255話:天の庭の落日


 ……気が付けば、俺は見知らぬ場所に立っていた。

 見知らぬ――いや、本当にそうか?

 意識が微妙にあやふやで、自分というものが何ともハッキリしない。

 立ったまま夢を見ている心地で、見回す。

 そこは街中だった。

 美しい都だった。

 俺が知るどんな都市よりも大きく。

 俺が知るどんな世界よりも華やかだ。

 佇んでいる通りには、数えきれないほどの人々が行き交っている。

 家族、親友、恋人、もしくは見知らぬ誰か。

 あらゆる関係性の上で、彼らは隔てなく隣人と親しげに言葉を交わす。

 誰も彼もが幸せそうだ。

 そこに虚飾は一切存在しない。

 見えるもの全てが真実であると、俺は理解する。

 

「…………」

 

 とりあえず、突っ立ったままでもしょうがない。

 特に行くアテはないが、俺は歩き出すことにした。

 きっと、ボーっとしていても咎められることもないだろうけど。

 それはなんとも据わりが悪い。

 誰かの手を掴もうとして、指先は虚空を掻いた。

 隣には、誰もいない。

 けれど俺は、それを残念には思わなかった。

 きっとすぐに見つかるだろう。

 

「――やぁ、お兄さん。散歩かい?」

「今日は良い日だ。明日もきっと同じぐらい良い日だよ。

 だからどうだい? ちょっと一杯」

「ここらでは見ない顔だねぇ。新顔さんには特別に安くしとくよ!」

 

 歩いてるだけでも、人々は気さくに声を掛けて来た。

 優しく、満ち足りた笑み。

 俺はちょっと悪いと思いながらも、軽く手を振ってみせて。

 

「ありがとう。ただ、ちょっと人を探しててな。

 気持ちだけは貰っておくよ」

「そうかい、そりゃ残念だが仕方ない」

「お友達かい?」

「もうちょっと深い仲かな」

「ハハハ、そりゃ良い。だったら待ち惚けさせないようにな」

「あぁ、分かってる」

 

 笑い合って、言葉を交わす。

 互いに名前も知らない間柄での、他愛もない会話。

 それが酷く心地良いし、折角の誘いを断ったのも本当にすまなく思う。

 少しぐらいは立ち止まっても良いかもしれないが。

 後でバレたら、あまり良くはないだろう。

 名残惜しくはあるが、俺はもう一度手を振って別れを告げた。

 きっともう、二度と会うことのない誰かに。

 

「…………」

 

 そうして、俺はまた通りを進んで行く。

 どこもかしこも賑やかで、どんな祭りよりも活気がある。

 立ち並ぶのは、天を突く塔と見紛うばかりの高層建築の群れ。

 その中にもまた、星の数ほどの人々が行き交っている。

 通りを行くのは人間だけじゃない。

 亜人種――果ては、魔物扱いされるような闇人ダークワンの姿も珍しくない。

 誰もが平等に、この繁栄を謳歌していた。

 誰もが平等に、望むだけの幸福を手にしていた。

 それを否定するような言葉は、俺の中には出て来なかった。

 ここには間違いなく、永遠があった。

 

「……アレか?」

 

 視線を彷徨わせると、すぐに見えてくる。

 背の高い建物が並んでいるから、ちゃんと見つかるか心配だったが。

 それらよりも遥かに高い――それこそ、空を貫かんばかりの巨大な塔。

 俺はそれが何であるかを知っていた。

 

「《天の柩ナピシュテム》」

 

 覚えている姿とは、細部が異なる気はするが。

 間違いなく、その塔こそが《天の柩》。

 この地上の全てよりも美しい都――《天の庭バビロン》の中心。

 俺は、そこに向かわねばならなかった。

 理由は――何故か、ハッキリと頭には浮かんでこない。

 だから、とりあえず俺は歩くことにした。

 

「おはよう、今日も良い日だね」

「大いなる母よ、愛しきバビロンよ。どうか今日も良き日であることを」

「今日も良い日なら、明日もきっと良い日だよ」

 

 そうやって、どれだけ歩いただろう。

 道行く人々に挨拶をして、別れを告げて。

 俺は迷わず進み続ける。

 徒歩だとどうにも遠いが、まぁ仕方がない。

 通りを行く車とか、或いは頭上を行き交う空飛ぶ船だとか。

 そういうのが使えるのなら、もっと早いんだろうけど。

 何となく、そういうものを使う気分でもなかった。

 いや、そもそもどうすれば乗れるかとか分からんわけだけど。

 

「良い街だな」

 

 誰に語るワケでもなく、俺は自然とそう呟いていた。

 《天の庭》、それは永遠なる都。

 大いなる竜の愛に抱かれた、大陸で最も繁栄した王国。

 ――それがもう、本当ならこの世にないことを俺は知っていた。

 目覚めたばかりであやふやだった意識は、歩いている内に大分ハッキリしてきた。

 最初は意識していなかったが、手元に剣がないことにも気付く。

 気付いたが、俺はそれも気にしなかった。

 剣を手放しているはずなどないからだ。

 だから今は、行くべき場所へと向かうことにする。

 

「……これ上るのか?」

 

 間近で見た《天の柩》は、本当にデカかった。

 デカいという言葉では、まるで足らないぐらいに。

 頑張って首を反らして見上げても、天辺は雲の向こうに霞んでしまっている。

 ……どこまでかは知らんけど、これを徒歩で上るのか?

 

「マジで?」

 

 思わず呟くが、応える者はいない。

 あれだけ溢れていた人々も、この《天の柩》の周りには一人もいなかった。

 神聖な空気さえ漂う、この《天の庭》の心臓部。

 大きく分厚い扉は、俺を招き入れるように口を開いていた。

 まぁ、こうなったら仕方ない。

 覚悟を決めて中へと入る。

 外見も十分立派な塔だったが、中もまた一段と美しい。

 人間の手からなるものとは異なる、綺麗な装飾と華やかな内装。

 芸術とかに疎い俺ですら、素直に感心してしまう。

 まぁ、くっそ長い階段を見たら微妙に気分が悪くなったが。

 仕方ないと、そこに足を踏み出して――。

 

「お?」

 

 俺が両足を乗せた時点で、階段の方が勝手に動き出した。

 成る程、こういう仕掛けなのか。

 何十階、下手したら何百階も自力で上るのかと危惧したが。

 

「便利なもんだな」

 

 いや、ホントにありがたい。

 素直に感謝しつつ、階段の方が勝手に上がって行くに任せる。

 ただ、それでも目的の階層に辿り着くのは少し時間が掛かりそうだ。

 ボーっとしてるのも暇だな、と。

 なんとはなしに壁に視線を向けると、変化が起こった。

 さっきまではただの壁だったのが、硝子張りになったみたいに透明に変わる。

 窓が見当たらないな、とはちょっと思っていたが。

 

「成る程、こういう仕掛けか」

 

 高く、高く上がって行くほどに。

 美しい街の景色を見渡すことができる。

 人間はもう豆粒ほどで、殆どハッキリ見えないが。

 地平線を埋めつくすように広がる、永遠を約束された都。

 その全てを、俺は眺めていた。

 それは本当に、心底美しい光景だった。

 

「――どうでしたか? 私の《天の庭バビロン》は」

 

 暫しぼーっと見ていたが。

 不意に聞こえて来た声で、俺は意識を現実に引き戻した。

 いつの間にやら、勝手に動く階段は終わっていた。

 俺が立っていたのは、恐らくこの《天の柩》の最上層。

 何一つ遮るものもない、塔の天辺だった。

 恐ろしいほどに高い場所ではあるが、風は少なく穏やかだ。

 永遠の都を背景に、一人の女が立っている。

 見覚えのない――けれど、見知った相手だった。

 俺が知る黒髪の彼女は、もっと幼い見た目であった。

 今目の前にいるのは、その姿をもう少し大人にしたような印象だ。

 黒い装束ドレスを身に纏い、彼女は穏やかに微笑んでいる。

 

「初めて見たが、綺麗な街だな」

「そうでしょう? 都市の整備とか、本当に苦心したんですから。

 無秩序に増やしてしまうと、すぐにゴミゴミするので」

 

 素直な感想を口にすると、彼女は心底嬉しそうに頷いた。

 敵意は、欠片も存在しない。

 あるのは喜びと、穏やかな愛情だけだった。

 

「バビロン」

 

 だから俺は、躊躇いなくその名を呼んだ。

 彼女――バビロンもまた、驚きもせずにこちらを見た。

 

「これは夢なのか?」

「そう望むなら、永遠にすることもできる夢です」

 

 夢であることを、バビロンは否定しなかった。

 今見えているもの全ては、等しく泡沫に過ぎないと。

 彼女は認めた上で、それを否定するように首を横に振った。

 

「いいえ、いいえ。これは夢とは違う。

 今は泡沫でも、花開いた暁には現実の世界に出力される。

 全てが、かつてこの地に在ったものです。

 今はまだ、私の中で夢見る種子に過ぎないとしても――」

 

 愛を。

 幾万にも重ねた、純粋な愛情を込めて。

 バビロンは、眼下に広がる景色をその手で示した。

 

「望めば、全てが永遠になる。

 だから貴方にも、これを認めて欲しい。

 私の愛、私の全て。

 あらゆる人々を、私はこの理想郷で抱き締めたい。

 そのために、この《天の庭》はあるのだから」

「…………」

 

 偽りはなかった。

 《天の庭》の繁栄も、バビロン自身の愛も。

 何一つ虚偽はなかった。

 彼女の願いは、どこまでも純粋だった。

 ただ純粋に、愛した者達を幸せにしたいと。

 バビロンはそれだけを願っている。

 だからこそ、俺が言うべきことは少なかった。

 

「悪いな」

 

 返す言葉は短く。

 けれど、バビロンに過たずその意思は伝わった。

 ほんの一瞬だけ、彼女の表情が深い悲しみに染まるのが見えた。

 こればかりはちょっと胸が痛む。

 

「何故?」

「この《天の庭》が素晴らしい場所だってのは、十分に分かった。

 昔、俺が生きてた頃には直接見たことはなかったが。

 噂通り……いや、噂以上の都だ。

 きっと、遠い未来にだってこれより凄い街はそう無いだろうな」

 

 それは本心からの感想だ。

 本当に愛していたからこそ、人々の幸福を願った。

 それを形にする為に築かれた《天の庭》。

 素晴らしい以外に言葉もない。

 過去に消えたはずの美しい光景を見られた事は、素直に喜ばしかった。

 だからこそ、俺はバビロンの言葉には頷けない。

 

「なら、どうして」

「アウローラの奴が言った通りだ」

 

 その言葉が、バビロンに正しく届いているかどうか。

 それは分からないが、俺は俺の言葉を重ねる。

 

「昔にあった事が真実でも、この《天の庭》に在るのは過去だけだ。

 お前が一から、また新しい《天の庭》を作るっていうなら否定しなかった。

 だけど、お前が求めているのは『失われたかつての何か』だ」

「……それ、は」

「過去を捨てろだとか、そんなエラそうなことを言うつもりはない。

 俺だって、そんな説教垂れられるような身分じゃないしな」

 

 何せ、本来ならとっくに死んだはずの身だ。

 過去の何かという意味じゃ、俺もそう大差ないかもしれない。

 ただ、それでも。

 

「《天の庭》は失墜した――アウローラの奴が、言っていた通りだ。

 失った過去に縋りついて、今あるものから目を背けて。

 望まない奴まで食い潰すのが、お前の望んでる『愛』なのか?」

「…………」

 

 俺の言葉に、バビロンは応えなかった。

 永遠の都――既に滅びたはずの《天の庭》を背に、佇んだまま。

 俯き加減の表情は、俺からはハッキリとは見えなかった。

 どんな顔をしているのかぐらいは、想像は付いたが。

 

「……酷い人。言い難いことを、そんなズバズバ言って」

「あんまり、説教臭いこと言うのは好きじゃないんだけどな。

 ただ、言ってやらなきゃ悪いと思ったんだ」

「正直ですね。そういうところ、好きですけど」

「そうか?」

 

 そう言って貰えるのは、悪い気がしない。

 そんな俺の反応リアクションに、バビロンはくすりと笑った。

 

「……今、此処にいるのは貴方と一緒に旅をした『私』です」

「あぁ」

「だから、ですかね。貴方の言ったことは、理解できます。

 けど『総体』としての私は、きっとその言葉では止まれない」

「だろうな」

「何かが狂ってしまったんです。

 私も理性では、貴方の言葉が正しいと分かるのに。

 理由の分からない狂気が、私の望みを捻じ曲げようとする」

 

 語る声に混ざっているのは、恐怖だった。

 バビロン自身も分かっていない。

 自分が何故、狂った目的に突き動かされているのか。

 

「自分じゃ止められそうにないか」

「はい。本当は、止まるべきだと分かっているのに」

「じゃあ、こっちで何とかするわ」

 

 実際、それしかないだろうしな。

 その一言に、バビロンは少しだけ呆気に取られた顔をして。

 

「……そんな、あっさり言うこと? 幾ら何でも無茶苦茶な」

「いやでも、そのつもりで此処に呼んだんだろ?」

「まぁ、それも当然ありますけど!」

 

 笑う。バビロンは笑っている。

 その表情は、悲しげではあるが穏やかだった。

 ゆっくりと、日が沈むのが見える。

 夢の終わりが近いことを、俺達に報せている。

 

「なぁ」

「? はい」

「俺はレックスだ。

 まぁ、昔の名前は思い出せないんで、今名乗ってる名前になるんだけどな」

「――――」

 

 バビロンは、一瞬だけきょとんとして。

 すぐに微笑みを浮かべた。

 

「レックス」

「あぁ」

「私のことも、助けてくれますか?」

「がんばる」

 

 俺の方から約束できるのは、それだけだった。

 我ながら頼りない言葉だとは思うが、バビロンは気にしなかったらしい。

 微笑んだまま、しっかりと頷いて。

 

「がんばって。期待してるから」

「あぁ」

 

 それが、俺とバビロンの別れの言葉だった。

 いつの間にか手に握られていた剣を、躊躇いなく一閃する。

 斬り裂く手応えは、殆ど感じられなかった。

 夢が、かつてあったはずの《天の庭》が音を立てて崩れ去る。

 目覚めを告げる音は、鳴り響く鐘のように騒々しかった。

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