320話:鬼の塒へ


 辿り着いた先は、えらくデカい山の上。

 どこまで行っても草の一本も生えていない死の荒れ地。

 その山も例外ではなかったが。


「……ん?」

「どうかしたの?」


 イーリスとアウローラをそれぞれ抱えて。

 山の麓から中腹に差し掛かったぐらいで、「ソレ」は見えた。

 相当に遠方ではあるが、荒野の中に緑色の塊があった。

 見間違えかと思い、念のため魔法で視力を強化してみる。

 やっぱり間違いないな。


「あれ、森か?」

「森? こんな一面荒野にか?」


 肉眼ではぼんやりとしか見えないのだろう。

 指差した先を、イーリスは眉根を寄せて睨んでいる。

 アウローラの方は小さく頷いて。


「確かに森ね。でもちょっと不自然というか……」

「……アレは《庭》」

「ん? 《庭》?」


 ぽつりと呟くように。

 こちらの疑問に応えたのは《巨人殺し》の少女だった。

 彼女は森――《庭》とやらに視線は向けず。

 正面にいる俺たちの方を向いたままで、淡々と。


「《人界ミッドガル》以外では、この地で数少ない人間の生息域。

 ……ただ、関わらない方が良い」

「なんでだ?」

「《庭》に生きる者にとって、外から来る者は全て穢れだから。

 少しでも『穢れた』と判断された人間は、《庭》で生きる資格を失う」

「生きる資格を失う……?」

 

 なかなか物騒な話だった。

 訝しむテレサに、《巨人殺し》は小さく頷く。

 

「人間は弱い。

 《人界》に選ばれた者以外、その多くは無力に死ぬ。

 あの《庭》ですら、神々の気紛れで用意された仮の休息地。

 《巨人》や鬼が入り込んで丸ごと潰されるなんて、珍しくもない」

「成る程なぁ」

 

 分かっちゃいたが過酷な世界だ。

 真竜が支配してる大陸の方と、果たしてどっちがマシなのやら。

 まぁ、不幸比べは考えても不毛なだけだな。

 それはそれとして、だ。

 

「《人界》か。アウローラは何か知ってるか?」

「……神々と、一部の選ばれた人間が住む事を許された聖地。

 私も知識として知ってるのはそれぐらいね」

「流石に長子殿は博識よな。……しかし、神か。

 我らにとっての『神』とは、愚かで邪悪な全能ならざる父の事だからな」

 

 《造物主》と名乗った古竜たちの創造主。

 遠い昔に死んだというソイツを思い出したか、ボレアスは皮肉げに笑う。

 逆にアウローラの方は冷えた表情だ。

 

「ねぇ、《巨人殺し》さん。

 貴女はその《人界》については詳しいのかしら?」

「いいえ」

 

 即答だった。

 アウローラの問いにあっさりと首を横に振る。

 それから自分の胸元を拳で軽く叩く。

 

「お前はどう?」

『そこで俺に話を振るんだな、ブラザー。

 生憎と語れるようなことは何もないんだ、悪いな』

「そう。まぁ、期待はしてなかったから」

『オイオイあんまり辛辣にしてくれるなよ。

 傷付いちまうだろブラザー?』

 

 装甲の内に隠れている蛇――クロはわざとらしく嘆いてみせる。

 ホントに仲良さそうだなぁ。

 なんて、俺は暢気に思っていたが。

 

「…………」

「イーリスさん?」

 

 何故か。

 本当に何故か、イーリスが不機嫌オーラを醸し出していた。

 名を呼んでみると、彼女も自分の状態に無自覚だったらしい。

 ハッとした顔をしてから、バツが悪そうに頭を掻く。

 

「? どうかしましたか?」

「いや、何か妹さんがスゲェ不機嫌な顔してたもんで」

「どうしたの? レックスにお尻でも触られた?」

「違ェよ……!!」

 

 流石に俺も非常時以外で許可無しに触ったりはしませんよ、アウローラさん。

 顔を真っ赤にしながら否定して。

 それからイーリスは、大きく息を吐き出した。

 

「……悪い。いや、ホントに言いがかりなのは分かってんだけどな。

 そっちの、《巨人殺し》の相棒。

 ソイツの物言いが何というか――嫌な奴を連想しちまって」

「嫌な奴?」

「ヘカーティアの時に、ちょっと話しただろ?

 アイツをおかしくしちまった野郎がいて、ソイツを思い出したんだ」

「あー」

 

 確かに、そんな話はしてたな。

 あの時はドタバタ過ぎてロクに確認も出来なかったが。

 

「……なぁ、姉さんはアッシュのことは覚えてるか?

 ボレアスはどうだ?」

「アッシュ? すまない、イーリス。ちょっと記憶にないんだが……」

「うむ、すまんが何の話だ?」

「……やっぱそうか。あのクソ野郎め」

 

 これまで感じた事がないぐらいの強烈な怒り。

 それを奥歯で噛み潰しながら、イーリスは低く唸った。

 うーん、マジギレだな。

 俺やアウローラは話が見えず、横で聞いて首を傾げるしかない。

 

「……前、《天の庭バビロン》で会った奴だ。

 そん時は色々あって死んだと思ってたんだけど、実は生きてたんだよ。

 正体とかは、オレにはイマイチ分からない。

 ただソイツがヘカーティアに干渉して狂わせたのだけは間違いない」

「ヘカーティアを狂わせた……?」

「本当なら、オレも忘れてるはずだった。

 多分、不都合だからあの野郎がこっそり記憶を消したんだろ。

 けどミスったのか何なのか、今のオレはしっかり覚えてる。

 思い出した、って言った方が良いのか?」

 

 ふむ、成る程。

 とりあえず、そういう風に暗躍してる奴がいたと。

 アウローラは何やら難しい顔で考え込んでしまった。

 その「アッシュ」という相手に心当たりがあるのかもしれない。

 

「……事情は分からないけど。

 クロとそのアッシュの物言いが似てるっていう事?」

「あー、うん。そうだな。

 まだ会ったばっかりで失礼なのは分かってんだけど」

「構わないから。言って」

 

 常から言動に遠慮のないイーリスさんだが。

 流石に友好的な相手に対しては、失礼かどうかは気にするようだ。

 促されても若干迷った様子を見せて。

 

「……嘘吐きっつーか、秘密主義っつーか。

 肝心な事は抱えたまま、なかなか本音で話をしないっつーか」

「ふっ」

 

 あ、笑った。

 常時鉄面皮だった《巨人殺し》の少女。

 それがイーリスの言葉を聞いて、思わず吹き出していた。

 ほんの一瞬程度だったが、見た目相応の少女らしさを垣間見た気がする。

 

「言われてるわよ」

『おいおいブラザー、そこはフォローしてくれるところじゃ?』

「その通り過ぎて反論が出て来ないわね」

『ひでェなオイ!』

「あー……」

「……イーリス、だったかしら。

 気にしなくて良いから。貴女が言ったのは、全部ホントのこと。

 私も全部知っているから、今さら怒らないわ」

 

 言い過ぎたかと、そんな顔をしたイーリスに。

 やはり《巨人殺し》の少女は、淡々と言葉をかける。

 クロの方も相棒に抗議はしているが、イーリス自身に文句はないようだった。

 

「……アウローラ?」

「んっ。なに、レックス?」

「いや、何か考え込んでるっぽいからな」

「……そうね。けど、大丈夫よ」

 

 気遣うと、彼女は嬉しそうに微笑んでみせた。

 抱えられた状態で、向こうから俺の頭を胸に抱き締める。

 

「今はハッキリとした事は言えないけど。

 もう少し纏まったら、貴方にもちゃんと話すから」

「分かった」

 

 俺としては、それだけ聞ければ十分だった。

 頷くと、アウローラは抱く腕の力を少しだけ強めた。

 おかげで視界が半分ぐらいに狭まってるが、まぁ問題はない。

 などと話している内に、山の半ば辺りに差し掛かる。

 そこでようやく先頭のトウテツが足を止めた。

 

「此処だ」

「此処が?」

 

 顔の半分をアウローラの薄い胸に塞がれた状態で。

 俺はその場所に視線を向けた。

 恐らくは山肌の一部を自力で削り取ったのだろう。

 削った後のある大きな穴が、山の斜面に幾つも口を開けていた。

 その周りも一応均してはあるようだが、デカい岩がゴロゴロと転がっている。

 岩場には鬼の姿もあり、トウテツに気付くと大きな声を上げた。

 

「トウテツ! 王よ、狩りの成果は如何だったか!」

「あー、すまぬが大きな獲物はなかった。

 しかし客人は連れて来たのでな、歓待の準備をするぞ」

「客人か! おい、王が客を連れて来たぞ!」

「おぉ、すぐに仕度を! あの肉はまだあったか?」

 

 ガヤガヤと。

 この塒で暮らしている鬼たちがトウテツの周りに集まって来る。

 どうやら割と慕われているらしい。

 出て来た数は、見たところ三十人ぐらいか?

 

「……なんつーか、マジで蛮族だな」

「イーリス」

 

 思わず呟く妹を、姉は小声で諫める。

 まぁ言いたい事は分かる。

 山の斜面を崩して、穴を掘ってそこで暮らしている。

 相当古い時代を生きた俺でも、これは辺境で暮らす蛮族の生活だ。

 土地全体がこの有様だし、鬼の気性的にも仕方ないのかもしれないが。

 

「……ここは鬼の領地としては平均的。

 食料を保管して、必要に応じて分配する。

 それが出来てるだけ、トウテツのところは大分マシ」

「マジかー」

 

 現地民から見ても、これでも相当に文化的であるようだ。

 

「酷いところはどうなのだ?」

「共食いが常態化してる場合は、そもそも規模が大分小さい」

「ハッハッハ、それはまた最悪よな」

 

 楽しそうに笑うところじゃないと思うんですよ、ボレアスさん。

 などと言葉を交わしながら、《巨人殺し》が何やらゴソゴソと装甲を探っている。

 何か探し物だろうか。

 

「クロ、着替え」

『おいブラザー。一応人目があるんだからな』

「長く着過ぎた。いい加減に外したい」

 

 言うが早いか、《巨人殺し》の少女は身に付けた装甲に手をかける。

 そしてそれをベリっと引っぺがした。

 顔の装甲を剥がすのは見てたが、他の部分でも同じように剥がせるらしい。

 というか、やっぱアレは普通の鎧じゃないっぽいな。

 《巨人殺し》は躊躇いなく、皮膚にくっ付いてる装甲をベリベリと外していく。

 見てて痛そうだが、本人は無表情のままだ。

 しかしまぁ、問題なのはだ。

 

「オイちょっと??」

「なに?」

「何じゃねェよその下なんも付けてねぇのか!?」

 

 はい。

 イーリスさんの常識的なツッコミが冴え渡るな。

 胴体からはがれた装甲の下は、まさかの全裸であった。

 色々と薄かったり細かったりが見えてしまったが。

 

「レックス??」

「はい」

 

 今はアウローラさんの薄い胸以外は何も見えなくなってしまった。

 いや俺も、そんな会って間もない相手をマジマジと見るつもりはありませんけど。

 

「ハッハッハッハ、なかなか竜殺しが好みそうな身体つきではないか」

「ぶっ殺すわよお前??」

「ボレアス殿、誤解を招くような事を仰るのは良くない」

 

 爆笑するボレアスに、アウローラとテレサが即座にツッコミを入れた。

 うんまぁ、それについてはノーコメントで。

 下手な事はしない方が良いなと、そのまま大人しくする。

 

「……《巨人殻ティタノアーム》の下に服を着ても、すぐ消化される。

 だから仕方がないの」

「《巨人殻》?」

「すぐ着替えるから。ほら、大丈夫」

 

 どうやら大丈夫になったらしい。

 解放された目で見ると、確かに《巨人殺し》は衣服を纏っていた。

 黒い革製の上下は、頑丈さが優先で見た目については度外視のようだ。

 材質の革も、どういう動物の物かはイマイチ分からなかった。

 そしてその足元には、何か黒いボールのようなモノが転がっていた。

 

「クロ」

『はいよっと』

 

 にょろりと、《巨人殺し》の腕に絡みついていた蛇が動く。

 首を伸ばして大きく口を開くと、そのままボールを一呑みしてしまった。

 もしかして、今着ている服もああやって収納していたのか。

 だとしたらなかなか便利だな。

 

「これで良し」

「……とりあえず、着替えるなら先に言っといてくれよ」

『悪いなぁホント。ブラザーはそういうとこマジで抜け落ちてるんだわ』

 

 どうやらいつもの事であるらしい。

 その辺りで、トウテツがのっそりと近付いて来た。

 戦の時とは異なる、好意を感じさせる笑みを浮かべながら。

 

「間もなく宴の準備ができるぞ!

 肉と、後は少ないが《国》で仕入れた酒もある!

 お前たちは《巨人》を共に仕留めた戦友だ、遠慮せずに楽しんでくれ!」

「おう、悪いなぁ」

「ハッハッハ、構わぬ構わぬ! 人間を友と呼ぶのは久しき事よ!」

 

 うーん、上機嫌。

 これはトウテツ自身も宴が楽しくて仕方がないタチだな。

 

「……宴ですか。いえ、それは良いのですが」

「姉さんの心配は分かるぞ」

 

 ちゃんと食べられるモノが出るのかとか。

 その辺は心配するよな、ウン。

 アウローラとボレアスは――古竜だし、よっぽど大丈夫そうだよな。

 俺の視線に気付いたか、アウローラの方がクスクスと笑った。

 

「大丈夫よ、お腹壊しても私が面倒見て上げるから」

「いやいや、もしかしたらすげぇ美味いモノが出てくる可能性もあるぞ」

 

 うん、その可能性に賭けよう。

 儚い希望じゃねぇかソレ、とイーリスさんの目が語ってるけど。

 

「まぁ、多分大丈夫だろう。多分」

「そういうお前もまぁまぁ不安なのではないか?」

 

 笑うボレアスには敢えて応えず。

 現地民の《巨人殺し》の彼女をチラリと確認してみた。

 少女は相変わらず鉄面皮のままだった。

 

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