193話:不本意だわ

 

「いいから、あんな真似は二度としないで。分かった?」

「はい」

 

 八本腕の「獣」を仕留めた後。

 私と彼は一先ず、アレが住処にしてた巨木の前で野営することにした。

 既に根元に隠された抜け道は見つけてある。

 いつでも進めるけれど、それなりの激戦で彼もかなり消耗している。

 加えて、私も身体にへばりついた粘液を何とかしたい。

 なので一旦休もう、という話になったのだけど――その前に。

 

「その剣がどれだけ貴重なモノなのか。

 万一どこかに無くしてしまったら、それだけで旅の目的が果たせないの。

 その辺はちゃんと理解してる?」

「反省してます」

 

 この世でただ一つの竜殺しの剣。

 それを石か何かみたいに投げて使った大馬鹿に、たっぷり説教しておかないと。

 ええまさか、あんな使い方するなんて。

 欠片すら想像もしなかったわよ、本当に。

 上手く命中したから良かったものの。

 

「まぁでも、上手く行ったワケだから……」

「は?」

「スイマセン!」

 

 寝言をほざく彼を、私はギロリと睨みつけた。

 平身低頭な姿を暫し眺めてから、一息。

 ……まぁ、過程はどうあれ勝ったのは間違いない。

 本人も反省してると言うなら、一先ずは良いとしましょう。

 次にやったらこの比じゃないけれど。

 

「……とりあえず、篝火は置いたから。

 休むなら休んで頂戴」

「助かります。……で、えーと」

「? なに?」

 

 何故か戸惑った感じで、彼は私の方を見ていた。

 それを不思議に思って首を傾げると。

 

「こう、雰囲気というか……喋り方が変わったから。

 それが素なのかな? と」

「…………」

 

 そういえば。

 色々あったせいで、つい取り繕うのを忘れてしまっていた。

 まぁ、念のためにしていた偽装の一環ではあるし。

 こうなってしまった以上は、もう続ける意味もないか。

 

「……まぁ、そうね。

 貴方が馬鹿過ぎて呆れてしまったから、つい本音が出たのよ」

「そっかー」

「反省してないからもう一度引っ叩きましょうか?」

「反省してるんで大丈夫です!」

 

 戦いが終わった直後に、思わず叩き込んでしまった一発。

 この身体ではそこまで大した力は出せないけど。

 それでも、人間一人を吹き飛ばすだけの腕力は備わっていた。

 ええ、そう何度も地面に転がされたくはないでしょうね。

 彼に付いていた分の粘液は、その時の衝撃で剥がれた事も付け加えておく。

 ……さて、そろそろ身体に付いてる方も何とかしましょうか。

 

「何かするのか?」

「まぁ、見てなさい」

 

 そう応えながら、私は篝火を置いた場所から少し離れた。

 幸い、巨木の周囲は他の木も少ないのでスペースには困らない。

 適当な場所に当たりを付けて、私は魔力を集中させる。

 

「“泉よ”」

 

 小さく囁くように、私は竜の声で《力ある言葉》を唱えた。

 引き起こされた変化は一瞬。

 口にした言葉の通り、前方の地面に大量の水を湛えた泉が創り出された。

 もう少し広く作っても良かったけど、とりあえずは良いわね。

 

「こんなところかしら」

「すげー」

 

 大したことはないのだけど、今まで使った魔法としては一番規模は大きい。

 それを見た彼は、素直に感嘆の声を漏らした。

 

「このぐらい、何てことはないわ。

 あぁ、私の後になら好きに使って貰って構わないわよ」

「あっという間に泉一つ作るとか、割ととんでもないと思うんだけど――?」

 

 なんて話をしている間に、とりあえず服の方を脱いでおく。

 万が一を想定して、隠蔽と偽装を施した仮面の方は外せないけど。

 粘液のせいで微妙に苦戦しながらも、何とか衣服を身体から剥ぎ取った。

 ……こっちはこっちで、新しい物を作らないとダメね。

 大した手間ではないにしても、面倒であることは違いない。

 なんて考えていると。

 

「……? 何か?」

「あー、いや」

 

 視線を感じ、私は彼の方を向いた。

 別に、見られること自体は気にしない。

 気にしないけれど、無遠慮に見られるのを好んでるワケじゃない。

 まぁ、多少弄ってるとはいえこの身体の造形もそれなりに気に入っていた。

 そういう意味で、目を引くのは悪い気分では――。

 

「……やっぱ、思ったより小さい」

「は?」

「スイマセン! ちょっと離れます!」

 

 寝言をほざきながら、彼は逃げるように藪の向こうに逃げ去って行く。

 ……そっちの休息のために野営したのに、何をしているのか。

 まぁ、馬鹿は放っておきましょう。

 私は少しばかりため息を漏らし、即席の泉に足を踏み入れる。

 人に近い肉体のせいで、水の冷たさが僅かに染みるけど。

 そう悪いものではない。

 水自体も普通の物とは異なり、汚れを浄化する魔力も含ませてある。

 しつこくねばついていた粘液も、あっという間に落とすことができた。

 暫く、水の中で身体を清める。

 ――思った以上に、彼はしぶとく生き残ってるわね。

 正直に言えば、あの八本腕で命を落とすだろうと考えていた。

 けれど蓋を開けたらこの結果。

 この先へ進めば、更に「獣」との戦いは過酷となるでしょうけど。

 何とかしてしまうのではないか、と。

 私の頭にはそんな考えも出てくるようになっていた。

 これでもし本当に、北の果てまで辿り着いたら?

 幾ら何でもそれは無い、とか。

 そうなったとしても、流石に《北の王》には勝てないだろうとか。

 あれこれと思考を巡らせながら、私はもう一度息を吐いた。

 ――やっぱり随分と、調子が狂っている気がする。

 彼が死のうが死ぬまいが、私の計画に大きな支障はない。

 それならばそんな事、思い悩む必要のない些事のはず。

 

「……何に毒されているのかしらね、私は」

 

 思い出すのは、憐れな姉妹の一柱。

 何故か人のフリをして、人との繋がりに喜びを見出した竜王マレウス。

 自分が同じようなモノを感じてるとは、間違っても思わないけど。

 彼女に影響されてしまった可能性も、無いでは無い。

 何であれ、計画に変更はない。

 愚かな人間を剣の使い手という名の生贄として、魂の火でその刃を鍛える。

 いずれは全ての竜王を殺し、その力を私が独占する。

 その果てで、かつての《造物主》を超える存在となって彼方の空へと旅立つ。

 何も変更はない、何も。

 彼も、憐れなマレウスも、等しく私にとっては生贄に過ぎない。

 

「……まるで言い訳ね。馬鹿馬鹿しい」

 

 自分自身を軽く笑いながら、私は泉から上がった。

 汚れも落とせたことで多少気分もいい。

 駄目になった衣服は指先一つで灰にして、新しい物を魔力一つで編み上げる。

 身体についた水を蒸発させてから、手早く服を身に纏う。

 丁度その辺りで、草木を揺らして彼が戻って来た。

 

「ん、出たか?」

「ええ、今さっきね。……それより、それは?」

 

 戻って来た彼の手にぶら下げられた物。

 一見すると、大きなネズミのようにも見えた。

 確か森を歩いている最中に、何度か見かけた気がする。

 恐らくは「獣」の一種だろうけど、襲って来た事は一度もない。

 多分、弱いせいで死肉を漁るぐらいしか出来ない種類かしら。

 

「……敢えて言えば、食料?」

「……は?」

 

 待って、今彼は何を言ったの?

 私が自分の耳を疑っている間に、彼はさっさと準備を始めた。

 篝火の近くに大ネズミを置く。

 それから剣を使ってザクザクと解体し始めた。

 ……って、ちょっと。

 

「大事な一振りを、なに包丁みたいな使い方してるのよ」

「手頃な刃物が他にないもんで……」

 

 だから仕方ないと、彼は意外と器用にネズミの毛皮を剥いでいく。

 ……まぁ、言いたい事はあるけど一旦大目に見ましょうか。

 食料に関しては、保存食はもう残り僅かしかない。

 「獣」の肉を食べる――というのは。

 以前にも少し言ってはいたけど、まさか本気でやるつもりとは。

 

「……それ、本当に食べるつもり?」

「まぁ、物は試しに」

 

 篝火に、ついでに調達して来たらしい薪も放り込んで。

 勢いを強めた火で、彼は大ネズミの肉を炙る。

 一応内臓は避け、食べられそうな部分を剣で切り取った上で。

 保存食と一緒に入っていた塩だけを、焼く前に軽く振る。

 枝を削って作った串に肉を突き刺して、念入りに火を通していく。

 

「食えれば御の字だし、食えなかったらまぁ仕方ない」

「当たるかもしれないわよ」

「そん時はそん時で」

 

 私の言葉に、彼は軽い調子で応えた。

 十分に熱が通って来た肉からは、脂の焦げた香ばしい匂いが漂い出す。

 ……確かに、悪くない匂いかもしれないけど。

 「獣」なんて食べて、まともな生き物は大丈夫なのかしら。

 不審がる私を余所に調理(?)は進む。

 時折、火を当てる位置を変える程度の単純な作業。

 やがて良い具合になったのか、彼は串に刺した肉を持ち上げた。

 いよいよ食べる気らしい。

 

「んじゃ、行ってみる」

「……これで死んだら指差して笑ってあげるから」

 

 是非そうしてくれ、と。

 彼は軽く笑って、面覆いを上げると躊躇いなく肉に齧り付いた。

 沈黙は一瞬。

 即死するような毒が含まれていたのかと、そう思ったけど。

 

「美味っ!」

 

 彼の口から、割と信じがたい言葉が飛び出した。

 いやいや、そんな馬鹿な。

 

「は? 本気で言ってる?」

「いやマジで美味いから。ほら、試しに一つ」

「だから、私は別に食事なんて取らなくても……」

 

 やんわりと拒否したけど、彼は肉の一つを私に差し出して来た。

 表面は若干焦げていて、その分だけ脂は強く香って来る。

 ……そう、古竜には生存のための食事は不要。

 ただ肉体に味覚は備わっているから、味が分からないワケでもない。

 香りも、少しだけそそられるものがあった。

 

「……まぁ、そこまで言うなら」

 

 結局、彼が押し付けてくるのと、私自身の好奇心に根負けした。

 木の串を受け取り、焼けた肉に視線を落とす。

 剣で大分削いではいるけど、それでもサイズは結構ある。

 ……既に食べた彼に、特に変調はない。

 今の私の身体でも大抵の毒は通じないし、大丈夫でしょう。

 正直に言えば、味も少し気になる。

 様子を見るような彼の視線を感じながら。

 私は意を決して、肉に牙を突き立てた。

 

「…………」

 

 一口目で分かる。

 食に興味がない私でも、肉と脂の味は実に鮮烈だった。

 なんの肉に似ているとか、そういうのは分からなかったけれど。

 これは、その、何と言うか。

 言葉は見つかっているけど、簡単には認めがたい。

 そうこうしている内に。

 気付けば、私は串に刺した肉の全てを平らげていた。

 口元を指で軽く押さえながら、一息。

 

「…………不本意だわ」

「美味かった?」

「…………」

 

 答えは分かり切っているけど、敢えて聞いてみた。

 そんな意図が透けて見える。

 本当に――ええ、本当に不本意ではあるけれど。

 

「…………美味しかった」

「やったぜ」

 

 囁くような私の一言に、彼はぐっと拳を握った。

 調子に乗るなと引っ叩いてやろうかしら。

 なんて考えていたら、彼が新しい肉を差し出して来た。

 ……仕方ないから、引っ叩くのは我慢しましょう。

 

「貴方、何か変な事とかしてないわよね?」

「焼いてるの横でずっと見てただろ。肉が美味いだけじゃないか?」

「《北の王》が放った魔物だし、正直毒があると思ったのに……。

 食用の改造もしていた……?」

 

 いやいや、それこそまさかよね。

 幾ら何でもそんな無駄なことをする理由がないし。

 くだらない話をしながら、新しい肉も残らず食べてしまった。

 生存には不要なはずの食事。

 けれど、不思議と悪い気はしない。

 ……いえ、あまり認めたくない事だけど。

 私はこの時間を、意外と楽しんでいるかもしれない。

 それは今に限った事じゃなくて。

 ここまで何度かあった休息の時間と、それ以外の旅路のアレコレ。

 その多くを思い返しても、私は――あまり、不快ではないのだ。

 こんな、人間なんかと一緒にいるのに。

 

「……流石に食べ過ぎたかも」

「バカね、ちょっとは加減しなさいよ」

「いや、残すのも勿体ないかな、と……」

「今は満腹で結構だけど、明日以降はどうする気?

 全部の『獣』が食べても大丈夫とか思ってないわよね」

「いや、人間頑張れば意外と何とかなるのでは……?」

「やっぱり貴方バカよね?」

 

 はたして、他人とこんな風に話したのは何時振りなのか――なんて。

 そんな、あまりにも馬鹿馬鹿しい事を考えてしまった。

 次の日には、もう死んでしまうかもしれない人間である事。

 私は最初から、そのつもりで剣を彼に与えた事。

 その全てを、私はこの瞬間だけ忘れていた。

 忘れて、何の意味も打算もなく――ただ、笑っていたのだ。

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