第五章:獣は哭き、人は竜と踊る

78話:ウサギの小道

 

 暗い穴の中を、只管に転がり落ちて行く感覚。

 アウローラ達の偽物を倒して、そんで出口らしい穴に俺達は飛び込んだ。

 それからこんな具合に、何もない闇の中を落下し続けている。

 上下左右が理解の外に吹っ飛んでから随分経つ気がする。

 まぁほっとけば何れどっかに到着するだろうと、そう楽観していたが……。

 

「いつまで続くんだコレ??」

「アンタはホント……!

 考え無しもいい加減にしなさいよ……!?」

 

 いつの間にやら、俺の近くにブリーデの姿があった。

 こっちもこっちでジタバタと藻掻きつつ、俺と同じく落下しているようだ。

 悪夢エリアを抜けたと思ったら、今度は無限に落ち続ける穴とは。

 実際どうしたもんかコレ。

 

「何か分かるか? ブリーデ」

「それ今聞く……!?

 て言うか、私だって此処の事を全部知ってるわけじゃないわよ!?」

「ふーむ、そうかぁ」

 

 まぁ言われてみればその通りだよな。

 しかしこっちも先を急いでる。

 このままずっと落下し続けるというわけにはいかない。

 とりあえずは地面だ。

 いやこの場合は床でもいいが、兎に角どっかに両足をつけたい。

 そんで前に進めなければ何も始まらないからな。

 

「……お?」

 

 そう考えた矢先に、足の裏を押し返すような感触が生じた。

 ついさっきまでの浮遊感が消えて、俺は暗闇の中を両足で立っていた。

 地面に落ちたとか、そういう衝撃は無い。

 本当に気付いたら床に上に立っていたとか、そんな感じだ。

 

「ふぎゃっ」

 

 と、俺の直ぐ傍にブリーデがべちゃっと落ちて来た。

 それからジタバタし始めたので、とりあえず助け起こす。

 ふーむ、理屈はよく分からんが。

 

「俺が『』って考えたから、地面が出来たのか?」

「……多分、そうでしょうね。

 さっきまでとは違うけど、此処もバンダースナッチの夢の領域。

 ただ闇雲に進むだけじゃ、恐らく辿り着けないのよ」

「成る程なぁ」

 

 やっぱり面倒だな此処。

 しかし考えただけで状況が変化するなら、同じ要領でやれば良いのか?

 とりあえず悩むぐらいなら試してみよう。

 先ず、このままじゃあ歩き辛いし……道だな、道が欲しい。

 なるべく強くそう考えると、石畳の道が俺達の前に速やかに現れた。

 闇の中でもハッキリと浮き上がり、彼方まで延々と伸びている。

 

「こんな感じで良いか?」

「……まぁ、良いんじゃないかしら?

 普通はもうちょっと手間取ると思うけど」

「そうか?」

 

 何にせよ、これで暗闇を彷徨い歩くよりはマシだろう。

 俺が出来たばかりの道に踏み出すと、ブリーデもそれに続く。

 今までフワフワしていたせいで、硬い石の感触が何となく落ち着く。

 まぁ問題は此処からだ。

 

「……で」

「はい」

「この道、何処に続いてるわけ?」

「分からん」

「ちょっと???」

 

 いやだって、ホントに何処をどう行けば分からんし。

 何かしらイメージすれば、この闇では実際に反映されるっぽいが。

 じゃあこっからどうするかだ。

 

「出口を想像するとかじゃ駄目なの?」

「一応試しちゃいるんだが、無理っぽいな。

 此処の出口がどういうモノなのかとか、俺が良く分かってないし」

「そこは何とかならないわけ??」

「ふわっとし過ぎててなー」

 

 だからこの道も、今のところ無意味に伸び続けているだけっぽいな。

 まぁ道を進んで行けばいずれ到着するだろ……と考えたが、なかなか難しい。

 その「いずれ」が何時まで掛かるじか分からんし。

 逆に余計な事は考えない方が良いかもしれん。

 

「このまま無駄に歩いても仕方ないと思うんだけど。

 何かないの?」

「そういうブリーデさんは何か思いつかん?」

「何って言われても……何だろう……」

「うーむ」

 

 そんな具合に、暫し思考の堂々巡りは続く。

 俺達のその状態を表すように、石畳の道も延々と伸び続ける。

 こんな場所で足踏みしている暇は無いんだが。

 

「一番底の地下墓地まで辿り着ければ良いんだけど……」

「そういや、此処の事を『墓所』だとか何とか言ってたな。

 その地下墓地ってのはどんな場所だ?」

「言葉通りの場所よ。ただ、私も実際に行った事はないのよ。

 話として知ってるだけで。だから正確にはイメージ出来ないの」

「そうかぁ」

 

 そうなると、ブリーデに地下墓地まで「繋げて貰う」ってのは無理か。

 現状では、俺達だけだと手詰まりっぽいな。

 だからってそれで終わりじゃどうしようもないので、頑張って頭を捻る。

 ブリーデが道を知っていれば一番だったんだが。

 

「道を知ってる奴がそこらへんにいたりしないかなぁ……」

「いやいや、そんな都合の良い話があるわけないでしょ」

「やっぱそうだよなぁ」

 

 我ながら馬鹿げた事を口にしてしまったな。

 じゃあ現実逃避をしてないで、もっと別の方法が無いかを……?

 

「……ん?」

「? どうしたの?」

「いや、アレ」

 

 真っ黒い闇と、石畳の道。

 その上を歩く俺とブリーデ、それだけしかないはずの空間。

 其処にいつの間にやら別のモノが紛れ込んでいた。

 俺達の進行方向、道の上に座っている白っぽい何か。

 それはウサギだった。

 多分、標準的な見た目の白い毛のウサギ。

 ソイツは一匹だけで俺とブリーデの事を見ていた。

 その眼からは知性のようなものが感じられる。

 

「……そういえば、出くわした人間の首を狙う凶暴なウサギの魔物がいるとか……」

「変な事を口に出さないで貰える???」

 

 いや、ついつい思い出して。

 しかし首狩り兎ヴォーパルバニーも見た目はただのウサギと変わらんという話だ。

 こんな場所で一匹だけいるウサギとか、警戒はした方が良いだろう。

 とりあえず俺の方から慎重に近付くつもりだったが。

 

「……大丈夫よ」

「ブリーデ?」

 

 俺の後ろで、ブリーデが呟くように言った。

 その声は静かだったが、何かしらの強い確信が込められていた。

 

「あのウサギは、無害よ。

 むしろ私達の助けになってくれるはず」

「本当か?」

「こんな状況で、嘘は言わないわよ」

「そりゃそうだな」

 

 では遠慮なくウサギの方へと向かう。

 ある程度まで接近すると、ウサギは道の上をピョンと跳ねた。

 そしてそのまま先へと進んで行く。

 

「……付いて来い、って事か?」

「多分ね。見失わないように急ぎましょう」

 

 促すブリーデの言葉に頷き、俺はウサギの後を追う。

 なんというか、御伽噺の一場面シチュエーションみたいだな。

 ウサギの足は素早く、うっかり油断すると見失いそうになる。

 そうならないよう注意して、追いかけっこは暫く続く。

 

「……ん?」

 

 先を走っていたはずのウサギが足を止めていた。

 こっちも速度を緩めて近付く。

 ウサギが座ってる辺りで石畳の道は途切れていた。

 その途切れた場所も、他と同じように黒い闇にしか見えなかったが……。

 

「穴……?」

「穴だなぁ」

 

 怪訝そうにブリーデが言う通り、其処には「穴」があった。

 暗い闇に穿たれた黒い穴。

 それ自体は、俺達が此処に入るのに使った穴と良く似ていた。

 違いがあるとすれば、そのサイズか。

 

「流石に小さ過ぎない??」

「ウサギ一匹でギリギリよね、これ……」

 

 正に言葉通りの「ウサギの穴」だ。

 俺に比べても小柄のブリーデだって、手足を折り畳んでも無理だろう。

 例のウサギは何も言わず、ただその穴の傍に座っている。

 その様子から、此処が出口なのは間違いないはずだ。

 最後の問題は、この穴をどう通るか。

 

「これ、このままじゃ入れないわよね……?」

「気合い入れれば何とか……?」

「気合いだけで全部通すのやめない??」

 

 駄目出しされてしまった。

 しかしそうなると、取れる手段は一つだな。

 その為に、俺はとりあえず剣を抜いた。

 

「ちょっと、レックス? 一体何するつもり?」

「広げる」

「はい?」

「だから、穴を広げようかなと」

 

 このままじゃ狭くて通れないわけだし。

 だったらがんばって広げれば何とかなるかもしれない。

 我ながら論理的な結論だと思う。

 何故かブリーデさんには呆れた顔をされてしまったが。

 

「ええと……それで何とかなりそう……?」

「信じれば床や道が出来る場所だしな。

 頑張れば何とかなるだろ」

「それは……確かに、そうかもしれないわね」

 

 どうやらブリーデも認めてくれたらしい。

 ウサギの横辺りに座り込んで、こっちの作業を見守る構えだ。

 これは期待されている、と考えて良いか?

 それに応える為にも、俺は早速ウサギの穴に剣の切っ先を突き立てる。

 感触としては硬い土ぐらいのイメージ。

 これなら何とかなりそうだな。

 

「悪いがちょっと待っててくれ」

「ええ、大丈夫。むしろ任せきりで悪いわね。

 ……信じるとか、そういうの。

 私はどうも苦手だから」

「まぁ出来る奴が頑張れば良いさ」

 

 沈んだ様子のブリーデに、俺は軽く言っておいた。

 どの道、付き合わせてるのはこっちの方だしな。

 だったら俺が頑張るのが道理だ。

 ガリガリと剣で掘り進めている間、ブリーデは無言。

 傍らのウサギと二人(?)で、穴を掘る俺の様子を見ていた。

 

「なぁ」

「? なに?」

「そっちのウサギって知り合いなのか?」

 

 何となく、流れる空気の感じからそんな気がした。

 思い付きの当てずっぽうだったんだが。

 

「……そうね。今はこんなナリだけど。

 立場で言うなら、私の『弟』だった奴よ」

「マジか」

 

 ブリーデの弟って事は、アウローラの兄弟?

 しかしそうなると、ウサギに見えるコイツは実は竜って事になるのか?

 確かに畜生にしては頭も良さそうだけど。

 思わず首を傾げている俺に、ブリーデは少し笑った。

 

「正確には、その残滓よ。

 殆ど意識も残っていないでしょうに、未練があるからしがみ付いてる」

「良く分からんなぁ」

「馬鹿な男がいたって話よ。何も選べず、全部失って。

 自分が死んだ後も、諦めきれずに悪夢を彷徨ってる」

 

 そう語るブリーデの声は、酷く悲し気だった。

 傍らのウサギに触れようと指を伸ばし――直ぐに引っ込める。

 躊躇う彼女の仕草を、ウサギは黙って見ていた。

 ブリーデはそっと目を伏せ、視線が重なるのを避ける。

 

「……ごめんね。私は何も出来なかった。あの時も、今も」

「……ふむ」

 

 呟くブリーデの言葉を聞きながら、俺は小さく唸った。

 何やら込み入った事情があるらしい。

 自分の事すらようやく思い出して来た俺に、言える事なんて無いだろうが。

 それでも確かな事が幾つかある。

 

「難しい事は、とりあえず此処を抜け出してから考えりゃ良いさ」

「……随分、気楽に言ってくれるわね」

「まぁ他人事ではあるしな」

 

 過去に何があって、どう今の結果があるのか。

 俺は知らないし、知ったところでどうしようも無い事だろう。

 第一、それを考えるのは俺の役目じゃない。

 ただ、言える事としては。

 

「俺は諦めるのも何も、死ぬ寸前にすれば良いと思ってたが。

 そっちのウサギは、死んでも諦めて無いんだよな? 凄い話だ」

 

 未練の中身は知らなくとも、それが簡単で無いのは分かる。

 人間なら基本、死んだら終わりだ。

 だから死ねば諦めるしかない。

 死が遠い竜ならば、あり得ない話じゃないだろうが。

 それでも諦めずにいる事は、紛れもなくソイツ自身の意思だ。

 それは本当に凄い話だと、俺は素直に感心した。

 

「…………」

「? どうした?」

「いや――なんでも、無いけど……」

 

 何故か絶句してしまったブリーデ。

 その表情は複雑で、感情を推し量るのは難しい。

 傍らのウサギは、何故だか笑っているような気がした。

 穴を広げる作業は何だかんだと順調だ。

 

「……で」

「え?」

「そのウサギ、俺達に何かして欲しいんだろ?

 だから道案内もしてくれた」

「……それは」

 

 諦めていないウサギにとって、それが出来る事だったんだろう。

 自分じゃどうしようもないから、どうにか出来る奴を誘う。

 それが先へ進む道に繋がるなら俺は乗っかっても良い。

 ブリーデは迷った様子で暫し視線を泳がせる。

 それから、躊躇いがちに口を開いた。

 

「……この先の地下墓地に、真竜バンダースナッチがいるわ」

「おう」

「ウサギ……『彼』は、それを止めて欲しいみたい。

 此処で繰り返される悪夢から、『彼女』と『娘の心』を解き放って欲しいって」

「分かった」

 

 頷く。

 細かい事は置いて、真竜を倒せば良いって事だな。

 それなら俺の目的とも重なる。

 ブリーデは呆れと焦りが同居した様子で、作業中の俺に詰め寄った。

 

「簡単に言うけど、勝てると思ってるの……!?

 狂った《始祖》が《古き王》の魂を取り込んだ真竜なのよ!

 バンダースナッチは!」

「強そうってのはまぁ分かった」

「なら……!」

「けど、それをどうにかするのがそっちのウサギの頼みだろ?」

「それは……そうだけど……」

 

 真竜を殺すのはこっちの予定でもある。

 それにウサギのおかげで、この謎空間から脱出するめども立った。

 なら、そのぐらいの頼みは聞かないとな。

 

「アンタ、どれだけ命知らずなのよ……!」

「そんなつもりは無いんだけどなぁ。

 それにしくじったら死ぬだけなのはいつもの事だし」

「そんな刹那的な生き方じゃ早死にするわよ!?」

「まぁ実際死んだしな、俺」

 

 人間、一回死んだぐらいじゃそう変わらないらしい。

 別に死に急いでる気も生き急いでる気も無いんだが、なかなか人生は難しい。

 それはそれとして、穴の拡大作業もぼちぼち終わりそうだ。

 下へと掘り進めていく内、気付けばウサギの顔が目線の高さまで来ていた。

 

「期待に応えられるかは分からんが、やれるだけはやってやるよ」

「――――」

 

 一応声をかけてみたが、当然ウサギは言葉を喋らない。

 コイツは見た目がウサギだけっぽいが、やはり何も言う事はしなかった。

 ただ何となく、頭の中に直接伝わるものがあった。

 

「……ん? テレサとイーリスが既にいる? マジか」

 

 しかも真竜と遭遇済みとか地味にヤバい奴だな。

 穴を掘る手に更に力を込める。

 剣の切っ先が穴の底を抉ると、其処から微かな光が漏れ出す。

 あと少しだな。

 

「なぁブリーデ」

「んっ、な、なに?」

「いや、この先絶対ヤバいしこのまま残るか?」

 

 ウサギが弟らしいので、置き去りって事にもならんだろう。

 一応、確認するつもりで聞いてみた。

 

「……今さら、そんなの聞かないでよ。

 人を此処まで引っ張り回しておいてさ」

「それに関してはホントに悪かった」

「まぁ……でも、私もいい加減腹を括るべきなんでしょうね。

 アンタほど、軽くは考えられないけど」

 

 呆れたような、困ったような。

 何とも言えない具合にブリーデは笑った。

 それからウサギの傍を離れると、俺の方に手を差し出した。

 

「最後まで付き合うわ。それで何が変わるか分からないけど」

「俺もそれについては何も言えんが、まぁ何とかなるだろ。多分」

「適当言って」

 

 ブリーデは笑い、俺も少し笑った。

 伸ばされた手を軽く掴んで、離れないようしっかり握る。

 そして穴の底、光の漏れ出す亀裂を見た。

 片手で剣を振り上げて、一息。

 

「行くぞ」

 

 その場にいる全員にそう宣言して。

 俺は穴の底を突き崩し、薄暗い石造りの広間へと落下した。

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