362話:その一刀が届くか否か


 大地が砕ける。

 それを引き起こしたのは《鬼神》だった。

 相手がやった事は、ただ地面を強く踏みしめただけ。

 たったそれだけの動作が、天変地異に等しい破壊を引き起こす。

 砕けた大地を破片として撒き散らしながら。

 最初の加速で音を置き去りにして、黒い拳が真っ直ぐ飛んできた。


「マジかよ……!!」


 思わず悪態を吐きながら、俺は全力で回避を試みる。

 ギリギリ。

 本当にギリギリだが、何とか動きは見えてはいた。

 内側で燃えるボレアスの炎。

 その熱に灰となった魂を焼きながら、限界以上の力を引き出す。

 躱す。

 拳は鎧の表面、薄皮一枚を掠めて虚空を貫く。

 振り抜いた拳の余波。

 それは暴風も同然の圧力となって押し寄せてきた。


「ッ……!」


 その余波に逆らう事はせず。

 むしろその流れに乗っかる形で、俺は砕けた地面の上を転がる。

 案の定、回避した直後ぐらいに蹴りが襲ってきた。

 一秒でも判断が遅かったら、直撃して粉々になっていたかもしれない。

 蹴りは蹴りで竜巻じみた衝撃を撒き散らす。

 砕かれた地面の破片を更に細かく砕き、石の礫となって鎧を叩いた。

 仮に普通の甲冑なら、これだけで全身穴だらけだな。


『無茶苦茶な力だな……!』

「まぁ、これまで戦った相手も似たようなもんだったさ」


 《鬼神》の圧倒的なパワーに、さすがのボレアスも戦慄を隠せないようだ。

 俺はなるべく気軽に応えた上で、可能な限り最速で体勢を整える。

 一秒――いや、一瞬でも動きを止めたら死ぬ。

 その予感の正しさは、《鬼神》の方が積極的に証明してくれた。


「――あぁ、本当に凄いな」


 立ち上がって剣を構え直した時には。

 もう殆ど目の前まで、黒い神様は迫ってきていた。

 速い。

 常に最高速度な上に、そのスピードを完全に制御している。


「戦いになるのは、正直久々だよ」

「そりゃ良かった!!」


 繰り出される拳。

 恐らく、その力は大陸で戦った大真竜にも匹敵する。

 むしろそれだけのパワーを、人間サイズの拳一つに凝縮された状態だ。

 瞬間的な破壊力は上回ってるかもしれない。

 つまり、一発だろうとまともには喰らえない。


「危なっ……!?」

「良く見えてるな」


 一発目を躱し、そのすぐ後に放たれる二発目の拳。

 右のストレートから繋がる左のアッパー。

 こっちが大きく回避するのを見越して、死角から抉り込むように飛んでくる。

 ギリギリ避け――たと思ったら、今度は蹴りだ。

 最短距離を襲ってくる前蹴り。

 もう蹴りというより馬上槍の突撃ランスチャージに近い。

 拳を避けた直後で、回避するタイミングはなかった。

 だから。


「《盾よシールド》!!」


 直撃する寸前に、先ず力場の盾を展開した。

 当たり前だが、こんなもので防げるような生易しい代物じゃない。

 それでも不可視の盾は、ほんの僅かにでも《鬼神》の蹴り足を阻んでくれた。

 こっちはその一瞬さえあれば十分だ。


「ッ――――!?」


 力場の盾を、まるで薄紙のように突き破り。

 《鬼神》の蹴りが俺の胴体を捉える。

 竜の尻尾でブン殴られても、これほどの衝撃は受けないだろう。

 当然、こんなものを食らって堪えられるワケがない。

 凄まじい勢いで、俺は後方へと吹き飛ばされる。

 地面を派手に転がり、そのまま《鬼神》が踏み砕いた裂け目にぶつかった。


「レックス!?」


 アウローラの悲痛な叫びが聞こえる。

 その後に続くのは、冷めたアストレアの言葉だ。


「……当然の結果だな。

 《鬼神》バサラ、荒野を彷徨う者に死という慈悲を与える神。

 人間如きが抗えるはずもない」

「いちいちうるせェよお前! オイ、助けに行った方が――」

「ダメよ、動いては」


 アストレアの物言いに怒りながら、反射的に駆け出しそうになるイーリス。

 それを押し留めたのは《巨人殺し》だった。

 彼女は片手でイーリス、それにテレサを抑えて。

 もう片方の手に大剣を構えて、《鬼神》を睨んでいる。

 実際、その判断は正しい。

 《鬼神》はそちらを一瞥もせず、俺をふっ飛ばした辺りを見ていた。

 だがもし、少しでも近付いていたら。


「……賢明だな。

 もし間合いに入っていたら、そのまま殺してたよ」

「荒野で出会った者は、基本全て皆殺し。

 それが《鬼神》の権利。

 人間だろうと鬼だろうと《巨人》だろうと、お前は区別しない」

「あぁ。この荒野では、殺すのが慈悲だからね」


 淡々と。

 殺す事が神としての己の役割だと《鬼神》は語る。

 そこに感情らしきモノは一切ない。

 ……「隠れ家」で戦ってる時もそうだったが。

 コイツにとって「殺す」事は単なる義務的な作業なんだろう。

 だから殺意も敵意も欠片も感じ取れない。


「……バサラ」

「なんだい、アストレア。

 というか、君はなんでそんなところにいるんだ?」

「そんな事はどうでも良い。

 それより、何を呆けている?

 《巡礼の道》の試練として現れたのなら、果たすべき義務があるはずだ」

「あぁ、分かっている」

「…………」


 試練としての義務。

 その言葉が何を意味するのかは聞くまでもない。

 アウローラは姉妹をその背に庇い、《巨人殺し》は一歩踏み出す。

 訝しげに問うアストレアに、《鬼神》は動かなかった。

 その場に佇み、視線も一点に向けたまま。


「だから今も、その義務を果たしているんだ。

 ――で、まだ様子見するつもりなら、別の相手を狙うよ?」

「バレバレか」


 油断なり慢心なりで気を抜いてくれたら楽だったが仕方ない。


『流石にわざとらしすぎたようだな』

「それならそれで、まともにやるだけだな!」


 ボレアスのツッコミに応えて、俺は転がっていた裂け目から飛び出す。

 強化した脚力で離された間合いを一息に潰して。


「手応えが少し軽いと思ったんだよ」


 迎え撃つ形で放たれる《鬼神》の拳。

 顔面を狙ったその一撃を、身を捻って回避。

 カウンターで剣を打ち込むつもりだったが、その寸前で地を蹴る。

 二発目の拳が鼻先を掠め、衝撃だけで地面を抉り取った。

 ホント、パワーがヤバ過ぎて逆に笑えてくるな。


「馬鹿な……!」


 そう驚きの声を発したのはアストレアだ。

 どうやら俺が死んでなかった事がよっぽど衝撃だったらしい。


「《鬼神》の一撃をまともに受けて、一体どうやって……!?」

「まともに食らってないだけだぞ」

『あぁ、単純過ぎて種明かしする程の事でもないな』


 実際、やった事は「直撃する寸前に、自分で後ろに跳んだ」だけだ。

 それでも威力を殺し切れず、派手にぶっ飛ばされてしまった。

 ボレアスを宿した状態でなければ、アレ一発で死んでてもおかしくない。

 驚くアストレアとは対照的に、《鬼神》は冷静そのものだ。


「アストレアほどじゃないが、こっちも驚きっぱなしだよ」

「全然そうは見えないけどなぁ」

「いやいや、そうでもないさ」


 拳を握り、《鬼神》は緩く構える。

 態度や身に纏った空気に大きな変化はない。

 ただ、僅かに変わったように感じるのは……。


「なぁ」

「うん?」

「…………」


 何となくそう感じたので、試しに聞いてみただけだったが。

 反応は思いの外大きかった。

 拳を構えたまま、すぐには仕掛けてこない。

 沈黙し、少し考え込むような仕草さえ見られた。


「……おい、バサラ?

 お前ほどの男が、何を戯言を真に受けて……」

「いや、言われてみるとそうかもしれないと思ってね。

 そうだね、君の言う通り。

 俺は今の状況を、ちょっと楽しんでいるようだ」


 その返答は予想もしていなかったのだろう。

 アストレアは絶句するが、《鬼神》の方は気にしない。

 自分自身を分析するみたいに、半ば独り言に近い言葉を重ねる。


「戦いとか、《巨人》や鬼相手でもそうはないからな。

 人間は弱者で、俺にとっては殺して楽にしてやる存在でしかない。

 レックス、君みたいに戦いになる相手は本当に久しぶりなんだ」

「実は戦闘狂だったりする?」

「そんなつもりはないんだが、実はそうなのかもしれない。

 意外な一面に気付かされたかな?」


 笑う。

 冗談のつもりで言ったが、それを聞いて《鬼神》は素直に笑っていた。

 うん、案外面白い奴なのかもしれない。

 馬鹿を言い合って終わる話なら、それが一番良かった。

 が、現実はそれを許さない。

 話している間も、《鬼神》の纏う空気に変化はない。

 つまり笑っている時も、常に臨戦態勢で少しも崩れていなかった。


「さて、もう少しお喋りしても良いんだけど。

 同僚の目がちょっと怖いからね」

「あっちはあっちで、もうちょい緩く生きて良いと思うんだけどな」

「真面目なのがアストレアの美徳だから、そこは仕方がない」


 拳を握り直す《鬼神》。

 合わせて、こっちも剣を構え直す。

 間合いはお互いにとって無いも同然。

 一秒も満たずに潰せる距離で、俺と《鬼神》は睨み合う。


「レックス……」

「アウローラ、悪いがちょっと頼めるか?」

「? な、何?」

「あぁ。大した事じゃないんだが」


 戸惑うアウローラ。

 《鬼神》は構えたままで、まだ動く気配を見せない。

 多分、こっちの話が済むのを待ってるな。

 律儀というか何というか。


「ちょっと、このままやらせて貰って良いか?」

「……えっ?」

『本気で言ってるのか、竜殺しよ』

「あぁ。まぁ危なかったら全然助けて貰って構わないけど」


 流石に、俺一人だけで倒すと言い切る自信はないんで。

 呆れたボレアスに軽く笑って応えておく。


「……正気で言ってるのか、貴様?」


 と、何故かキレ気味のアストレア。

 姉妹は何も言わないが、妹の方は微妙に呆れてるような顔をしてるな。

 《巨人殺し》は肩を竦めるだけだった。


「たった一人で《鬼神》に挑むだと?

 何を思い上がった事を……!」

「まぁ、さっきからその状態ではあるしね。

 このまま続けるというのなら、俺としても歓迎だな」


 怒れるアストレアを遮り、《鬼神》は笑う。

 装甲に覆われてるせいで中身の年齢とかはまったく分からない。

 元が人間らしいとはいえ、神様に歳とか意味があるのかは不明だが。

 笑う声に関しては、年若い少年のようだった。


「別に仲間と協力しても、卑怯とか言わないよ。

 やりたいようにやってくれ。

 俺はただ、《鬼神》の権利として君を殺すだけだ」

「あぁ。言われるまでもなく、やりたいようにやらせて貰うよ」


 応えて、意識を集中させる。

 身体能力は、まぁ完全に負けてるな。

 けどそんなのはいつもの事だ。

 内に燃える炎で自らを焼き、ひたすらに力を溜めていく。


『……竜殺しよ、分かってると思うが相手には《光輪》がある。

 お前の剣が通じぬ以上、せめて長子殿と連携すべきではないのか?』

「悪いな、試したい事があるんだよ」


 弱気――というワケじゃないだろうが。

 流石に相手が相手なだけあって、ボレアスも慎重なことを言う。

 もしかしたら、俺のことを心配してくれてるのか。

 だとしたらありがたいが、今はちょっと我慢して欲しい。


「――先手は譲ろう。

 いや、もう先手もクソもないかもしれないけど」


 余裕ではなく、慈悲を込めた言葉だ。

 人間では神には届かないという、この地におけるごく当たり前の現実。

 それを前提に《鬼神》は語る。


「今の状況が楽しいと、そう気付かせてくれた借りを返そう。

 遠慮はしなくて良い。俺は神だからね」

「分かった」


 舐められてると、傍から聞いてるアウローラの方がキレそうだが。

 俺は別に気にしなかった。

 むしろ早速試せるのなら好都合なぐらいだ。


「――――ッ!!」


 地を蹴る。

 可能な限りの全力で、俺は真っ直ぐに《鬼神》に挑む。

 見えているはずだが前言通りに《鬼神》は動かない。

 《人界》の神が纏う権能、《光輪ハイロゥ》。

 悪神である《造物主》の力を遮断する神の力。

 アストレアの戦いでも、俺の剣は武器としては殆ど役に立たなかった。

 だからこの一刀は、本来なら何の意味もない。

 だが。


「おおぉぉぉぉぉッ!!」

「……!?」


 咆哮。

 そして、持てる全力で構えた剣を振り下ろす。

 何度も《光輪》で弾かれてきた刃。

 その切っ先が、《鬼神》の装甲に一筋の傷を刻みつけていた。


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