幕間3:必要な代償

 

 俺はその光景を見ていた。

 ただの一息で、森の一角が灰塵となる様を。

 正に天変地異と言う他ない。

 余りの凄まじさに目を奪われそうになった程だ。

 危うく命まで奪われそうになったが、幸い巻き込まれずには済んだ。

 弓は構えているが、矢を撃つ事はしない。

 強化された視覚に神経を集中し、状況の変化を観察する。

 ウェルキン自慢の《橋の大男》も消し飛んだか。

 あの威力を間近で直撃したんだ、無理もない。

 更に燃える木々を材料に《火祭の男》を立ち上がらせたようだが。

 

「……アレは駄目だな」

 

 小さく呟く。

 如何に《爪》といえど、あれだけの大物を連続で動かしてはな。

 予想通り、燃える巨人の動きは明らかに鈍かった。

 鎧の男――レックスも、足手纏いを抱えた状態でもあっさり逃げ回っている。

 しかし、本当に逃げるとあれば躊躇しない男だ。

 もう少し勇ましく、傲慢なら此方としても対処は楽なんだが。

 巨人と人間の追いかけっこは、そう長くは続かなかった。

 今度は夜空から下りて来た少女の手で、ウェルキンの術式はあっさり破壊された。

 崩れ落ちる《火祭の男》は、そのまま単なる炭の山へと変わる。

 ……仮にも《爪》であるウェルキンの魔術は、決して生温いものではない。

 自然に漂う魔力マナを術式で固定し、簡単な自我を与えて使役する精霊術。

 ウェルキンはこれを他者や物体に憑依させる事で、自在に操る術に長けている。

 だから当然、外部から術式破壊を試みられた場合の対策も万全にしていたはずだ。

 そんなものは存在しなかったかのように、あっさりと解体されたようだが。

 

「さて……」

 

 これは予想以上と喜ぶべきところか?

 あの突然現れた火を吹く娘や、ウェルキンの魔術を壊した金髪の娘。

 そのどちらか片方だけでも、十分過ぎる程の鬼札ジョーカーだろうに。

 両方抱えた本人も、《牙》の一団や《爪》の襲撃を殆ど一人で凌ぐ強さとは。

 本当に期待通りであり、予想以上でもあった。

 思考を巡らせながら、俺は前線の観察も続ける。

 《火祭の男》を破壊した娘は、そのままレックスと合流を果たしたようだ。

 しかし……ふむ、何か揉め出したか?

 口元が見えれば言動を読む事も出来るが、流石に距離がある。

 言い争っているというか、騒いでいる事ぐらいしか俺の位置からでは掴めない。

 見た限り、金髪の娘がレックスの抱えた火を吹く娘に噛みついているように思える。

 試しに矢を撃つ事も考えたが、直ぐに考え直す。

 今迂闊に手を出すのは何となく危険な気がしたからだ。

 大抵の場合は根拠のない直感だが、従っておくのが無難だろう。

 そうしている間に、レックス達の姿は木々の向こう側へと引っ込んだ。

 此方の視認範囲から完全に外れたのを確認してから、一つ息を吐く。

 

「で、どうする?

 このまま追跡するのか?」

「……何故、途中で手を止めた。ウィリアム」

 

 俺が呼びかけると、声は直ぐに返って来た。

 振り向けば、木の陰からウェルキンが姿を現している最中だった。

 元々血色の良い質ではないが、今は殊更顔色が悪い。

 流石に無茶が祟ったようだな。

 ウェルキンは幽鬼も同然の顔で俺の方を睨みつけてくる。

 

「まさか、連中をわざと逃がしたのかっ?」

「誤解だな、ウェルキン。

 流石の俺も、先程の炎には腰を抜かしてしまってな」

 

 それは正確ではないが、肝を潰したのは事実だ。

 もう少し距離を詰めていたら、最悪焼け死んでいた可能性もあった。

 しかし、ウェルキンは俺の言葉を信じてはいないようだ。

 あからさまに顔を顰めて、小さく舌打ちまでして。

 

「嘘ならもうちょっとマシな言い方をしろよ」

「悲しいな、ウェルキン。

 俺はお前に嘘を言った事など、殆ど無いぞ。

 まったく無いとは言わんがな」

「私は、お前のその真面目腐った顔で戯言をほざくのが心底嫌いだよ」

 

 別にふざけているつもりは毛頭ないんだがな。

 まぁ、この男の俺に対する誤解は今に始まった事でもない。

 俺自身に特に害はないので流しておく。

 しかし。

 

「それで、どうするんだ?

 今回の《狩猟祭》は、《爪》であるお前の指揮なのだろう」

「…………」

 

 俺の言葉に対し、ウェルキンは沈黙を返す。

 その眼は既に見えなくなった客人方に注がれているようだった。

 今から動いたとしても、既に連中は脱出の為の《門》に辿り着く頃だろう。

 包囲を抜かれる事も想定し、予備戦力としても多数の《牙》を配置してはいた。

 それらは全て、あの奇妙な娘の炎によって薙ぎ払われたわけだが。

 レックスと別行動をしていた方も、結局《牙》だけでは抑え切れなかった。

 昨日の祭りと同じく、取り逃がすだけの結果だ。

 付け加えるなら、囮として配置した供物の者達も殆ど持っていかれた。

 わざわざ言うまでもなく、完全に此方の敗北だ。

 その事実は、ウェルキンにとって認めがたいモノだろう。

 屈辱に耐える為か、奥歯を強く噛んでいるのが見て取れる。

 

「ウェルキン」

「黙れ、ウィリアム。

 ……油断していた。あぁ、油断していたんだ。

 認めよう、あの連中は単なる「供物」ではないと」

 

 心底忌々し気に、ウェルキンはその言葉を吐き出した。

 自尊心はボロボロだろうが、その程度の判断は出来る男だ。

 

「次は、無い。次は確実に連中を仕留めるぞ」

「そう口にするのは容易いが、実際にどうする?

 さっきの炎は見ただろう。森の一角を完全に焼き尽くして見せた。

 彼らがどの程度の戦力を持っているのか、俺達は何も知らないに等しいが」

「私は《爪》だぞ。そんな事は分かっている。

 《橋の大男》や《火祭の男》が駄目でも、私にはまだ「切り札」が――」

 

 ウェルキンの声が不自然に途切れる。

 俺もまた、漂う気配に僅かに息を呑んでしまった。

 森の深淵――余人では辿り着く事の出来ない、最も深い暗がりから。

 蛇が這いずり回るように、冷たい気配が漂ってきた。

 それが何であるのか、俺もウェルキンも良く理解していた。

 赤い月に彩られた、この狩猟場の主。

 傲岸にも“森の王”を僭称する真竜、サルガタナス。

 常は森の深部から出てこない獣が、こんな場所まで出てくるとは。

 ウェルキンはすぐさま頭を垂れ、俺もそれに倣って跪く。

 しかし何故、わざわざ此処まで来たのか――。

 

『お、オオオォおおおォぉぉオオ……ッ!!』

 

 醜く歪な獣な体に開いた無数の口。

 その全てから耳障りな音を漏らしながら、サルガタナスは唸っていた。

 ガチガチと牙を慣らし、その隙間から真っ赤な血を溢す。

 ……明らかに様子がおかしい。

 昨日も供物は取り逃がしても、獲物となった狩人は喰ったはず。

 生贄を口に出来ず飢餓状態になるのはまだ先の事だ。

 此方の思考を他所に、サルガタナスは己の食欲の侭に猛り狂う。

 

『なんだ、何だ何だ何だ何だ何だ?

 一体何だ、何なのだ先ほど弾けた臭いは。

 極上の、極上の獲物の臭いだぞ、何故だ、何故こんなところで??』

「さ、サルガタナス様、どうかお気を鎮め下さい」

 

 イカれたように言葉を繰り返す真竜。

 ウェルキンはそれを何とか宥めようと試みるが。

 

『落ち着け、落ち着けと? お前には分からんだろう!

 貴様らには分からんだろう! コレは、コレはコレはコレは!!

 千年も前から求めて来た臭いだ! だぞ!』

 

 叫ぶ。吼える。吼える。叫ぶ。吼える。

 数多の口が喚き立て、更に別の口が同じように叫び続ける。

 これは、余り良くない状態だな。

 俺がそう考えると同時に、サルガタナスが動いた。

 

『ガアアアアァアアアアアアアアアア!!!!』

 

 一番大きく裂けた口を広げて、空に浮かぶ月へと彷徨する。

 それからと、森の木々に喰らい付いた。

 起こった破壊は劇的だ。

 あの娘が吐いた炎のように派手ではない。

 だがサルガタナスは、その巨大な口で森の一部を噛み千切ったのだ。

 まるで小枝のように木を折り、根っこは地面ごと引き摺り出す。

 バリボリと、菓子でも食うような気軽さで真竜は森を貪り始める。

 全身に開いた口もその大きさを増す。

 醜い暴食の王は、刺激された食欲を何とか満たそうと荒れ狂う。

 止めようとしたウェルキンも、こうなっては手の出しようもないか。

 

「……仕方あるまいな」

 

 何がサルガタナスを此処まで暴れさせているかは分からない。

 一つ確かなのは、このまま放置は出来ない事ぐらいだ。

 赤い月の結界で閉ざされた、この森だけで片付けばそれで良いが。

 先ず確実に、森林都市の方まで真竜は喰い始める。

 そうさせない為にも、此処で食い止める他ない。

 俺は巻き込まれぬよう下がるウェルキンの横を抜けた。

 サルガタナスの狂的なまでの食欲。

 胸が悪くなりそうなその気配を浴びながら、足を止めずに近づく。

 

「なっ……オイ待て、何のつもりだウィリアム……!?」

 

 狼狽するウェルキンの声が聞こえるが、今は無視する。

 懐から取り出した守り刀を左手に持つ。

 その刃を自身の右手首に当てて、切り裂く。

 傷口から溢れた血が地面に落ちる。

 流れたばかりの流血を嗅ぎ取り、サルガタナスの意識が此方に向く。

 無数に並ぶ眼から、少しだけ狂乱の気配も引いている。

 さて、上手く乗り切れるか。

 

「偉大なる真竜、我らの支配者たる“森の王”よ。

 未だ供物を捧げられぬ不始末、飢えと怒りを抑え切れぬ事でしょう。

 故にこの身を削り、供物として捧げましょう。

 今一時はどうか、それで荒ぶる気を鎮めて頂きたい」

『……何を、何を捧げる? 捧げるのだ? ウィリアム、我が《牙》よ』

「この命を――と言いたいところではありますが。

 どうかお許し願いたい」

「ッ……!?」

 

 後方でウェルキンが息を呑む気配がした。

 俺の申し出に対し、サルガタナスはほんの少しだけ沈黙し。

 

『クッ、ハハハハハハハハハハ!!』

 

 獣はその口を大きく開き、高らかに笑った。

 笑って、思う様に嘲笑ってから、その顔を間近まで近付けてくる。

 血生臭い吐息混じりに、サルガタナスは笑い続ける。

 

『これまで散々、森の同胞を捧げて来たお前も。

 流石に命までは惜しいか?』

「何分、まだやる事が多く残っていますので」

『お前を丸呑みにしたなら、この場は満足してやろうと。

 そう言ったならお前はどうする?』

「であれば、致し方ないでしょう。

 私の後任が出来るだけ早く用意出来る事を願うばかり」

 

 冗談を口にしているようで、その言葉は冗談でも何でもない。

 サルガタナスがその気になれば、直ぐにでも俺は喰い殺されるだろう。

 だからこれは賭けだった。

 楽しい娯楽を提供すれば、この真竜は満足する。

 

『ハハハハ――まったく、口の減らぬ男だ。千年前から何も変わらん』

「お褒めに預かり光栄ですとも、王よ」

『あぁ勿論、褒めているのだウィリアム。我が《牙》よ。

 ――お前の望む通りにしてやろう。

 その“弓聖”と呼ぶべき右腕一本で、一先ず飢えを誤魔化そう』

「在り難き幸せ」

 

 血を流し続ける右腕を、サルガタナスの前に掲げる。

 最後の最後まで油断する事は出来ない。

 真竜は、牙の並んだ口をこれ見よがしに大きく広げて――。

 

「ッ……!!」

 

 噛み千切った。

 俺の右腕を、大体肘の辺りから。

 走る痛みに少しばかり声が漏れてしまった。

 それもまた、サルガタナスの嗜虐心を満たす良いスパイスになったか。

 奴からすれば小枝程度の肉を食み、満足そうに笑った。

 

『美味、美味なり! お前ほどの傑物の血肉だ!

 当然美味くないはずも無し!!』

「ご満足頂けましたか、王よ」

『量としてはまったく足りぬが――良いだろう。

 常なら無能な狩人も喰らい尽くすところだが、此度はお前の顔を立てよう』

 

 グルグルと、喉を鳴らすような音で真竜は笑う。

 さも寛大さをアピールしているが、単なる悪趣味だろう。

 次また同じ事があれば、今度は俺が「どの部分」を差し出すのか。

 期待しているのはそんなところのはずだ。

 

『ワシはまた暫く眠る。急げよ、お前達。

 この腹を満たす為に、森の全てを喰い尽くしても構わんのだぞ』

「無論、心得ております」

 

 ズルリ、ズルリと。

 影を引きずるように、醜い獣の姿は森の闇へと消えていく。

 完全に気配が消え去るまで、暫し待つ。

 そうしてから、俺は先ず腕の断面に魔法で止血を施す事にした。

 

「《熱よ》」

 

 守り刀の刃を魔力で熱し、傷口を焼き潰す。

 やる事はそれだけだが。

 少々痛むが、これで失血死の危険はなくなるだろう。

 後は専門家に見せて、治療を施せば問題あるまい。

 

「……何故」

「ん?」

 

 唸るように呟いたのはウェルキンだった。

 睨みつけてくるその眼には、様々な感情が渦巻いている。

 それこそ、言葉では言い表せぬ程に。

 

「何故、お前はいつも、そうやって……!」

「必要があったからそうしたまでだ。

 あのまま放っておけば、王は森も何も全て喰い尽くしていた。

 俺の腕一つで満足するかは賭けだったがな」

 

 そして、その賭けは無事に俺の勝利に終わった。

 凌いだのは今この場だけであるし、次も同じ手が通用するかは分からないが。

 結果的に、犠牲は最小限で済ませる事が出来た。

 とりあえずは満足の行く結果だ。

 

「お前は……恐ろしいとは、思わんのか」

「俺が恐れるのは、森人という種の未来が完全に断たれる事だけだ。

 それを避ける為なら、俺の腕一本は随分安い買い物だ」

「ッ…………」

 

 理解出来ないと、ウェルキンの顔にはそう書かれていた。

 別に理解は求めていないし、必要もない。

 お前は俺の期待した通りに動いてくれれば、それで良いのだから。

 

「とはいえ、この腕では狩り場に立つワケにも行くまい。

 《牙》から落とされぬ為にも手段は考えるが、暫くは任せて構わんか」

「……言われずとも、私は《爪》だぞ。

 不甲斐ないお前の代わりに、《狩猟祭》は私が取り仕切ると言ったはずだぞ」

「あぁ、そうだな。そうだった。

 なら心置きなくお前に預けて、俺は一度下がらせて貰おう」

 

 何にせよ、今宵の狩猟は此処までだ。

 守り刀を懐にしまってから、俺は踵を返す。

 ウェルキンが動く様子はなかったが、今は何を言っても仕方ない。

 次に打つべき手を思案しながら、俺は狩猟場を後にした。

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