361話:鬼神と竜殺し


「レックス!」


 アウローラが俺の名を呼ぶ。

 その声には強い魔力が込められていた。

 変化は一瞬。

 彼女の発した《力ある言葉》により、空間の構造が変質する。

 「隠れ家」の壁を突き破ってきた何者か。

 殆ど目の前にいたその相手が、気付けば異様に伸びた廊下の果てに立っていた。

 咄嗟に距離を離しただけの時間稼ぎ。

 だが、アウローラにはその一瞬さえあれば十分だった。


「大急ぎで装着したけど、問題ない?」

「あぁ、大丈夫だ」


 侵入者を遠くへ突き放したのと同時に。

 アウローラは俺の鎧と剣もこの場に呼び出していた。

 《転送アポート》の魔法だ。

 しかも身体に甲冑を装着した状態で《転送》を行う、という神業だ。

 少しでもズレたら装甲が噛み合わず、床にバラバラにぶち撒けてるはず。

 それを甲冑同士が擦れ合う音もさせずに行うとか、凄まじい魔法の腕前だ。

 こんな状況でなければ拍手の一つも送りたいところだが。

 

「なるほど、妙な業を使うな」


 廊下に響く声は、いっそ凪いだ水面のように穏やかだった。

 剣を構え、一歩前に出る。

 後ろにアウローラを庇う形で立ちながら、俺は相手の姿を見据える。

 全身を真っ黒い装甲で覆った謎の人物。

 黒い甲冑というと、《巨人殺し》の纏う《巨人》製の装甲を思い出す。

 しかし、見た目から感じる印象はまるで別物だった。

 《巨人殺し》の装甲は、兎に角実用性のみを追求した無骨さが目立つ代物だった。

 それとは正反対に、侵入者の装甲は美しさすら感じさせる。

 鎧――というよりも生物の外骨格。

 黒色の水晶にも見える装甲には、一切の継ぎ目も見当たらない。

 人工物の不自然さは皆無。

 ただ完成された機能美の具現が其処に立っていた。

 相手はこちらを観察するように見るだけで、すぐには動かない。

 てっきり、即殴りかかってくるかと思ったが……。


「《鬼神》」

「うん?」

「普段は名乗らないんだけど、どうやら巡礼者のようだからね。

 俺は《人界》に住まう神々の一柱。

 神としての号は《鬼神》、名はバサラだ。

 先ずは《巡礼の道》に挑んだ蛮勇に賞賛を」

「別に蛮勇ってつもりはないんだけどなぁ。

 あ、俺はレックスだ。宜しく」

「レックスか、宜しく。

 見慣れない格好だけど、意外と丁寧だね」


 本当に、言葉も態度も酷く穏やかだった。

 知人と世間話でもしているような。

 少なくとも、流れる空気に戦場特有の緊張感は皆無。

 いつでも術式を展開できるよう、俺の背後で身構えていたアウローラ。

 彼女の方からも困惑の気配が伝わってくる。

 あまりにも殺意や敵意の類が無さ過ぎて、戸惑っているようだった。

 相手――バサラが何気なく一歩を踏み出しても。

 アウローラは、それに反応して仕掛ける事はしなかった。

 殺意も、敵意も。

 相変わらず、バサラからは微塵も感じ取れないから。


「――だから、残念だよ。

 君とは、短い付き合いで終わるだろうからね」


 声は、耳元近くで聞こえてきた。

 一歩だ。

 《鬼神》バサラが踏み込んだのは、僅か一歩。

 その一歩だけで、アウローラが開けた間合いを潰してきた。

 文字通り飛んでくる拳に反応できたのは奇跡に近い。


「っと……!?」


 

 直感に従い、体勢を低くしてギリギリで身を躱す。

 「絶対に仕掛けてくる」と、そう考えて構えていなかったら危なかった。

 幸い、《鬼神》の拳は俺の顔面を狙うコースだった。

 おかげで回避しても、背の低いアウローラに当たる事はない。

 ただ。


「きゃっ!?」


 拳は掠めもしなかったが、アウローラの小さい悲鳴が響く。

 空を切った拳の余波。

 大気を丸ごと吹き飛ばすような衝撃が「隠れ家」全体を揺さぶった。

 ただのパンチに、一体どれほどの威力が込められているのか。

 回避には成功したが、当然それで終わりじゃない。


「《跳躍ジャンプ》!!」


 《力ある言葉》を短く叫ぶ。

 同時に片手でアウローラを引っ掴み、即座に床を強く蹴った。

 強化された脚力は伸長した廊下を、その呪文の通り真横に「跳躍」する。

 軽い少女の身体を抱え、屋内の空気を裂いて跳ぶ寸前。


「ッ……!!」


 二度目の――そして、先ほどの比じゃない衝撃が襲った。

 《鬼神》がやったのは足踏み……というより、踵落としだった。

 拳を回避した俺を踏み潰す気だったのだろう。

 見事に空振った踵が、「隠れ家」の床を蹴り抜いた。

 その破壊と振動が空間全体を震わせる。


「パワー馬鹿にも限度があると思うんだよなぁ!」

「ちょっと、人の家でそんな無茶苦茶暴れないで貰える!?」

「良く動く」


 拳と蹴り。

 まだ《鬼神》が仕掛けたのはその一発ずつ。

 しかし、たったそれだけでも十分過ぎるほどに理解できた。

 この相手こそが、《巡礼の道》を阻む「神」なのだと。


「しかし、勢いで乗り込んだけど思った以上に狭いな。

 現実側とは位相のズレた空間のようだし、下手に壊すと俺も危ないか?」

「……そういえば、アイツはどうやって侵入してきたんだ?」


 アウローラの「隠れ家」は、その名の通り隠された別空間。

 これまで敵対者に入り込まれた事はなかったはずだが。


「……信じがたいけど。

 隠蔽しておいたはずの扉――位相のズレを探し出して。

 それを……力技で、こじ開けたとしか……」

「出来るのかソレ??」

「私も信じがたいのよ。

 でも術式に介入された形跡はないし、そのぐらいしか……!」

「あぁ。まぁ、入るのは少し大変だったよ」


 一応声は抑えていたが、会話は当然聞こえていたようだ。

 相変わらず、敵意や殺意は微塵もない。

 たまたま出会った旅人に話しかけている。

 そのぐらいの気軽さで、《鬼神》バサラは語りかけてくる。


「大変ではあったけど、『入る場所』があるなら開けるよ。

 これでも神様だからね」

「……神様っていうより、化け物の方が近いんじゃない?」

「あぁ、言い得て妙だな」


 絞り出されたアウローラの皮肉にも、《鬼神》は平坦な声で応じる。

 そして。


「さて――少し怖いが、時間を掛けても仕方がないね」


 ほんの僅かにだが、《鬼神》が身体を前に倒す。

 またあの速度で襲ってくる。

 手数や射程、そして単純な火力ではアストレアの方が脅威だった。

 しかしこの《鬼神》は身体性能がぶっ壊れている。

 果たして『地砕き』をブン殴って止めたカドゥルとどちらが上か。

 再び、《鬼神》は俺に狙いを定めたようだ。

 こちらに視線を向けながら、ぐっと拳を固めて――。


「ハァッ!!」


 殴りかかってくる寸前。

 気合と共に、何かが《鬼神》の身体にぶつかった。

 今の声は。


「テレサ!」

「レックス殿、助太刀に」

「――驚いたな。ただの人間が空間を渡れるなんて」

「ッ……!?」


 テレサが仕掛けたのは、間違いなく彼女の得意技。

 《転移》から叩き込まれるゼロ距離打撃。

 これまで強敵相手に少なからずダメージを与えてきたその一撃。

 それが直撃したにも関わらず、《鬼神》は微動だにしていなかった。

 直立不動。

 黒い水晶の如き装甲に、テレサの拳は完全に止められている。

 人間であるテレサは《光輪》の影響を受けないはず。

 つまり純粋に装甲の頑丈さと、身体能力だけで防ぎ切ったのか。


「馬鹿な……!」

「原理は分からないが、良い技だよ。

 ただ、俺相手に徹すには少し非力過ぎたね」


 世間話のノリで言いながら、《鬼神》は拳を握り締めた。

 ミシリと、空間が軋む。

 それは錯覚だ。

 錯覚だが、そう感じさせる程の剛力。

 ただ「拳を握る」という動作だけで生じる圧じゃない。

 その瞬間なら、テレサはまだ逃げる事ができた。

 《転移》を使って間合いを開ければ、拳の一撃は回避できるはずだった。

 しかし、テレサは動かない――いや、動けない。

 ここまで幾度も死線と修羅場を越えてきた彼女であっても。


「ッ――」


 一秒にも満たない時間。

 身が竦んでしまうほどの圧倒的な力の格差。

 逃げる隙を逸してしまったテレサに、《鬼神》は容赦はしない。


「アウローラ、任せた!」


 だから俺が駆けた。

 アウローラには一言、それだけ伝えて。

 意図は十分伝わったはずだと確信した上で、俺は一直線に走った。

 テレサに拳を向けていた《鬼神》の隙を突く――なんて形にはならない。

 恐ろしい神様の注意は、一度も俺から離れてはいないからだ。


「判断は早い。

 けど、俺の拳よりは遅いね」

「おう、そうだな!!」


 狙いは何処までも正確に。

 向かってくる俺に対し、《鬼神》の拳が飛ぶ。

 防御は無理、回避も困難。

 打ち込まれた鉄拳は、容赦なく俺の頭を砕くだろう。

 どうしようもない――俺だけなら。


「っ、何だ……!?」


 驚愕を声に表したのは《鬼神》だった。

 拳を繰り出す直前に、その背後から炎が迫る。

 事前に《鬼神》はそれを察知していたようだが、最初は気にも留めなかった。

 自分の防御に絶対的な自信があるからだろう。

 しかしその炎が、まるで生き物のように脇を抜ければ驚きもするか。

 風よりも早く動いて、炎は俺の構えた剣へと吸い込まれる。


『感謝にむせび泣いても構わんぞ、竜殺し!!』

「あぁ、ナイスタイミングだ!」


 炎となって笑うボレアスに応じながら、俺は一気に加速した。

 その速度は、ほんの僅かにだが《鬼神》の拳を上回る。

 激突。衝撃。

 剣を打ち込むのではなく、身体ごと相手の胴にぶち当たっていく。

 魔法で強化した脚力に、炎となって宿ったボレアスの力。

 加えて、相手の意表を突く形だったのが功を奏した。

 その瞬間だけ、こっちのパワーが《鬼神》の膂力を凌駕した。


「すぐ開くから、注意して!」

「おう……!」


 後方から飛んでくるアウローラの叫び。

 それに短く応じながら、俺は全力で《鬼神》を押した。

 怖い神様が力負けしてくれたのは、本当に僅かな時間だけ。

 すぐに足に力を入れ、逆にこっちを押し返そうと――。


「ッ――――!」


 したところで、互いに踏ん張る床そのものが消え失せた。

 何が起こったのか、《鬼神》の方はすぐには理解できないだろう。

 実際のところは単純で、俺たちは放り出されただけだ。

 アウローラの「隠れ家」から、外――即ち、現実の荒野へと。

 やや高い位置に「再出現」した俺たちを、落下の浮遊感が包み込む。

 《鬼神》が状況を把握する前に、兎に角力の限り相手の身体を蹴り飛ばした。

 幸い、掴まれてしまう前に互いの距離が開く。

 そして。


「っと」

「……やられたな。完全に俺のミスだ」


 不安定な状態からの自由落下。

 それでも、俺も《鬼神》も両足から地面に着地する。

 距離はある……が、お互いに一歩で潰せる程度の間合いだ。


「君は戦い方が上手いな、レックス。

 俺はあまり器用な方じゃないから、素直に感心するよ」

「そっちこそ、意外と話せるタイプだよな。

 神様ってのもまだアストレアしか会ってないんで、ちょっと驚いてるわ」

「彼女はまぁ、あんまり余裕がないからね」


 だから仕方がないんだ、と。

 軽い世間話のノリで言葉を交わし、俺たちは改めて向き合う。

 後方では、「隠れ家」の扉が開いた気配がする。

 アウローラたちも荒野に出てきたようだが、そっちを確認する余裕はなかった。

 意識はただ、目の前の神様に集中させる。


「さて」


 《鬼神》は拳を握り、軽く指を鳴らした。

 何気ない動作の一つ一つに、《巨人》すら上回る力が感じられる。

 ――強敵だ。

 その認識を互いに共有していると、そう確信しながら。


「やろうか」

「あぁ、やるか」


 今度は遮るモノなど何もない、死んだ荒野のど真ん中で。

 俺と《鬼神》の戦いが始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る