第四章:頂上を目指す

14話:塵は塵、灰は灰


 此方の取った作戦は、至極単純なものだ。

 多人数を相手にする場合の常套手段。

 即ち「相手を細かくバラけさせてから、それを速やかに各個撃破」だ。

 普通はそう上手くも行かない。相手も決して馬鹿じゃないからだ。

 だが今回は、向こうがイーリスを狙っていた事と、地理的な条件で分断自体は簡単だった。

 その上で、こっちは理不尽極まりない「ズル」も出来た。

 

「いや、本当に助かった」

「別に大した事じゃないわ」

 

 人気のない路地裏で一息つきながら、俺は最大の功労者に礼を述べる。

 言われた方のアウローラは、その言葉通り何てことはないと笑ってみせた。

 

「敵がこっちを探す為に広く散ったところを狙って、《転移テレポート》で飛び回って奇襲を仕掛ける。

 ええ、なかなか悪くない作戦だったわね?」

「アウローラがいてこそのゴリ押しだけどな」

 

 そう、それが此方の取った作戦の肝だ。

 広く複雑に入り組んだ路地裏に分散した敵を、それぞれ叩いて潰す。

 言うのは簡単だが、それで走り回って削るにしても限度はある。

 そこで周辺の地理に詳しいイーリスの記憶を頼りに、アウローラの魔法で一足飛びに襲い掛かる。

 後は相手が混乱している内にそれを繰り返すだけだ。

 

「……ホント、無茶苦茶だよな。まさか《牙》を逆にぶっ飛ばしちまうとか」

 

 もう一人の功労者、イーリスはまだ信じられないといった様子だ。

 地理情報だけでなく、彼女には敵を誘き寄せる囮としてかなり走り回って貰った。

 それが無ければ作戦も此処まで上手くは行かなかったろう。

 

「イーリスもありがとうな。助かった」

「コイツはこっちの事情でもあるしな。むしろ礼を言うのはオレの方だろ」

 

 そう応えて、イーリスは軽く笑ってみせた。

 

「で、追っ手はこれで全部か?」

「ええ、《千里眼クレアヴォイアンス》でざっと見てみたけど。

 どうやらさっき仕留めたので最後みたいね」

 

 俺の言葉にアウローラは小さく頷く。

 かなりの離れた場所まで障害物とかも無視して見通す魔法らしい。

 追って来た《牙》の位置を正確に把握出来たのも、アウローラの魔法のおかげだ。

 相手からすれば卑怯極まりないだろうが、先に仕掛けて来たのはあちらの方だ。

 運が悪かったと思って諦めて貰う他ない。

 

「……確かに、今はこれで全部だろうか、恐らくまた直ぐに新手が来る」

 

 イーリスは、また表情に緊張を漂わせながらそう言った。

 まぁ当然、これで最後ではないか。

 

「正直、《牙》の部隊が丸々送り込まれてくるとはオレも思ってなかった。

 それをこうして返り討ちにした以上、次はもっと本気で掛かってくるはずだ」

「もっと本気かぁ」

 

 ぶっちゃけ今回もかなりの綱渡りだった。

 一方的に叩き潰したのも、そうしなければこっちがしんどいからだ。

 同じ手が二度通用するとも思っていないし、なかなか面倒な話だ。

 

「……そうなると、中層とやらに向かうのも急いだ方が良さそうか。

 イーリス、道の方は大丈夫なんだったか?」

「ん、あぁ。クライブの奴から情報は吸い出してる。

 もう少し詳しく解析したいが、侵入経路としては今直ぐでも使えると思う」

「なら、さっさと動いた方がいいか」

 

 善は急げとか、何かそんな言葉もあった気がする。

 イーリスの準備さえ問題ないなら、後はこっちが身体を張れば良い。

 そう考えたのだが。

 

「待って」

 

 アウローラの方からストップが掛かった。

 彼女は何時になく真剣な面持ちで、此方にぐっと身を寄せてくる。

 それから兜の隙間を覗き込むように顔を近づけて。

 

「貴方、身体は大丈夫なの?」

「ん? あぁ」

 

 その確認に対し、俺は軽く頷いた。

 確かに、魔法で飛び回りながら《牙》を斬りまくるのはなかなか骨が折れた。

 だが此処まで、身体の調子は悪くない。

 やろうと思えば、今の倍ぐらいの数は何とかなるはずだ。

 特に強がっているつもりもなく、俺は心配性な彼女にそう応えようとして――。

 

「――――」

 

 急に視界が大きく揺らいだ。

 まるで天地の境が無くなったかのように世界が回り、身体から力が失せる。

 

「レックス!!」

 

 そのまま奈落に墜ちそうな感覚を、アウローラの呼び声が繋ぎ止めた。

 情けない話だが、抱き留める細腕を掴む事で、ギリギリで倒れるのだけは堪える。

 どうにか踏ん張ろうとするも、先ほどまでが嘘のように身体が重い。

 

「レックス、意識はある? 私に声は聞こえてる?」

「あー……それは、何とか」

 

 大丈夫、とはとても言えない状態だが、それだけはどうにか頷く。

 此方に起こった突然の異常を目の当たりにし、イーリスも慌てて駆け寄ってくる。

 

「おい、一体何事だよ!?」

「……少し、無理をし過ぎただけよ。問題ないわ」

 

 イーリスに対してアウローラが応えるが、その表情も声も硬い。

 問題ないという言葉も、恐らく自身に言い聞かせているものだろう。

 自分の身に何が起こっているのか、俺にはまだ分からないが。

 鉛に変わったような腕を持ち上げると、頑張ってアウローラの髪を撫でてみた。

 

「レックス……! 無理に動かしちゃ……」

「アウローラの言う通り、ちょっと張り切り過ぎたせいだろうな。流石に疲れたわ」

 

 だから問題ないと、俺の方からもイーリスに伝える。

 

「……分かったよ。とりあえずはそれで良い」

 

 彼女もそれで納得したわけではないだろう。

 だがとりあえず、この場では呑み込んでくれたようだ。

 難しい顔をしながらも、イーリスは小さく頷いて。

 

「で、この状況でオレは何をすればいい?」

「……そうね。悪いけど、彼を支えて貰える? 先ずは此処から離れましょう」

「オッケー、任せろ」

 

 そう言って、今度はイーリスが俺の身体を支えてくれた。

 細身だが意外とパワフルで、装備込みの重量も殆ど苦にした様子はない。

 

「悪いなぁ」

「ンなことより、本当に大丈夫なのか?」

「そうだな、悪い酒をしこたま飲んだ次の日の朝ぐらいには平気だ」

「全然駄目な奴だな、ソレ」

 

 俺の適当な言葉を、イーリスは軽く笑い飛ばしてくれた。

 大分気を遣われているなと、若干申し訳なくなる。

 そうしている間、アウローラは此方から一度離れるとざっと周囲を見渡す。

 恐らくは《千里眼》の魔法とやらだろう。

 安全確認と経路ルートの選択を終えた様子で、アウローラは手招きしながら先を行く。

 イーリスの肩を借りて、此方もその後を追った。

 

「ある程度離れたら、また適当な場所を見つけて隠れ家に繋げるわ。

 それで一度休みましょう」

「休んで、それで何とかなるんだな?」

「何とかするわ、絶対にね」

 

 確認するイーリスに、アウローラは静かに断言する。

 完全なお荷物というのも辛い物があるが、やはり身体に上手いこと力が入らない。

 まったく動けないというわけではないのだが……。

 

「…………?」

 

 身体の状態を確認しようと考えたところで、ふと気付く。

 倒れる寸前でも手放さなった剣――《一つの剣》と呼ばれた、竜殺しの魔剣。

 それを握っている方の手が、何故か熱い。

 さながら火の点いた薪か、焼けた鉄を直接握っているような感覚。

 熱い。身体の芯、骨の内側に炎が這い回っている。

 それがただの錯覚か、極限状況で浮かび上がった妄想かも分からない。

 もう一つ、声だ。

 俺の知らない、けれど聞き覚えのある声。

 腹の内側から、声が響いて来る。

 

『――愚か者め』

 

 嘲るような、怒るような。

 声の主が誰で、俺に何を言いたいのか。

 何も分からない。確かなのは、その時点で俺の意識が落ちてしまった事。

 遠くで俺を呼ぶ声が聞こえた気もするが、全てが水底へと沈むように暗く色を失う。

 ……だから、次に見えたものが現実でない事は、直感で分かった。

 

「……ん」

 

 目を開く。暗闇を照らすのは、パチパチと音を立てる焚き火一つ。

 その火を間に挟む形で、俺と彼女は座っていた。

 彼女。はて、誰の事だったか。

 

「貴方は死ぬ」

 

 黒いドレスで肌を、仮面で表情を隠したまま。

 此処まで俺を見続けて来た彼女は、とても今さらな言葉を口にした。

 俺は手元の薪を一つ、焚き火の中へと放り込む。

 

「だろうな」

「……随分と軽く言うのね」

「いつもの事だろ。しくじったら死ぬだけだ」

 

 ただ今回は、多分しくじらなくても死ぬだろうというだけの話だ。

 それは俺も理解していたから、彼女の言葉に頷いた。

 逆に事実を告げただけの方が、声を失ったように重く沈黙する。

 一つ、二つ、三つ。

 何となく、頭の中で数を数えてみる。

 果たして彼女は、その数が二十に届く前に再び口を開いた。

 

「結果がどうあれ、貴方は死ぬ。

 それだけ竜は強大で、本来なら人の手には届かない」

「あぁ、知ってる」

「貴方は――此処まで、良くやったと思うわ。もっと早く死ぬと思ってたのに」

「死ぬような目には山ほど遭ったけどなぁ」

 

 言ってから、俺は思わず笑ってしまった。

 彼女の言葉通り、此処まで死なずに辿り着いた事自体が一つの奇跡だろう。

 《北の王》と呼ばれる竜王が生み出した、異形の“獣”の数々。

 一匹でも人間の手には余る怪物共と殺し合った末、何とかかんとか此処まで来た。

 この北の荒れ野で、残すは《北の王》のみ。

 夜が明ければ竜殺しの時間だ。

 

「……貴方は死ぬ事を恐れないの?」

 

 彼女は、心底不思議そうにそんな事を聞いて来た。

 

「人間なんて皆、死ぬ事が恐ろしくて仕方ないはず。

 瞬きみたいに終わる生に、誰もが文字通り必死にしがみついてる」

「まぁ、そりゃそうだろうな」

「なのに貴方は、明日死ぬと分かって無謀な戦いに挑もうとしている。

 それが私には、不思議で堪らないわね」

「……ふむ」

 

 さて、何と答えるのが正しいのか。

 考え込む俺と、次の言葉を待つように沈黙する彼女。

 夜の静寂の中で、焚き火が爆ぜる音だけがやけにはっきりと聞こえる。

 何と答えたのか――そうだ、俺は彼女に、どう答えた?

 

『愚者の問いかけだ。答えにもまた愚かしさしかない』

 

 響く声は、また内側から。

 いや――違う。

 此処が「内側そう」であるならば、声の主もまた目の前にいる。

 意識を向けた先にあるのは、燃える一つの炎。

 気付けば……いや、俺が気付かなかっただけで、ソイツはずっと其処にいた。

 

『死は死だ。其処に何を思おうと、変わらぬ摂理があるのみ』

 

 低く語る声に込められているのは、嘲りと怒り、そして少しばかりの憐れみ。

 炎は徐々にその勢いを増し、暗闇をその輝きで塗り潰していく。

 

『彼奴はそれを見誤ったが故に狂い、そして己が目的すら見失った。

 貴様はどうだ? ただ一人の竜殺しよ、!』

 

 爆ぜる。最早嵐にも等しく吹き荒れる炎は、一つの形を成しつつある。

 竜だ。それは全てが炎で形作られた竜。

 天地を埋め尽くすかのように強大な、旧き竜の王。

 

『塵は塵に、灰は灰に。それが摂理だ。世の理だ。

 だが彼奴は抗った。それが愚者の蛮行と知りつつ、多くの時を投げ捨てた!

 何と愚かで憐れむべき事か!』

 

 吼え猛る竜。炎は際限なく勢いを増している。

 俺の手は何かを探していたが、暗闇の中では空を掴むばかりだ。

 そもそも、五体全てが繋がっている感覚すらない。

 辺りはもう炎で埋め尽くされているというのに、感じるのは冷たさだけ。

 そう――それは、命が冷えて、深い場所に滑り落ちて行く感触。

 

『死だ! 死だ! 死せる者は死なねばならぬ!』

 

 炎の竜は嘲り、怒りと共に憐れむ。

 何か言い返してやりたいところだが、今はそれどころじゃない。

 冷たい底に墜落しそうな「自分」を押し留めるので精一杯だ。

 

『ただ一人の竜殺しよ! 死を見失った愚か者め!

 既に灰となった魂に、僅かな火を注ぎ入れようが無意味だ! 塵は塵、灰は灰!』

 

 落ちる。墜ちて逝く。

 燃え盛る竜は俺の無様を怒り、嘲り、そして憐れんでいるような気もした。

 酷い冷たさだけが、全てを押し包んでしまう――その瞬間。

 火の消えてしまった薪の中に、ほんの僅かに燃える残り火のような。

 そんな温かさが、俺の手に触れた気がした。

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