第五章:それは落ちる星のように

249話:天の柩を目指して


 《移動商団キャラバン》の中は、ちょっとした阿鼻叫喚になっていた。

 《天の庭》の中心、その空に異常が見られるようになった直後。

 そのぐらいから、《商団》に乗ってる連中がおかしくなりはじめた。

 とりあえず、シラカバネほど暴力的じゃないことだけが救いだが……。

 

「間もなくだ! 間もなく《天の庭》が開花するぞ!」

「バビロンが帰って来る!

 嗚呼、大いなるバビロンよ! どうか我らを御救い下さい!」

「一つだ! 我々は一つだ!」

「何も恐れることはない! 理想郷を迎えようじゃないか!」

 

 ……こんな調子だ。

 多少の個人差はあるが、殆どの人間がトランス状態だ。

 オレとアッシュは、《商団》の窓からその様子を覗いていた。

 

「……やっべェな、コレ」

「あぁ、明らかにおかしくなってるな」

 

 覗き込んでいた身体を、車体の天井に戻す。

 今のところは騒いでるだけだが、いずれ暴動めいた状態になる気がする。

 あくまで予感だが、そう外れたことにはならないだろう。

 ついでとばかりにアッシュの様子も観察する。

 見られた方は、きょとんとした顔で首を傾げて。

 

「俺の顔に何か付いてる?」

「お前も《休息地》の果実は食ってるはずだろ?

 何か変調とかはないのか?」

「あー……」

 

 どいつもこいつも、口々にバビロンがどうのとか言ってる。

 原因はやっぱり、あの果実を口にしているからだろう。

 指摘されたアッシュは、やや困った様子で小さく唸った。

 見たところ、おかしな変化はなさそうだが……。

 

「とりあえず、大丈夫だと思う。

 あくまで今のところは、だけどな」

「そうかい。おかしくなったら介錯してやりゃ良いか?」

「できれば死にたくはないなぁ」

 

 割とマジで言ったんだが、アッシュは冗談めかして笑った。

 まぁ、そんなことにならないのが一番だけど。

 

「……無事か? 二人とも」

 

 と、上がって来た姉さんが声を掛けて来た。

 それに続いてボレアスと――あとは、カーライルも顔を出す。

 こっちの方も、見た感じおかしな様子はなさそうだった。

 

「なんとかな。姉さん達も大丈夫か?」

「あぁ。今のところ、

 おかしくなった住民達も暴れるまではしていないからな」

「それならそれで叩き伏せれば良いだけよな」

「できるなら、暴力は最後の手段にして欲しいね」

 

 欠伸混じりのボレアスの言葉に、カーライルは苦笑いをこぼした。

 そいつは基本的に暴力的な生き物だから、そこは諦めてくれとしか。

 

「で、運行の方は大丈夫なのか?」

「そこが問題だね。良く分かってるようで安心したよ」

「冗談言ってる場合か?」

 

 ジト目で軽く睨むと、カーライルは軽く肩を竦める。

 《商団》はまだ目的地――《天の庭》の中心に辿り着いてはいない。

 内部の状況があんなんで、まともに走らせ続けられるのか。

 こっちとしちゃそれが一番の懸念事項だ。

 

「問題ない――とは言えないね。

 ある程度は自動操縦オートパイロットで何とかなる。

 だが部下が暴徒化した場合、安全安心の旅は保証しかねるね」

「当然と言えば当然な話だな」

 

 分かり切っていた事実確認ではある。

 姉さんも難しい顔で頷いた。

 ……しかし、自動操縦か。

 

「コレも電子制御で動かせるんだな」

「? あぁ。手動操作マニュアルにも対応しているがね。

 何なら車両同士の連結を切り離し、個々に動かすことも可能だよ」

「そりゃ良いことを聞いたな」

 

 カーライルの言葉に、自然と笑みがこぼれる。

 

「どうするつもりだ?」

 時間がねェから、もう即やっちまうぞ?」

「それは――確かに可能だが、そうするには制御室に……」

「いらねぇよ」

 

 驚く優男は無視スルーして、オレはさっさと作業に入る。

 意識の網を伸ばして、車体を動かしている電子の流れに触れる。

 面倒臭いので防御はさっさと引き剥がし、制御権を半ば強引にもぎ取った。

 そうなれば、手足を動かすのと大差ない。

 車両同士の連結を解除。

 ついでに後続は全て動力に停止命令を打ち込んでおいた。

 中の連中が暴れ出すかは分からんけど、どうあれ時間稼ぎにはなるだろ。

 あっという間に進行する状況に、カーライルは目を白黒させていた。

 

「これは……また、凄いな。どうやったんだね?」

「企業秘密だ。他も別に文句ねぇよな?」

「文句もなにも、口を開く前に全部終わっちゃったけどね」

「そりゃ悪かったな。迷ってる時間が勿体ねぇだろ」

 

 苦笑いを浮かべるアッシュに、軽く手を振っておく。

 姉さんとボレアスは、当然文句はない様子だ。

 まぁ、後者に関してはぶっちゃけ興味がないだけだろうけど。

 兎も角、これで暴徒だのの心配は先頭車両の少ない人員だけになった。

 例え暴れ出しても、姉さんやボレアスがいる以上は制圧は簡単に済むはず。

 オレは意識を集中させて、また車両の制御に干渉する。

 目的地への進路ルートは、既に自動で設定されている。

 それに対し、オレは速度をより上げるよう命令を飛ばしておいた。

 今まででもそれなりに速かったが、更に目に見えて加速をし始める。

 風の中を突っ切る感触は、なかなか悪くなかった。

 

「やるなら一言欲しかったな……!」

「事故らせたりはしねぇから安心しろよ」

 

 アッシュの抗議もとりあえずは無視だ。

 事態が急激に進行している以上、時間の浪費は出血も同然だ。

 一分一秒でも早く、《天の庭》の中心に――。

 

「……拙いな」

 

 ぽつりと。

 不意にそう呟いたのはボレアスだった。

 これまでで一番険しい顔つきで、黒が渦巻く空を睨む。

 そうしてから、鼻をひくつかせながら流れる景色にも目を向けた。

 

「どうした……って、聞かなくてもヤバそうな感じだな」

「バビロンの気配がどんどん強くなっている。

 目的の場所に近付く程に濃くなるのは良いが……」

「他に、何が?」

 

 言葉を切ったボレアスに、姉さんは不安げに問いかけた。

 オレ達には、まだ「何かヤバそう」ぐらいにしか分からないけど……。

 

「先ほどまでは気配の薄かったような場所からも、バビロンの臭いがする。

 これは、余り良くないかもしれんな」

 

 ボレアスが、そう応えた直後。

 轟音が響いた。

 同時に、足下から突き上げるような衝撃。

 

「地震……!?」

「ッ、振り落とされないよう備えろ!」

 

 驚き、転びかけたオレを姉さんが支えてくれた。

 カーライルはスッ転んだようだが、振り落とされずには済んだようだ。

 アッシュも膝を付いてるだけで問題ない。

 ただ一人、ボレアスだけが激しく揺れる中でも平然と佇んでいた。

 その眼が見ていたモノは。

 

「……なんともまぁ、醜い様ではないか」

 

 木、だった。

 それは《休息所》で見たものと同じ。

 ボレアス自身も、「バビロンの気配がする」と言っていた緑色の木々。

 ……オレが見たのは、大きくても人の身長の倍程度のサイズだった。

 規模も精々が小さな林ぐらい。

 少なくとも、オレの記憶の中ではそのはずだ。

 けど、今見えてるのは明らかにおかしい。

 無数の木々が、まるで蛇のようにうねりながら成長を続ける。

 廃墟に絡みつき、或いは幹を食いこませながら。

 文字通り、見上げるほどの高さにまでその枝葉を伸ばしていく。

 どう考えても異常な成長速度だ。

 そして、それが一ヵ所ではなく都市のあちこちで同じ現象が起きてるようだ。

 

「これは……まさか、全ての《休息地》が……?」

「アレはバビロンの血肉を苗床にしていたようだからな。

 主の目覚めと共に、それらが全て活性化をし始めたのだろうよ」

 

 突然の事態に、姉さんの声が震える。

 険しい表情のまま、ボレアスは唸るように言った。

 バビロンが目覚める。

 さっきの住民がおかしくなったのも、この予兆だったか。

 しかし、そうなると――。

 

「ッ……」

「おい、カーライル!」

 

 予想通り、カーライルが苦しげな呻き声を漏らした。

 胸元を押さえて、顔色も蒼褪めている。

 反射的に近寄ろうとしたが、それはアッシュに押し留められた。

 

「シラカバネの例もある。できれば近くに寄らない方が良い」

「……おい、アッシュ。お前は……」

「俺は、まだ大丈夫だ」

 

 まだ、と。

 そう言うアッシュ自身の顔色も、かなり悪い。

 カーライルほどではないが、それでも大分キツそうだった。

 そのカーライルも、揺れる中でも無理やり身を起こす。

 そうしてから、大きく息を吐き出して。

 

「……頭の中で、声がする。

 きっと、地の底からバビロンが呼ぶ声だ」

「……カーライル」

「分かっている。私の正気は、恐らく長くは持たない。

 だからこのまま、私は車内に戻ろうと思う」

 

 一歩、また一歩と。

 揺れる中、ふらつく足取りで床に設えた出入口ハッチに向かう。

 既に影響を受けていた配下の連中は、一体どうなっているのか。

 積極的に確かめたいとは思わなかった。

 

「“彼ら”の仲間になりつつある私なら、まぁそう危険もないだろう。

 この状態そのものが危険であることを除けば、だが」

「…………」

「そんな顔は止してくれ、情を持つような間柄でもないだろう?

 私は、君らが勝って、異常を解決する可能性に賭けるだけ。

 そうなれば、別にここで死ぬ必要はない――違うかな?」

 

 こうしている間も、バビロンの干渉によって正気が削られているはずだ。

 にも拘らず、伊達男は笑っていた。

 それが表面的に取り繕っただけのモノに過ぎなくとも。

 

「この出入口は、私が下りた後は閉鎖してくれ。

 君なら、そういうことができるんだろう?」

「……あぁ、分かった。

 死ぬなよ。これで死なれたら、寝覚めが悪くて仕方ねぇ」

「それは、君次第だろうさ。あぁ、幸運を祈っている」

 

 それが、オレがカーライルと交わした最後の言葉だった。

 車内に降りる伊達男の背を見送ってから、オレは直ぐに出入口を封鎖した。

 無理やりこじ開けない限りは、もう通行できない。

 

「イーリス……」

「大丈夫だよ、姉さん」

 

 情を持つような間柄ではない、と。

 カーライル自身が言っていた通りだ。

 そんなもんを持つ間柄じゃないし、だからそんな理由で足は止められない。

 オレ達が目的を果たす事に、あの男は自分の生存を賭けた。

 結果まで保証しないが、やれることはやってやる。

 

「どの道、感傷に浸っている暇はないぞ」

 

 そんなボレアスの言葉と共に、背筋に悪寒が広がる。

 オレは見た。

 無秩序に成長を続ける木々――いや、バビロンの一部。

 それらが見た目の印象そのままに、鎌首をもたげてこっちを向く。

 獲物を狙う、蛇の動きだ。

 

「下がっていろ!」

 

 鋭く叫び、姉さんが一歩前に出た。

 かざした手に青い光が宿り、向かって来た木の一部に炸裂する。

 《分解》の魔法は、太い幹だろうと容赦なく抉り取った。

 怯んだような動きで引き下がるが。

 

「当然、今ので終わりじゃないよな」

 

 姉さんの《分解》で吹き飛ばしたのは、まだ一本だけ。

 あっちこっちから生えて来た木――いや、バビロンの触腕って言った方がいいか?

 それらが群がる蛇さながらに、オレ達のことを追いかけてくる。

 

「くそ、結構な速度で飛ばしてるんだけどな……!」

「オイオイ、どんどん増えてくぞ」

 

 微妙に青い顔でアッシュが呟く。

 ンなことは言われんでも分かってるっての。

 車両の速度を更に上げるが、触腕は諦めずに伸びてくる。

 追い付きそうな一部を、ボレアスが爪を振るって弾き落とした。

 

「ハハハハ、なかなか愉快な鬼ごっこになりそうだな!」

「言ってる場合かよ!」

 

 笑うボレアスに、とりあえずツッコミは入れておく。

 そうしている間も、あっちこっちからバビロンの触腕は集まって来る。

 闇が渦巻く空は、まだ遠い。

 ――愉快かどうかは別として、なかなかキツい鬼ごっこだ。

 向かうべき先を睨みながら、オレは車両の操作に意識を向けた。

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