。

 実際、彼女は軽く腰が抜けた様子だったが。

 

「……誰なんだ、彼女は?

 いきなり現れたのに、知った間柄のようだが……」

 

 思いの外冷静に、アディシアは問いかけて来た。

 その辺の肝の据わり具合は教育の成果か、はたまた別の何かがそうさせるか。

 聞かれた《北の王》はというと、特に機嫌を損ねた様子はなかった。

 むしろ怖じずに真っ直ぐ見返して来た事には好感を覚えたようだ。

 

「《北の王》だ、魂に刻んでおけよ混じりの娘。

 しかし、ふむ。コレと我の間柄か。

 改めて問われるとなかなか難解ではあるが――」

「元殺し合った仲以上の説明ある??」

 

 いやまぁ剣の中にいるとか、微妙に魂が繋がってるらしいとか。

 其処まで考えると微妙に複雑な関係かもしれないが。

 基本的にはその一言で説明終わるはずだ。

 そんな俺の言葉に対し、《北の王》は悪童の如く歯を見せて笑う。

 

「釣れん男だなぁ、お前は。

 まぁあれほどの熱い逢瀬を交わしたというのに、薄情にも忘れた奴だ。

 それでも気の利いた文句の一つも言えんとはなぁ。

 これが我を殺した最初の竜殺しかと思うと、いやはや情けない」

「お前そういうキャラだっけ??」

 

 しかしくっそ楽しそうだなこの野郎。

 アディシアさんもワケが分からんって顔しか出来てないんだぞ。

 悪意があるのか無いのかは、正直良く分からんが。

 少なくとも今のところは直球に敵対する意思はなさそうだ。

 ……ただまぁ、何というか。

 このままの状態でウロつかれると、大変困った事になるんだが。

 その辺りはどう考えているのか、確認しようとして。

 

『これで――勝ったつもりか、貴様ら……!!』

 

 ウェルキンは叫び、同時に森が再び揺れた。

 見れば、《北の王》の吐息によって薙ぎ払われた一部が蠢いていた。

 未だに燃え続ける炎の中から、「ソレ」は立ち上がる。

 材料はさっき消し飛んだ《橋の大男》と同じ、そこらの森の木々だろう。

 シルエットは《橋の大男》より細く、代わりに背が高い。

 加えて、大きな違いはもう一つ。

 その古木の巨人は、全身が炎に包まれていた。

 

『押し潰し、焼き殺してやれ!

 《火祭の男ウィッカーマン》!!』

 

 造り手の声に応じて、燃える巨人はのそりと動く。

 《北の王》が吐き出した炎もそのまま材料の一つにしたらしい。

 こっちに近づいて来る巨大松明を見て、《北の王》は嘲りの笑みを向けた。

 

「懲りん男だ。諦めが悪いと評するか、学ばぬ奴だと笑うべきか。

 まぁどっちにしろ同じ事か。今一度、王の威を……」

「…………?」

 

 再び吐息で吹き飛ばす構えを見せた《北の王》。

 俺の方も巻き添えを食らわないよう備えたわけだが。

 何故か《北の王》が動きを止めてしまった。

 

「? オイ、どうしたよ」

「ふむ」

 

 実に落ち着きを払った様子で、《北の王》は軽く手を振って。

 

「さっきの吐息ブレスで魔力が尽きた」

「ウソだろお前」

 

 何も考えずに無茶苦茶に暴れてたのかよオイ。

 そうこうしている間に、もう近くまで燃える巨人が来ていた。

 先ほどの古木の巨人に比べれば、動き自体は大分遅めだ。

 それでもサイズを考えれば十分に機敏だった。

 迫る炎の拳に、《北の王》はロクに避ける素振りさえ見せない。

 あぁもうこの野郎。

 

「ったく……!!」

 

 俺はアディシアを抱えた状態のまま地を蹴った。

 彼女は何も言わず、意識のない子供を落とさぬようにしがみつく。

 燃える拳が届くよりも早く、《北の王》を引っ掴んで森を走り抜ける。

 背後で轟音が響き、大量の火の粉が舞い散った。

 

「なんだ、別に肉体を砕かれようと我は死なぬぞ?

 肉体の死は、古き竜たる我には何ら意味のない事柄だ」

「そうやって舐めてるから大昔に負けたんだろ、お前」

 

 負かしたのは俺なわけだが、生憎そこは記憶が薄い。

 その言葉に《北の王》は一瞬だけ黙り、また直ぐ牙を見せる形で笑う。

 

「我は不滅なりし竜の王。肉体の死に意味はなく、この炎は永遠。

 だというのに、一度や二度の勝利に浮かれたか貴様」

「そういうのは勝ってから言ってくれ。

 あと今そんな話してる場合じゃないから、後な後」

 

 後ろは未だに燃える巨人が追っかけて来てるんですよ。

 ……そういえば、少し前から矢の方はあんまり飛んできてないな。

 《北の王》の炎で吹き飛んだ可能性は……まぁ無いな、無い。

 

「大丈夫か、アディシア?」

「あぁ、あたしは大丈夫だが、レックスは……!」

「ヘーキヘーキ」

 

 油断はしないが、一番のストレス源だった矢の攻撃が途絶えた。

 あの《火祭の男》とかいう巨大松明も、確かに見た目は派手ではある。

 しかし動きは鈍く、振り下ろされた拳を避けるのも容易い。

 先ほどの《北の王》による蹂躙で、ウェルキンも恐らく消耗しているのだろう。

 女子供を三人ばかり抱えた状態でも捕まる気は毛頭なかった。

 

『待て、今さら逃げるつもりか貴様ッ!!』

「そう言われて待つ奴はおらんだろ」

 

 何か言っているが、とりあえず逃げる。

 両手が自由フリーなら殴り返しても良かったが、今は仕方ない。

 火事を撒き散らしながら、巨大な松明が追いかけてくる。

 本当に諦めの悪い男だな。

 木々の隙間を縫って、俺は後ろを振り向く事なく駆けていく。

 ふと視線を上へと向ければ、見えるのは血に染まった赤い月と、もう一つ。

 それは赤い月光を弾く、金色の輝きだった。

 

「《 》」

 

 囁く声は、珍しく《力ある言葉》を口にしての詠唱だった。

 呪文と共に放たれたのは、魔法を解除する魔法。

 強力な魔法解体に晒された事で、燃える巨人は本当にただの松明となった。

 その場でガラガラと崩れ落ち、辺りに火の粉が飛び散る。

 

『なっ……私の《火祭の男》を……!?』

「……いきなり、森の一部が木っ端微塵に吹き飛んだから。

 一体何事かと思って駆けつけてみたけど……」

 

 驚愕するウェルキンは完全に無視スルーして。

 赤い夜空から俺の前へと、アウローラは軽やかに降り立った。

 ウェルキンの術式を破壊したばかりだが、疲労した様子は微塵もない。

 彼女は俺が無事なのを確認したからか、ほっとした表彰を見せる。

 

「良かった、レックス。

 貴方の事だから大丈夫とは思ってたけど、万が一を考えると心配……で……?」

 

 はい。

 アウローラの言葉が途中で途切れ、その視線は一点へと注がれる。

 即ち、今俺が抱えている見慣れない相手に対して、だ。

 その当の本人――《北の王》は、心底愉快そうな顔で笑った。

 

「久しいなぁ、長子殿。

 こうして直に顔を合わせるのは、果たして何千年ぶりだ?」

「は」

 

 突然過ぎる事態に、まともなリアクションも出てこなかったようだ。

 口を何度かパクパク動かして、視線は明後日の方向を彷徨い出す。

 嗚呼――これは絶対、修羅場になる奴だ。

 

「は……ちょ、っと。お前、何で……!?」

「さて、この世の誰より賢い貴女でも分からぬか。ン?」

「とりあえず喧嘩は後にしない??」

 

 この状況、確実に俺のいる位置が爆心地になる。

 こちらの必死の訴えが、この古き竜の王様たちに正しく届いたかどうか。

 それは今この瞬間の俺には知りようもない事だった。

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