278話:ねこの提案

 

「貴女……!」

「動かないでって、何度も言わせないで。

 『みんな』はもう、この場に配置済みなんだから」

 

 私の声を遮って、ブリーデは変わらず警告を発する。

 酷く硬い声だった。

 鋭い剣の切っ先のように、脆い硝子の破片のように。

 動くなと言われたところで、こちらが素直に従う義理はない。

 レックスは私を下ろすと、即座に臨戦態勢を取る。

 他の者たちもそれぞれ戦いに備えて動き出す。

 

「おい糞エルフ! 話が違うじゃねーか!?」

「俺は警備や監視が殆どない経路を提案しただけだ。

 待ち伏せが無い、などとは一言も言っていない」

「それは詭弁どころか屁理屈では??」

 

 姉妹のツッコミにも、糞エルフは揺るがない。

 ただコイツはコイツで、猫をぶら下げたままその場で身構えている。

 てっきり即座にご主人様の方へ行くかと思ったけど……。

 

「さて、これは俺も話を聞いた覚えがないが」

「そりゃもう、ボクが提案した事ですからね!」

 

 ウィリアムに応えたのはゲマトリアだった。

 ブリーデの傍で、彼女の手を支えるみたいに軽く掴んでいる。

 ……どうでも良いけど、何か微妙に腹が立つ構図ね。

 あと、そのドヤ顔で見下すのは止めなさいよ。

 

「お前が単独行動とか、絶対に何か考えてるに決まってるじゃないですか!

 だから危なそうな場所を予め決めて、そこに張り込みしてたんですよ!

 そしたらまぁ見事に引っ掛かってくれましたねぇ!」

「成る程。ちゃんと学習しているとは、思った以上に賢いな」

「いやぁそれほどでもありますけどね!!」

 

 そこで喜ぶのは何か違うんじゃないかしら?

 まぁ本人嬉しそうだから、別にツッコミはしないけど。

 今はそんな下らない事よりも――。

 

「ゾロゾロと出て来たな」

「警戒を。いつ仕掛けてくるか分からない」

 

 レックスとアカツキ。

 二人はそう言いながら、周囲に視線を向ける。

 ブリーデが宣言した通り、そこには月の鱗である騎士たちの姿があった。

 数は少なくとも二十以上。

 青白い炎を揺らめかせながら、こちらを取り囲むように現れる。

 

「クソっ、完璧に包囲されてんな」

「イーリス、私の傍から離れないように」

 

 ジリジリと狭まる包囲の輪。

 姉妹は身を寄せ合い、緊張で硬くなった声を漏らす。

 絶体絶命と言っても差し支えない状況だから、それも無理はない。

 

「で、猫はこの責任をどう取ってくれるのかしら?」

『えっ、オレのせいなの??』

「お前は糞エルフと一緒に来たんだから同罪よ」

「流石は長子殿だな、理不尽なことをこの世の道理の如くに語るのが上手い」

 

 ボレアスは黙ってなさいな。

 冗談は抜きにしても、この状態で立場が曖昧なのは困る。

 一体この馬鹿猫が何を考えているのか。

 微妙に行動を共にしているウィリアム含めて、確かめておきたかった。

 私の理不尽な問いに、猫――ヴリトラは僅かに沈黙する。

 

『……なぁ、姉上よ』

「……なに?」

『オレとしても、いい加減にカタを付けた方が良いとは思ってるんだよ』

「……?」

 

 猫が何を言っているのか。

 多分その瞬間、私もブリーデにも理解できていなかった。

 ウィリアムは何も言わない。

 レックスも同様に。

 誰もが黙する中で、ヴリトラの言葉だけが続く。

 

『長兄殿は逃げ回るばかりだし、姉上はツメが甘いしで。

 このまま続けてちゃ、まぁこの場も多分似たような感じで終わるだろ?』

「はぁ??」

 

 私が逃げ回るとか、何を言ってるのかしらコイツ。

 ブリーデはブリーデで、図星を突かれたのか顔を紅潮させている。

 

「つ、ツメが甘いって! 悪かったわね、不慣れだから仕方ないでしょ!」

「ブリーデさん、ブリーデさん! 落ち着いてください!」

「まぁ、戦力差を考えれば圧倒できてない方がおかしいからな」

 

 気に入らないけど、ウィリアムの言葉は真実でもある。

 ブリーデの持つ戦力は、今の私たちではまともにやっても勝ち目がない。

 この前も無事に逃げおおせたのは、単に向こうのツメが甘いからだ。

 自覚をしてるのか、白子のナメクジはぐっと言葉に詰まる。

 ……無駄話をしてる間に、包囲に隙でも出来てくれたら良いんだけど。

 流石にご主人様が甘くても、それに従う番犬どもは甘くない。

 一糸乱れぬ姿で、剣を構えた騎士たちはこちらの動きを睨んでいる。

 

「それで、私を馬鹿にしてどうしたいって言うのよ」

『馬鹿にしたいワケじゃないって、そうヘソを曲げんでくれよ。

 オレが言いたいのは、単に決着を付けようぜって事だよ』

 

 決着。

 だから、それは一体どういう意味で?

 猫の言ってる意味が分からない私の傍で、レックスは兜を指で掻く。

 

「姉妹同士で喧嘩して、キッチリ白黒つけようって話か」

『彼氏殿の言う通り。いや、このぐらいわざわざ解説せんでも理解しようぜ?』

 

 …………そういう事か。

 そうならそうと、もっとちゃんと言って欲しいわね。

 ブリーデの方も理解が及んだようで、また表情が硬くなる。

 

「何を言い出すかと思えば……。

 そんなこと改めて言わなくても、この場でキッチリぶっ飛ばしてあげますよ!

 そうですよね、ブリーデさん!!」

「ゲマ子は捨て置くとしてだ」

「ゲマ子とか気安く呼ぶなよ糞エルフゥ!」

 

 騒ぐ子供をウィリアムは軽く無視スルーする。

 本当に今さらだけど、コイツの神経ってどうなってるのかしらね。

 

「ブリーデはイマイチ攻め切れず。

 アウローラの方はまともに戦う気があるとは言い難い。

 このままイタチごっこを続けても、お互い損はあっても得する事はない。

 その辺りの認識は互いに共通していると思うが」

「何でお前が場を仕切ってんの?

 って疑問はあるけど、まぁその通りだな」

 

 ツッコミを入れつつ、レックスもその言葉に関しては肯定する。

 まともに戦う気がないとか、そう思われてるのは不本意ではあるけど。

 そもそも腕にこんな封印ぶち込まれて、誰がまともに戦うって言うのよ。

 

「……決着を付けるって、言うけど。

 具体的にどうするのよ?」

「そんなものは簡単だ。当事者二人で尋常に戦えば良い」

「まぁ、そういう話になるであろうな」

 

 笑う口元を申し訳程度に手を覆って。

 ボレアスは、隠しきれない笑みを含んだ声でそう言った。

 ……私とあのナメクジが、尋常に戦う?

 聞いたことのない、未知の言語を耳にしたような気分だった。

 

「尋常に、とわざわざ付けるぐらいだ。

 それはハンデ無しの勝負と、そう考えて良いのか?」

「あぁ、それは当然だろう。

 そもそもハンデがあろうがなかろうが、圧倒的強者はブリーデの方だ。

 そう、恐れることなど何もないはずだ」

 

 アカツキの確認に対し、ウィリアムは笑いながら頷いた。

 ブリーデは無言。

 ただ、傍らのゲマトリアの手を強く握っているのが見える。

 

「ブリーデさん、言うこと聞く必要なんてありませんよ!

 ハンデもクソも外せない向こうが悪いんですから!

 このまま一方的にボコボコにしちゃいましょう!」

「ゲマ子は黙っていると良い。

 そもそも、それではまた向こうが逃げ出して元の木阿弥だ」

「そう何度も逃げる逃げるとか言わないで貰える??」

 

 まるで私が臆病者みたいに聞こえるじゃない。

 

「アウローラの腕についてる封印は外す。

 その上で、アウローラとブリーデで一騎打ちと。

 決め事はそれぐらいで良いんだよな?」

「あぁ、問題ない。無論、これはあくまで『提案』に過ぎない」

 

 ウィリアムは笑っている。

 レックスの表情は兜で見えないけど、声はいつになく真面目だ。

 気が付いたら、また場の空気を糞エルフが掌握してるのはホントに気になるけど。

 この追い込まれた状況を考えるなら、それは間違いなく好機だった。

 

『そう、提案であって強制しようって話じゃない。

 そもそも今のこっちに無理やり話を押し通すような力もないしな。

 だから決めるのは長兄殿と姉上の二人だ』

「勿論、私はそれで良いわよ?」

 

 とりあえず、先ずは私の方から同意しておいた。

 戦力では圧倒的に今のブリーデの方が勝っている。

 腹立たしいけど、これに関してはウィリアムの言う通り。

 仮に纏まって戦ったところで勝機は薄く、逃げ回るのが精々だ。

 それは一対一の尋常な戦いになろうと、大きく変わる話ではないけど――。

 

「幾ら頼もしい『仲間』を連れていようと。

 中身は所詮、昔と変わらないナメクジのままなんでしょう?

 ええ、だったら何も怖がることないもの。

 腕の封印さえないのなら、幾らでも相手をしてあげる」

「ッ…………」

 

 我ながら、安い挑発だと笑ってしまう。

 けど安っぽいからこそ、時に絶大な効果を発揮する事もある。

 実際、ブリーデに対しては覿面だったようだ。

 奥歯を噛み締めながら睨んでくる相手に、私は余裕の笑みを見せてやった。

 私は言葉にした。

 さぁ、お前はどうするの?

 

『流石は長兄殿って言うべきか? なら、姉上は――』

「…………やるわよ」

 

 ぽつりと、囁くみたいに。

 同時に喉の奥から絞り出すような形で。

 

「なに? ちょっと小さくて良く聞こえないんだけど?」

「やるって言ってるのよ! いいわよ、やるって言うなら受けて立つわ!

 そのムカつくドヤ顔を思いっ切り歪ませてあげる!!」

「受けて立つ? 勘違いしてない?

 貴女が私に挑むのよ。そこの立ち位置は間違えないで貰えるかしら」

「この……ッ、口ばっかり達者で……!」

 

 一気に怒りを露わにするブリーデを、私はとことん嘲ってやる。

 本当に、どれだけ単純な生き物なのかしら。

 これでアイツの意識と注意は私一人に向いた。

 尋常な勝負と言っても、それそのものはこの場での口約束。

 魔法によって制約を結んだとしても、私なら無視する手法は幾らでも知ってる。

 この場での最大戦力を私が引き付けて、適当にあしらう。

 そうしている間に、レックスたちを先へと進ませる。

 うん、即興で考えたにしては、我ながら良い作戦じゃないかしら?

 

「俺らは見学って事で良いか?」

「あぁ。俺も二人が戦っている間は、決して手出しはしないと誓おう。

 どの道、お前なら下手な事をしないよう見張っているだろう?」

「自分で言うこっちゃ無いんだよなぁ」

 

 …………。

 ちょっと、レックス?

 いえ、ウィリアムと和やかに話してる事は、今はどうでも良いけど。

 まさか本気で見学するつもりじゃないわよね?

 

「ハハハハ!

 まさかまさか、今さらになって長子殿と姉上の本気の喧嘩が見られるとはな!

 まぁ昔では、そもそも喧嘩になりようがない力関係であったからな。

 ようやく条件が対等になったと言うべきだろうよ」

「メッチャ楽しそうだな、北の王様は」

「おうイーリスよ、このような見世物は一万年はなかったものだ。

 姉とよく見ておくがいい。姉妹仲が拗れ切った良い例だぞ」

 

 他も何か、完全に催し物を眺めるみたいな空気になってない?

 ちょっと貴方たち、本当にそれで良いの?

 

『と、話が勝手に纏まりそうだけど。

 アカツキの旦那はどうだい?』

「否はない。まともに挑んでも突破は難しい。

 であれば、少しでも可能性のある方に賭けるのは自然な事だ。

 私は必ずヘカーティアの元に辿り着かねばならない」

 

 確認する猫に、アカツキは大真面目に頷いた。

 

「ゲマ子、その状態でも防御に専念すればそれなりの事はできるだろう?

 いや、最初から内部を壊されないよう準備ぐらいはしているか。

 その辺りは流石に気が回るな」

「うっさいですよ糞エルフ! っていうかゲマ子呼ぶなつってんでしょうが!」

 

 どうやら、試合場の準備も万全であるらしい。

 何だか話の流れが、私の想定から大きく外れ始めた気がする。

 待って、本当にこれで良いわけ?

 

「しんどかったら言ってくれよ。

 あくまで喧嘩だし、ヤバくなったら手を出すからな」

「え、ちょっと、レックス?」

「それでは姉妹の尋常な勝負という取り決めに違反するのではないか、竜殺しよ」

「どっちか死ぬまで手出し無用、なんてルールは入れてないだろ?

 あくまで姉妹が一対一で喧嘩して、その決着までは手出ししないって話だ。

 そういう理解で間違ってるか、糞エルフ」

「いいや、お前がそれで良いのなら俺は何の問題もない」

 

 ……何やら、レックスとウィリアムの間では合意が取れたらしい。

 糞エルフは笑いながら踵を返し、レックスは私の頭を一度撫でてから離れた。

 これでもう、場の流れは完全に定まった。

 

「……まさか、今さら臆病風に吹かれたなんて言わないでしょう?」

 

 そして、こっちもこっちで腹は決まった様子で。

 大階段からおっかなびっくりと、ブリーデが私のいる場所まで下りて来た。

 臆病風がどうとか、またくだらない戯言が聞こえたわね。

 私はあくまで余裕の笑みを浮かべて、そんなナメクジを鼻で笑い飛ばす。

 

「下らないことを言う暇があるなら、コレさっさと外して貰える?」

「ええ、外して上げるから其処にいなさい」

 

 未だに腕を貫いたままの封印剣。

 足早に私の前まで来ると、ブリーデはその柄に指を掛けた。

 とても抜けそうにないぐらい、その刀身はしっかりと私の腕を縫い留めてるけど。

 流石にそれは施した張本人。

 まるで布から針を抜くように、簡単に剣を引き抜いていく。

 

「……話に乗ったこと、すぐに後悔させてあげるから」

「それはこっちの台詞よ、大馬鹿」

 

 完全に剣が外れた、その瞬間。

 そこからが戦いの始まりだと、言葉にはせず合意する。

 ……戦い?

 いいえ、戦いなんてあり得ない。

 私がこんなナメクジ相手に、本気で戦う必要なんてないのだから。

 

「今謝れば、優しくしてあげても構わないけど」

「ふざけたこと言わないで。

 ……ホント、私はアンタのそういうところが、昔から大嫌いよ」

 

 拒絶の言葉は、今にも泣き出しそうな顔で放たれた。

 そんなどうしようもないナメクジを見ながら、私は呆れてしまった。

 本当に、そういうところは昔と変わらないんだから。

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