432話:オーティヌスの決断
『………………』
一通りの話を聞き終えても。
オーティヌスは、すぐに何かを口に出す事はなかった。
沈黙は重く、老賢者は白骨の指を髑髏に重ねる。
肉のない顔から表情は読み取れない。
しかし、彼が苦悩している事だけは明白だった。
「お爺様……」
『……いや、すまない。
大丈夫だ、イシュタル。問題はない』
向けられた少女の気遣いに、オーティヌスはそっと手を上げて応える。
まぁ、まったく大丈夫ではなさそうだが。
こっちが突っ込むべき事でもなし、俺たちは一先ず黙っていた。
手にした錫杖を、骨の手が強く握り締める。
イシュタルが語ったのは、大体は俺たちには既知の事だった。
海を渡って外界に至り、現地の神様と戦った事。
それからお目当てであるこちらと遭遇した辺りまでは良かった。
存在しない胃が痛そうだったが、その後に続く話に比べたらマシだったろう。
不覚を取ってしまい、《秘神》アベルに取り込まれてしまったその後。
戦いの終わりに介入をしてきた伊達男。
イーリスたちは知ってるようだったが、俺は初対面だった。
そいつが何かをしたせいで、アウローラは昔の状態に戻ってしまった。
ここらでのイシュタルは眠っていたようだが、一応最後まで意識はあったらしい。
俺たちの方から補足するまでもなく、概ね全てを語り終えた。
語り終えて、聞き終えて。
横たわる空気は、死人のように冷え切っていた。
『……ヴァニタス』
呟いたのは、聞き覚えのない名前。
反応したのはイーリス。
「ヴァニタス? それ、カーライルの野郎の名前か?」
『今はカーライルと名乗っていたか。
……あぁ、その者の名はヴァニタス。
かつて、とある《始祖》の高弟だった男だ。
千年前に、既に死んだと思っていた』
血を吐くような声だった。
ようやく、全ての糸が繋がったと。
オーティヌスは、複雑な感情で全身を震わせていた。
千年以上を生きてる魔法使いのアレコレは、俺では完全には理解できない。
分かるのは、髑髏が笑っているという事だけだ。
『ハ――ハ、ハハハハハハ……!
そうか、そういう事か。
此度の事態、裏で糸を引いているのはお前だったか、ウィル……!
千年の時間を経ても、お前は未だに妄執を引きずったままか!』
「……《黒》。まさか、彼が本当に……?」
『死んだと思っていた。滅んだと、そう確信していた。
だが奴は密かに、この時代まで身を潜めて
己の不明と無能さが、ここまで憎く思える日が来るとはな……!』
経緯を語った側のイシュタルも、信じ難いといった様子だった。
それほどまでに、「黒幕」の存在は向こうにとって意外なものであったらしい。
《黒》、ウィルとかいう名前も出た。
その人物については、俺も一応は心当たりがあった。
「この剣を、アウローラと協力して鍛えたって魔法使いの事だよな?」
『…………あぁ。
そうか、その剣が例のモノか。
忌まわしき《造物主》の断片から鍛え上げた、この世に二つと無き魔剣。
直接目にするのは初めてだ』
髑髏の視線が、俺が手にする剣に向けられる。
いっそ敵意すら込めて睨んでいるようだ。
まぁ、無理もない話か。
俺が知ってる範囲でも、コイツを鍛えたのが全ての始まりに近い。
野望に燃えていた昔のアウローラと。
それに協力してしまった、《黒》と呼ばれた魔法使い。
両者の利害の一致として完成した、たった一つの剣。
三千年の昔、二人の内の片方がコイツを持ち逃げしてしまった。
その瞬間から、運命という奴が回り始めたのかもしれない。
「《黒》ね。多分そいつは、今はアッシュとか名乗ってる」
『アッシュ――《灰色》か。
何とも、皮肉な名乗りをしているものだ。
……私にとっても、自慢の息子だった。
あの頃の彼は一点の曇りもない、完璧に近い魔法使いだった。
故に《黒》の異名で呼ばれた者が、今は半端な灰の名か』
アレコレ思い出して、苛立ってしまったか。
棘を含んだイーリスの言葉に、オーティヌスは自嘲気味に応える。
そしてそれ以上に、苦悩の色が声には強く滲んでいた。
『奴が裏にいるのなら、余計に事態は深刻だ。
《最強最古》――お前たちがアウローラと呼ぶ、彼の悪竜。
彼奴を利用しているのは、恐らく過去の意趣返しだろう。
ウィルは土壇場で裏切られた故、千年前の暴挙に出たはずだからな』
「みみっちい野郎だな。
だからやる事が上手く行かねーんだよ」
「イーリス……!」
『いや、良い。その通りだ。
《造物主》の真名を利用し、奴は千年前に全ての竜を狂わせた。
そして我らを欺き、竜の魂を独占して神の残骸まで我が物にせんと企てたが。
結果は敗北し、滅んだと思わせての千年の潜伏だ。
上手く行っていないのは、まさにその通りであろうからな』
そして、それに気付けなかった自分はそれ以上の間抜けだと。
姉妹に向けて、オーティヌスはまた自嘲を込めて呟く。
小さく鼻を鳴らすような音が聞こえた。
傍らに立つボレアスが、退屈そうな顔で口を開いた。
「老人の懺悔ほど、聞いていて面白くないモノもあるまい。
そんな事より、これで大体何が起こっているかは把握できただろう?
であれば、次はそちらの番だ。
今の長子殿を放っておくと、どんどん事態が酷くなっていくぞ」
『分かっている、《北の王》よ。
……だが、本当にやるつもりか?』
髑髏の目が俺を見た。
揺れる炎に感じるのは、戸惑いと不信だ。
『彼の者は今も、我が友であるウラノスとの戦いを続けている。
誇張抜きに、天地を砕くが如き戦いだ。
人の身で介入できる領域は、とうの昔に超えている。
その上、背後にウィルが潜んでいるとなると……』
「もう言っただろ、オーティヌス」
或いは、ただの人間である俺を慮っての言葉かもしれない。
けど、そんなものは関係なかった。
「俺は、俺のやれる事をやりに来た。
できるできないとか、そういうのはどうでも良いんだよ」
『あまりに無謀ではないか、それは』
「それも良く言われるよ」
あぁ、いつもの事だな。
軽く笑ってみせる俺とは逆に、オーティヌスは重く押し黙った。
見た目とか雰囲気とかで、厳しい相手かとも思ったが。
どうやらこの髑髏の魔法使いは、基本的に他者に甘い人物らしい。
立場で言えば俺は敵で、これまで散々大真竜相手に戦い続けてきた事。
理解した上で、それでも地獄に突っ込もうとする俺に諭すように語っていた。
とはいえ、それでこっちの答えが変わるワケでも無い。
俺の答えを聞いて、オーティヌスは細く息を吐く。
『そこまで言うならば、仕方ない。
協力の件は受け入れよう。
それで、お前は私に何を望む?』
「居場所だな。アウローラが何処にいるのか。
それが分からなくて難儀してるからな」
『……それだけか?』
「あぁ」
何なら用件の十割がそれだからな。
と、イーリスが俺の肩にぽんと手を置いた。
「こういう奴だから、アレコレ悩むだけ無駄だと思うぜ?」
「イーリスさんだって似たようなもんじゃね?」
「オレはお前ほど酷くねェよ」
「どっちもどっちかなぁ……」
はい。
テレサさんの言うことが正解かもしれない。
ボレアスが腹を抱えて笑っているが、気にしないでおこう。
オーティヌスだけでなく、イシュタルも呆れた顔をしていた。
「……お爺様、申し訳ありません」
『お前が謝らねばならん道理など、何処にも無かろう。
いや――しかし、そうか。
お前が、この世で初めて竜殺しを成し遂げた戦士か。
どのような男かと思ったが……』
「思ったが?」
『愚かではあるが、それだけではない男のようだな』
「褒め言葉と思っておくよ」
実際に褒められてるのか?
うん、多分褒められてるな、多分。
髑髏は苦笑いをこぼしたようだが、悪い感じはしなかった。
『良かろう。どの道、私はまだこの神殿からは動けぬ。
イシュタルもこの様子では、あまり危険な真似はさせられまい』
「お爺様、今の私でもやれる事はあります……!」
『あぁ、分かっている。だが、これ以上無茶だけはしてくれるなよ』
諌める言葉には、イシュタルも素直に頷く。
まぁ、一人で俺たちを追っかけた結果が現状みたいだしな。
『では、このまま――』
と、不意にオーティヌスの言葉が途切れた。
これまでとは、比較にもならない動揺。
その巨大な存在感すら揺らぐほどの驚愕に、老いた魔法使いは震えていた。
どうやら何かが起こったらしい。
「おい、何だよいきなり」
『っ……馬鹿な、いや、まさか……!』
「お爺様!? どうなされたのですか!」
「…………」
こっちから、状況は何も分からない。
分からないが、察しは付いていた。
イーリスは首を傾げているが、テレサやボレアスも分かっているようだ。
「ウラノスって奴が負けたのか?」
『…………あぁ、その通りだ』
ストレートに確認すれば、髑髏は重々しく頷く。
信じられないと、今度は傍らのイシュタルが凍りついてしまった。
大真竜ウラノス。
俺はまだ会ったことのない相手だ。
しかしこれまでの話からも、ソイツが滅茶苦茶強いのは伝わってきた。
それでもやっぱり、アウローラには勝てなかったらしい。
つい「流石」と思ってしまったが、口には出さないでおかねば。
「いよいよ拙い事になっていますね」
「だな」
努めて冷静さを保っているが、テレサの声にも焦りがあった。
俺は改めてオーティヌスを見る。
「すぐにでも、アウローラのところへ行きたい。
居場所の座標とか、教えて貰えるよな?」
『……あぁ。ウラノスが勝てなかった以上、我らの打てる手は少ない』
「《転移》は私が行います。
座標については、こちらにお教えくだされば」
『承知した』
一歩進み出るテレサ。
彼女が手を差し出すと、白骨の指がほんの少しだけ触れる。
それで情報のやり取りは完了したようだ。
自信に満ちた表情で頷くのを確認したら、こちらも頷き返す。
さて、本番は近いな。
「……私も同行するから」
オーティヌスの側に立っていたイシュタル。
彼女は改めて、俺たちの方に歩み出た。
一応、保護者にちらっと視線を向けてみるが。
『力が弱まっている分、彼女も上手く立ち回れるだろう。
足手まといにはならぬはずだ』
「手助けしてくれるんだったら、こっちとしてもありがたいな」
イシュタルが凄い奴なのは、俺たちも散々味わったしな。
頷いた瞬間、イーリスが少女の確保に動いていた。
自然な動作でひょいっと抱えられ、直後にイシュタルは手足をばたつかせる。
「ちょっと、少しは遠慮したらどうなの……!?」
「うるせーよ、ほっといたら絶対に無茶すんだろお前。
オレが見てるんだから自重しろよお前」
「イーリス、私も近いことをお前に言っても良いか?」
「姉さん……!」
割とマジで言ってる奴だな。
こっちも大概無茶する派なので、そこには触れないでおこう。
「馬鹿話はほどほどにしておけよ。
さぁ、さっさと長子殿の顔を拝みに行こうではないか。
一体どんな面で恥ずかしげもなく暴れているのやら」
意地悪そうに笑うボレアス。
まだ、別れてそう経っていないはずだが。
それでも随分と長く、アウローラの顔を見てない気がする。
なら、早く見に行かないとな。
「行くか」
「ええ、行きましょう」
「ホント、慌ただしいけどしゃーないよな」
「長子殿に何を言うか、今のうちに考えておけよ?」
「どうでも良いけど、いい加減に抱えるのは止めなさいってば……!」
これから向かうのは、多分最悪に近い死地だ。
けど、ノリは大体いつも通り。
そこにアウローラがいないだけで。
それは少し寂しいから、やっぱりちゃんと迎えに行ってやらないとな。
『――武運を祈る。細やかだが、
テレサの《転移》が発動する直前。
見送るオーティヌスは、《力ある言葉》を唱えた。
短い言葉だが、幾つもの
老賢者からの援護を貰って、俺たちは空間を渡った。
アウローラがいる、その場所に向かって。
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