43話:お願いします

 

 それは決して幻聴などではなかった。

 迫る巨拳をギリギリで躱し、飛んできた矢を剣で弾き落とす。

 正直、余裕なんてのはまったくない状況なんだが。

 

『どうした? まさか我の声も届かぬ程に疲弊したか?』

「俺めっちゃ忙しいんだけど……!」

 

 せめて空気とか読んで頂きたい。

 どうやら聞き間違いなどではなく、本当に《北の王》が語りかけて来た。

 幸いと言うべきか、こっちの独り言とかは誰も気にしない状況だ。

 いやしかし、一体全体何の用だコイツ。

 声から伝わってくるのは、悪意というか何というか。

 必死に転げ回ってる俺が愉しくて仕方がない、ってのだけは良く分かった。

 で、だ。

 

『思ったよりも随分手練れのようだなぁ、此度の相手は。

 このままでは、さしものお前も危ないのではないか?』

「しくじったら死ぬだけなのは、大体いつもの事だろ」

 

 それに関しては、これまでも何度となくあった事だ。

 厳しいっちゃ厳しいが、それでもどうにか戦えている。

 巨人を先ずどうにかしたいんだが、横から叩いて来る矢がそれを許さない。

 時折、横ではなく上とか方向を変えてくるのも大変鬱陶しい。

 追い詰められているというよりは、膠着状態と言った方が正しいか。

 それを打開する方法はないかと考えてはいるのだが。

 

『――成る程、確かにお前ならばこの状況は大した窮地でもあるまい。

 木偶を無理やり削り取るでも、月が沈むまで耐えるでも良い。

 だが、もう一人の娘の方はどうだ?』

「…………」

 

 だから今、それについて考えていたんだ。

 アディシアは上手いこと距離を保ち、ギリギリのところで凌いでくれている。

 ただその状態を、いつまでも維持できるとは限らない。

 いっそ全力で離脱して貰った方が却って安全かもしれない。

 そう悩んでいる間にも、状況は進行する。

 

「森人の誇りは無いのか、お前達は!」

 

 冷静さと激情の境に立ち、アディシアは弓を引く。

 踏み込み過ぎないよう調整しながら、俺を援護する目的で矢を放った。

 狙いは実に正確で、複数同時に射られた矢は真っ直ぐに古木の巨人へ向かう。

 しかし、その全てが唐突に空中で弾けて散った。

 アディシアは驚き、悔しさに歯噛みする。

 何が起こったのかは明白だった。

 巨人に命中するより早く、ウィリアムがアディシアの矢を撃ち落としたのだ。

 俺への射撃の手は緩めないまま、ついでのようにだ。

 その上、迎撃と同時にアディシアの足下にも矢を数発撃ち込んでいた。

 何時でも狙い撃てるとあえて示す事で、彼女の動きを牽制するのが目的か。

 マジで狂った腕前でいっそ感心するわ。

 そして変わらず、耳障りな森人の高笑いが響く。

 

『ハハハハッ! 打つ手はあるまいよ、赤帽子の娘!

 無力を嘆きながら、其処で眺めていればいい!』

 

 ウェルキンは極めて絶好調なようだ。

 取るに足らぬ相手だとアディシアからは意識を外し、敵意を俺一人に集中させる。

 それ自体はこっちとしても好都合だが、状況がギリギリな事に変わりはない。

 意識の片隅で、タチの悪い竜が笑っている。

 

『我は何も強制はせんぞ? 元よりお前が望んで落ちた穴底だ。

 自らの力のみで這い出せるというならそれも良し。

 その英雄ぶりを存分に我に見せてくれ』

「とりあえず手助けとか、そういう話ならもうちょい分かりやすくして??」

 

 マジであんまり余裕ないんですよコッチ。

 あの糞エルフウィリアムが狙っている以上、自力でアディシアが逃げるのは難しい。

 仮に俺が彼女を抱えてダッシュで逃げても、多分背中をビシバシ撃たれるな。

 困難な現状を再確認したところで、炎の内で竜が喉を鳴らす。

 

『手助けして欲しいのか?』

「この状況だからなぁ、して貰えるんならして欲しいわ」

『それで?』

「は?」

『人間は他人にモノを頼む時、相応の礼儀とやらが必要だそうだな?』

 

 うーんこの野郎。

 若干イラっとした分を、振り下ろされた巨人の拳にぶつける。

 正面から剣を振り抜いて、拳を半ばまで断ち斬る。

 このぐらいのダメージならば、先程からこまめに入れてはいた。

 が、切り裂かれた部分は直ぐに再生し、あっという間に塞がってしまう。

 《牙》も不死身だったが、どうやらコイツも同じらしい。

 再生するより早く切り刻むのが一番だが、ウィリアムの矢がそれを許さない。

 あぁ畜生この野郎。

 

「……頼む」

『何か言ったか?』

「お願いしますよ《北の王》様! ちょっと手ェ足りてないんで!」

『ハハハ、そうまで言うなら仕方あるまいなぁ』

 

 心底愉快そうに王様は笑った。

 俺に負けてぶった斬られてそう間もないのにこの態度である。

 一体面の皮は何で出来ているのか。

 

「で、具体的にどう助けてくれるんだ?」

『先ずはあの半森人の娘をどうにかしてやれ。

 巻き添えで死んでも良いなら別だがな』

 

 何かサラっと言いやがったぞコイツ。

 つまり《北の王》が何かする前に、アディシアを守れる状態にしておけと。

 此処まではウェルキンの気を引いて、巻き込まないよう敢えて距離を取っていた。

 その状態を崩す事に、僅かに躊躇いはあったが。

 

「ホント、こっちはちゃんと頼んだからな……!」

 

 なかなか恐ろしい賭けだが、決めたからには腹を括る。

 巨人の攻撃を回避すると同時に、強引にその間合いをすり抜ける。

 死角からウィリアムの矢が襲って来るが、剣と鎧で残らず弾き落とした。

 

『馬鹿め、今さら逃げられると思ってるのか!!』

 

 ウェルキンは突然の俺の行動を嘲る。

 巨体に似合わぬ俊敏さで、古木の巨人は俺の背を追って来る。

 それに対し、俺は一瞬だけ巨人の方に視線を向けて。

 

「《炎の矢ファイアボルト》」

 

 《力ある言葉》を囁き、それに応えて炎の矢が踊る。

 狙う先は巨人の顔面。

 大したダメージにはならずとも、動きの妨害程度にはなるはず。

 ウィリアムの矢に迎撃される危険もあったが、炎は無事に巨人の顔を叩いた。

 そして期待した通りに巨木の足が鈍る。

 生じた僅かな隙を縫う形で、俺はアディシアの傍へと辿り着いた。

 俺が突然こっちに来たせいで、彼女もかなり驚いた様子だ。

 

「レックスっ?」

「悪いが、何も聞かずに後ろにいてくれ。

 それで次はどうするんだ?」

 

 言葉の後半は《北の王》に向けて。

 アディシアはますます分からない顔になったが、今は説明している暇がない。

 そもそも俺の方もどうなるか分からんので答えようが無いんだが。

 見れば巨人はもう復帰しているし、ウィリアムの矢もある。

 本気でギリギリだ。

 俺の催促に、《北の王》はただ一言。

 

「は? 血?」

『そうだ。お前の剣で、お前の血を大地に落とせ。

 時間がないのだろう?』

 

 意図の分からない要求だった。

 だが現状は《北の王》が言う通り。

 悩む時間がない以上、俺は即行動に移る。

 剣の刃を籠手の隙間に当てて、素早く引いた。

 痛みが走るのを我慢して、傷口から血を押し出すように拳を握る。

 どんだけの量が必要とか、その辺りは分からんが。

 指示された通り、森の土に赤い雫を落とす。

 ……そういえば。

 アウローラが飛竜を出す時も、確かこんな感じにやっていたなと。

 ふと俺が思い出した、正にその瞬間。

 視界を真っ赤な炎が遮った。

 

『何だ……!?』

 

 驚愕の声を上げたのはウェルキンだった。

 こっちはいきなり炎に呑まれたせいで、声を上げる間もなかった。

 マズイ、傍にはアディシアもいたはずだ。

 まさか突然炎が噴き出るとか想像すらしていなかった。

 状況は呑み込めんが、兎に角この場を離れて――。

 

「レックス、一体これはなんだ!?」

 

 呼びかける声は直ぐ近くから聞こえた。

 見れば火に巻かれながらも、まったく無傷なアディシアが其処にいた。

 改めて意識すると、何故か炎に包まれているのに身体は焼けていなかった。

 彼女自身も戸惑っている様子で。

 

「突然炎が噴き上がったが……これは、何が起こってるんだ?」

「いや正直、俺も良く分からんのだが」

 

 俺もアディシアも、当然敵対するウィリアムやウェルキンも。

 この瞬間では誰一人、何が起きているか理解出来なかっただろう。

 この場でそれを知っていたのは、「ソイツ」だけだ。

 

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――ッ!!」

 

 響き渡る哄笑。

 それはこの世の如何なる者よりも傲岸不遜。

 自分以外の全てを「格下」と切り捨てた王者の嘲り。

 熱さはないのに、嫌な汗が出て来た。

 無くしたはずの記憶をこれ以上なく刺激される。

 少し前の自分の判断は迂闊ではなかったと、珍しく若干の後悔も覚えた。

 しかし、今さら目の前で起きている現実は覆せない。

 

「血肉を得るのは三千年ぶりか!!

 かつては何とも思わなんだが、これだけ久しいと感慨深いなぁ!」

 

 噴き上がる炎の中で笑う者。

 其処に俺は、一瞬竜の姿を幻視した。

 それは間違いではなかったが、正しくもなかった。

 少しずつだが、激しく踊っていた炎が小さくなっていく。

 但しそれは炎が消えた事を意味しない。

 はみ出していた「力」が、その持ち主に収束しただけ。

 空に浮かぶ赤い月よりも鮮烈に、ソイツは夜の森に降り立った。

 

「さて――どうした、竜殺しよ?

 随分と呆けた顔をしているようだが」

 

 唇を、裂けた三日月の形にして笑うのは。

 どっからどう見ても、一人の女だった。

 見た目の年齢は少女と言ってもいいかもしれない。

 ただその外見は、あらゆる意味で人間離れをしていた。

 先ず長く伸びた髪は燃えるような赤色。

 それは比喩でも何でもなく、本当に炎を吹いて燃えていた。

 血のように真っ赤なアディシアの髪とは少し違う。

 赤黒く、消えない炎を宿した溶岩の如く。

 大きな瞳の色もまた髪色と同じだが、こっちはより赤の輝きが強い。

 顔はぱっと見ると、何となくアウローラに似た印象がある。

 こっちの方が野性味が強いというか、凶悪な竜のイメージそのままだ。

 いや見てくれだけは美人であるのは間違いないんだが。

 身体の方は……裸身を惜しみなく晒しているせいで、一瞬目のやり場に困った。

 ただ全裸かというと微妙に違う。

 メリハリのある肉体のところどころ、黒い鱗に覆われていたからだ。

 それは間違いなく竜の鱗だった。

 他にも細長い尾や背に広げた翼に、頭から生えた二本の角と。

 人間の少女の身体に竜の特徴が混ざり合った、それは不可思議な姿だった。

 アディシアはそれを茫然と見ているし、正直俺もビックリだわ。

 どう反応するべきか困っているところで、先に動きを見せた者がいた。

 古木の巨人を操るウェルキンだ。

 

『……一体、何処の誰だかは知らないが』

 

 竜に似た少女の背後に、その巨体が迫る。

 大岩を容易く粉砕する拳を振り上げるが、少女は動かない。

 むしろ目線一つもそちらに向けようとはしなかった。

 その振る舞いはウェルキンの自尊心プライドを大いに刺激したようだ。

 

『この森に足を踏み入れた以上は、ただ狩られるだけの獲物に過ぎない!

 死して“森の王”の供物となり給えよ!!』

 

 声に怒気を滲ませ、巨人は拳を叩きつけた。

 両手を合わせて、大鎚ハンマーの如くに思い切り振り下ろす。

 流石に正面からぶつかったら、俺でもちょっと危ないかもしれない。

 それだけの威力を感じさせる一撃だったが。

 

「……供物だと?」

 

 少女は変わらず其処に立っていた。

 小動もすることなく、平然と。

 古木の巨人は、確かに拳をその上に落としたはずだった。

 それに対して少女が行ったのは単純な動作一つ。

 片手を上げて、受け止める。

 ただそれだけだった。

 細腕一本だけで、巨人の拳は完全に止められていた。

 

『な……っ!?』

 

 流石にウェルキンも動揺の色を隠せない。

 こっちも流石に人外過ぎてビビる。

 驚嘆の気配に気を良くしたか、少女は愉快げな笑みを見せるが。

 

「我に対して、何を言ったか。小僧。

 供物? 王への供物だと?

 それをまさか、我に対して言ったのか?」

『……ッ! 殺せ、《橋の大男》よ!!』

 

 その言葉に含まれている悪意と敵意。

 それをウェルキンも強く感じ取ったのだろう。

 古木の巨人に命令を下すが、それも余り意味はなかった。

 巨人は動かない……いや、動けなかった。

 振り下ろした拳を細い指に捕まれて、押せども引けども微動だにしない。

 そんな無駄な足掻きを少女――いや、少女の姿をした「ソイツ」は嘲った。

 

「せめて己の矮小さを知り、頭を垂れよ。

 ――我は《北の王》、古き竜の王が一柱なるぞ」

 

 《北の王》と、自ら堂々と名乗りを上げて。

 それが真実であるかを示すように、片腕を軽く持ち上げる。

 巨人の拳に爪を立てていた方の腕だ。

 傍から見ていると、森の一部が持ち上がったと錯覚してしまいそうだ。

 宙に浮かび上がった巨人を、《北の王》は無造作に投げ捨てた。

 轟音。木々を派手に吹き飛ばしながら、巨体がかなりの距離を転がっていく。

 その様を見て、《北の王》はケラケラと笑った。

 

「ふむ、やはり人の姿というのは動きづらいものなのだな。

 竜体を取れれば最善だったが、まぁ今は贅沢は言うまいよ」

「……あの、もしもし?」

「あぁ、あぁ。そうだった。そうだったな最初の竜殺しよ。

 『手助けをしてやる』と、そういう契約であったな」

 

 一先ず声を掛けたら、何やらテンション高めの声が返って来た。

 《北の王》は俺の方を見ると、燃える炎を宿した双眸を笑みの形に細める。

 

「この身も完全ではないが、丁度良い機会だ。

 覚えていないお前に、今一度思い出させてやろう。

 竜種の頂点たる者――“王”の名を戴く古き竜の力という奴をな」

 

 何処までも、それこそ天にも届かんばかりの傲岸不遜。

 《北の王》は俺に対して堂々と、そんな事を宣言してみせた。

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