425話:私の勝ちだ


 拳が、落ちる星を砕く。

 爪が、朽ちぬ鋼を切り裂く。

 夜の腕が虚空を薙ぎ、極光が万物を焼き滅ぼす。

 究極を超える極限の奥義が、それらの全てを迎え撃った。

 限界など、幾度突破したかも分からない。

 《鋼の男》。

 《鋼鉄の大英雄》。

 或いは、《大陸最強の戦士》。

 自らが呼ばれた幾つもの肩書が、ウラノスの脳裏を過ぎった。

 肉体は地獄に晒しながら、意識は忘我の狭間を揺蕩う。

 果たして、どれだけの時間を戦っているのか。

 一秒と永遠は等価値で、終わりなどないような錯覚まで覚える。

 いやむしろ、終わってくれさえすれば。

 この、魂を直接削られ続けるが如き苦痛も消えて――。


「ッ……!」


 奥歯が軋む。

 強く、強く強く噛み締めて。

 弱きに流れ落ちそうになった意思を、無理やり現世に引っ張り戻す。

 今、私は何を考えた?

 この程度で、諦める事など許されない。

 そうだ、まだだ。

 戦いはまだ終わっていない。

 血で赤く染まった視界の中には、可憐に笑う邪悪がいるのだ。

 だというのに、心を折るなど言語道断。


「まだだ……!!」


 故に、ウラノスは叫んだ。

 掠れて、まともに音にすらなっていないが。

 それでもその声は、眼前の《最強最古》の耳には届いていた。

 忌々しくも楽しげに、邪悪は笑みを浮かべている。


「まだ、私は負けていない!!」

「あぁ、お前はそう言うだろう。

 それでも、最後に勝つのは私の方だ」


 時計の針が戻っている少女の中には、多くの欠落がある。

 最愛の男が目覚めてからの記憶は、ゼロと言っても良いはずだ。

 だから、その言葉を口にしたのは偶然に過ぎない。

 彼女が毛嫌いしていた森人の口癖と、ほぼ同じ意味の言葉を口にした。

 ウラノスの方も、そんな事は知る由もないが。


「しかし、お前のしぶとさには少々うんざりはして来ているよ」

「ッ――――!!」


 呆れた声で言いながら、攻め手の苛烈さは勤勉なまでに変わらない。

 ――これほどの術者ならば、戦い方など幾らでもあるだろうに。

 魔法使いとしては門外漢であるウラノスでさえ、そう考えてしまうほど。

 《最強最古》は、一貫して「ゴリ押し」を続けていた。

 高度過ぎるせいで、戦士の身では理解の外な部分が多いのも間違いはない。

 それを差し引いても、《最強最古》の前のめりな戦いぶりは異常だった。

 兎に角、暴力をぶつける事が目的であるようにさえ思えてくる。


「余計な事を考えてる暇があるのか?」


 異常ではある。

 異常ではあるが、《最強最古》の強さが圧倒的なのもまた事実だ。

 賢く戦う必要などないと、言外に示すように。

 魔力を凝縮した爪の一撃が、ウラノスの血肉を装甲ごと抉り裂いた。

 一瞬で修復し、反撃の拳が邪悪の翼を貫く。

 砕けた夜の断片から、無数の《流星》が流れ落ちた。

 やはり、暴力と魔術を織り交ぜた攻防の巧みさは相手が上手だ。

 その事実は素直に認めた上で、ウラノスは心を強く保つ。

 まだだ、まだ戦える。

 力の枯渇や、物理的に無力化される事よりも。

 戦うための心の力が折れてしまう事。

 今はそれが一番恐ろしかった。

 ……《最強最古》が、あくまで真っ向から戦っているのも。

 そうやって、精神の根を刈り取る事が目的かもしれない。

 その考えに思い至ったならば、ますますウラノスは己を鼓舞した。


「ふんッ!!」

「ちっ……!」


 死角から首を狙っていた尾の一撃。

 これを手刀で叩き落とす。

 視線は向けずに、ただの気配だけで迎撃した上で。

 尾の攻撃を隙に放つはずだった極光の輝き。

 あらゆる物質を焼き滅ぼす《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 ウラノスは、それを拳で叩き壊した。

 爆発と衝撃。

 光の余波をまともに浴びて、《最強最古》は鬱陶しげに顔を歪めた。

 当然、ダメージはない。

 自らの《吐息》で傷つく竜など存在しない。

 だが、今のをあっさり対応された事は屈辱だった。

 極光を砕いた拳は、そのまま少女の身体にも突き刺さる。

 《竜体》と化した事で、通常よりも遥かに強靭となったはずの鱗。

 不壊の金剛とも呼ぶべき装甲も、鋼の拳は容易く破壊する。


「女のはらわたに、そう遠慮なく手を突っ込むなよ!」

「見た目を繕っているだけだろうが!!」

「失礼な事をほざく男だな!」


 冗談にしてもタチが悪い。

 思わず感情的に叫ぶウラノスに対し、邪悪はゲラゲラと笑っていた。

 両者の間で、天秤はグラグラと揺れている。

 片方に大きく傾くことは、ここまで何度もあった。

 その度に、ウラノスは敗北を覚悟した。

 が、今はまた平衡に近いところまで押し返している。

 文字通りの一進一退。

 勝敗がどのような形になるか、現状はまるで分からないはずだ。

 だというのに。


「余裕だな、《最強最古》!!」

「そう見えるのは、お前に余裕がないだけだろう」


 笑う。

 邪悪は可憐に、美しく微笑んでいる。

 苛立たしげな顔を見せる事も、忌々しげに口元を歪める事もある。

 しかし、少女にはまだ余裕が見られた。

 それが単なる強がりに過ぎないのか、ウラノスには判断できなかった。

 ――いいや、迷うな。

 そんな事に惑わされ、心が弱っては本末転倒だ。

 今一度、己の全てを鋼に変える。

 この世の如何なるものよりも硬く、如何なる武具よりも強い。

 握る拳に掛かっているのは、戦友の名誉と大陸の秩序。

 そして、この先に続く未来の全てだ。

 負けるワケにはいかなかった。

 敗北すれば、この命一つでは贖えないのだから。


「――チッ」


 大真竜ウラノス。

 現在の大陸最強の戦士が、その覚悟をより強く鍛える中。

 相手には聞こえぬ程度の小ささで、《最強最古》は舌打ちを漏らした。

 ウラノスの予想は、半分ほど当たっている。

 笑っているのは、敢えてそういう表情を見せているだけ。

 勝ち誇って高笑いができるほど、彼女に余裕があるワケではなかった。

 ただ、完全に強がりで微笑んでいるのでもない。

 勝算があり、そのための手は着実に打ち続けている。

 最終的に勝つのはこちらの方だと。

 間違いなく、《最強最古》はそれを確実なものと考えていた。

 場合によっては、単純な力押しだけで勝つ可能性も十分にある。

 そうなれば労力が無駄になるが、それはそれで構わない。

 最終的に勝利さえすれば良い。

 《最強最古》たる少女は、そんな風に楽観さえしていた。

 ウラノスの強さを認識し、その実力を推し量った上で。

 それでも尚、まともに戦う限りは自分の方が有利だろうと。

 確かに、その予測に誤りはなかった。


「おおおぉぉぉッ!!」

「いちいち喧しい男だな!」


 咆哮を轟かせ、ウラノスの拳が空を裂く。

 とっくに、心が折れていてもおかしくはない。

 物理的に膝を屈して当然のはずだ。

 しかし、《鋼の男》は諦めない。

 折れず、屈さず、朽ちず、曲がらず。

 時折見せる陰りも、それを捕まえる前に消えてしまう。

 まさに鋼だ。

 長い年月をかけて鍛え続けた一つの形。

 脆ささえも呑み込んで、完成に至ったその強度。

 多少罅が入ったところで、それもすぐに埋め合わされてしまう。

 ――まったく、面倒極まりない。

 表には笑みだけ浮かべて、《最強最古》は薄い胸の内で毒づいた。

 このまま持久戦を続けても、勝つ自信はあるが――。


「――ッ!?」


 ウラノスとの終わりの見えない攻防。

 互いの身を砕き合う中で、一つの変化が生じた。

 本来なら、介入などとても不可能なはずの地獄の渦中。

 神がかったタイミングで割り込むのは、銀色の刃。

 それは《竜体》の鱗に僅かな傷を入れた。


「これは……!」

「流石に硬いな、《最強最古》」


 驚く少女の目に、甲冑姿が飛び込んでくる。

 《魔星》の筆頭たる騎士ゴーヴァン。

 牢獄空間を脱して、その剣を主の敵へと向けた。

 そして、現れたのは彼一人ではない。

 鱗が傷付いた瞬間、夜の大群が頭上を覆う。


「「「雷よッ!!」」」


 重なる《力ある言葉》。

 蝙蝠の群れに変化したネメシスが、《雷撃》の呪文を多重に唱える。

 無数の紫電の槍が、幾つも降り注いで《最強最古》を貫いた。

 当然、その程度では《竜体》に損傷を与えることはできないが――。


「動きをほんの少しでも止めるには、十分」


 現れる三人目の影。

 宙を蹴り、見開かれた両目が不気味に輝く。

 収束させた最大威力の魔眼投射。

 渾身の一撃だったが、それは夜の腕に弾かれてしまう。


「お前たち!」

「遅れて申し訳ありません、我らが《主星》よ」


 足場はないが、《魔星》たちには関係はない。

 彼らは人を超えた星なのだから。

 ゴーヴァンとネメシスの二人は、ウラノスの傍らに。

 クロトーはやや後方に控える形で、それぞれ虚空に足を置く。

 警戒するように、《最強最古》は一旦距離を取った。

 再び四対一の状況。

 しかし、邪悪の笑みは崩れない。


「思ったよりも早かったな」

「我らにとっては、大した障害ではなかったという事だ」


 笑う《最強最古》に、ネメシスは敵意を込めて応えた。

 邪悪は目を細め、現実世界に帰還した《魔星》たちの様子を観察する。

 無傷な者は一人としていない。

 それなりに強力な化身をぶつけたのだから、それは当然だろう。

 だが、全員例外なく士気は高く意気軒昂。

 多少の傷や消耗など、まったく問題にしていないのは明らかだった。


「ネメシス、どうか油断はなさらぬように」

「あぁ、言われるまでもない」

「……この力、《主星》を上回るか?

 最強の名、やはり伊達ではないな」

「…………」


 ウラノスは、無言で彼らの姿を見た。

 ――私は、良い仲間を持った。

 自然と笑みがこぼれ、張り詰めていた緊張が僅かに緩むのを感じた。

 そうだ、一人ではない。

 あの《最強最古》は、その強大な力ゆえに孤高だろうが。

 こちらには、轡を並べてきた戦友がいる。

 そう考えただけで、重く握り締めていた心が軽くなるようだ。

 その代わり、ウラノスは拳を強く固める。

 《最強最古》の魂に、最高の一撃を叩き込むために。


「形勢逆転だな、《最古の悪》よ。

 先ほどと同じ手が通じるとは思ってないだろう」

「…………」


 答えはない。

 沈黙したまま、《最強最古》は少しずつ距離を取る。

 分断された時の事を思いながら、《魔星》たちは全てに注意を払う。

 そして、同時に直感した。

 今この瞬間も、《最強最古》は何かを企んでいる。

 腹の底は不明だが、危険である事は疑いようもなかった。

 すぐに、勝負を決めなければ。


「行くぞ、ネメシス!」

「承知!!」


 故に、ゴーヴァンとネメシスが先陣を切る。

 慎重に行くのを危険と思わせて、こちらが強引に攻めるのを待ち伏せる。

 その可能性も考慮した上で、二人は敢えて踏み込んだ。

 仮にこちらがやられても、続くウラノスと後方のクロトーなら対処できる。

 捨て石になる事を前提にして、二人は夜空を駆けた。


「クロトー!」

「ええ、お任せを!」


 瞬時に二人の意を汲み取り、ウラノスも走り出す。

 背中をクロトーに任せ、最強の敵に目掛けて真っ直ぐに。

 《最古の悪》は動かない。

 迎撃する構えすら見せていない。

 僅かに後ろに退く以外は、何も――。


「……正直、かなり肝が冷えたが」


 ぽつりと。

 小さく呟く声には、安堵が混じっていた。

 その場にいる全員の耳に、その言葉は届いた。

 そして。


、大真竜ウラノス」


 笑う声は、酷く冷たく。

 戦いの天秤は、片側が落下する勢いで傾いた。


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