幕間1:辺獄にて足掻く
誰が呼んだか《
下手な道に入れば、其処を塒にする
そのリスクを頭の片隅に置いた上で、躊躇いなく構造物の隙間へと滑り込む。
変わりに元々設定しておいた
こうなった以上、もう何の役にも立ちやしない。
「クソッタレ……!」
文句を言う為に消費する酸素すら惜しい状況だが、毒の一つ吐かずにはいられない。
身体に埋め込んだ強化筋肉の出力を、平常時の二倍に設定した上で全力で駆動させている。
が、背後から迫る「追っ手」の気配は消えないままだ。
「《
こっちはケチな
これが《
そう考えればまだ幸運かもしれないが、直ぐ死ぬか後で死ぬかの違いでしかない気もする。
兎も角、状況は最低で最悪だ。
「ッ、クソが……!」
都市の影で閃光の華が咲く。
距離は離すどころか徐々に詰められていたらしい。
身体の脇や足下を、追っ手の《鱗》が放った銃弾が掠めて行く。
嗚呼、一体全体何がどうしてこうなった。
何てことはない、本当に何てことのない仕事だったはずだ。
毎度のように馴染みの
指定された場所に、手提げケース一個分の荷物を運ぶ――ただそれだけ。
それで数日程度はヤミ物ではない正規の合成食にありつける。
荒事や危ない橋でデカく稼ぐのも悪くはないが、日々をやり過ごすだけならそれで十分。
大きなリスクもない
それがどうして、こんな目に遭わなきゃならないんだ!
「マジか……」
そうやって、生死を賭けた鬼ごっこをどれだけ続けただろう。
気付けば目の前には、分厚い強化コンクリートの壁が立ちはだかっていた。
手持ちの拳銃程度では、とてもぶち抜ける代物じゃない。
完全に袋小路へと追い込まれた形だ。
「――鬼ごっこはオシマイか?」
わざとらしく掛けられた声。
自分の存在を主張するように、敢えて踏み鳴らした足音。
振り向く。暗闇の中でも、強化された視覚はその姿を正確に捉える。
相手は完全武装の三人組だ。それも、多少腕自慢な便利屋みたいな連中とは違う。
全身を包む
手にはそれぞれゴツい
見た目からは確認し辛いが、間違いなく肉体にも機械的・生物的強化も施されているはずだ。
「《鱗》が、オレみたいなカスの尻を追いかけ回すんじゃねぇよ。暇人か」
「悪いが仕事でな」
マスクの下で、《鱗》の一人が低く笑う。
仕事とは言いつつも、その範囲で「個人的に」遊ぶ気は満々な奴だ。
《鱗》――都市の支配者である真竜に使われる正規兵なんて言っても、中身は下衆な人間だ。
実際、向こうがその気になればこっちをとっ捕まえるのなんてガキ捻るぐらい簡単だったはず。
敢えてそれをしなかったのは、
嗚呼、まったく反吐が出る。
「……それで? オレは知らない内に、一体どんなヤバいブツを運んでたんだ?」
「ん? ――あぁ、違う違う」
何とか、何とかしてこの状況を切り抜ける手段はないか。
悪足掻きの時間稼ぎの為に絞り出した声に、相手は存外に軽く乗っかって来た。
そうやって無駄にのた打ち回る様も、後で酒の肴に使えるとか思ってるんだろうか。
クソッタレ、クソッタレ、クソッタレ。
心中で百回毒を吐き続けるオレに対し、《鱗》は軽薄な声で続ける。
「お前はな、売られたんだよ」
「…………は?」
「だから、売られたんだって。お前の世話してた野郎にな」
馴染みの顔役。
個人的に仲良しなわけじゃないが、仕事上の関係としては上手くやって来た。そのはずだ。
持ち込まれた仕事をキッチリ片付けて、上手い具合に互いの利益を回していたはずだ。
なのに、裏切られた?
「ま、仕事人としての義理だの信頼だの、そういうのはあったのかもしれないけどな」
「所詮は《辺獄》、都市の底で必死に銭を拾ってるような輩だ」
「デカい額を目の前でチラつかされりゃ、誰だって犬みたいに這い蹲る」
ゲラゲラと、クソッタレな《鱗》共が笑っている。
何がそんなに面白いんだよ、クソ。
「……しっかしまぁ、コイツに売るような価値があるようには見えねぇけどなぁ」
「ま、世の中には物好きって奴は幾らでもいるからな」
「違いねぇ」
そう値踏みするよう此方を見ながら、また《鱗》は汚い声で笑う。
……嗚呼、糞。糞。クソ。クソ。クソ。
分かってる。そんな事、お前らにこの世の真理の如く諭されなくても分かってる。
人は人を売る。金の為に他人を裏切る。利益があるなら蹴落とせる。
知ってるよ。知ってるよそんな事。
此処は《辺獄》、都市の底にいるのは死んだ奴か生きてるだけの人間未満。
信頼だの何だのはお為ごかしで、どいつもこいつも喰って死ぬか喰われて死ぬかだけ。
知ってる。分かってる。だけどそれで納得出来るわけもない。
怒りだ。オレを売った顔役のクソ親父も、今それを笑ってる《鱗》のクズ共も。
どいつもこいつも腹が立つ。ふざけるなよチクショウが。
「ま、そういうわけだ。諦めて自分の間抜けさを呪」
「うるせェよ」
オレがちょっと黙り込んだせいで、連中は勘違いしたらしい。
余裕っぷりをアピールする舐め腐った態度に、拳銃の弾を一発ぶち込んでやった。
こっちの手持ちは、都市下層部で安価に出回るような安物の小口径。
ガッチリ固めた装甲服を貫通するようなパワーはないが、それでも銃は銃だ。
思い切りブン殴られた程度の衝撃は受けて、《鱗》の一人が軽くよろめく。
その様を、オレは思いっきり鼻で笑った。
「どうしたよ、犬に噛まれてビックリしたか?」
「テメェ……!」
「竜の図体に張り付いてるだけの分際で、人間サマに舐めたクチ聞いてんじゃねぇよウロコ虫が」
勝ち目はない。そんな事は分かってる。
分かってるが、だからと言ってクズ相手に媚び諂うのは真っ平ゴメンだ。
手にした得物を素早く構え直した《鱗》連中を視界に捉えながら、身体の内に火を点ける。
強化された神経系を鋭く火花が走り、筋組織は常人を超える力を限界まで引き出す。
これでも身体強化には結構な金を使っているが、それでも《鱗》連中とは比較になるまい。
素の肉体性能の差も考慮するなら、これは大人と子供の喧嘩だ。
「上等だ、手足の風通しを良くされて同じ口が利けるか試してやるよ!」
「うるせェよブッ殺す……!」
あぁそうだ、さっきの言動からしても奴らはオレを殺す気がない。
「売られた」とか言ってたが、細かい背景は不明だが。
その殺意を封じられているという一点だけが、手の届く可能性のある唯一の勝機だ。
「しっ……!!」
走る。銃を構えた相手に向けて、全速力で。
牽制程度に拳銃の弾もばら撒きながら、真っ直ぐに突っ込む。
「ちっ……!」
銃弾は幾つか命中するが、やはり大したダメージにはならない。
だがそれに対し、《鱗》連中は直ぐに撃ち返しては来ない。
躊躇なく頭から突撃してきた此方に、照準が間に合わなかったのだろう。
殺す為に急所をぶち抜くなら簡単だが、「殺さずに」という条件が付くと途端に難易度が跳ねる。
銃火器は、それだけ手加減が難しい得物だ。
だってのに、火力の高い突撃銃なんてこれ見よがしに下げて来た馬鹿共め。
「無駄だっつってんだろうが!」
拳銃の弾を簡単に弾きながら、《鱗》の一人が吼える。
火力が足らない。ただ一つの逃げ道には完全武装の男が三人。
無駄だ。無駄に見えるだろうさ。そうとも。
だからこれが、最初で最後の
「…………!」
撃ち尽くし、過熱した拳銃を《鱗》の顔面に投げつける。
それはただの目眩まし、怯んだ相手の懐へと一気に踏み込む。
互いに手が届く、殴り合いの距離。
だがこのまま身体でぶつかったって、相手はよろめく程度で終わりだろう。
そうなる事を承知で、オレは目の前の《鱗》の銃を掴む。
何を馬鹿な事を――マスクの下からでも、今の相手がどんな表情をしているのか想像出来る。
けどそれは、突然破裂した銃身に文字通り吹き飛ばされた。
「なァっ!?」
それこそ予想だにしていなかったはずだ。
こっちも至近距離で破片を浴びる形になるが、歯を食いしばって耐える。
衝撃でひっくり返った《鱗》を
「調子に乗るな!!」
罵声と共に、わき腹に硬い感触が捻じ込まれた。
仲間の銃が爆ぜた事にも怯まず、《鱗》の一人がオレの胴を銃床でブン殴ったのだ。
何とかこじ開けようとした活路は、これであっさり閉ざされる。
息が詰まって声の一つも上げられず、オレは無様に路面へと叩きつけられた。
「ッ、げほっ、カハッ……!」
直ぐ立ち上がろうと藻掻いたところで、更に背中に衝撃が降ってくる。
使い物にならなくなった銃を捨てながら、《鱗》はオレを抑えつける足に思い切り体重をかけてきた。
クソッ、仕事ならもうちょっと丁重に扱えよ。
「クソッ、こいつ何しやがった……!?」
「油断するなつっただろうが。自業自得だ」
殺意を込めて呟く《鱗》を、その仲間が呆れた声で諫める。
終わった。これでもう手は残っていない。
ただ一つの「隠し芸」で隙を作り、何とか突破を試みる――可能性はそれだけだった。
それも完全に失敗に終わった以上、これでオレは詰みだ。
認めまいと腸を煮え繰り返したところで、物理的にどうしようもない。
「とりあえず拘束するか」
「なぁ、手足ぐらいは撃っちまって良いだろ?」
「うっかり頭を弾くなよ。下手に噛みついて来ないよう、痛めつけるぐらいでな」
好き勝手に、ヒトの人生の後始末を口にする《鱗》共。
ふざけやがって、チクショウ。チクショウ。チクショウ。
これで終わりか。ドブネズミも同然に、都市の底でクソみたいに這い回って。
ワケも分からず何処かの誰かに売り飛ばされ、ゴミのように丸めて捨てられる。
クソッタレ、クソッタレ、クソッタレ。
幾ら毒吐いても、幾ら怒りに身を捩ろうが変わらない。
どうしようもない、これが現実なんだと――罅の入った心が、そう受け入れかけて。
「!?」
不意に響いた轟音が、沈みかけた意識を引き戻した。
何事が起きたのか。
そう慌てたのは、何もオレの方だけではない。
《鱗》の連中もまた、いきなりの事態に混乱した様子だった。
「な、何だ、コイツ……!?」
「おい、止まれ! コレが見えねぇのか!?」
何だ、何が起こってる?
どうにか顔を上げて、《鱗》が銃を向けて騒いでいる方に視線を向ける。
それはさっきまでオレが背負っていた行き止まり。
分厚い強化コンクリートの壁に閉ざされていた袋小路。
その壁が、無くなっていた。
綺麗さっぱりではなく、向こう側から雑にブチ破られて。
埃の舞う大穴、其処から出てきたのは。
「…………は?」
時代遅れなんて、そんな言葉じゃ生温い。
御伽噺に出てくるような、甲冑姿の騎士だった。
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