第四章:誰も譲れぬが故に、彼らは争う

300話:古き王たちの争い

 

 荒れ狂う嵐の中。

 空を覆わんばかりの巨影に、一頭の竜が挑む。

 膨大な量の水を纏った蒼き水晶の竜。

 《古き王》の一柱たるマレウス。

 王としては下から数えた方が早い程度の格でしかない彼女。

 その魂と一つであった「魔女の騎士」はもういない。

 必然、真竜マレフィカルムとしての力は消え失せてしまっていた。

 

『ヘカーティア……!!』

 

 挑む相手の名を叫び、青き竜は水流を操る。

 無謀な戦いだった。

 いや本来であれば、戦いにならない程の格差が横たわる相手だ。

 《五大》の一柱たる“嵐の王”ヘカーティア。

 かつて《最強最古》に次ぐ力を持っていた五柱の竜。

 その一角であり、今は盟約の礎たる大真竜でもある相手。

 言葉通りに格が違った。

 本来であれば、鎧袖一触で蹴散らされてもおかしくはない。

 

『いい加減に諦めたらどうだい、マレウス!!』

 

 苛立たしげな咆哮。

 稲妻が走り、横殴りの竜巻と共に押し寄せる。

 直撃すれば《竜体》を微塵に砕かれるだろう一撃。

 それをマレウスは、纏った水の壁でどうにか受け止めた。

 戦いにならないはずの戦い。

 紙一重で両者の攻防が成立しているのは、幾つかの要因があった。

 

『死ぬ死ぬ死ぬ、マジで死ぬ!』

『古竜はこのぐらいじゃ死なないから、大丈夫!!』

『何も大丈夫じゃないんだよなぁ!!』

 

 叫んでいるのは、マレウスの背に乗る一匹の猫。

 同じ《古き王》たるヴリトラだ。

 魂の本質は猫の身体に、力の多くはマレウスの水に移した状態だ。

 それは疑似的な《竜体》とも呼ぶべきもので。

 強烈極まりないヘカーティアの攻撃から青い竜を守っていた。

 ヴリトラが弱ってるとはいえ、《古き王》二柱分の力。

 如何にかつての《五大》でも容易くは砕けない。

 

『まったく、誰も彼も邪魔ばかりしてくるな……!!』

 

 愚痴めいたその言葉の通り。

 今のヘカーティアには「やるべき事」があった。

 その胸の奥に抱いた愛しい男の魂。

 砕け散ってしまった魂の断片。

 これを修復し、再び完全な形で蘇らせる事。

 全てはそのために行って来た。

 イーリスという少女から《奇跡》を奪い、それを自身の魔力で強化。

 嵐と共にそれを拡大し、大陸中の都市機能を乗っ取る。

 莫大な規模となった演算能力で、魂の失われた部分さえも復元する。

 未だかつて、誰も試みたが事がない偉業だ。

 大真竜であるヘカーティアも、そのためには力の多くを割く必要がある。

 繊細かつ緻密で、絶対に失敗の許されない作業。

 今のヘカーティアは、自ら手足を縛って戦っているも同然だった。

 故に、格下の二柱が相手でもギリギリで攻防が成立していた。

 

『まぁやっぱ勝ち目ねェけどなコレ!』

『それは最初から分かってた事だから……!』

 

 ヴリトラとマレウス、両者は声ではなく思念によって言葉を交わす。

 そう、戦いにはなっている。

 一撃で吹き飛ぶ事はなく、反撃で相手の鱗を削ってさえいた。

 数で勝り、相手が重いハンデが付いた状態。

 それでもその程度の事しかできない。

 相手を僅かに削る間に、マレウスたちは大きな消耗を強いられる。

 それは最初から絶望的な戦いだった。

 

『私たちは足止めと時間稼ぎ、勝つ必要はないわ』

『まぁそうだな』

 

 マレウスの言葉に猫は頷く。

 外からでは不明だが、竜殺したちは恐らくヘカーティアの《竜体》内部にいる。

 それはヴリトラも予想はしていた。

 本当に微かにだが、竜王の長子たる彼女の気配も感じ取れる。

 彼らは未だ諦めてはいない。

 向こうの勝利を信じ、此方はヘカーティアの妨害に全力を尽くす。

 方針としては正しいと、ヴリトラもまた認めていた。

 ただ、問題があるとすれば。

 

『――けど、もしこのままヘカーティアを止められたとして。

 あの《竜体》をそのまま大陸に落とすのは、避けたい』

『言いたいことは分かる』

 

 そう、ヴリトラもマレウスの言っている事は分かっている。

 大陸を覆い尽くすほどの嵐を纏う巨竜。

 この大質量が地表に落下すれば、それだけでも馬鹿にならない被害が出る。

 加えて、その嵐の方も問題だ。

 今はまだ地上を引っぺがすほどの力はない。

 それでも嵐の勢いは凄まじく、各地の都市に被害が出てるのは間違いなかった。

 時間が経てば経つほどその可能性は大きくなる。

 

『それでどうするか、って話になるけどな。

 今でさえギリギリ耐えつつ邪魔するので限界だろ?』

『……そうね』

 

 マレウスは頷く。

 その視線は、嵐の中心にいるヘカーティアを捉えていた。

 不動のまま雷や風でマレウスたちを迎撃するその姿。

 そう、ヘカーティアは動かない。動いていない。

 彼女が行う大事業のため、《竜体》の動作すら最小限に留めている。

 実行している事の中身は知らずとも、そのぐらいはマレウスも予想できた。

 だから。

 

『ちょっと、無茶しても良い?』

『現時点で大分無茶してんだけど、これ以上何する気??』

『ごめんね、付き合わせちゃって』

『おっとオレが付き合うのはもうマレウスさんの中じゃ確定なんですね?』

 

 有無を言わさぬ強い意思を感じる。

 普段の態度はフワフワしているのに、必ず譲らない一線がある。

 それがマレウスという竜だった。

 ヴリトラもその気質は理解していた。

 理解しているから、此処まで来た以上は観念するしかないのも分かっていた。

 《最強最古》に「お願い」をされる時も、ヴリトラは大体同じ心境だった。

 

『で、どうする気?』

『……マジで言ってる??』

 

 流石に信じられないと。

 猫の思念には呆れと驚きが入り交じる。

 理屈としては分かる。

 このまま動かぬヘカーティアと戦えば、最終的にその《竜体》は地表に落ちる。

 それまでの戦いが長引けば、その分だけ嵐による被害も増大する。

 ならば嵐を纏う《竜体》を大陸から離してしまおうと。

 マレウスの言ってること自体は実に単純だ。

 

『どうやってそれをやるかっつー話だけどな。

 いやマジでどうする気だよ。

 《転移》で引っ張るとかも抵抗レジストされるから無理だろ?』

『勿論。魔力では圧倒的に負けてるんだから、そんな手は使わないわ』

『……じゃあどうするんだ?』

 

 話をしている間も、戦いは続いている。

 文字通り身を削りながらの絶望に挑む戦いが。

 ヴリトラを宿した水も、最初に比べると半分近くに減じていた。

 散らされた水をマレウスが回収はしている。

 それでも半分、修復速度よりも砕かれる速度の方が早い。

 この時点でもう限界は見えていた。

 それを正しく認識しながら、マレウスは言う。

 

『魔法で無理なら、力尽くで押し出すしかないでしょう?』

『マジで言ってる??』

『大マジよ』

 

 力技で、あの“嵐の王”を大陸の外へと押し出す。

 マジかよと、ヴリトラでなくとも言いたくなるだろう。

 無謀な自殺行為にしか聞こえない。

 

『やるわ。もしかしたら不可能事かもしれないけど。

 それでも他に手がない以上、やり遂げるしかないの』

 

 マレウスに迷いはなかった。

 絶望しているワケでも、自棄を起こしているワケでもない。

 ただ単純に、「そうする以外に手はない」と。

 決めたからこそ、持てる力で全力を尽くす。

 彼女の中にあるのは決意と覚悟だけだ。

 

『こっちに出来ることを頑張る。

 そうすれば、後のことは姉さんたちがやってくれるわ』

『気楽に仰いますなぁ……』

 

 その「出来ること」がどれだけ困難か。

 分かっているのに、何でもない事みたいにマレウスは言うのだ。

 ヴリトラはもう唸るしかない。

 この船に乗るのを選んだのは自分なのだから、ぐうの音も出やしないのだ。

 だから仕方ないかと、猫もまた腹を括る事にした。

 こっちは自棄になったと言って間違いはないけれど。

 

『終わったらもう寝てて良いよなぁ!』

『ええ、必要になったら起こして上げるから……!』

『クソッ、姉妹そっくりかよ!』

 

 青き竜は覚悟を決め、猫はヤケクソ気味に叫ぶ。

 一方、ヘカーティアもまた然程余裕のある状況ではなかった。

 

『(どうする、これは……!)』

 

 自分より明らかに弱い二柱の兄弟姉妹。

 彼らはその行いを「時間稼ぎ」と語った。

 その言葉通りとなってしまった現状に、ヘカーティアは苛立ちを感じていた。

 作業は進んでいる。

 幾つかの都市はもう完全に乗っ取りが済んでいた。

 運営に必要な演算能力を奪い、恋人であるアカツキの復元に利用する。

 順調だ――間違いなく、順調だった。

 順調ではあるが、進行速度は大幅に鈍ってしまった。

 程なく限界を迎えるだろう、マレウスとヴリトラの健気な抵抗。

 それは確実にヘカーティアの手を鈍らせていた。

 

『(失敗は出来ない、それだけは絶対にダメだ)』

 

 既に砕けてしまっているアカツキの魂。

 これの取り扱いは、この世の何よりも慎重に当たる必要がある。

 大陸を嵐に沈めるほどの力で、米粒に細かく文字を刻んで行くような。

 そんな繊細極まりない操作をヘカーティアは自らに課していた。

 《奇跡》――イーリスから奪った力に、まだ慣れてないのも大きい。

 おかげで《竜体》内部の状態すら把握する余裕もないほどだ。

 そちらは《爪》に任せているから問題ない、と。

 ヘカーティアはそう考えていた。

 

『あと少し、あと少しなんだ……!!』

 

 自らの胸の内ではなく、思念の声として漏れ出す。

 あと少し。

 あと少しだと、ヘカーティアは繰り返す。

 千年という時間は、古竜からすれば長すぎるというほど長い時ではない。

 しかしヘカーティアにとって、それは途方もなく長かった。

 自分のために犠牲となった恋人。

 永遠である事を望まず、定命としての最後を選んだ彼。

 それを認めているはずだった。

 むしろ死という終わりを迎える在り方を、死ねない身で羨ましくすら思っていた。

 けど不死不滅の身では、「別れ」を正しく理解できていなかった。

 喪失は予定外の嵐の如く訪れる。

 別離を確かめ合う暇もなく、ヘカーティアは愛を失ってしまった。

 ――堪えられない、堪えられるワケがない。

 彼の、愛するアカツキのいない永遠なんて、堪えられるワケがなかった。

 それに気付いたからこそ、彼女は狂う他なかったのだ。

 愛した人が一番望んでいない事だとしても。

 他に取るべき選択肢など、ヘカーティアの中にはなかった。

 

『あと少しなんだから、邪魔をしてくれるなよ――――!!』

『いいえ! 悪いけど最後まで邪魔をさせて貰うから!!』

 

 怒りと狂気を吐き出す大真竜。

 嵐の如き憤怒にも、マレウスは恐れを見せなかった。

 恐れず、その渦中に真っ向から突っ込んでいく。

 風と稲妻に《竜体》を削られることなど、何一つ構わずに。

 

『なっ……!?』

 

 まさか、いきなり正面から突撃してくるとは。

 それはヘカーティアにとっても予想の外だった。

 あり得ない、無謀過ぎる!

 驚愕と困惑で怯んだ一瞬――その一瞬に、二柱は全力を傾ける。

 

『さぁ、一気に押し込んで!!』

『これが終わったら昼寝してやる……!!』

 

 大量の水を纏った蒼い竜が、嵐の竜と衝突する。

 圧倒的な質量差などものともせずに。

 不動であった巨体が大きくズレる。

 

『ッ、何をする気だ……!?』

『久々に会ったのだから、ちょっと遠出でもしましょうよ……!!』

 

 風を叩きつけ、雷を槍の如くに降らせる。

 ヴリトラを宿した水も、マレウスの《竜体》も確実に削れていた。

 自分で自分の限界を早める行為。

 無謀なのは間違いない。

 

『そうね――偶には、海を見に行くなんてどう?』

 

 間違いないが、その意思は止まらない。

 ヘカーティアの《竜体》は押され、嵐もろとも動き始めていた。

 

『マレウス……!?』

 

 凄まじい力だった。

 万全ならば容易く振り払える。

 しかし今は、これを跳ね除ける余裕すらない。

 嵐が動く。鋼の巨竜と共に。

 水の竜に押し込まれ――大地ではなく、鎖された海に向けて。

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