第三章:《鬼神》との遭遇

360話:神とは何か


 朝の目覚めは穏やかなものだった。

 アウローラの「隠れ家」の内は、荒野の過酷さとは無縁だ。

 寝台の上で目を覚まし、先ずは小さく伸びをする。

 同じ姿勢で固まっていた身体は、あちこち軋んだ音を立てた。

 触れる熱に目を向けると、寄り添って眠るアウローラの姿がある。

 少し離れた位置で抱き合って眠る姉妹に、大の字でいびきをかくボレアス。

 概ねいつも通りの光景だ。


「……ん……」


 可愛らしい寝息が、アウローラの口元から漏れる。

 軽く髪や頬を撫でてみるが、とりあえず起きる気配はない。

 もう少しぐらいは寝かせておいて大丈夫だろう。

 俺もこのままもう一眠りしても良いが。


「……起きるか」


 呟いて、他を起こさないようそっと寝台から抜け出す。

 足音は極力抑えて、俺はそのまま寝室を出た。

 気になったのは、この「隠れ家」に初めて招く客人の様子だ。

 《巨人殺し》の方は別に問題ないと思うが。

 ただアストレアは此処に入る段階でも若干揉めたからな。

 一応、軽く様子ぐらいは見ておくべきだろう。

 扉越しに寝息の一つでも確認できたら、そのまま戻るつもりで……。


「……ん?」

『――よう、おはよう。

 爽やかなお目覚めか?』


 アストレアにてがわれた客室の前。

 その前には、意外な人物……いや、蛇がいた。

 《巨人殺し》の相棒である黒蛇――クロが何故か、扉の前でウロウロしていた。

 首を傾げる俺に、クロは何の事もないように挨拶をしてくる。


「あぁ、おはよう。

 ところで、なんでこんなところにいるのか聞いても?」

『そっちこそ。

 まさか夜這いってワケじゃないだろ?』

「もう朝なんだよなぁ」

『……違うよな?』

「いや、違う違う」


 なんか一瞬、蛇の目がやたら鋭くなった気がする。

 軽く手を振って否定すると、黒蛇は一つ頷いて視線を外す。


『アストレアならまだ寝てるぞ。

 そう寝過ごす奴じゃないと思うが、まぁ心労も溜まってるんだろ』

「抱え込みそうなタイプだしなぁ」


 頷く。

 普段からしてイライラしっぱなしだしな。

 あの状態をずっと続けてたら、そりゃ疲れもするだろう。


「……で、なんでこんなところにいるんだ?」

『多分、お前と同じ理由だよ』

「夜這い?」

『こんなナリでそんな真似できると思うか??』

「いや、絶対にそれ仮の姿とかだろ」


 見た目上の姿かたちとかあまり信用できないんだよなぁ。

 その指摘に、黒蛇は小さく唸る。

 図星だったか、まぁそれは別に良いんだが。


「俺と同じって事は、アストレアの様子を見に来たのか」

『……まぁな。

 こんな隔離された空間で、また癇癪でも起こされたら怖いしな』

「ふむ」


 それに関しては同感ではあった。

 ただ、気になるのは。


「なぁ」

『うん?』

「アストレアとは知り合いなのか?」

『…………なんでそう思う?』

「アストレアといる時、妙に口数が少ないからかな」


 後は半分ぐらい勘だが、それは言う必要はないだろう。

 黒蛇は沈黙したまま俺の方を見ている。

 爬虫類的な表情からは、何の感情も拾う事はできなかった。


「後は、普段はくっついたままの相棒を置いてまで様子を見に来たりとか。

 流石に縁もゆかりもない相手にする事じゃないよな、と」

『……まぁ、ブラザーもブラザーで寝たら時間まで起きないタイプなんでね。

 《巨人》の気配を感じた時は別だが』

「その辺りは流石だなぁ」


 再び、沈黙が部屋の前の廊下を満たす。

 一応返答を待ってるつもりだが、どうやら黒蛇に答える気はないらしい。

 まぁ、答えない事が半ば肯定に近くはあるが。

 俺も黒蛇もそれは理解していた。

 だから、こっちも今はそれ以上突っ込むのは止めておいた。

 代わりに別の疑問を聞いてみるか。


「なぁ」

『今度は何だよ。部屋戻らなくて大丈夫か?』

「大丈夫大丈夫。

 で、これも答えたくなければ答えなくて良いけどな」

『聞くだけは聞こうか。ブラザーに寝床を貸してくれた恩もある』

「アストレアだけどな。

 あいつ、?」

『…………』


 やはり、黒蛇はすぐには答えなかった。

 そう、これは本当に何となく思った事だった。

 《人界ミッドガル》に君臨するという十柱の神々。

 今のところ出会ったのは《裁神》であるアストレアのみだ。

 だから彼女だけが例外の可能性もあるが……。


「神様……まぁ、そもそも神様ってのがあんまりピンと来ないが。

 そういう人間よりも凄い存在の割に、アストレアは大分人間臭いんだよな。

 怒るし、怒るし、あと母親に関する話では悲しそうだったし。

 今も客室でちゃんと眠ってるんだろ?

 その辺、力こそ凄いけど普通の人間と変わらないよなぁ、と」

『………………そうだな』


 俺の話を黙って聞いていた黒蛇。

 これはだんまりでも仕方ないと判断したか、クロは一つため息を吐いた。


『隠すほどの事でも無し。

 ただ、この話をアストレアとかには言うなよ?』

「あぁ、分かった」

『よし。で、大体はそちらの予想した通りだよ。

 《人界》を支配する神々、《十神》の大半は元々はただの人間だ』

「アストレアだけじゃないワケか」


 他の神様については、まだ会ってないから分からなかったが。


『始まりの神々である《最古の三神》。

 人々の祈りに応えて現れた最初の神々に関しては例外だ。

 彼らは星の運行を司る《原始精霊》の化身。

 降臨する際に人間に近いパーソナリティを得てるが、本質的には人間とは別物だ。

 だが、三神以外の神々はそうじゃない』

「ただの人間が、後天的に神様になったって事か?」

『あぁ。三神以外の例外もあるが、基本的にはそうだ。

 ……《人界》の本当の支配者。

 かつて神代の頃、三神を従えた原初の王。

 彼の偉大なる王との「拝謁」を果たし、望む力を与えられた人間。

 それこそが神と呼ばれる者の正体だ』

「なるほどなぁ」


 神様の一番偉い奴から、力を貰った元人間。

 そういう事なら、神を名乗るアストレアの人間臭さも納得が行く。

 ……うん? でも待てよ?


「その三神ってのに関しては、元から神様だったんだよな」

『あぁ、そうだな』

「けどカドゥルの話だと、アストレアの母親はその三神の一人じゃなかったか?」

『良く覚えてたな』


 黒蛇は困ったように唸り声を漏らす。

 今の話が正しいのなら、アストレアは本物の神様の娘って事になる。

 なら彼女は生まれからしげ人間ではないはずだが。


『言っただろう、三神はって。

 《最古の三神》は紛れもない超越者だ。

 だが、肉体や精神面は敢えて人に近い形を取ってたんだよ。

 だから子供を産む、なんてまともな生命の振る舞いができたんだ』

「ふむ」


 なるほど。

 確かにそういう話なら、アストレアもまた人間と大きな差は無いのか。

 ……まだ、クロがわざと語ってない事はありそうだが。


『悪いな、今ぐらいなら喋っても別に問題ないけどな。

 俺にも俺なりの事情があるんだ、これ以上は勘弁してくれ』

「分かった。むしろ無理に聞いて悪かったな」

『一宿一飯の恩義だ、そこは別に気にしなくて良い』


 黒蛇は軽く笑うと、そのまま廊下を這っていく。

 向かう先は相棒が休んでいる部屋だ。


『そろそろブラザーが目を覚ます時間だ。

 起きた時に世話してやらないと機嫌が悪くなるんでね。

 一足先に戻らせて貰うよ』

「あぁ、朝からありがとな」

『良いさ。

 そっちも誤解されないよう、早く戻った方が良いだろ』

「だなぁ」


 それだけ言葉を交わすと、黒蛇は《巨人殺し》の客室へと戻っていく。

 揺らした尻尾は手を振る代わりなのか。

 それはまぁ良いとして、忠告通りに俺もそろそろ戻って……。


「おはよう、レックス」

「おはよう、アウローラ」


 どうやら若干手遅れだったらしい。

 肌着一枚のアウローラさんが、笑顔で俺の背後に立っていた。

 ついでに、口元は笑っているが目はあんまり笑ってない。

 怒ってはないが、その何歩か手前ぐらいだ。


「言い訳はどんな具合?」

「メンタル不安定そうなのが心配だったからな。

 早起きのついでに、ちゃんと眠れてるか確認したかったんだよ」

「……それだけ?」

「それ以上は考えただけでばちが当たりそうだな」


 なにせ相手は神様だ。

 ただでさえ罪人認定なのに、この上不埒な真似を働くとか。

 恐ろし過ぎて考えもしなかった。

 大げさに肩を竦めてみせると、アウローラはくすりと笑う。


「そうね、納得はしたから許して上げましょうか」

「寛大さに感謝するべきかな?」

「ええ、いっぱい感謝して欲しいわね」


 冗談めかした言葉に笑い合い、俺の方から手を伸ばす。

 そのままアウローラを抱き上げると、寝室へと足を向ける。

 アウローラが起きてるなら、他もぼちぼち目を覚ます頃のはずだ。


「ちなみに、話はどこから聞いてた?」

「ここは私の懐の中なんだから、大体は聞いてたわ」

「なんか聞いてて気になる事はあったか?」

「あの蛇がなんであんなに事情に通じているのか、それが一番ね」


 まぁ、アウローラからすればそうだよな。

 今のところ素性含めて正体は一切不明。

 その割に、《人界》や神様についての知識などは妙に詳しい。

 あくまで現時点での想像でしかないが。


「アイツも神様だったりしてな」

「……レックスもそう思う?」

「いや、まぁ言動以外の根拠はないけどな。今のところ」


 やっぱアウローラも同じ事を考えていたようだ。

 俺の言葉に彼女は何度も頷いて。


「言動だけでも十分過ぎると思うわ。

 アストレアがいる場で口数が少ないのは知った相手だからよ。

 そもそも、あの蛇の声をアストレアはきちんと認識できてないはず」

「なるほどなぁ」


 そう考えると、確かに正解な気がしてくる。


「まぁ、あの蛇が《人界》の神様だとしてだ。

 じゃあなんで仲間相手にコソコソしてるんだ、って話ではあるよな」

「そこね。当人に聞いてもはぐらかされて終わりでしょうし」

「実害ないならスルーで良いんじゃないか?」

「普段ならそれでも良かったけど。

 今、私たちが向かってるのは《人界》よ?

 こちらが把握してない裏の事情で面倒に巻き込まれるのは避けたいわ」

「それは確かに」

「でしょう?」


 一理あると同意すると、アウローラは得意げに頷いた。

 ただ、すぐに難しい顔で眉間に皺を寄せる。


「とはいえ、本人が話す気がなければ難しいけど。

 まさか無理やり聞き出すワケにはいかないし」

「《巨人殺し》はほぼ善意で同行してくれてるからなぁ。

 そっちと揉めるのは避けたいな」

「それぐらいは私も分かってますからね?」


 ちょっとむくれた顔をしながら。

 アウローラは俺の首辺りに腕を回し、ぎゅっと身を寄せる。

 肌着一枚越しに伝わる体温。

 それは温かくもくすぐったい。


「アストレアの方にそれとなく聞いてみるのはありかもな。

 まぁ、素直に話してはくれないだろうけど」

「そこは聞き方次第で何とかなるかもしれないわね。

 なんなら寝起きを狙ってみない?

 彼女、目を覚ましたばかりは割と曖昧みたいだし」

「うーん確かにそうだなぁ」


 《地砕き》から助け出した直後とか。

 アウローラの言う通り、結構ぼんやりしてたしな。

 案としては実際悪くない。

 下手すると大幅に機嫌を損ないそうなので、そこは注意が必要だろう。

 

「まぁ、そこはアストレアが起きてからだな。

 あとイーリスはどんな具合だったか」

「一応、昨日休む前にも確認したけどね。

 やっぱりこれと言った異常はなかったわ。

 身体の不具合は肉体と魂が長く離れてたのが原因ね。

 噛み合わずに出ていた齟齬も、時間の経過で解消されるはず。

 現に大分調子は良くなってるわね」

「そうか」


 俺自身、詳しい事は分からない。

 知識を持つアウローラが診たのならそう間違いはないはずだ。

 とはいえ、イーリスに何かしらの変化が起こっているのも事実。

 自分の事なら「まぁ大丈夫か」ぐらいで楽観しても構わないのだが。


「……自分の事なら別に気にしないんだけど、みたいな顔してない?」

「兜で隠れてるからなぁ」

「分かるのよ、それぐらいは」


 意地悪そうに笑いながら、アウローラが兜を指でつついてくる。

 うーん、心を読まれてしまったか。


「あの子のことは、少しずつ見ていきましょう。

 少なくとも、悪い影響じゃないのは間違いないはずだから」

「あぁ、その辺は心配してないよ」


 アウローラの見立てだし、信用してるからな。

 そう言うと、彼女は照れたように微笑む。


「さ、早く戻りましょう?

 いい加減、あの子たちも起きてるでしょうし」

「だな。あと、お互いこの格好じゃ寒いしな」


 話すついでに、廊下をゆるゆると歩いていたが。

 流石にそろそろ寝室に戻るか――と。

 そう考えた矢先。


「ッ……!?」


 突然、「隠れ家」が大きく揺れた。

 それは今までに一度もなかった事態だ。

 主人であるアウローラも、明らかに動揺した様子で周囲を見渡す。


「まさか、そんな事が……!?」

「アウローラ、何が起こってる?」

「気を付けて、レックス!

 誰かが、この空間に攻撃を――」


 メキリ、と。

 すぐ近くの壁が軋み、その一部が破れた。

 開いた穴から覗く黒い腕。

 それは磨いた宝石のように美しい、滑らかな装甲に包まれていた。


「……あぁ、良かった。やっぱり此処にいたか」


 聞こえてきたのは年若い男の声。

 これまで破られた事のない「隠れ家」の平穏を引き裂いて。

 新たな「神」という脅威は、俺とアウローラの前に姿を現した。


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