194話:空き巣
人は脆く、弱い生き物であると。
私はそれを知っているはずだった。
知っているにも関わらず、彼があまりにしぶとく戦って見せるものだから。
すっかり、忘れてしまっていた。
それを思い出す事になるのは、森を抜けて少し先のこと。
大木の根元にあったのは、地下に潜る細い洞穴。
人工的に造られたものなのか、それとも自然にあったものなのか。
どちらかは不明だけど、彼と私はその地下道を通って無事に森を脱出した。
抜け出た先には、また何もない荒野が広がり。
うろつく「獣」を狩りながら、私達は北へと向かう。
恐らくは数日ほど。
荒れ野を進む私達は、打ち捨てられた都市を発見した。
これまで見た人工物の中では、恐らく最大。
かつては多くの人間で賑わった都であることは間違いないだろう。
しかしそれも今は昔。
人の気配どころか、微かな生命の息吹すら感じられない。
建物の多くは風化して、崩れてしまったものも珍しくはない状態。
そこに潜むのは歪んだ「獣」ばかり。
彼はそんな古い都市遺跡を見て、「何かあるかも」と積極的に足を踏み入れた。
私は特に何も言わず、彼の後に続く。
その時点で、私も微かにだけど感じるモノがあった。
別にそれ自体は、こちらには関係のない事だったのだけれど――。
「……竜は魔導に通ずるもの。
もう少し、早く言っておくべきだったわね」
都市跡で遭遇した「獣」。
強さで言えば、それは森で出会った八本腕とそう大きな差はなかった。
違いがあるとすれば、強い術式を仕込まれたタイプであった事。
恐らくは《北の王》が意図的に生み出した、都市を破壊するための兵器。
生命を蝕む呪詛をばら撒くその「獣」も、今は剣で自らの命を断たれた後。
それを成し遂げた彼も、無傷では済まなかった。
「いや……大丈夫、とは言えないが」
呪いを帯びた汚泥を身体に浴びて、彼は苦し気に声を漏らした。
以前ならば即死してもおかしくはなかった。
今、彼が何とか持ち堪えているのは、剣の力で肉体が強化されているためだ。
やや震える手で、彼は賦活剤の瓶を取り出す。
それを飲み干してから、一つ息を吐く。
外傷は塞がるけれど、それで呪いまでは消すことはできなかった。
「倒すにゃ、倒せたし……竜も毒やら呪詛やら使うの、なら。
ちょっとぐらい、慣れておかないとな」
良い練習台だったろ? と。
無理をして笑う彼に、私は曖昧に頷き返すのみ。
……とりあえず、すぐ死ぬことはないでしょうけれど。
全身に浴びてしまった呪詛で、彼は間違いなく弱っていた。
仮に竜ほどの生命力があれば無理やり
「……やっぱり、人と竜とでは生命力が根本的に違うわね」
呟く。私も、魔剣による強化を少し過信し過ぎたかもしれない。
既に人の域を超えつつあっても、所詮は人間。
彼もやはり、死ぬ時は死ぬのだ。
そして弱った状態で先に進めば、それは容易く現実になるだろう。
――それでも別に構わないと。
私自身、そう考えているのは間違いない。
だけど。
「……歩けるかしら?」
「まぁ、何とか」
「なら、付いて来て」
一方的に言い放つと、私は朽ちた都市跡へと踏み込んで行く。
彼は少しふらつきながらも、素直に後に続いた。
「どこ行くんだ?」
「少し、探す必要はあるけど」
この都市遺跡に入った時。
ほんの僅かに感じ取った、その気配。
長らく姿を見ていないと思ったら、こんな場所に籠ってたのね。
相も変わらず逃げ隠れだけは上手なんだから。
けど近付いてしまえば見逃すはずもない。
微かな気配を糸として手繰るように、私は都市の中を進む。
邪魔な瓦礫をどかしていくと。
「……あった」
「……よくよく地下に縁があるよな」
瓦礫の山の陰に隠されていた、地下への入り口。
良く見れば、そこにだけは誰かが通った痕跡も残っている。
人はおらず「獣」がうろつくばかりのこの場所で。
さて、誰が行き来しているのか。
「……楽しそうだな?」
「あら、そう見える?」
どうやら自然と口元が笑みの形に釣り上がっていたらしい。
そう遠くはないだろうし、接近すればもっと具体的に気配を掴めるはず。
それが無いので、本人は既に逃げ出した後かしら。
まぁ、それならそれで別に構わない。
見つけたら捕まえるところだけど、今は別件がある。
よく知る匂いが残る階段を、私は躊躇なく下りていく。
呪いのせいで足元がおぼつかない彼には、仕方がないので手を貸しながら。
「大丈夫なのか?」
「『獣』の心配をしているのなら、大丈夫よ。
随分稚拙だけど、避けるための結界は敷いてあるようだから。
侵入されている可能性は低いでしょう」
彼の疑問に応えながら、地下の通路へと下りていく。
元々はどういう用途で使われていた場所かは分からない。
ただ造りはしっかりしていて、崩落する心配は少なそうだった。
まぁ、そんな危ない所にあのナメクジが住処を作ってるはずもないか。
もしかしたら、罠ぐらいは仕掛けてるかもしれないけど。
「多分、この先に良い場所があるはずだから」
「良い場所とは」
「さぁ、それは見つけてからのお楽しみね」
まだ良く分かっていない様子で、不思議そうに首を傾げる彼。
私は軽く笑いながら、今はまだ曖昧に応えるだけ。
――案の定、地下通路には幾つかの罠が仕掛けられていた。
けれど、そのどれもが人間が手作りしたような代物ばかりで。
幾ら縛っているとはいえ、竜である私を害するにはほど遠いモノばかり。
……まぁ、落とし穴には少しイラっと来たけど。
本当に少しだけね。
「いきなり姿が消えた時は、流石にビックリしたわ」
「…………一応、礼は言っておくわね」
地面を足で歩く、なんて。
それこそこの旅が始まるまでは殆どなかった。
そのせいで足元が疎かになっていた、というのは。
まぁ油断と言えば油断ね。
引き上げてくれた彼に対しては、小さな声でそう言っておいた。
そんな感じで、暫く探索を続けると。
「……あった。ここだわ」
通路の先に見えるのは、小さな木製の扉。
朽ちて色褪せた都市跡の中で、それだけはまだ新しい。
「ここが目的地か?」
「多分ね。先ずは確かめてみましょうか」
「あー。一応、罠がないかは俺が見ようか」
「…………そうね。お願いするわ」
落とし穴に落ちた手前、そこは素直に従っておく。
彼も弱っているとはいえ、それぐらいは別に支障もないようだったから。
罠を調べて鍵を確かめる手つきは、妙に手慣れて見える。
こんな特技があるのは、初めて知ったわね。
少しの間、地下には彼が扉を弄る音だけが響く。
「……よし。罠もないし、鍵も簡単な奴だけだったわ」
「ありがとう」
礼は一言だけで済ませて、私はさっさと扉を開く。
埃っぽい地下道の空気を、強い鉄の匂いが一気に塗り替える。
遠慮する必要もないと、私は室内へズカズカと上がり込む。
入って早々に、爪先にぶつかる硬い感触。
見れば、それは無造作に床に転がされた一振りの剣だった。
それ一本だけでなく、大して広くも無い部屋に置かれた武器、武器、武器。
久方ぶりに見たけどホント相変わらずみたいね、あのナメクジ。
「これは……誰かの工房、か?」
中の様子を見渡しながら、彼はぽつりと呟く。
まぁ、それについては一目瞭然よね。
あちこちに大量に転がっている武器の数々。
剣が主だけど、それ以外の種類も様々。
部屋の隅には鍛冶場があり、術式の編まれた炉が今も煌々と燃えている。
生活の場も兼任しているようで、他にも家具や日用品も目に付いた。
その中には、幾つもの薬瓶が並ぶ棚も含まれている。
さて、彼の言葉に対しては私は首を傾げて。
「そうだけど、何か問題が?」
「いや、勝手に上がり込んで良いのか?」
「何か問題が?」
「いやなんにも」
分かれば宜しい。
そもそも、この場を探したのは貴方が呪詛で弱っているせいなのだから。
きちんとその点は弁えて感謝して欲しいわ。
などと考えながら、私は早速家探しを開始する。
棚に置かれた
更には持続的な呪いの解除に使える、高度な魔法薬も何本か置かれている。
流石にナメクジはひ弱だから、こういう備えもしっかりしてあるわね。
目論見通りの物を見つけた私の傍らで。
彼は足元に転がった武器を、幾つか手に取って眺めていた。
「んー、なんか結構良い武器がいっぱい転がってるな。
何本かは予備に貰って――」
「いらないから」
一言。
自分でもちょっと驚くぐらいに、ハッキリと言葉が出て来た。
「なまくらが何本あったって、何の役にも立たないでしょ」
「いや、一応予備は必要かなと」
「貴方にはこんな剣より、何億倍も貴重な一振りを渡してあるはずだけど?」
「あっはい、仰る通りです」
ええ、分かれば良いのよ。
そんなつまらない数打ちなんて放っておきなさいな。
それよりも、他に必要なものは幾らでもあるんだから。
「ほら、ぼーっとしてないで貴方も手伝いなさいよ」
「お、おう」
「とりあえず水薬は全部袋に入れて。
あぁ、丁度保存食もあるし……あら、これはお酒?
あのナメクジ、こんな贅沢なモノを呑んでるなんて生意気じゃない」
「……もしやこれ、単なる空き巣なのでは?」
何をそんな人聞きの悪いことを。
単に一時的に借りてるだけよ、これは。
まぁ返す予定はまったく無いのは間違いないけど。
「……で、そういう貴方も意外と手慣れてるじゃないの」
棚を漁ったり、隠されたスペースを見つけたりと。
明らかに室内の探索に関しては、彼の動きは熟達しているように見えた。
そういえば、扉の鍵開けも慣れた感じだったわね。
私の指摘に、手を止めずに彼は肩を竦めた。
「まぁ、昔取った杵柄って奴だな」
「あら、なにそれ。聞いてないわよ。
もっと早く教えたらどうなの?」
「いやー、特に聞かれてなかったからなぁ」
なんて話をしながら、私と彼は暫く部屋の中をひっくり返した。
目ぼしい物を粗方袋に詰め終えたら、ようやく一息吐く。
まったく、ナメクジの癖に良く溜め込んだわね。
その戦利品の中から、私は薬瓶の一つを取り出した。
疲れている様子の彼にそれを手渡す。
「この魔法薬を飲んで。
その上で少し休めば、身体の呪詛は落ちるはずよ」
「おぉ、助かる」
受け取って、彼は躊躇いなく瓶の中身を呷る。
呷って、その姿勢のままピタリと動きが止まった。
……あぁ、そういえば。
「それ、確か凄く不味いはずだから」
「さきにいってほしかった」
忘れてたから、これは仕方がない事なの。
良薬は口に苦し、なんて言ったのも人間だったかしらね。
彼の様子からして、どうやら「苦い」程度じゃなかったようだけど。
まったく、仕方ないわね。
「はい、口直しにどう?」
差し出したのは、水薬のものより少しだけ大きめの瓶。
中身は酒で、匂いからして果実や薬草を混ぜて漬け込んだもの。
どこからか調達したのか、それともナメクジの自家製か。
それは分からないけど、とりあえず味は今の魔法薬よりはマシでしょう。
彼は瓶を受け取り、検めるように見て。
「良いのか?」
「勿論、私も呑むわよ」
「そりゃ当たり前だよな」
飲食は不要でも、味は気になるもの。
それに酒に関しては、以前からそう嫌いでもなかった。
自発的に飲む事は滅多にないだけで。
「こいつを呑んだら、暫くは発てないな。
酔って前後不覚の状態で『獣』に襲われたら死にそうだ」
「悪酔いするようなら、酒精ぐらいは抜いて上げるから安心しなさい」
「おぉ、それなら遠慮なく呑めるなぁ」
「あんまり調子に乗らないで頂戴?」
冗談だと笑う彼に、私はわざとらしく肩を竦めて見せた。
そのまま瓶の酒を幾らか呑んで。
それから少し間を置いて、彼は私の方に瓶を返す。
漂う甘い香りの中に、薬に似た匂いが混じる。
躊躇わず、私もその中身を口にした。
口当たりは甘いけど、思ったより大分強い酒ね。
まぁ、竜である私はこの程度で酔いが回ったりはしないけど。
「? なに?」
「あー、いや。なんでも」
何やら視線を感じたので、そちらを向く。
理由は分からないけど、彼が私の手元や顔をチラチラと見ていた。
「まだ呑みたいの? それなら渡すけど」
「いや、俺は十分だから。
残りはアウローラが呑んで良いぞ」
「そう?」
なら遠慮なく、と。
私はまた甘ったるい液体を唇に含んだ。
――さて、魔法薬の効果で呪詛も薄まっただろうし。
今の彼は、一体私の何がそんなに気になるのか。
後で追及した方が良いかしら――と。
考えながら、私は瓶の口に付いた甘い雫を舌で軽く舐め取った。
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