363話:蒼炎
硬い。
それは恐らく、これまでで一番硬い手応えだった。
大真竜の鱗も大概に頑丈だったが。
この黒い水晶みたいな装甲はそれと比較しても飛び抜けていた。
一刀で与えたのは本当に浅い引っかき傷。
当然だがダメージと呼べるような代物じゃない。
けれど、今重要なのは。
「届いた……!」
「ッ、あり得ん……!!」
思わず呟いた言葉に、アストレアの驚愕が被さった。
まぁ、驚くか。驚くよな。
やった俺自身も、実はちょっと驚いてるぐらいだ。
「凄いな」
何度目か分からない簡潔な賞賛。
それを口にしながら《鬼神》は動き出す。
譲られた先手を終えたなら、後は対等な殺し合いだ。
構えた拳は最短距離を貫き、俺の頭を砕こうと襲ってくる。
当たれば死ぬ一撃をギリギリで躱す。
追撃が放たれるより早く、《鬼神》の脇を転がるように抜けた。
すれ違いざまに一閃。
剣の切っ先は、また黒水晶の表面に浅い傷を残す。
「嘘、《光輪》をすり抜けてる……!?」
「なんか良く分からんけど、頑張れ!!」
「おう」
アウローラも、何が起こっているのかすぐには理解できてないようだ。
応援するイーリスの声に短く応えながら、俺は走る。
今のところ、《鬼神》の攻撃方法は全部素手だ。
尋常じゃない威力の拳と蹴り。
他に何かあるかも分からんので、それだけだと決めつけるのは危険だが。
思考を回し続けながら、《鬼神》の周りを走る。
相手は追い回したりはせず、その場でどっしりと構えた。
こちら側から仕掛ければ、向こうがカウンター気味に拳を打ち込んでくる。
刃と拳が交錯する、その刹那。
「《盾よ》!」
拳が当たる直前に《力ある言葉》を叫ぶ。
展開された力場の盾は、ほんの一瞬でも《鬼神》の拳を遮る。
その一瞬の差で、俺の剣が先に届いた。
装甲をまた引っ掻き、盾を砕いた拳を紙一重で回避。
続いて死角から飛んできた蹴りも、地面に伏せる形でやり過ごす。
ついでに剣を横薙ぎに払い、片足の膝辺りに傷を付ける。
うん、硬い。マジで硬いわ。
この装甲を破るのは、竜の鱗を全て剥ぎ取るよりも難事だろう。
「何故だ、どうして《光輪》が機能していない……!?」
心底理解できないと。
外野で見ていたアストレアは完全に混乱している様子だった。
一方、《鬼神》の方は落ち着き払っている。
攻防を続けながら、その視線はこっちの剣を見ていた。
「……その剣」
「おう」
振り抜かれた拳の余波が大地を砕く。
伸び切った腕に刃を打ち込むが、やはり僅かな傷を刻むだけ。
「悪神の力が濃いな。
確かに、これなら《光輪》が遮断してくれるはずだ。
アストレアが驚くのも無理はない」
淡々と独り言のように呟く。
いや、それは実際に独り言なのかもしれない。
自分の思考を整理するために、わざと口に出しているようだ。
そうしている間も攻撃は途切れない。
蹴りが引き起こす極小規模の竜巻に耐え、黒水晶の装甲に何度目かの傷を付ける。
少しずつ、少しずつ。
小さな傷をひたすらに重ね続ける作業。
これならいつもやっている事で、慣れたもんだ。
「……その剣は、斬ったモノの何かを奪えるのかな?
悪神の気配が濃いせいで分かり難かったけど」
どうやら、正解に辿り着いたらしい。
拳の一撃を避け、反撃の一刀が小さな傷を少しだけ深くする。
「君の剣から、俺やアストレアと同じ神の気配がする。
《光輪》は同じ加護を持つ神の力は妨げない。
何らかの理由で、その剣は神の属性を得てしまった。
だから《光輪》をすり抜けてるんじゃないかな?」
「あぁ、理屈としては多分それで合ってるはずだ」
独り言に近いが、それでも俺は応えておいた。
――少し前に『地砕き』と戦った際。
最後の《核》を砕いた時に、俺は剣で何かを斬った感触を覚えた。
これまでに何度か経験した、「魂を断った」時の手応え。
この剣は魂を取り込むが、本来ならそれは竜の魂だけのはず。
しかしあの瞬間は、確実に《巨人》に宿った魂の何かを剣が啜っていた。
……『地砕き』がアストレアを窮地に追い込んだ理由。
それは神の力を帯びた魂が、『地砕き』の中に入っていたからのはずだ。
もし仮に、俺の剣がその神の力を一部でも取り込んでいたとしたら。
或いは《光輪》をすり抜けて当てられるのではないか、と。
半ば思いつきでそう考えていたワケだが――。
「とりあえず、狙い通りにはなったな」
『……貴様は基本的にはアホなのに、稀に頭が回るな』
「褒め言葉と思っておく――よっ!!」
拳を刃で受け流し、蹴りは身を低くして回避する。
まぁ《光輪》はどうにかしたが、今度は単純に相手の装甲が硬すぎる。
出来る限り同じ箇所を斬り付け続けているが、内に届くまでどれだけ掛かるやら。
とはいえ、削れている以上は永遠ってことはない。
だったら何とかなるだろう。
「《光輪》を抜いただけでも驚きなのに。
まさか、俺の鎧に傷まで付けるなんてね」
「やっぱ自慢だった感じか?」
「防御力なら神々でも一番の自信があるよ」
「そりゃ嬉しいね」
つまり、これに剣が通じるなら他の神様相手も通じるって事だ。
《光輪》って一番の問題もクリアーできた。
剣が通る相手なら十分戦える。
それが不死身の大真竜でも、別の大陸の神様であってもだ。
そんな俺の言葉に、《鬼神》は小さく笑った。
「……油断も慢心も、どっちもしてるつもりはなかったけどね。
それでも俺は君のことを侮っていたらしい。謝るよ」
「いやいや、別に気にしなくて良いぞ」
言葉を交わしながら攻防は続く。
大地をあっさり砕く蹴りや拳を回避し、その合間に装甲を削る。
相手の動きが若干大きいため、反撃の機会が多い事だけが幸いだ。
早くも三桁に届きそうな傷の群れ。
黒水晶の装甲は、どれだけの厚みがあるのか。
分からない以上は、その内側に届くまで削り続けるしかない。
「言葉を幾ら繰り返しても、言い表せないぐらい驚嘆してる。
奇跡という表現じゃまるで足らない。
――だから、俺はもう君を人間とは思わない事にした」
「それってもしかして褒め言葉か?」
「褒め言葉だとも。
俺は《鬼神》、弱い人間を殺す事が神としての権利であり義務だ」
拳を受け流す。
蹴りを紙一重で躱す。
威力も速度もぶっ飛んでるが、それでも少しずつ慣れてきた。
剣を打ち込み、装甲をまた少し削る。
このままならどうにか戦い続けられると。
「ここからは神としての義務じゃない。
君を倒すべき『敵』として、使ってない権能も含めて全力でやらせて貰うよ」
「まぁそういう話になるよなぁ!」
思った矢先にコレである。
今の時点で十分辛いんだから、ホントに勘弁して欲しい。
嘆いたところで状況は変わらない。
処刑宣告じみた重い言葉の直後、《鬼神》の放つ気配が一気に変質した。
頭で何かを考えるよりも早く。
「ッ……!!」
背骨を掴む死神の手の冷たさ。
その衝動に逆らわず、俺は即座に距離を取った。
最速で動いたつもりだったが、それでも若干遅かった。
「熱ッ……!?」
身体の表面を炎で焼かれた痛み。
剣を持つ右腕辺りに強い熱が走った。
間合いを開け、注意は一瞬でも《鬼神》から外さぬように。
その上で焼けた腕を確認する。
アウローラが仕立ててくれた魔法の甲冑。
大抵の攻撃は防いでくれるその装甲の一部が、真っ黒に焼け焦げていた。
尋常な火力じゃこうはならないはずだ。
「――全力とは言ったけど、誤解はしないで欲しい。
別にさっきまで手を抜いてたつもりじゃないんだ」
注意は外していない。
意識も集中させていた。
それでも尚、《鬼神》はこちらの警戒網を上回る速度で迫る。
身に纏っている黒い装甲。
その表面を蒼白い炎が迸っていた。
見覚えのある色だ。
あれは確か、ブリーデが《竜体》となった時に――。
『来るぞっ!!』
「っとォ……!?」
ボレアスが内から発した警告。
速いと思っていたところで、《鬼神》はもう一段階加速した。
トップスピードと誤認させての真っ向からの奇襲。
本当に薄皮一枚のところで回避が間に合った。
蒼炎に覆われた拳は、掠めただけでこっちの装甲を焼き切ってくる。
その凄まじい威力は、大真竜ゲマトリアの操る《邪焔》を彷彿とさせた。
「この炎――《蒼炎》を人間相手に使うこと自体、想定していなかったんだよ。
本来は対《巨人》用の権能だからね。
けど君は人間とは思わないから、遠慮なく使わせて貰うよ」
「サラッと無茶苦茶言いやがるな」
冗談でなくマジで言ってるのが笑えない。
とはいえだ。
「まともに喰らったら死ぬのは、さっきまでと同じだな……!」
精々、掠るのも危なくなったぐらいだ。
それなら大した変化じゃない。
蒼い炎――《鬼神》は確か《蒼炎》とか言ってたが。
身体能力を強化する効果もあるのか、明らかに力も速度も上昇していた。
兎に角回避に専念し、燃える拳や蹴りを掻い潜る。
避け切れずに甲冑は焼かれ、その下も少しずつだが焦がされていく。
なかなか厳しいが、まだ耐えられる。
『――レックス、どうにかそこから離脱して』
頭の内に直接響く声。
アウローラからの《念話》だ。
ちょっと返事をする余裕はないが、アウローラは構わず言葉を続ける。
『詳しい事は分からない。
ただその炎はゲマトリアと同じ……いえ、性質で言えばブリーデに近い。
魂から生じ、魂そのものを焼く炎。
物理的な防御が意味をなさない、理の外にある力。
まともに戦うには危険過ぎる』
アウローラの説明を聞いて、言葉にはせずに頷く。
やっぱり予想は間違っていなかったか。
あの辺りの力と同じなら、確かに厄介極まりない話だ。
炎を纏う拳が、また甲冑の一部を掠めた。
装甲はまるで役に立たない。
肉を焼かれる激痛で叫びそうなのをどうにか噛み潰す。
『レックス……!』
「っ……大丈夫だ」
思念の声に、どうにか言葉を絞り出す。
ぶっちゃけかなりキツい。
アウローラの言う通り、ここはどうにか逃げるべきだろう。
間合いを無理やり離すのも難しいが、戦い続けるよりはマシなはずだ。
ただ。
「もうちょっとだけ、がんばるわ」
『レックス、何を……!?』
ゲマトリアと、それ以前ならバンダースナッチか。
ブリーデとは直接戦ったワケじゃないが、その全力は間近で見ていた。
《鬼神》の扱う《蒼炎》。
まったく同じじゃないかもしれないが、性質に関しては同じだ。
数えれば、これで四度目。
魂から生じるという《摂理》を超えた力。
いい加減、なんとかする頃合いだろう。
『流石の我も長子殿の意見に賛成だぞ。
あの埒外の力に、一体どう対抗する気だ?』
「ちょっとがんばるだけさ」
正直に応えたら、ボレアスは軽く絶句してしまった。
とはいっても、俺にできるのは実際にそのぐらいしかない。
そのぐらいの事を積み重ねて、今この瞬間がある。
「……本当に凄い――いや、恐ろしいな」
《鬼神》の称賛に混じる微かな畏怖。
いやいや、ここからが本番なんだ。
これぐらいでビビッて貰っても困るな。
蒼く燃える拳が掠めて、甲冑の一部が焼け落ちる。
速さにも慣れ、蒼い炎に刃を当てられるようにもなってきた。
《鬼神》の装甲には変わらず僅かな傷を刻むばかり。
が、今はそれはどうでも良い。
戦っている《鬼神》本体も意識の外に置いた。
神経を研ぎ澄まし、全力で《蒼炎》へと集中する。
《鬼神》自身を見ずとも、その蒼色さえ見えていれば戦える。
炎に刃を合わせる度に、鎧ごと身体を焼かれた。
繰り返す、ただ無心に繰り返す。
傍から見れば無駄に足掻いてるだけに映るだろうか。
俺自身、理屈があってやってるとは言い難い。
ただ、あと少し。
あとほんの少しで――。
「ッ……!?」
不意に、間近で感じ続けていた圧力が消えた。
ボロボロで、酷く狭くなった視界の中。
一瞬前までは目の前にいた《鬼神》が、大きく間合いを離していた。
構えた右拳に、纏っていた《蒼炎》が凝縮されていく。
「飛び道具が無いと、言った覚えはないよ」
ここに来て大技かよ……!
毒づいてる暇もない。
溜めはほんの数秒程度で終わっていた。
「苦痛はない。
どうか、安らかに」
慈悲深い処刑の宣言と共に。
放たれた《蒼炎》の塊は、容赦なく全てを呑み込んだ。
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