424話:勝ち目の数


 そして、その破滅的な光景を見守る者たちがいた。

 戦いからなるべく距離を置き、傍観を続ける古き竜の姉妹。


「……ホント、最悪だわ」


 そう呟いたのは、竜ならざる竜。

 白き蛇の鍛冶師ブリーデ。

 互いに支え合うマレウスは、その言葉に何も返せなかった。

 視線の先。

 世界そのものを破壊する勢いで戦い続ける両者。

 大真竜ウラノスに、邪悪なる《最強最古》。

 ――本当に、勝つことなどできるのか。

 ウラノスは強い。

 その事実を疑う者は、この場にはいないだろう。

 彼ならば勝てるという希望は、暗い影に沈みつつあった。

 それほどまでに、《最強最古》の存在は絶望そのものだった。


「ちょっと、そんな弱気になるのは止めましょうよっ」


 無理やりひねり出した明るい声。

 ブリーデは、傍らに立つ少女――ゲマトリアの方を見た。

 既に《竜体》は解除し、頭にはぐったりとした猫を乗せている。

 戦場からはなるべく離れた森の一角。

 安全などとは、とても呼べないような場所ではある。

 が、そもそも大陸の何処に行こうが似たようなものだ。

 身を潜めてと言うにはおざなりに、彼女たちはそこにいた。


「ウラノスなら、ウラノスなら大丈夫ですって!

 ほら、今だって凄い良い勝負してるじゃないですか!」

『まー確かにな。

 あんなマジの長兄殿相手に、ホント良くやるよ』


 だらける猫が、ゲマトリアの言葉に応じた。

 ヴリトラは怠惰に、けれど何処か悲壮感を漂わせて空を見る。

 天を閉ざす偽りの夜空。

 破壊の華は、まだその痕跡を色濃く残している。

 ……今の攻防なら、最悪どちらかが死んでもおかしくはないが。

 また、虚空に光が爆ぜた。

 ウラノスも、《最強最古》も。

 どちらも未だに健在。

 互いに全霊を込めた最大火力を、また絶え間なく衝突させていた。

 上古の時代でもお目にかかれた事がない、それは神話の戦いだった。


『マジで無茶苦茶だな。

 あんなのに喧嘩売るとかどうかしてると思う』

「それ今更言いますか??」

「何度も言うけど、私たちでどうにかできればそれが最善だったのよ」


 伸びる猫に対し、ブリーデは唸るように言った。

 最善、最善!

 幾ら口で言ったとしても、そんなモノには何の意味もない。

 ブリーデたちはしくじった。

 どれだけ細く、頼りない糸に過ぎないとしても。

 唯一、あの《最強最古》を倒すことができたかもしれない可能性。

 それを掴めず、今はただ外野として眺めている他ない。

 あの最強の戦士を敵として認め、かつてないぐらい本気になった最強の竜。

 例えブリーデが《竜体》になったとしても、どれだけ耐えれるか。

 片手間で粉々に砕かれても、何もおかしくはないのだ。

 故に、今はもう見ているしかない。

 見ているしかないのだが。


「――下手な真似は考えるなよ?」

「うひゃぁっ!?」


 背後から囁かれた声に、ブリーデは堪らず悲鳴を上げた。

 気配はまるで無かった。

 全員が、慌ててそちらを振り向けば。


「ウィリアム……!

 アンタ、驚かせないでよっ!?」

「こちらも、そこまでの反応リアクションは想定していなかったな」


 半泣きの抗議を受けても、ウィリアムにはどこ吹く風だ。

 平然と応える森人の傍らには、灰色の外套を纏う女剣士の姿もあった。

 ドロシアもまた、破壊に彩られた夜空を見ている。


「こっちの足を使って、最前線に向かうって話じゃなかった?」

「そのつもりだったがな、予定変更だ。

 別に命を惜しむ気はないが、あの場に下手に突っ込むのは単なる自殺だ」

「まぁ、それに関しては同感だけどさ」


 《灰色》の魔法使いを取り逃がした後。

 本来であれば、ウィリアムとドロシアは《最強最古》の戦いに介入する気だった。

 今ドロシアの履いている靴は、制限付きだが空も飛べる魔法の道具。

 空高くに浮かんだ大地にも、それを使えば問題なくたどり着けるはずだった。

 しかし、目指していた浮島はもう何処にもない。

 偽りの夜空に見えるのは、二柱の超越者が描く戦いの軌跡のみだ。

 ――下手な手出しは命取りになる。

 ウィリアムとドロシアも、その結論を出さざるを得なかった。


「けど、ここでボーッと眺めてても仕方なくない?

 見た感じ、他の《魔星》の姿もないけど。

 ……まさかやられちゃった?」

「遠目で詳細は分からないけど、三人は途中で消えてしまったわ。

 多分、姉さんの方が何らかの手段で戦場から排除したんだと思う」

「なら、多分死んではいないか」


 マレウスの返答に、ドロシアは小さく頷く。

 自身と同格の位置に立つ《魔星》の仲間たち。

 死んだところを見たワケでないのなら、彼らは必ず生きている。

 過信でなく、十全の信頼としてドロシアは判断した。

 そして生きているのなら、彼らもまた必ずこの戦場に戻ってくる。

 そうであるのなら。


「――やっぱり、僕だけでも一足先に行ってくるかな?」

「ちょ、正気で言ってますっ?」

「正気かどうかを聞かれると、ちょっと自信がないなぁ」


 反射的に引き止めたゲマトリア。

 本来、立場では大真竜である彼女の方が上ではある。

 しかしドロシアは、そういう序列は殆ど気にしない質だ。

 軽い口調で応えると、少女の額の辺りを手のひらでグリグリと撫でた。


「わっ、コラ! 髪の毛をかき混ぜないで下さいよ!?」

「君たちは大人しくしていれば良いよ。

 これはもう、僕らの戦だ。

 我らが《主星》も身体を張ってるし、これ以上の遅刻はカッコが付かないよ」

『いやいや、マジで止めといた方が良いだろ。

 あんな中にどうやって横槍突っ込む気なんだ?』

「そこはホラ、頑張ればどうにか?」


 首を傾げるドロシアに、ゲマトリアに乗ったままの猫は絶句した。

 下手な手出しは命取りだと、その結論に変化はない。

 が、他の《魔星》たちもまた戦場に戻ってくる。

 それならば話は別だ。

 例え、この血肉と魂が粉々に砕かれる事になろうとも。

 最終的に、《主星》たるウラノスが勝利すればいい。

 ドロシアを含めた《魔星》四人、その全員の総意だった。

 ――遅刻した分ぐらい、今は先陣を切らせて貰って良いよね?

 そんな風に考えて、ドロシアは夜空を見た。

 終わりの見えぬ死闘に、足を向けようとして。


「待て」


 それを、ウィリアムに阻まれてしまった。

 肩に触れる手には、大した力は込められていない。

 だが強く制止しようとする意思に、ドロシアは動きを止める。


「なんだい。

 想像以上の地獄が見れるって、僕に言ったのは君の方だろう?」


 ドロシアは、皮肉で返したつもりだった。

 慎重過ぎるぐらいに慎重で、計算高く勝利を手繰り寄せる男。

 油断ならぬ森人の男を、ドロシアはそう評価していた。

 だからこの状況、彼が自分を引き止めるのは別段おかしな話ではないが。


「……まだ早い? それはどういう意味で?」


 今の言葉が何を指しているのか、どうにも測りかねた。

 《魔星》らの帰還について言っているのなら、それは的外れだ。

 その先駆けとして、自分が先ず介入するつもりなのだから。

 訝しむドロシアに対し、ウィリアムは。


 お前が見たがっていた地獄は、もう少し先だ」


 ――などと、とんでもない言葉を口にした。

 息を呑んだのは、傍らで聞いていたブリーデやマレウスたち。

 ドロシアは、既にその可能性については聞いていた。

 だから特に動揺はなく、けれど注意深く問い返す。


「断言するんだね」

「あぁ、この目で見てハッキリした。

 ウラノスは負ける。

 お前や、お前と同格らしい他の《魔星》どもが介入しても同じだ。

 であれば、削れる戦力は少ない方が良い」

「ちょっと、マジで言ってるんですかこのクソエルフ。

 っていうか、何を根拠にそんな事を……!」


 千年以上を共にした戦友の敗北。

 その結果を断定し、切って捨てるようなウィリアムの発言。

 流石に堪りかねたか、ゲマトリアは強く抗議した。

 が、当然そんなものが響くような相手ではない。


「根拠と言えるほど理屈を付けて説明できるモノではないな。

 有り体に言って、単なる勘だ」

「勘って……!」

「……まぁ、コイツらしいと言えばらしいわね」


 ため息。

 ブリーデの方は、ゲマトリアほど感情を激してはいない。

 多少の動揺はあるが、彼女もまた同じ可能性は感じていた身だ。

 ――単純な強さだけでは、《最強最古》には勝てない。

 ウィリアムも似た考えを口にした事で、その予感はより確かになってしまった。


「……じゃあ、どうする気だい?」


 重ねて、ドロシアはウィリアムに問いかけた。

 ウラノスが、あの《盟約》最強の戦士が敗北する。

 それは良い――いや、良くはないが。

 元より、そうなる事もまたドロシアが抱いた期待の範疇だ。

 《主星》に対する忠誠、《魔星》に向けた仲間意識。

 どれも偽りはないが、それと同じかそれ以上に。

 ドロシアという剣魔は、自身の想像すら上回る地獄を望んでいる。

 だからこそ、彼女はウィリアムに真意を問うのだ。

 ――確実な死地に踏み込む事よりも。

 お前の考えている事は、こちらを楽しませてくれるのか――と。

 ウィリアムが答えを返すのに、一瞬の迷いもなかった。


「当然、策などない」

「オイ、オイ」

「何だ。そういうお前は俺より上等な考えがあるのか?」

「そうじゃないですけどォ!

 此処は何かもっとビシっと決めるとこじゃないですかねっ!?」

「知らんな。俺を全知全能だと勘違いしていないか?」


 思わずツッコんだゲマトリアに、ウィリアムは調子を変えずに応じる。

 策はない、それはまぁそうだろう。

 小賢しい手の一つや二つで、ひっくり返せる状況はとうに過ぎていた。


「ふざけてるワケじゃないだろう?」

「それもまた当然だな。

 策などない。

 ウラノスも《魔星》も、あの《最強最古》に敗北する。

 ……だが、それも直ぐではないはずだ」


 見上げる。

 優れた弓手である森人の眼。

 その眼差しは、音を置き去りにする両者を正確に捉えていた。

 狙おうと思えば、確実に狙うことはできる。

 だがそれをした瞬間、一瞬向けただけの矛先でウィリアムは死ぬ事になる。

 命を惜しむ気はないが、使い所は考える必要があった。


「手を出しさえしなければ、《最強最古》は雑魚には目もくれまい。

 ウラノスの方を間違いなく優先する」

「つまり、《主星》や他の《魔星》たちが死ぬまで待つって事?」

「方針としてはそうなるな。

 それを聞いて、お前はどうする?」

「…………」


 沈黙は数秒。

 特に悲壮な気配もなく、ドロシアは肩を竦めた。


「良いよ、乗った。

 確実に死ぬ戦も楽しいだろうけど。

 一応はね、勝ち目のある方に賭けるべきとは思うから」

「勝ち目があるとは言ってないがな」

「アンタはそういう奴よね……」


 ブリーデはもうツッコむ気力もないようだった。

 理解ある主人の言葉に、ウィリアムは笑う。

 その眼は、戦うウラノスと《最強最古》から一瞬も外れる事はなく。


「ウラノスと他の《魔星》ども。

 奴らが、あの《最強最古》を相手にどれだけ食い下がれるか。

 敗北したとして、その瞬間に介入の隙が生じるか。

 ……後は」

「後は、なんだい?」

「遅刻している男が、いつ到着するか。

 俺が並べられそうな『勝ち目』は、精々そのぐらいだな」


 必ず来ると、ウィリアムはそう言っていた。

 この世で最初に竜を殺した男。

 《最強最古》にとって、恐らく唯一弱みになり得る相手。

 今はまだ、何処にもその姿はなく。

 ウィリアムやブリーデたちは、ただ終わりへ落ちる戦いを見守る他なかった。


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