294話:灰色の亡霊
『――おい』
「…………」
『おい、いい加減に起きろよ』
「……?」
誰かが、呼んでいる。
それは聞き覚えのない声だった。
年若い少年にも、年嵩のいった老人にも聞こえる。
何もかもが曖昧であやふやだ。
……そもそも、そういうオレは誰だ?
『おい、しっかりしろよ。
……あー、まぁ人間だものな。
肉体がないと自己の認識も曖昧になるか』
誰かが何かをブツブツと言っている。
よく分からない。
そもそもお前は誰で、オレこそ誰だ?
分からない。
何も分からないし、何も見えない。
ふわふわと、判然としない意識だけが闇の中を漂ってる。
一体、オレは――。
『仕方ない、ちょっと荒療治だな』
と、誰かがぽつりと何かを呟いた。
――瞬間、痛みが全身を強く駆け巡った。
痛み。
そう、これは痛みだ。
強烈な電気が身体の中を駆け巡るような。
「いったっ……!!?」
『お、目が覚めた――ぶっ!?』
思わず、声のする方に拳をぶち込んでしまった。
いやマジで、くっそ痛かったんだけど。
いきなり何をしてくれてんだよコイツは。
腹立ちまぎれにもう一発ぐらいブン殴ろうとして――。
「……あ?」
気が付く。
さっきまで曖昧だった意識が、大分ハッキリして来た事に。
オレは――そうだ、オレは……。
「オレは……イーリス、だよな?」
そうだ、それがオレの名前だ。
どうして今までそんな事も忘れていたのか。
ふと、胸の辺りに鈍い痛みを感じた。
ハッとなって確認するが、そこには何もない。
……胸を、刺されて。
オレは確か、死んだはずじゃ……。
『死んでるよ。君は未だに死者のままだ、イーリス。
その認識は間違っていないよ』
「ッ……!?」
またあの声だ。
ハッとなってそちらを見る。
そこにいたのは、人型の「何か」だった。
「何か」としか表現のしようがない。
かろうじて人の形をしてる、という事は分かるんだが。
何故か、それ以上のことを認識できない。
正体不明の灰色の幽霊。
あやふやな姿は、いつぞやの「学園長」のことを思い出す。
ただ拳で殴った感触はあるので、実体があるのは間違いないようだ。
ソイツは――幽霊は、殴られた頭を軽く振ったようだった。
『しっかし、酷い奴だな君は。
今にも自我が拡散しそうなのを引っ張り上げてやったのに』
「……何だよ、お前は」
『なんでも良いし、誰でも良いさ。
君は俺が誰だか知らない、そうだろう?』
「……?」
ほんの少し。
ほんの少しだけ、頭の奥に刺すような痛みがあった。
その痛みが何であるのか分からない。
……そうだ、オレはコイツの声に聞き覚えはない。
覚えてない。
灰色の幽霊に、知り合いなんていない。
「……そうだな。オレは、お前なんか知らない」
『そうだとも。今はそれで良い。
そんな事より重要なのは、君のことだイーリス』
「オレ……?」
それこそ、良く分からない。
つーかオレは、コッペリアの奴に殺されたはずだよな?
そもそも此処は一体……?
「……なんだ、これ」
そう呟かずにはいられなかった。
改めて、オレは自分のいる場所に目を向ける。
例えるなら、それは無数の星が浮かぶ闇夜の空。
地面は何処にもなく、ただ煌めく夜だけが上も下も果てしなく広がっている。
その真ん中に、オレと幽霊だけがぽつんと佇んでいた。
『ここが何であるか。それはちょっと言語化が難しい。
繰り返すが、君は未だに死んだままだ。
今の君は魂だけの状態でここにいる』
「魂……だけ?」
……言われてみれば、どうにも手足の感覚が薄い。
動かせるは動かせるんだけど、何だか他人事と言うか。
そこで、もう一つ気が付く。
オレ、服とか何も着てなくね?
『まぁ、ついさっきようやく「自分」の再認識が済んだばかりだしね。
そりゃ服とか細かいところまでは再現が――ぶっ!?』
とりあえず、タダ見してる奴の顔面をもう一発ブン殴っておいた。
ふわふわ曖昧なせいで、ホントに顔殴ったかはちょっと自信はなかった。
「で、どうすりゃ良いんだコレ?」
『普段の自分の姿をイメージしなよ……!
魂の状態に、物理的な制約は関係がないからね。
思い描いたことを形にすれば良いんだ』
「良く分からんことを……」
とはいえ、流石に全裸のままじゃ落ち着かない。
ボレアスがちょっと脳裏を過るが、そのイメージは邪魔過ぎるので追い出す。
普段、普段の自分。
常は意識してないせいで、逆に難しいが……。
「……こんなもん、か?」
『……あぁ、初めてにしては上出来じゃないかな?』
服とか、まぁ大体あってるはず。
改めて手足とかを動かして確認してると、幽霊は軽く笑う。
『そろそろ本題に入って良いかな?
俺は君を助けたいと思ってるんだ、イーリス。
君のお姉さんや、他の仲間の人たちと同じ程度にはね』
「胡散臭ェ」
『酷くない??』
即答したら、幽霊はオーバーアクションで嘆いてみせた。
……まぁ、助けたいってのはホントかもしれないが。
それはそれとして、コイツは多分別の目的があるはずだ。
全部ただの勘だけど。
「……ま、助けて貰った事には礼を言うけどな。
でも名乗りもしねぇし顔も見せねぇ奴をどう信用しろって?」
『そこは、どうか堪えて欲しい。
俺としてもホントは手を出す気なんてなかったんだ』
「手を出す気がなかったのに、何でオレを助けたんだよ」
苦笑いをこぼす幽霊に、少し突っ込んでみる。
コイツが何者なのかとか。
その辺はまったく――不自然なぐらいに心当たりがない。
そんな覚えもしてない奴がどうして、オレの事を助けるのか。
答えはすぐには帰って来なかった。
沈黙は数秒にも、何時間も続いたようにも思える。
『……何でだろうね?
いや、他の方法も無いでは無かったけど。
その上で、俺は「君を助ける」という微妙に手間のかかる手段を取った。
さて、何でだろうなぁ』
「お前の知らないことをオレが知るかよ」
『正論だな、素晴らしい』
ふざけてんのかコイツ?
もう一発殴ってやろうかと思ったが、その前に距離を取られた。
『まぁまぁ。それよりも、重要なのはこれからどうするかだ』
「……そうだな。つーか、ホントにここは何処なんだよ」
『大真竜であるコッペリアの「内側」だよ。
場所だけを言えば、それが一番正しいはずだ』
「コッペリアの、内側……?」
それは、要するに。
「……喰われたのか? オレ」
『その通り。いや、やっぱり賢いな君は』
「蹴るぞ」
ガキにするみたいな褒め方すんなよ。
ホントに蹴ってやろうかと思ったが、ササッと逃げられた。
魂の状態だってのに、物理的に殴れるのもなんか変な感じだな。
そこは良く分からんので気にしないでおく。
そんな事よりもだ。
「で、こっから脱出するにはどうすりゃいいんだ?」
『内から外へ脱出するのは難しい。
俺もこっそり忍び込んで、君を今の状態に治すので限界だった。
ただ、君の仲間たちなら。
彼らなら、恐らく君を救い出す事も出来るだろう』
「そうか。まぁ、そうだよな」
姉さん。それにレックスやアウローラたち。
アイツらなら、どんだけ状況が絶望的でも何とかしてくれる。
それに関しては、誰より信頼してるつもりだ。
だとしたら、オレは此処で大人しく待ってりゃ良いのか?
『待っていれば良いかと言うなら、その通りだよイーリス。
今は自己の境界もちゃんと保てている。
けど、ちょっと問題もあるんだ』
「問題? 何だよ、回りくどいことせずにハッキリと言えよ」
『君の《奇跡》だよ。使えるかい? 今」
「あ? そんなもん――」
言われて、初めて気付いた。
普段は手足と同じ感覚で使っていたオレの《奇跡》。
それが今は、どこにも存在しない。
オレの手には何の力も握られていなかった。
「……どういうことだよ」
『コッペリアの――ヘカーティアの目的は、君の《奇跡》にあった。
彼女はこれまで不可能だと考えていた方法を取ろうとしている。
イーリス、君の《奇跡》を手にした事でね』
「分かりやすく言えよ」
『結構ね、簡潔に説明するってのは難しい事なんだよ。
アレ、見えるだろ?』
苦笑しながら、幽霊は夜空を指差す。
見えるのは幾つも煌めく星の光。
「アレが?」
『星に見えるけど、アレは星じゃない。
大陸に無数に点在する「都市」の輝きだ。
より正確に言えば、「都市」を運営する演算装置。
その内側を駆け巡る走る電子の光だ』
電子の光。
それはオレが《奇跡》によって干渉しているものだ。
言われてみれば、何となく分かる。
《奇跡》がなくとも、慣れ親しんだ感覚として理解できた。
『ヘカーティアは今、奪った君の《奇跡》を利用している。
それを自身の力と合わせて、大陸全土の「都市」の演算機能を奪おうとしている』
「はぁ??」
『意味が分からないって顔をしてるね。
――ヘカーティアは、恋人を「造り直す」気なんだよ。
バラバラの粉々に砕けてしまった魂の残骸。
それは今もヘカーティアの魂の内にある。
どんなパズルよりも細かく、欠けて失われたピースは無数にある。
そのせいで、彼女が創造してきた「
「…………」
不完全、という言葉は気に入らないが。
今は黙って幽霊の話を聞く。
あのイカレた女が、何をしようとしているのか。
『バラバラになった、砂粒のような破片を繋ぎ直し。
そもそも欠けてしまった部分を、寸分違わずに元通りに復元する。
そんな真似は、幾ら大真竜でも不可能だった。
正確な計算を行うのに、不滅の竜にとっても莫大な年月が必要だ。
――そこで君の《奇跡》の出番だ、イーリス』
「……おい、まさかとは思うが」
何となく話が見えて来た。
同時に、心底嫌な予感も沸き上がって来る。
『あぁ、君の予想通りだ。
ヘカーティアは君から奪った機械を操る《奇跡》を、自分の魔力で増幅してる。
そうして大陸中の「都市」に置かれた演算装置を全て支配する気だ。
――分かるかな、「全て」だよ。
「都市」の多くはその動力を支配者である真竜が賄っている。
それとは別に、高度に機械化された「都市」の運営は機械の演算能力が必須だ』
「……その、「都市」に必要な演算能力を全部。
あの女は、恋人を完璧に復元するために強奪しようとしてんのか?」
『そういう事だね』
クソッタレめ。
心の底からクソッタレと叫びたい気分だった、畜生め。
全てと、この灰色の幽霊は言った。
都市機能を支える全ての演算能力を、ヘカーティアは奪おうとしている。
そうしたらどうなる?
大陸中のあらゆる「都市」は、その機能を喪失する。
真竜や、それに媚びへつらってるごく一部ぐらいは困らないかもしれない。
だが大半の人間にとって、「都市」の機能は生きるために必要なものだ。
その全てが、突然何の前触れもなく停止する。
……どんだけの被害が出るかなんて、オレの頭じゃ想像できない。
それぐらいにヤバい事態だった。
「……もう、手遅れか?」
『いいや。ヘカーティアはまだ、君の《奇跡》の扱いに慣れてない。
今は大陸全体に嵐を拡大している――要するに、事に及ぶ前段階だ。
一度始まってしまえば、もう手が付けられない』
「つまり、まだ間に合うって事だな」
大人しく助けを待ってたら、間違いなく手遅れになる。
オレは確信した。
この幽霊の目的は、オレにヘカーティアの暴挙を邪魔させる事だ。
多分それは、今のオレぐらいしか出来ないからだ。
『どうする――とは、聞くまでもないかな?』
「当たり前だろ。
大人しく殺されて、その上舐めた真似されたまんまとかあり得ねェよ」
『……死人なのが信じ難いメンタルだなぁ』
「うるせぇよ。つーか、他人事みたいに言ってるけどお前はどうするんだ?」
『出来る限りの手伝いはしよう。
ただ見ての通り、イマイチ役に立たない幽霊の身だ。
過度な期待はしないで貰えると助かる』
ふざけた事を抜かしてるが、それはとりあえず聞き流す。
右も左も分からない状況、多少の案内ぐらいの役に立てば御の字だろ。
『おっと、今何か酷いことを考えなかったかな?』
「知るかよ。
そういう目で見られたくないなら、オレを引っ張り出したぐらいの役には立てよ」
『手厳しいなぁ』
胡散臭い笑いを浮かべる、灰色の幽霊。
……オレは本当に、コイツを知らないのか?
何か欠けてしまったような感覚。
痛むのは、一体オレの中のどの部分だ?
『イーリス?』
「……何でもねぇ。それより、やる事が決まったならさっさと動こうぜ。
あと、お前はそろそろ名乗りの一つも上げたらどうだ?」
『名乗るほどの者でもない、気紛れな幽霊って事じゃダメかな?』
やっぱり、幽霊はふざけた事しか言わない。
だから構わず、都市の光が無数に瞬く闇の中へと踏み出す。
――絶対に、借りは返してやる。
殺された挙句に、舐められたままじゃ終われないからな。
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