301話:踏み抜かれる逆鱗


 ――暗闇の中で煌めく、光の奔流。

 それはまるで砂嵐のように渦巻いている。

 時が経つごとに激しさを増す。

 その中を、一歩一歩と足を進めて行く。

 

「っ………」

 

 強まる圧力に、オレは奥歯を噛んだ。

 耐える、耐えられる。

 自分自身に強く言い聞かせる。

 身体の感覚は、この場所では単なる錯覚だ。

 今のオレは死んでいて、魂だけで動いている。

 自己を「オレ」という形に留めるため、肉体はその鋳型に過ぎない。

 手足が重く萎えるのも、胸の奥の息苦しさも。

 全部、オレ自身がそう思い込んでいるだけ。

 そう強く念じて、嵐の中をひたすら進み続ける。

 

『……君にしかできないと、そう思っての事ではあるけどね』

 

 光輝く嵐の中でも、ソイツの様子は変わらない。

 灰色の幽霊。

 目覚めれば忘れる予定の誰か。

 オレのすぐ後ろについて、何事かを言って来る。

 

『やっぱり無茶が過ぎるな、コレは。

 幾ら君が気合いを入れたって、ヘカーティアの魔力が強すぎる。

 魂だけでも――いや、魂だけの状態だからこそ。

 これ以上無理に進めば、再び自我を融かされかねない』

「今さら言う事かよ」

 

 ホント、思い付きで適当に行動してねェかコイツ。

 声の感じからして、本気でオレの事を気遣っているようだった。

 それがまた微妙に腹が立つ。

 

「お前は好きにすりゃ良いが、オレは行くぜ。

 やっと目的地が定まったんだからな」

『……一応、最低限の護りぐらいは施せる。

 気休めではあるが、無いよりはマシのはずだよ』

「礼は言わねェからな」

 

 幽霊の苦笑いを無視して、オレは前だけを見る。

 ……今のオレには《奇跡》がない。

 《奇跡》を扱っていた時の感覚で、奪われた力の動きを知覚するだけ。

 五感全てが、ヘカーティアの操作している電子の海を認識していた。

 もう、どれほどの数の都市と繋がったのか。

 流れこそ緩やかだが、規模の増大は続いている。

 

「急がねぇとな」

 

 悠長にしている暇はない。

 焦りはするが、それは抑えて歩を進める。

 辿り着く、必ず。

 この嵐の中心にいるだろう、ヘカーティアの元へ。

 光る砂粒に目を焼かれそうになりながら、ひたすらに前へと。

 

『……イーリス、流石にこれ以上は厳しい。

 限界で呑み込まれる前に、一度下がるべきだ』

 

 灰色の幽霊が何か言ってるが、やはり無視する。

 ここで下がったら、多分二度と同じところまでは行けない。

 諦めないで前に進む。

 この状況でオレに出来る最善手はそれだけだった。

 《奇跡》も何も持っていないオレにできる、それが唯一の事。

 前へ。兎に角前へと。

 幽霊の気配は、変わらず後ろについて来る。

 

「ッ……アレは……?」

 

 どれほどそうしていただろう。

 刹那も永遠も同じように捉えそうな、壊れた時間感覚。

 それも気にせず進み続けた末に、それはオレの視界に現れた。

 光の柱とでも表現すれば良いか。

 視覚の大半を覆い尽くしている煌めく砂粒の嵐。

 その向こう側に、光そのもので形作られた一本の柱が聳え立っていた。

 ……アレが、まさか。

 

『あぁ。この《奇跡》によって操られている嵐の中枢。

 間違いなく、アレがヘカーティアの魂の本質と繋がってるはずだ』

「間違いなくって言ってんのに『はずだ』とか付けんなよ」

『それは失礼。十中八九と言えば良かったかな?』

「似たようなもんだろうがよ」

 

 悪態を吐きながら、光の柱へと近付く。

 何か妨害があるかもしれないと、そう身構えていたが。

 

「っ……何とか、到着したな」

 

 嵐を無理やり突破して、オレは大きく息を吐いた。

 柱の周囲にだけは、僅かながらも空白地帯が存在した。

 いっそこのまま倒れ込みたいところだが、流石にそうもいかない。

 むしろこっからが本番なんだ。

 

「で、コイツをどうすりゃ良いんだ?」

『柱に触れると良い。

 これは言ってしまえば『ゲート』だ。

 この場所から更に奥。

 ヘカーティアの魂、その本質と呼ぶべき場所と繋がる。

 君が思っている通り、ここからが本番だ』

「人の思考を読むんじゃねぇよ」

 

 幽霊を一度だけ睨んでから、オレは目前の柱に向き直る。

 すぐ前にあるはずなのに、具体的な大きさとかは定かじゃない。

 見ている間も膨張と縮小を繰り返し、安定してないように見える。

 実際にそうなってるのか、単なる錯覚なのか。

 どちらかは分からない。

 分からないが、やる事は変わらない。

 

「行くぞ」

『ちょっとぐらいは迷ったらどうかな?』

 

 うるせェよ。

 時間もないし、今は余分だ。

 内心で呟きながら、オレは柱へと手を伸ばす。

 指先が、その光に触れた直後。

 

「っ……」

 

 光が消えて、意識を闇が包み込む。

 何かに呑まれたのかと、一瞬だけ焦ったが。

 

『場所を移動しているだけだ、焦る必要はない』

 

 不本意ながら、幽霊の声で多少落ち着きを取り戻せた。

 言われてみれば、姉さんの使う《転移》で飛んだ時と似た感覚だ。

 内臓を持ち上げられてるみたいな浮遊感に、今一時耐える。

 当たり前だが、魂だけの腹に内臓は詰まってない。

 あくまで肉体の感覚に基づいて、そう感じてるだけだ。

 一瞬か永遠かも不明瞭な浮遊時間。

 

「うわっ……!?」

 

 それが過ぎると、オレは地面の上に投げ出されていた。

 地面だ。地面がある。

 雑草が生い茂る、硬いけれど柔らかな土。

 さっきまでいた、闇と星が広がるばかりの空間じゃない。

 其処は――。

 

「……森の、中?」

 

 そう、森だ。

 暗く陰鬱な森ではなく、木々の隙間から光が差し込む明るい森。

 小鳥の鳴き声でも聞こえて来そうな空気だ。

 いきなりの変わりように驚いたが、すぐに気が付く。

 この森は、あくまで見た目のみそう整えられているだけのモノだと。

 まぁ、当たり前っちゃ当たり前だ。

 オレは未だに魂の状態で、ここはヘカーティアの内的世界。

 見えるものは全部、単に「そう見えるよう再現された」だけに過ぎない。

 言ってしまえば仮想現実みたいなものだ。

 

「……オイ?」

 

 と、さっきまでいた幽霊の気配がどこにもない。

 気付いたので一応呼びかけてみたが、応答はなかった。

 声には出さず、胸の内で十を数える。

 気持ちゆっくりめに、一から最後の十まで数え終えて。

 

「……チッ、何処行きやがったんだ?」

 

 結局、何のリアクションもない。

 逃げたのか、それとも別の理由があるのか。

 分からない。

 分からないから、今は考えないでおく。

 予想が正しいのなら、この場所がオレの目的地のはずだ。

 

「行くか」

 

 覚悟を決める。

 さっきまでは何の妨害もなかった。

 しかし《奇跡》を取り返すため、ヘカーティアの本質に迫っている。

 流石にそろそろ干渉があっても不思議じゃない。

 そうなった場合、今のオレに抗う術はあるかどうか。

 

「……ま、出たとこ勝負だな」

 

 がんばれば何とかなる――とまでは思わないけどな。

 進む。進み続ける。

 草木の匂いとか、手や足に触れる感覚。

 まるで本物の森を歩き回っているようだった。

 生き物の気配はまるでないので、偽物なのは明白だけど。

 

「何か、過去の記憶とかを再現した場所なのかね」

 

 ふとそんな事を考えつつ、ひたすらに前へと進む。

 正しい方角に進んでるのかとか、そんな疑問は抱かない。

 兎に角歩き続ければ、何かしら目的に繋がる物とぶつかるはずだと。

 そう考えて――。

 

「……何だ?」

 

 立ち並ぶ木々を抜けると、不意に視界が開けた。

 仮想現実として構築された森の中。

 その場所にだけは木々はなく、空白を埋めるように一つの泉があった。

 大きくはないが小さくもない。

 そんな曖昧なサイズで、水は酷く綺麗だった。

 水深は、少なくとも見た目上はそこまで深くはない。

 そして、その泉には。

 

「人……?」

 

 誰かが、横たわっていた。

 胸から下ぐらいを水に浸して、その上はほとりに。

 まるで眠るように横たわっているのは、一人の男だ。

 その姿には見覚えがあった。

 

「《爪》――いや、違う。そうか」

 

 死ぬ直後ぐらいに見た記憶のある、黒髪の青年。

 一瞬身構えかけたが、勘違いにはすぐに気が付いた。

 あの《爪》と同じ姿ではあるが……違う。

 もう少し距離を詰めて、眠る相手の姿を観察する。

 良く見れば、その身体には幾つかの「欠け」があった。

 生身の欠損とは異なる。

 本当に、パズルの一部分だけが「足りない」みたいに身体が欠けている。

 近付いても、眠る男は反応を示さない。

 いや……眠っているというよりは、死んでいる、か。

 

「……コイツが、『アカツキ』か」

 

 此処までオレが出会って来た模造品とは違う。

 ヘカーティア自身が取り込んでいるという、「本物のアカツキ」。

 大昔、狂った恋人を救うために我が身を犠牲にした男。

 ここにいるのは、その砕けてしまったはずの魂なのだろう。

 ところどころ欠損してしまった亡骸は、酷く穏やかな顔をしていた。

 

「死人に文句を言いたくはないけどな。

 アンタの自己犠牲で、当の恋人はすっかりおかしくなっちまってるぞ」

 

 呟く声に、当然アカツキの屍は応えない。

 ……犠牲になる側は良いよな。

 それでやり切っちまえば、後のことを考える必要はない。

 結局、大変なのは残された側だ。

 そういう意味じゃ、ヘカーティアの事は少しぐらいは同情しても良い。

 

「まぁ、殺された借りは絶対に返すけどな」

 

 少なくとも、一発は殴らないと気が済まない。

 まぁ、それは良いとしてだ。

 

「……で、こっからどうするかだよな」

 

 本物のアカツキの屍がある以上、此処が目的地と考えて間違いはない。

 大真竜ヘカーティア、その魂の本質。

 オレから奪った《奇跡》を利用しての、大陸をメチャクチャにしちまう計画。

 どうにかコレを妨害したいワケだが……。

 

「具体的にどうすりゃ良いんだ……?」

 

 その辺、あの幽霊野郎も何も言ってなかった。

 オレもとりあえず辿り着く事しか考えてなかったし。

 

「くそ、もうちょいフォローしっかりやれよ」

 

 今はこの場にいない幽霊に悪態を吐いて。

 とりあえず、その場の様子を観察してみた。

 見える範囲の森は静かで、泉はそれ自体が光を放ってるように煌めいている。

 静かだ、とても。

 生き物の気配も音も、何処にも感じられない。

 まるでこの穏やかな風景そのものが、横たわる男のための棺のようで。

 

「……ん……?」

 

 見ていて、気付いた。

 ほんの少しずつではあるけど。

 泉に浸されたアカツキの身体――その欠損が、じわじわと修復されていく。

 速度としては本当に遅々としたものだけど。

 

「……そうか、そうだよな」

 

 ヘカーティアの目的は、砕けてしまった恋人の魂を蘇生させる事。

 その現物こそがこの死体で、作業は今も進行中だ。

 泉に見えるコレこそ、あの光の嵐と繋がっている中心か。

 つまり、オレがやるべき事は……。

 

「……よし」

 

 絶対にヤバいという確信はあった。

 確信はあったが、此処まで来た以上はやるしかない。

 未だにオレへの干渉がない辺り、ヘカーティアもよっぽど余裕がないのか。

 まぁ、こっからもっと無くなるだろうけどな。

 

「悪いな、アンタ。手荒くはしたくないけど」

 

 聞こえてないとは知りつつも、一応声を掛ける。

 まだ泉には触れないよう注意しつつ、横たわるアカツキの方へと近付く。

 動かない身体を、軽く爪先で触れてみる。

 反応はない。

 周囲に変化もない、今はまだ。

 であれば。

 

「さぁ、これでどう出るよヘカーティア!」

 

 アカツキの腕をしっかりと掴んで。

 オレは大きく声を上げながら、泉から死体を引っ張り上げる。

 重さは殆どなく、その身体はアッサリと水面から引きずり出せた。

 水から死体が完全に離れた、その瞬間。

 凄まじい嵐が、森全体を揺さぶるように吹き荒れた。

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