254話:大淫婦バビロン


 黒く塞がれた空と地の間。

 俺はアウローラと共に、真っ直ぐに駆け抜ける。

 目指すは地の底から這い上がったバビロン。

 今や全てを呑み込まんとする古の怪物。

 巨大な本体の動きは決して早くはなく、むしろ鈍重ですらある。

 ただ――。

 

「ちょっとデカ過ぎるだろ」

 

 思わず呟く。

 距離が縮まるほどに、その非現実的な大きさを実感する。

 これまで戦った真竜も、大抵は人間より遥かにデカい化け物だった。

 しかし、今回はちょっと桁が違う。

 都市そのものが動いたら、こんな威圧感だろうな。

 アウローラの魔力で宙を飛び、俺はそのまま刃をバビロンの腕に当てる。

 斬り裂く感触は、重い水を叩いているような。

 竜殺しの刃は、殆ど抵抗なくバビロンの肉を裂いた。

 裂いた、が。

 

「――ヤバいな、これ」

「予想通りね」

『そんな冷静に言ってる場合ではないと思うぞ、長子殿』

 

 反応は三者三様。

 俺の剣は間違いなく、バビロンの肉を斬り裂いた。

 けれどそれは、その巨大さと比較すればほんの小さなひっかき傷程度。

 それすらも、刻んだ瞬間に肉が寄り集まって塞がれてしまった。

 ……これ、剣で幾ら叩いても無駄なのでは。

 その懸念は正しいようで、アウローラは苦い表情を見せる。

 

「恐らくだけど、バビロンは《巨人》の肉を取り込んでる」

「《巨人》?」

「本当なら、この大陸にはいないモノよ。

 愚かな父が、古竜より以前に創造した『不死なるモノ』。

 魂が不滅である古竜とは異なり、巨人はその血肉が不滅だった」

『……我も《巨人》については良く知らぬ。

 が、血肉が不滅となると……』

「ええ。《巨人》は死なない、殺せない。

 物理的に滅ぼす手段が存在しないの」

 

 無茶苦茶なことを言われてしまった。

 《巨人》、というモノは俺も聞いたことはないが。

 アウローラの言葉が真実なら、どうやって倒せば良いのか。

 その疑問に対しても、アウローラはすぐに応じた。

 

「《巨人》は殺せない。

 けど、《巨人》は失敗作だから大陸の外に打ち捨てられたの。

 彼らの血肉は確かに不滅だったけど、魂が不滅ではなかったから」

「? どういうことだ?」

『……肉の在り方は、魂によって影響を受ける、か?』

 

 ボレアスが、微妙に難しいことを言う。

 それに返事をする前に、アウローラが魔力を操作した。

 加速。空気の抵抗などは殆ど感じない。

 それもアウローラの魔力で軽減して、俺達は空を飛ぶ。

 バビロンの髪から変化した無数の蛇に似た竜の首。

 それらが獲物を求め、こちらに向けて伸びて来た。

 ぱっと見ただけでも軽く二十以上。

 瞳を赤く燃え上がらせ、不気味に濡れる牙が俺達を引き裂かんと殺到する。

 その隙間を、放たれた矢のように貫いていく。

 

「《巨人》の血肉は不滅! 如何なる外的要因でも死なない、朽ちない!

 けど今のバビロンには、肉体を器としている魂がある!」

「つまりっ!?」

『肉は幾ら削ろうと無駄だ、故に核となっている魂を叩く他ない。

 魂を失えば、アレはただの巨大な肉の塊に過ぎん』

「私が説明してたんですけど……!!」

 

 成る程、それならば分かりやすい。

 核――魂さえこの剣で斬ってしまえば良い、と。

 話そのものは簡単になった。

 難しいのは。

 

「……で、魂ってアレのどの辺にあると思う?」

 

 巨大な、という言葉ですら足りないほどに巨大なバビロンを指す。

 いやマジで、アレの何処にあるんだろうな魂。

 

「……何とか、こう、ね?」

『いつか行きつくと信じて、兎に角削る他あるまい?』

「しんじゃう」

 

 馬鹿な俺でも、流石にそれが無謀なことぐらいは理解できる。

 とはいえ、実際やるしかないんだけども。

 などと考えている間も、バビロンの蛇は俺達を追い続ける。

 デカ過ぎて動きの鈍い本体とは違い、こっちの方は風のようだ。

 だが、アウローラの飛ぶ速度は風を置き去りにする。

 複雑な軌道を宙に描き、牙の群れを鮮やかに躱していく。

 勿論、こっちもただ見てるだけじゃない。

 

「斬る分には、難しくないんだけどな……!」

 

 蛇の首を、すれ違いざまに剣で斬り裂く。

 こっちも大概デカいんだが、頑張れば切断できない程じゃない。

 試しにチマチマと削り飛ばし、バビロンの反応を伺う。

 もしかしたら、多少なりともダメージになるんじゃないかと期待したが……。

 

『――逃げ回っても、無駄よ』

 

 変化無し。

 まぁ髪の毛を何本か切って、痛がる人間はいないわな。

 明確な敵意と、それ以外の複雑な感情。

 バビロンは、燃える眼差しで俺達を捉えていた。

 

『絶対に、逃がさない』

 

 その声には、圧倒的な意思と力が込められていた。

 瞬間、凄まじい衝撃が全身を叩いた。

 

「なッ……!?」

 

 一体何をされたのか。

 直ぐには理解できなかった。

 まるで、目には見えない巨大な鉄槌ハンマーでブン殴られたような。

 そして衝撃は一度ではなく、二度三度と襲い掛かって来る。

 防ごうにも、先ず何にどっから殴られているのかも分からない。

 その瞬間も無数の蛇は牙を剥いて四方から殺到する。

 

『死んではいないか、竜殺し!』

「まだ、何とかな……!」

 

 頭に響くボレアスの声に応じながら、剣を閃かせる。

 迫って来た蛇の顔面を断ち割り、別の蛇には《火球》を至近距離で叩き付ける。

 爆発。撒き散らされる炎は、目くらましも兼ねていた。

 どれほど有効かは不明だが、ないよりはマシだろう。

 アウローラは、周囲に纏う魔力を強めてバビロンの方を睨んだ。

 当のバビロンは笑っているようにも見える。

 

『さぁ、砕けなさい――!』

「何度も同じ手を喰らうと思うな……!」

 

 バビロンの嘲笑と、アウローラの叫びが重なる。

 ほぼ同時に、周囲の大気が震えた。

 まるで目の前でデカい雷が弾けたみたいに。

 何もないはずの空間に、無数の波紋が走るのが見えた。

 

「何だこれ!」

「空間振動よ!

 魔力で満たした空間そのものを激しく揺さぶってる!

 今のは何とか相殺したけど……!」

 

 理屈は分からんが、厄介な攻撃ではあるらしい。

 確かに、さっきみたいなのを何度も喰らったら堪らない。

 アウローラがどうにか防いだようだが、そう何度もは厳しいだろう。

 俺もそうだが、アウローラは万全とは言いがたい。

 これまでずっとバビロンに取り込まれていたのだから、それは当然か。

 ボレアスも、剣に戻った事で調子は出てきているようだが……。

 

『厳しそうだな』

「そう言うそっちはどうだよ」

『ここに来るまで、我ながら随分と無茶をしたのでな」

「それに関しちゃ悪かったよ」

 

 やはりキツいのは間違いないらしい。

 対して、バビロンの方はひたすら圧倒的だ。

 大真竜であるゲマトリアと同等か、下手すると上回る強大な魔力。

 《巨人》とかいう化け物から得た不死身の肉体。

 仮に消耗無しの状態で戦ったとしても、恐らく過去最強に厄介な相手だ。

 

「……ぶっちゃけジリ貧だな」

「っ、その通りだけど、どうしましょうね……!」

 

 空間を揺さぶる攻撃。

 それがまた何度か弾け、アウローラの魔力が衝撃を阻む。

 無限無数に襲って来る蛇は、こちらが剣で薙ぎ払ってはいるが。

 ジリ貧だ、どうしようもなく。

 であればどうするか。

 

「――やっぱ、突っ込むしかないか」

「……まぁ、離れて戦っても削られるばかりなのはそうだけど……!」

『結局のところ、前に進む以外に活路は無いか。

 どうせこのまま続けてもすり潰されて終わりなら、やるしかなかろうよ』

 

 必死の形相のアウローラに、剣の内でゲラゲラと笑うボレアス。

 どちらに対しても頷いた上で、俺は柄を握る手に力を込める。

 突っ込むのさえ、バビロン相手では容易くない。

 未だに身体の下半分を大穴に埋めているため、バビロンの位置は不動だ。

 しかしその巨体と、際限なく生え続ける大量の蛇の頭。

 そして声だけで任意の空間を爆砕する攻撃。

 天変地異、なんて比喩さえ生温い。

 

「悪いが、突っ込むまでは任せた」

「それは良いけど、そこからどうするの?」

「がんばる」

 

 それが、俺にできることの全てだった。

 結局のところ、それに関してはいつもと変わらない。

 だからアウローラも、呆れ混じりに笑うだけ。

 

「……私も、正直長くは持たせられないから」

「なんならゲマトリアの時と同じ感じにやるか?」

「アレは後が物凄く大変だから、本当に最後の最後の手段にしたいわ」

『まぁ、竜殺しが復帰するだけでも相当に時間が掛かったからな』

 

 俺と剣の中にある力を、一時的にアウローラに移す。

 ゲマトリアと戦った時に使った切り札だが、やっぱりキツいか。

 まぁ、選択肢の一つとしては考えておこう。

 その手を取るのは、やれるだけの事をやってからだ。

 

「それじゃあ、行くわよ――!」

 

 そのアウローラの一言と共に、俺は身構える。

 今も荒れ狂い続けるバビロンの攻撃。

 それのど真ん中へと向けて、俺達は飛んだ。

 

『そんなに抱き締めて欲しいのなら――』

 

 笑う。バビロンは笑っている。

 愛する者を迎え入れる仕草で、その両手を広げる。

 

『ええ、望み通りにしてあげる。

 ――あなたに安らぎを、愛しい人』

 

 いっそ、優しげな響きさえ伴って。

 囁くバビロンの声。

 直後に襲って来た衝撃は、これまでの比ではなかった。

 

「ッ…………!!」

 

 アウローラは歯を食い縛り、バビロンの放つ嵐に堪える。

 さっきまでは加減していたのだと、そう理解せざるを得ない。

 空間を打ち砕く不可視の鉄槌。

 それがあらゆる角度から、絶え間なく押し寄せてくる。

 そして当然、自らの攻撃で自分の血肉を傷つけることはないらしい。

 荒れ狂う衝撃波の中だろうが、蛇の群れは平然と向かって来た。

 剣を振るどころか、顔を上げることさえ一苦労だが。

 

「ボレアス!」

『ハハハ、まさに地獄そのものだな……!』

 

 剣に呼びかけ、宿る竜の炎を引き出す。

 身体が千切れそうになりながら、俺は強引に刃を振り抜いた。

 広がる炎は、俺達を取り囲もうとしたバビロンの蛇を薙ぎ払う。

 直ぐに再生されるだろうが、僅かにでも空白は生まれる。

 そこを強引に突破し――また同様に、見えない嵐と蛇の群れが襲って来る。

 繰り返し、繰り返し。

 バビロンに辿り着くという、ただそれだけが凄まじい試練と化す。

 最早戦いとすら呼べない一方的な状況。

 それでも。

 

「あと、少し……!」

 

 永遠とすら錯覚しそうな僅かな距離。

 それを突きぬけて、俺達はバビロンに辿り着き――。

 

『――はい、ご苦労様でした』

 

 笑う声には、嘲りが含まれていた。

 辿り着き、先ずは一撃と刃を突き立てる直前。

 バビロンの身体が、ほどけた。

 何が起こったのか。

 頭で考えるよりも、直感で理解する。

 ――今のバビロンを形作っていたのは、あの黒い泥のようなモノだ。

 つまり、元々バビロンに決まった形などなかった。

 俺達の目の前で、嘲笑うようにバビロンは渦巻く汚泥の海へと変わる。

 幾ら剣を振ろうとも、形が定かでないものは斬りようがない。

 誘い込まれたと、そう察した時点で手遅れだった。

 

『さぁ、抱き締めてあげましょう』

 

 空間そものから響くような、バビロンの声。

 四方から押し寄せる黒い波濤。

 俺達に抗う術はなく、再び闇が全てを呑み込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る