433話:星空の再会


 《転移》が終わる。

 身体を包む浮遊感から解き放たれ、両足が大地を踏み締める。

 先ほどまでいた、神殿の重苦しい気配は何処にもない。

 空を塞ぐ魔法の夜空。

 辺りを見れば、酷く荒れた森が広がっていた。

 でっかい嵐でも通り過ぎた後のような。

 見覚えのある木々は、どれもこれも酷く壊されてしまっている。

 ……此処は多分、森人エルフたちの都市がある場所だな。

 それなら、何処かにあの糞エルフがいるだろうか。


「っと……着いたのか?」

「そのようだな。

 ……どうやら、随分と懐かしい場所に出たようだが」


 イシュタルを抱えた状態で、イーリスはキョロキョロと視線を巡らす。

 ボレアスはすぐに、この場所が何処か分かったらしい。

 目を細め、小さく喉を鳴らした。


「テレサは大丈夫か?」

「ええ、問題ありません」


 かなり長距離の《転移》だったからな。

 疲れてないかと、テレサの方を見る。

 消耗はしているようだが、彼女は平気そうに笑ってみせた。

 強がっている、というワケでもなさそうだ。

 それなら大丈夫だろう。


「……おい、竜殺し」

「おう」


 焼けた木々の向こう。

 夜空の一角を、ボレアスは指し示す。

 そう促される前から、こっちにも見えていた。

 黄金の翼を広げ、遥か高みに君臨しているその姿。

 雰囲気とか見た目とか、ちょっと――いや、大分変わっちゃいるが。

 間違いなく、アウローラだ。

 彼女はまだこっちには気が付いていないようだった。


「いたか、あの貧乳メスドラゴン」

「イーリス……!」

「見た感じ、一人だけっぽいな」


 戦ってたウラノスって奴は、もう負けたって話だったな。

 一人でぼーっとして、今は何を考えてるやら。


「……ウラノスの気配がある」


 ぽつりと。

 そう呟いたのは、イシュタルだった。

 彼女は眉間にしわを寄せて、遠くの気配を探っているようだ。


「どういうこったよ」

「そんなの、私にも分からないわ。

 ただ、離れた場所でウラノスの気配が動いてる。

 後は……ブリーデに、ゲマトリアも。

 良く知らない竜の気配も、幾つかあるわ」

「……レックス殿?」

「うーん、何とも言えんな」


 とりあえず、ブリーデとゲマトリアが此処にいるのは確定か。

 後は他の竜ってのは……多分、猫とかマレウス辺りだろう。

 それ以外に心当たりがないって意味でもあるが。

 ウラノスだけでなく、見知った彼らもここで戦ってたわけだ。


「イシュタル、お前はどうする?

 俺たちはあっちに行くつもりだけど」

「…………」


 問われて、イシュタルは先ず夜空を見た。

 輝く星に彩られた天蓋。

 月はなく、その代わりの如く君臨している古き竜の王。

 アウローラの姿を、イシュタルは見ていた。

 見て、それから奥歯を強く噛む。


「……私は、ウラノスの側を追う。

 今の状態でこっちにいても、役に立つか分からないもの」

「こっちはこっちで、多分手一杯になるだろうからな。

 別の事態も動いてるんなら、そっちの対処してくれるのはありがたい」

「物は言いようね」


 ちょっと面白くなさそうな顔を見せるイシュタル。

 まぁ彼女は凄い奴だが、今はかなり弱体化しているのも事実。

 ぶっちゃけ、一人で不明の状況に突っ込ませるのも心配っちゃ心配だな。

 そんな風に考えていると。


「――では、私はイシュタルの方に同行しましょう」


 軽く手を上げて、テレサがそう提案してきた。

 驚いたのはイシュタルだ。

 イーリスに捕まったままの状態で、彼女を睨みつける。


「何故? お前も、あの《最強最古》の方へ行けば良いでしょうに」

「議論をしている余裕はないはずだ。

 状況は不明瞭で、一人だけで向かわせるのは危険が大きい。

 それなら、私がついて行った方が良いだろう」

「そんな事……!」

「レックス殿、構いませんか?」

「あぁ、任せた」


 危険リスクの大きさについて、イシュタルも理解はしているんだろう。

 抗議してはいるが、声はあまり強くない。

 テレサの確認に対して、俺は迷わず頷いた。


「こっちは絶対に何とかする。

 だから、そっちは頼んだ」

「――はい。

 レックス殿も、主を宜しくお願いします」


 微笑むテレサに、こちらも笑ってみせる。

 今の彼女なら、大概の危険は大丈夫だ。

 イーリスの方は、イシュタルだけでなく姉のことも若干心配そうだ。


「……イーリスは、こちらに残って欲しい。

 お前の力が、主を助けるのに必ず役立つはずだ」

「分かってるよ。

 姉さんも、イシュタルも、気を付けろよ」

「ありがとう。お前も無茶はしてくれるなよ」

「人間に心配される謂れは無いわよ」


 素直じゃない態度を見せるイシュタル。

 イーリスは即座に額を指で押し、ギャッと小さな悲鳴が上がった。

 そんなやり取りに、苦笑いを浮かべながら。

 テレサはイシュタルの手を引き、風のように駆けていく。

 《転移》の魔法は使っていない。

 が、二人の姿はあっという間に見えなくなってしまった。

 うーん、やっぱ神様の力は凄いな。


「呆けるなよ、竜殺し」

「あぁ、分かってる」


 気遣いというより、からかう感じのボレアスに応えて。

 俺はゆっくりと歩を進める。

 腰に下げていた剣は、予め抜いておく。

 竜を殺すために鍛えられた、この世でただ一振りの刃。

 今はもう、遠い昔。

 アウローラからこの剣を渡された時から、全てが始まった。


「ボレアス、悪いが」

「ふん、イーリスのお守りだろう?

 姉は大分マシになったが、妹の方は変わらずだな」

「うるせーよ、悪かったな」

「別に文句を言ってるワケではないぞ?

 それとも、守ってやらんでも構わんかったか?」

「守って貰えるとすげーありがたいんで、お願いします」


 素直で結構、と。

 ボレアスは楽しげに喉を鳴らした。

 そんなやり取りを背中で聞きながら、俺は進み続ける。

 焼けた大地を踏み、壊された木々を越えて。

 彼女は、アウローラはまだ気付かない。

 物憂げな顔で、遠くを見ているようだった。

 距離が縮まった事で、その姿はよりハッキリと確認できる。

 ……まぁ、また随分と奇抜な格好をしちゃいるが。

 それでも、美しいと思った。

 月は無慈悲な夜の女王、なんて表現を聞いた覚えがある。

 星の光だけが散りばめられた夜空。

 その中心に佇む彼女は、月の代わりに君臨する女王だった。


「…………」


 足を止める。

 ボレアスはイーリスを守る形で、後方で控えている。

 あっちは心配せずとも大丈夫だろう。

 一つ、深く息をする。

 自分の中に深く没頭している様子のアウローラ。

 俺は真っ直ぐに、そんな彼女を見上げて。


「……よう」


 先ず、一声かけてみた。

 もうちょっと、何か気の利いた言葉にするべきだったろうか。

 などと、言ってから考えてしまった。

 まぁ過ぎた事は仕方なし。

 俺の声を聞いた瞬間、アウローラは弾かれたようにこちらを見た。

 一瞬前までは漂っていた、何処か虚無的だった空気。

 それを霧散させて、向けられた瞳には様々な感情が入り乱れている。

 赤い瞳に映る混沌の色彩。

 戸惑いと驚愕に、アウローラは細い身体を震わせた。


「何故……」

「何故って、そりゃなぁ」


 思わず、口をついて出てしまった。

 そんな感じの呟きだが、俺は素直に本心を言葉にする。


「助けてって、お前が言ったからな」


 だから来た。

 そこがどんな地獄で、どれだけ過酷な死線の上だろうと。

 その理由一つだけあれば、俺には十分過ぎた。

 幸い、そんな馬鹿に付き合ってくれる仲間もいる。

 おかげで、俺は彼女の前に立つ事ができた。

 魔剣を片手にぶら下げながら、真っ直ぐに赤い瞳を見る。

 涙で滲んでいるような気がするのは、俺の見間違いだろうか。


「なぁ、アウローラ」

「ッ――私を、その名前で呼ぶなっ!!」


 咆哮。

 或いは、それは悲鳴だったのかもしれない。

 激情を声に乗せて、アウローラが叫ぶ。

 莫大な魔力が込められた一声が、夜空に響き渡り――。


「ちょ、おいレックス!?」

「いきなりかぁ」


 イーリスが指差す先に見えたのは、落下してくる《流星ミーティア》だ。

 夜空からこぼれ落ちた一滴の星。

 巨大な質量が炎を纏い、こっちに容赦なく墜ちてくる。

 いや、しかしホントにデカいな。


「ハハハハハ! 落ち着きのない事だな長子殿!」


 呵々大笑。

 ボレアスは愉快そうに笑い、それから大きく息を吸い込む。

 即座に放たれるのは《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 鋼も容易く溶かす竜の炎熱。

 それをボレアスはただ放つのではなく、槍のように細く収束させていた。

 炎の槍撃は、落下する隕石に突き刺さる。

 流石に、丸ごと吹き飛ばすには威力が足らないが。

 命中した中心付近から、星は幾つかの断片となって砕けた。

 十分過ぎる成果だが、アウローラはそれを嘲笑う。


「愚かな! そのまま破片に押し潰されろっ!」


 笑う声の言う通り。

 砕けても尚、星の断片は一つ一つがかなりのサイズだ。

 一番小さい欠片でも、人間よりも遥かに大きい。

 それが炎に包まれ、かなりの速度でぶち当たってくる。

 おまけに一つや二つではなく、少なくとも二桁に届く数でだ。

 竜であるボレアスと、彼女に守られたイーリスなら。

 そちらなら、降り注ぐ星を凌ぎ切っても不思議はない。

 多分、アウローラはそう考えてるはずだ。

 今の彼女が向けてくる視線から、俺の死を確信しているのが伝わってくる。

 だから。


「おおおおォォォッ!!」


 躊躇わず、降り注ぐ星の破片に挑んだ。

 鎧はアストレアが直してくれて、身体にはオーティヌスの強化魔法がある。

 そして、この手にあるのはアウローラから貰った魔剣。

 だったら後は気合の問題だ。

 燃える星の断片を、剣で斬り砕く。

 更に細かくなった欠片が当たるが、それは装甲が問題なく弾いてくれた。

 力負けもしていない。

 砕けそうにないのは素直に避けて、避けきれないのは根性でぶっ叩く。

 砕いて、避けて、避けて、砕いて、また避けて。

 全力で抱き締めようとする死神の腕を、俺はひたすらに躱し続けた。

 最初は嘲っていたアウローラ。

 しかし、その表情はすぐに戸惑いに塗り替えられる。


「……あり得ん」

「そうでもないだろ」


 呟く声に、俺は笑って応えた。

 今のはまだ、たった一発の《流星》に過ぎない。

 かなりデカかったが、全盛期のアウローラからすれば小手調べだろう。

 戦果としては、まだ自慢できるほどでもない。

 それでも、彼女は俺が死ぬと思っていたはずだ。


「見ての通り、俺はまだ生きてるからな」

「ッ……貴様は、戯言ばかり……!」


 冗談のつもりだったが、アウローラは挑発と受け取ったらしい。

 いや、今のは確かに挑発っぽかったか?

 まぁ怒ってくれた方が、逆に分かりやすくて良いはずだ。

 顔を真っ赤にして震える姿は、いつもと変わらずに可愛らしくもある。


「やれるか、竜殺しよ?」

「がんばる」

「こっちはもう大分生きた心地がしねぇわ……!」


 後ろのボレアスには、左手を一度振っておく。

 イーリスさんは大変だと思うが、どうにか頑張って欲しい。

 アウローラを助けるには、きっとその助けが必要になる。

 俺は俺で、やるべき事をやろうか。


「人間風情が、一度や二度のまぐれで調子に乗るなよ!!」

「できれば、ちゃんと名前で呼んで欲しいね」


 今の俺の名前は、お前が呼んでくれたモノだ。

 俺が今のお前を、アウローラと呼ぶのと同じように。

 三千年から目覚めたばかりの、あの始まりの時みたいに。


「レックスって、呼んでくれよ」

「ッ――黙れ!!」


 アウローラの声に応じて、星が瞬く。

 さっきの《流星》が小手調べだった事を、彼女自信が証明しに来る。

 ――さぁ、こっからが本番だ。

 更に前へと踏み出しながら、俺は剣の柄を強く握り締めた。

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