250話:犠牲
加速する。
最短の
障害物が少なすぎて、四方から伸びてくる触腕を避けるのが難しい。
「振り落とされんなよ!」
姉さんやボレアス辺りは心配ないが。
それでも一応警告は発しつつ、オレは加速を続ける車体を操る。
侵入できるかギリギリの狭い道。
そこに無理やり入り込み、壁のスレスレを走り抜ける。
遅れて、廃墟の壁やらを砕きながら触腕の群れが追いかけて来た。
間にワンクッション挟んだおかげで、さっきよりは触腕の動きが鈍い。
当然こっちも狭さのせいで動きづらいが。
「こんぐらい……!」
敢えて減速はしない。
速度を落とせば、触腕はまた追い付いて来る。
走る。走る。走る。
電子制御された車体に、自分の意識を重ねる。
これはオレの身体だ。
自らに半ば暗示をかけるように。
そう言い聞かせながら、車を走らせる。
時には車体を傾けたりして、本来は入れない隙間も無理やり抜ける。
偶に横から伸びてくる触腕もあったが、それは姉さんかボレアスが叩き落した。
この辺は流石と言う他ない。
「くそっ、遠いな……!」
走り続けながら思わず毒吐く。
曲がりくねった道を進みながら、オレは目的地との距離を測る。
最短の進路でない分だけ、余計に時間は掛かる。
神経が削れて無くなっちまいそうだな……!
「っ……」
ポタリ、と。
床に赤い雫がこぼれた。
今、オレの意識は車体の構造と一部重なっている。
そっちを無理させ過ぎた分の反動が、オレの方にも影響したか。
まだ鼻血を噴いた程度だが、なかなかキッツイな。
姉さんは触腕の対応に集中してるから、こっちの様子には気付いてない。
ボレアスは――まぁ、そんな心配なんかしねーよな。
大丈夫、大丈夫だ。
精々鼻血が出ただけで、内臓から血を吐いたワケじゃない。
だから躊躇わず、車体の加速状態は維持する。
《金剛鬼》だったら、ある程度は機体の人工知能に制御を任せりゃ良いが。
この車体に積んであるのは簡易な自動操縦だけ。
だから、オレが全力を出さなきゃいけない。
普通に
だから――。
「……身体、キツそうだな」
軽く、肩に触れられる感触。
アッシュだ。
触れる手には、淡い光が宿っていた。
その輝きが少し暖かい。
僅かにだけど、身体も軽くなった気がする。
「傷付いたところを、癒すぐらいしかできない。
でも、無いよりはマシだろ?」
「……そうだな」
苦しいのも、キツいのも変わらないが。
アッシュの言う通り、さっきよりは随分とマシだ。
「そっちこそ、無理して倒れんじゃねェぞ」
「これでも燃費は良くてね、その心配は無用だ」
「だったら遠慮しなくても良いな」
笑う。
苦しいのも、キツいのも変わらないが。
さっきよりはマシだと、オレは無理やり笑ってみせた。
寄って来る触腕は、姉さんとボレアスがどうにかしてくれる。
オレは血反吐をブチ撒けようが、兎に角この車輪を前に進めるだけでいい。
本当にヤバい一線は、アッシュが抑えてくれている。
それなら――まぁ、何とかなるだろ。
「頼むから、途中でぶっ壊れんなよ!」
オレは大丈夫でも、車体は持たない可能性は十分にある。
その点はもう祈るしかない。
誰に祈れば通じるかなんて、オレには皆目見当もつかないが。
走る。走り続ける。
途中で明らかに様子がおかしい人間は、度々視界の端を掠めた。
オレにできるのは、轢いてしまわぬように回避することだけ。
見知らぬ他人を助けるには、この手はどうしたって短いからだ。
走る。走り続ける。
目指すは《天の庭》の中心。
そこに辿り着いたとして、何とかなるかは分からない。
何とかならない可能性の方が十分以上。
だとしても、何もできずに立ち尽くすよりはずっと良い。
そう信じるしかない。
「ッ…………」
血がこぼれる。
視界は霞みそうだが、何とか持ち堪えた。
限界を超える《奇跡》の行使は、容赦なく身体の内側からオレを削って行く。
アッシュが、その削れた分を癒してくれちゃあいるが。
キツい。キツいけど、言葉には出さない。
血と一緒にブチ撒けちまいそうだ。
「弱音なら聞くけど!」
「っ、言ってる暇がねェよ……!」
アッシュの軽口に、血の代わりに反発する言葉を吐き出す。
ほんの少しだけ、活力が戻った気がする。
やっぱり何事も気の持ちようだ。
その辺、分かっててやってるかは知らないけど。
ひと段落したら、アッシュに感謝の一つぐらいはしても良い。
そんなことを頭の片隅で考えながら、オレは車体を操作し続ける。
大分、距離は近付いて来た。
少なくとも行程の半分はとうに超えた。
触腕による妨害も、速度で振り切ってる分それほど激しくはない。
あと少し、あと少しで――。
「っ、おい! 地面を見ろ!」
「――――!?」
気を緩めていたワケじゃない。
それでも、ボレアスが警告を発するまで気付かなかった。
いつの間にか、地面から黒い泥みたいなものが染み出してきている事に。
気付かず、そこに思い切り突っ込んでしまった。
速度と質量で、一瞬は泥を蹴散らしながら進むことはできた。
しかし、それは本当に一瞬だけ。
触腕の時と同じように、黒い汚泥もまた無尽蔵に湧き出してくる。
粘性の高い油みたいに纏わりつけば、あっという間に車体の動きは鈍って行く。
振り払おうにも振り払えない。
コイツは、流石にちょっと拙い……!
「何だ、これは……!?」
ついには車上にまで這い上がって来る泥に、姉さんは《分解》の光を放つ。
それは抵抗を許さず、黒い泥を消滅させる。
あくまで、ほんの一部分だけを。
多少の穴を開けようと、溢れる泥はその部分を直ぐに埋めてしまう。
圧倒的過ぎる物量。
こんなもん、チマチマ削ったってどうしようもない。
それこそ爆薬でも何でも良いから、纏めて吹き飛ばすしか――。
「――チッ、仕方あるまい」
不機嫌そうな顔で、ボレアスが小さく舌打ちをする。
そうしてから、胸を膨らます勢いで大きく息を吸いこんだ。
って、この体勢は……!
「伏せろ……!」
「うぉっ!?」
反射的に、すぐ傍にいたアッシュの頭を無理やり抑える。
車体の制御だけは誤らないよう、意識はそちらに集中させたまま。
「ガアァ――――ッ!!」
ボレアスの咆哮が響いたのは、オレが動くのと殆ど同時だった。
大きく開かれた口、そこから吐き出される炎熱。
久々に目にする《
それは車体の一部も消し炭にしながら、黒い泥を大きく薙ぎ払う。
圧倒的な熱量に晒されては、ほんの少しでも耐えることは不可能だった。
ついでに寄って来た触腕すらもボレアスは焼き払った。
《吐息》を放った時間は、ほんの数秒。
たったそれだけで、辺り一面は焼け焦げた痕跡だけが残された。
「相変わらず、すっげェ威力だな……」
「イーリスさん、ちょっと苦しいんですけど」
おっと、悪いな。
いつの間にか、手でなく身体で頭から抑え込んでたか。
とりあえずアッシュの上から退き、ボレアスの方を見たが――。
「不甲斐ないが、あと二度は無理だぞ」
そこには、目に見えて消耗したボレアスがいた。
やっぱり今のは相当無茶した結果かよ……!
とりあえず即動けなくなる、って状態ではなさそうだが。
恐らくあと一発も放てば、それと近い状態になるのは明白だった。
反射的に支えようとした姉さんの手を、ボレアスは軽く押し退ける。
力ずくで払わない辺り、弱ってるのが目に見えて分かった。
「目的地まではまだ着かんか?」
「まだ掛かる。けど、もうすぐそこだ」
「……であれば、道をグネグネと行くよりも真っ直ぐ行った方が良かろうな」
ボレアスの言ってることは分かる。
さっきと同じ状況にまた陥れば、流石に対処が難しい。
なら薙ぎ払った直後である今。
距離がそう遠くないのなら、後は自分の足で真っ直ぐ向かった方が早い。
姉さんと、弱っていてもボレアスの足ならば。
オレやアッシュぐらい、抱えてもワケなく行けるだろう。
――この車両には、まだ何人かが中に残ってることを考えなければ。
「……なぁ、イーリス」
「行こう」
アッシュが何かを言おうとしたが。
生憎と、それを悠長に聞いてやる暇もない。
迷ったら意味がない。
今は最速で駆け抜けるのが最善だ。
辿り着いた先に、都合の良い解決法があるなんて保証はない。
それでも、ここでオレ達が立ち止まってしまったら。
それこそこれまでの何もかもが、全て意味を失うことになる。
「ただ、オレとアッシュの足じゃ無理だ。悪いけど、抱えて貰って良いか」
「仕方あるまいな。だが、安全の保証などせぬぞ?」
「上等だ。ヤバかったら放り捨ててくれよ」
「なれば良し。さっさと行くぞ」
言うが早いか、ボレアスはオレとアッシュの身体を引っ掴んだ。
《吐息》で疲弊してるにも関わらず、二人分を軽々と持ち上げるパワー。
こればっかりは、流石は竜の王としか言い様がない。
「姉の方は、寄って来るモノの対処をするが良い。
こちらはお守りで手が塞がるでな」
「ええ、承知しました」
そう言葉を交わしながら、ボレアスは車体を強く蹴った。
高く、高く。
翼も広げていないのに、オレ達を抱えたままボレアスは高く飛ぶ。
姉さんの方も、《飛行》の魔法でそれに続く。
下を見れば、再び滲み出た黒い泥が残された車体に絡みついてる最中だった。
どうしようもない。
だから、オレはそれ以上は見なかった。
アレでもまだ、確実に死んだって決まったワケじゃない。
だったら、今は前を見るしかない。
「ハハ、思った通りのしつこさよな……!」
まだ無事な廃墟を足場に。
飛び跳ねながら進めば、行く手を無数の触腕が塞ぐ。
本気でしつこいな、クソが……!
「道は私が開きます!」
鋭い叫びと共に、姉さんは青白い光を放つ。
お馴染みの《分解》の魔法。
泥相手では焼け石に水だったが、触腕が相手なら効果的だ。
群がって壁のようになった枝葉や幹。
それにドでかい穴を穿つ。
すぐにその傷を埋めようと、触腕は更に蠢くが。
「邪魔だ!!」
更に追加で二度。
《分解》の青光が宙に光の花を咲かせる。
千切れてボロボロになった触腕。
あとはそこに蹴りを叩き込み、力技で道を切り開く。
「ちょっと、無理しすぎじゃねぇか!?」
「問題ない! 私の方は気にするな!」
オレの言葉に、姉さんは力強く応じる。
問題がないワケがない。
《転移》に《分解》、今は《飛行》の術式まで維持している。
消耗は軽くない――どころか、大魔法の連続行使でボロボロのはずだ。
それでも弱みは見せず、迷うことなく脅威に挑む。
我が姉ながらあまりにも雄々しい。
幸い、あの黒い泥は地を這うばかりだ。
高い位置を保持し続ければ、邪魔になるのは触腕だけ――。
「ッ――――!?」
不意に、姉さんが空中で身を捻った。
オレの目には見えなかったが、多分何かが飛んで来たんだ。
それを示すように、姉さんの肩や脚に裂けたみたいな傷が一筋走っている。
けど、一体何が……!?
「下だ! ボレアス殿、気を付けろ!」
「言われるまでもない!」
どうやらこっちと違い、ボレアスには見えていたようだ。
けど、下って言っても地面には泥しか……。
「って、嘘だろ……!?」
改めて下を覗いたら、それはオレの目にも見えた。
黒泥の一部が結晶化し、さながら逆さに生えた氷柱のように変化している。
その結晶の一部が、まるで弾丸みたいにオレ達を狙って来た。
いやいや、そんなんありかよ!?
「当たるのはマズイ! 掠っただけで生命力を奪われた!」
「やれやれ、随分と悪食になったものよなぁバビロン!」
危機的状況が加速していく。
オレはボレアスに抱えられるだけで、どうにかする力はない。
ただ邪魔にならぬよう、身体を丸めるだけだ。
前へと進むほどに、阻む触腕の密度が増していく。
突破自体は姉さん達なら容易だが、足を止めれば結晶弾が飛んでくる。
弾いても弾いても、まったく切りがない。
ボレアスは可能な限り回避し、避けられない分は爪で払い落とす。
しかし、接触しただけで生命力は奪われるらしい。
ただでさえ消耗しているボレアスの動きが、どんどんと鈍っていく。
このままでは拙いと、そう分かっていながら。
どうする手立ても無いことが、ただひたすらに歯がゆい。
オレはただ、祈りながら目を向く。
まだか、まだ見えないか――。
「……いや、アレは……!」
見えた。
まだ距離はあるけど、オレの目は確かにそれを見た。
遠く、周囲には廃墟も殆ど存在しない空白の中心。
今にも闇が噴き出しそうな、黒々とした大穴。
あぁ、間違いない。
見ているだけで怖気が走る、この感覚。
「アレが、《天の柩》か!」
「ふん、バビロンの気配が濃すぎて鼻が曲がりそうだな」
ボレアスの口元に笑みが浮かぶ。
あと少し。
あと少しで。
「――――ッ!?」
あまりにも強烈な気配に、一瞬だけ意識を大穴に釘付けにされた。
一瞬――その一瞬の隙を突く形で、黒い結晶の弾が襲って来る。
避けられるタイミングじゃない。
ボレアスも、恐らく全ては叩き落せない。
オレが、仮に一発でもまともに喰らったらどうなるか。
「ちっ……!!」
どうしようもない。
迫るはずの運命は――しかし。
届くことはなかった。
オレ自身の、生命には。
「……大丈夫、か?」
溢れる血と共に。
アッシュは、庇ったオレに向けてそう言った。
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